第17.5話 断章4 「闇の世界」(後編)

 アムル・ソンリッサの屋敷に入ると、サルバトール達は広い食堂へと通された。

 部屋の燭台に灯るのは黒のような紫色の火であり、部屋は月明かりの如き明るさに溢れていた。

「掛けてくれ。次期に食事が運ばれてくる」

 そう言うとアムル・ソンリッサは首座の椅子に腰を下ろした。

 サルバトールは暗黒卿と向かい合わせに座った。ヴァンパイアの娘テレジアは、屋敷の一室で手厚い看護を受けている。そしてサルバトールは初めて暗黒卿の兜の下にある素顔を見たのであった。

 声こそ低く、重厚な響きを持つが、相手は意外にも若々しい面構えであった。髪の色は赤で、緑色の肌をした顔に、物静かな鋭い双眸がある。それがこちらを直視し、どこか満足げに微笑みかけた。

 場には沈黙の空気が流れたが、程なくして給仕が食事を運んできた。

 アムル・ソンリッサが手を付け、一行は食事を始めようとしたが、新たな給仕が二人やって来て、暗黒卿の前で跪き、布で覆われた何か大きな物を差し出した。

「私がやる」

 アムル・ソンリッサが立ち上がり、給仕の傍に来ると、その布を取った。

 サルバトールが見たところ、現れたのはいずれも鉄製の義手であった。

「卿、腕を」

 アムル・ソンリッサが言うと、暗黒卿は半ばから失った両腕を差し出した。

 そして屋敷の女当主は、手際良く革の帯を結び付け、義手を装着させた。

「卿、どうだ?」

 アムル・ソンリッサが問うと、暗黒卿は両指を滑らかに動かしてみせ、感覚を確かめるように幾度か拳を握り締めていた。

「闇の思念で動く義手か。うむ、申し分ない」

 彼はそう言うと、女当主を見上げて続けて口を開いた。

「後は、甲冑一式と、魔剣を一振り所望したい」

「良いでしょう。だが、まずは食事を終わらせてからです」

 アムル・ソンリッサは頷くと言い、席に戻った。

 それからは匙やナイフが皿と触れ合う微かに高い音色が響く他、再び沈黙の空気が流れた。

 料理は、久々に口にした闇の世界の味でいっぱいであった。コッカトライスの肉を使ったソテーに、闇苺のソースをかけたものや、焼き立ての黒麦のパンに、濃厚なチーズが注がれた青玉葱のスープなどであった。

 だが、サルバトールの喉を唸らせたのは、年代物のワインに他ならなかった。人の血を思わせるような甘美な味わいに彼はすっかり虜となっていた。

 そんなことを知ってか知らずか、給仕はワインの瓶を持って、彼の傍を動かなかった。彼は何度もワインを口に運び、すっかり身体も気持ちも解れてゆくのを感じたのであった。

 そうして食事が終わると、アムル・ソンリッサは、使用人に暗黒卿を案内するように申しつけた。

「ではな、サルバトール卿よ」

 暗黒卿はそう言って部屋を後にした。

 再び沈黙が訪れるかと思ったが、アムル・ソンリッサが口を開いた。

「サルバトール卿、主従共々しばらくはここに御留まりになるが良い」

「忝い。ところで」

 ところで、貴卿と暗黒卿は一体どのような関係なのか。そう、問おうとした。だが、使用人の一人が部屋に慌ただしく飛び込んできて、跪き、すかさず口上を述べた。

「閣下、一大事です! 何者かの軍勢が領内の東方を侵略し、村を焼き払っております!」

「ガーランドだな」

 アムル・ソンリッサは鋭くそう言うと、立ち上がった。

「ガルムに兵を率いて行く様に伝えよ。私もすぐに行く!」

 命を受けると伝令はすぐに部屋を飛び出て行った。

 サルバトールは居ても立ってもいられなかった。これはもともと我が身が振り撒いた災厄に他ならない。それを認めて覚悟を決め、席から立ち上がると、屋敷の女当主は彼を手で制した。

「貴卿は、客人故、ここでゆるりと待たれるがよろしい」

「いや、しかし、これは我が首を狙っての所業であることは明白だ。このサルバトールは、確かに人間どもに二度に渡って敗北したが、かといって、闇の者どもを前に、おめおめと背を向けるほど、誇りまでもが落ちぶれてはおらぬ。私も行かせてくれまいか」

 サルバトールが熱を込めて言うと、アムル・ソンリッサは美しい顔を僅かに思慮深かげに歪めると、首を横に振った。

「客人の手を借りるほど、ソンリッサの兵は弱くは無い。お暇ならば、武具庫を覗きにでも行かれるが良い。使えそうな物があれば、貴卿に進呈しよう」

 アムル・ソンリッサは部屋から出て行こうとしたが、サルバトールは納得がゆかず、声を掛けた。

「敵の狙いは私なのだ。ならば、私の前にこそ敵は現れるだろう。万が一、この屋敷に私を置いてゆけば、分散した敵どもがここを侵略しに来る事は目に見えている。ならば、私を囮とし、全ての敵を掻き集め、一網打尽にしてやった方が効率が良いはずだ」

