第7.5話 断章2 「ライラの苦悩」

 サンダーは赤い髪の少年と発って行った。

 武闘大会はいよいよ大人の部が開幕となった。

 ぞろぞろと出場者達が現われる。そして係員が引き摺ってきた武器と防具の詰まった箱の周囲に集い、嬉々としてそれぞれ目に止まるものを物色し始めた。

 彼らに混じって肌に合いそうな武器と防具を見つけるべきだが、ライラは出遅れたため、ただ出場者達の様子を眺めているだけであった。

 出場者に女の姿は見受けられない。それを確認しつつも、彼女は銀色の戦士エルド・グラビスのことを考えていた。すると身体が熱を帯びて来るのがわかった。

 エルドは今、東の端の港町バルケルに身を置いている。そして再三に渡るバルケル領主の娘、レイムの仕官の誘いの言葉が過ぎってきた。バルケルに仕官すれば、意中の男とずっと一緒にいられるだろう。海賊討伐の折、エルドに手を繋がれ海上を舞ったのを思い出した。素敵な散歩であった。相手の大きな手とその熱に身を委ね、青い海原を足元にし、その心に初めて安息を覚えたのだった。

 準備を済ませた出場者達が箱の前から去り、ライラは考えを振り払い箱の前へと進み出た。得意な長柄の武器が残っていれば良いのだが、と、期待を薄くさせつつも箱の中を覗く。

 短剣、長剣、手斧、様々な武器を掻き分けると、底の方に重厚な槍が眠っているのを見付けた。

 ライラは安堵し、それを片手で持ち上げた。思っていたよりも重さがあったが申し分は無い。防具は適当に残っていた胴鎧を身に着けて準備は整った。

 係員が彼女のもとに歩んできて言った。

「申し訳ありませんが、対戦を決めるくじ引きは最後の一つとなってしまいました」

 準備が遅かったせいだろう。ライラは頷いた。そしてやる気満々の戦士達を見て思った。私は誰にも負けない。

 エルドの力強い顔が思い浮かび、今は妄想を抱いている時ではないと己に訴えた。代わりに仲間の面々の姿を思い浮かべた。彼らのためにも勝って賞金を手にしよう。

 舞台の上で審判の男が、対戦する者達の名前を呼んだ。

 そうして幾人の男達が勝負している様を見届けていると、ついに自分の名前が呼ばれた。

「東、ライラ・クライム」

 ライラは武者震いしていた。ようやく出番が回ってきた。彼女が槍を提げて網を潜ると、大勢のどよめきが聞こえた。その内容から察するに女が出ていることに素直に驚いているらしい。

「西、オザード・キーボトス」

 正面から網を潜って来たのは、エルドにも勝るとも劣らない偉丈夫だった。演出のためか、その体躯にわざわざ動き難い甲冑を身に着け、鉄兜を被っている。そして大剣を手にしていた。

「おい見ろ、オザードだ。間違いない、黒剣のオザードが出てるぞ」

 観衆の中からそう声が上がるのを聴いた。

「相手が女だろうが手加減はしねぇぜ」

 相手は髭面の真顔でそう言った。

「望むところだ」

 ライラは言い返した。

「それでは、始め!」

 審判の声が会場に轟くや、ライラは槍を繰り出していた。

 しかし、オザードは大剣を軽々と振るい、それを打ち落とした。そして返す刃で剣が向かってきたが、ライラも槍を戻してそれを受け止めた。

 神速の如くライラは槍を振るい、突き出したが、敵は上手く捌き、そして反撃に躍り出てくる。

 正直、侮っていた。と、ライラは思った。だが、出場者の中にはこれ以上の猛者はいないだろうとも思った。くじ運を嘆きそうになったが、これも定めだと言い聞かせ、危機的な一撃を幾度もかわし、槍を繰り出す。

 得物同士がぶつかり合い、手に痺れが走った。

 相手が一旦後退した。睨んでいると敵は息を整えながら言った。

「よくやる。アンタ、決勝に会うべき相手だったな」

 相手が素早く踏み込んでくる。その強烈な突きをライラは槍で弾いた。

 しかし、刃の応酬は抜け目無く続いた。幾重にも空気が唸る重々しい音が木霊した。相手の大剣は決して軽いものではないことを再び認識させる。その一太刀、一太刀が重く、ライラの両腕が悲鳴を上げ始める。

 いかん。勝たなくては! 皆のために!

 しかし、防戦一方の中、相手も息を荒げ始めているのを悟った。

 ならばと、今度はこちらが反撃に躍り出る。ライラがそうしたように相手も剣でこちらの応酬を防いでいた。

 こちらも息が荒くなり始めた。槍を持つ手はそろそろ限界であった。

 その一瞬、相手が素早い反撃に躍り出た。

 振り抜かれた刃が、槍にぶつかり、それが強烈な力を受けて手から放り抜けてゆくのをライラは感じた。

 槍の転がる音が重々しく響き渡った。

「勝者、西、オザード・キーボトス!」

 こちらも勝負に出るべきだったが、相手の方がその判断が早かった。

 上には上がいるものだ。ヴァルクライムがサンダーに言った言葉が思い出された。



 二



 その後、敗北した自分を仲間達が迎え、慰め励ましてくれた。そして大会の優勝者は自分と闘った男だった。それもあってか、仲間達は再び自分を気に掛けてくれた。

 そして明朝、レイチェルとリルフィスと共に鍛錬に励んだ後、ライラは町をぶらついていた。

 町の北の武具商店に向かえば、きっとレイチェルとリルフィスが、裏で弓矢の稽古をしているだろう。昨日の惨敗の結果が思い起こされ、軽く気落ちした。まだまだ自分も力不足だ。オークとの戦いの時だってそうだった。強くなるにはどうすれば良いだろうか。簡単なことだ、自分よりも強い人物に教えを請うことだ。

 一体誰に?

 胸が高鳴った。銀色の鎧を身に纏った偉丈夫、エルド・グラビスの姿が思い起こされた。

 良かったじゃないか。と、胸の内に潜む恐らくは悪魔が言った。何故か? バルケルへ赴く理由が増えたからだ。

 認めろ。悪魔は囁いた。断ってはしまったが、お前はバルケルから必要とされている人間だ。更にエルドに心を奪われ、エルドの強さにも惹かれ師事したいとも願っている。そのエルドがどこにいるか。他ならぬバルケルだ。

 だが! と、彼女は心に囁く悪魔に訴えた。仲間達はどうなる? クレシェイドはもういない。誰が仲間達の先頭に立ち、刃を奮って道を切り開いて行くのだ。

 サンダーがいるじゃないか。悪魔が言ったが、ライラはかぶりを振った。

 サンダーではまだ駄目だ。彼の小剣が、オークを貫けると思えるのか? 忘れたのか、我々はヴァンパイアとの戦場であるリゴ村へ行く途中なのだ。リゴ村には前回の様に、ヴァンパイアの尖兵として数多のオーク達が待ち受けているだろう。