 サルバトールが熱弁すると、アムル・ソンリッサは、考える素振りを見せ、やがて頷いた。

「確かに貴卿の言う通りやもしれない。ならば、大急ぎで魔剣を一振り用意しよう」

「いや、私にはこれがある」

 サルバトールは己の手の爪を刃のように伸ばして見せた。



 二



 燃え上がる家屋と、怒声に罵声、そして悲鳴、到着した村は阿鼻叫喚の世界であった。

 転移の魔術で、次々とソンリッサの兵が周辺に姿を現した。

「民衆を助けよ!」

 アムル・ソンリッサは素早くそう命じた。ソンリッサの兵は左手を胸に当て敬礼し、戦場へと飛び込んで行った。

「サルバトールがいるぞ!」

 兵が去った後、家屋の裏手から敵兵が飛び出してきた。その不揃いの出で立ちからすれば、敵は正規兵ではなく賞金稼ぎの類のようであった。

 サルバトールはアムル・ソンリッサを庇い、前に進み出た。

「どちらか一方の首で、騎士昇進。二つなら副騎士団長だ。それ、やっちまえ!」

 敵は口々にそう言い放つと、集団で押し寄せてきた。

「御館様をお守りしろ!」

 ソンリッサの護衛兵が剣を抜き放ち敵を迎え撃った。

「アムル・ソンリッサ、御首頂戴する!」

 ふと、背後の建物の扉が開き、数人の敵兵が一目散にこちらへ突進してきた。

 その間を縫って放たれた矢をアムル・ソンリッサは剣で弾き返し、向かって来る敵の一人を射抜いた。

 サルバトールとアムル・ソンリッサは肩を並べて雑兵を迎え撃った。サルバトールは両腕の爪を、アムルは細剣を振るい襲ってきた敵を撃退した。

 だが、突如として前方のソンリッサの護衛兵達が弾き飛ばされた。そこに現れたのは甲冑姿の巨躯の戦士であった。鉄でできた大木のような棍棒を一薙ぎにし、二十人以上も吹き飛ばしたのだ。

「ガーランド騎士団所属、ハーゲンここに推参!」

 そして太い得物の先でサルバトールを指して声高に言った。

「サルバトール、そこにいる落ちぶれ者よ、闇の一族の面汚しめが、我が粛清してくれようぞ!」

「おのれが、望むところだ!」

「サルバトール卿、軽率だ!」

 アムル・ソンリッサの制止する声を聞きつつ、サルバトールは巨漢に向かって突貫していた。たかが雑騎士風情に侮られたことが、彼を悔しがらせ、そして忌々しくも感じさせたのだ。

 だが、振り下ろされた彼の両腕の爪は、敵の棍棒に当たると煙を上げて砕け散っていた。

「グフフフッ、こいつにはトネリコの屑を塗り付けてあるのだ。消えよ、軟弱なヴァンパイアよ!」

 棍棒が唸りを上げ、サルバトールの左腕を掠めた。途端に、左腕には白い聖なる炎が燃え上がり、皮膚を蝕み焼き始めた。

 サルバトールは激痛に呻きを上げつつ、右腕を力いっぱい振り下ろして自ら左腕を切断した。

「闇の一族の中でも、ヴァンパイアほど哀れな生き物はおるまい。たかが陽射しに怯え、木屑に屈する」

「貴様が!」

 棍棒がブゥン、彼を狙った。と、敵の騎士ハーゲンは、腰に提げている角笛を掴み、口に当てた。

 独特の低い笛の音色が戦場に木霊する。そしてハーゲンは言った。

「敵の領主アムル・ソンリッサはここにいるぞ!」

 すると次々に敵が殺到し始めた。

 そして矢が飛来し、こちらの護衛の兵を瞬く間に射抜いていった。見れば、遠くに敵兵が幾重にも列を作り、弓や弩を構えていた。

「ええいっ!」

 サルバトールは素早く、アムル・ソンリッサの前に向かい、敵へ立ちはだかった。ハーゲンの口振りからすれば、どうやらアムル・ソンリッサのこともガーランドは狙っていたようだ。取れるときに領土を得る。闇とはそういう世界でもあった。

 そして鉄の矢が蝗のように放たれ、その剛弓は、人間では傷つけられなかったサルバトールの身体に易々と突き立っていった。

 しかし、サルバトールは踏み止まった。

「サルバトール卿!」

 アムル・ソンリッサが飛び出そうとしたが、彼は背中で遮った。敵のハーゲンが声高に言った。

「ソンリッサ子爵、抵抗もこれまでだ。あなたを護る兵はもはやここにはいない。潔く地に平伏し、ガーランド閣下に屈服なさるなら、その御命までは取らぬと閣下よりの仰せだ。閣下はあなたを妻として迎え入れたいという御考えなのだ」