「どうしたの?」

 突然声を掛けられた。

 振り向けば、ティアイエルが立っていた。

「道の真ん中でボッとして。馬車に轢かれるわよ」

 有翼人の少女はそう言った。

 ライラはどう答えようか一瞬思案し、取り繕うに、昨日の惨敗の結果を詫びた。

「大船に乗ったようなつもりで言ったこと、本当にすまなかった」

「もう良いのよ。アタシは勿論、アンタに期待してたけど、ヴァルクライムがジミーに言ってたじゃない。上には上がいるって」

 上には上が。その言葉を聴いた途端に、エルド・グラビスの姿が脳裡を過ぎっていった。

 エルド殿……。

「それで何の悩みなの?」

 ティアイエルが視線を柔らか気にして尋ねてきた。

 その温もりの籠もった美しい顔に、ライラは跪きたくなった。

 自分は今の仲間内から抜けてバルケルへ行きたいと。それを許してくれと。

「いや、何でもない」

 ライラが言うと、ティアイエルが応じた。

「おせっかいかもしれないけれど、アタシで力になれることがあるなら何でも言ってくれて良いんだから」

 ティアイエルが神々しい天使のように見えた。

 途端に、彼女は涙を流してしまっていた。

「ここじゃなんだから、適当にお店にでも入らない?」

 ティアイエルに促され、二人は近くの喫茶店に入った。



 三



 ティアイエルは紅茶を二つ注文し、程なくしてそれらが運ばれてきた。

「呑んだら? 気分が落ち着くかもしれないわ」

「すまない」

 ライラは涙をゴシゴシと振り払って紅茶を一口啜った。華やかな香りがした。頭がスッとする。ライラは覚悟を決めた。

「実は言い難いことなんだが、私は、皆の中から外れようと思っているんだ」

 そう一息に言った。

「パーティーを抜けたいわけね?」

 ティアイエルが優しく問い質した。

「そうだ。率直に言えばそうなる」

 ライラは頷いた。

「アンタはよくやってくれてるわ。それで、理由を聞かせて貰っても構わない?」

 ティアイエルが言った。

「ああ、それは勿論だ」

 ライラは紅茶を一口飲み、幾分緊張してそう応じ、覚悟を決めて口を開いた。

「私は今回の大会に出て思ったんだ。強くなりたいと」

 ティアイエルは柔らかい眼差しを向けて頷いた。

「そうするには、誰か強い人間に師事しなければならないと思ったのだ。その人物こそ、エルド・グラビス殿だと私は思ったのだ」

 ティアイエルは頷いた。

「エルドって、アタシはあんまり面識ないけど、あの銀色の鎧の?」

「そうだ」

「アンタが言うんだから、剣の腕っ節は立ちそうね」

 ティアイエルの言葉にライラは頷いた。すると相手は言った。

「分かったわ。強くなるため、それがアンタの思う理由な訳ね?」

「そうだ」

 ライラは頷きながら、落ち着かなかった。まだ正直に言わなければならないことがある。

「アンタが自分で考えたことだもの、アタシは引き止めやしないわ。他の連中だって寂しがるとは思うけど、アンタの門出を祝ってくれるわよ」

 ライラはその言葉を聴いて身が震えた。言わなければならない。そして言った。

「それだけじゃ無いのだ、ティアイエル。私はどうやらエルド殿を好いているらしい。彼の温もりが忘れることができないのだ」

「そうだったのね」

 ティアイエルは言った。

「よく言ってくれたわ。アンタ、恋をしてたのね」

「そうみたいだ」

「それで、彼がどこにいるのかアンタは知ってるの?」

「うむ。バルケルにいるとのことだ。……レイム殿の使者がそう言った」

「レイム? あのバルケルのお嬢さんね?」

「ああ。私にバルケルで働いて欲しいと幾度か誘いがあった」

「そうだったの」

 ティアイエルは驚いているようだった。そして表情を明るくして言った。

「食うに困らないのは良いことだわ。幸先が良いじゃない。ね?」

「あ、ああ。そうなのかもしれない」

「ま、アンタの恋路、上手くいけば良いわね。もしも、駄目だったらまたここに戻ってくれば良いわ。アタシ達はアンタのこといつでも歓迎するわよ」

 ライラは安堵すると共に驚いた。

「本当に私が抜けても大丈夫なのか? クレシェイドの従兄上だってもういないんだ。私以外に誰がこのパーティーの剣となれるのだ?」

 するとティアイエルは優しく微笑んだ。

「そんなこと気にしなくて良いわよ。いないならいないなりに動くしかないし、それに気を悪くするかもしれないけれど、他の誰かを見付けて組む可能性だってあるんだから。だから、アンタは何の心配もしないで自分の気持ちに素直に生きれば良いのよ」

 ティアイエルはそう諭すと思い出したように言った。

「バルケルといえば、アイツの墓があったわね。アンタが近くに居てくれればアイツも喜ぶと思うわ。これはますますアンタの恋路が成功するように祈らなきゃね」

 ティアイエルはカップを捧げた。

「ほら、アンタもやってやって」

 そう言われ、ライラも同じようにカップを持ち上げた。

「アンタの恋路に光りあれよ。ライラ、乾杯」

「乾杯」

 心地良い音が木霊した。

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