「ガーランドに屈するぐらいなら、華々しく散る方を私は選ぶ!」

 アムル・ソンリッサが、細身の魔剣を構え敵へと向かおうとしたが、サルバトールは素早く右腕を伸ばして彼女を引き止めていた。

「待て、ソンリッサ卿、自暴自棄になるな。少なくとも、私と言う壁が居る間は、その命を握り締めて置くのだ。その僅かの間に事態が好転するかもしれない」

 サルバトールの苦し紛れの説得を敵のハーゲンが笑った。

「良いだろう。こちらの矢は無尽蔵にある。それでお前をハリネズミのようにし、殺してしまってから、改めてソンリッサ卿に返答を問おう」

 ハーゲンが手を上げる。ズラリと層をなす敵の弓がこちらに向けられる。

 そして矢が放たれた。無数に連なる黒い筋のようにそれは見えた。

 だが、サルバトールの前に突如として大きな影が現れた。矢はその者の身に纏う黒い甲冑と大盾によって弾き飛ばされた。

「うむ、二人とも、よくぞ、血気に逸らず生き延びていてくれたな」

 暗黒卿がこちらを振り返らずにそう言った。

「卿!」

 アムル・ソンリッサが驚きと感激の声を上げていた。

「暗黒卿だ」

 敵の兵達からどよめきが聞こえたが、ハーゲンが黙らせた。

「静まれ者ども! 暗黒卿といえど、今はたったの一人だ。かの有名だった傭兵団漆黒の兵どもはどこにもおらぬのだ! ならば、このハーゲンでもその首を奪い取れるに違い無い!」

「フハハハハッ、望むところだ。来い、若輩」

 暗黒卿とハーゲンが互いに突進した。そうしてぶつかりあった時、敵の騎士ハーゲンは身体を鎧ごと斜めに分断されて血煙りを上げて地面に崩れ落ちていた。

「他に、我を討とうと言う者はおらぬか!」

 暗黒卿が敵兵に大音声で呼び掛けた。

「矢だ、とりあえず矢を撃て!」

 敵は慌てて矢を放とうとしたが、側面から、事態を察して急行したソンリッサの兵達が、命懸けで突進して来ていた。

「ソンリッサ閣下を護れ!」

「我も行こうぞ!」

 暗黒卿も太い魔剣を引っ提げ猛然と敵へ向かって行く。そうして敵勢は恐慌をきたして逃れ始めた。



 三



 敵を追い払い、事態が鎮静化した後、一行はソンリッサ邸へと帰還した。

「義手の調子は良好だった。魔剣も甲冑も申し分無い」

 暗黒卿が言った。

 一同は館の食堂に集っていた。

 サルバトールは、ガルムという法術師の力で失った左腕を復元し、身体中の矢傷をも完治させた。

 ガルムは身に纏っている黒い魔術師の胴衣と同じく、黒いベールで顔を覆っているため、その素顔を伺い見ることはできなかった。だが、ガルムが、闇の闘神カーゼスの敬虔なる信徒であることは、この傷を治した力が示している。ガルムは用を済ませて去って行った。

「この度の戦、ガーランドの真の目的は我が領土のようであった」

 アムル・ソンリッサが言った。すると暗黒卿が頷いた。

「奴めは、アムル、お前が領民の救出に多くの兵を割く事を予測していたのだろう。そして手薄になったお前の命を速やかに狙ったのだ。サルバトール卿がいなければ、勇ましいお前の事、その命は無かったであろうな」

 若い女当主はしばらく思案する様に間を置くと頷いた。

「確かに、サルバトール卿がいなければ、我が命は無かった。貴卿に礼を申します」

「いや、主従共々世話になっている身なれば、そのぐらいは当然の事だ」

 サルバトールは戸惑いつつそう述べた。この闇の世界に生まれ落ちてから、彼は誰からも礼など言われた事は無かった。

 三人の間に沈黙が流れた。サルバトールは、先ほどの一戦のことを思い返していた。彼を焼こうとした鉄棍、そして突き立った無数の矢、どれもがぬるかった。

 あの異形の戦士に比べれば、闇の者の騎士や兵など、どうということはない。

 彼は二度目に会った黒い異形の戦士のことを思い返した。

 奴めは圧倒的な剣を手に入れた。それは闇に対しては力を吸収し、他に対しては強烈な闇の剣となる代物であった。威力を目の当たりにし、正直戦慄が走った。魔剣の蔓延る世界だが、あれほど恐ろしい剣を使いこなす者が、はたしてこの闇の世界にも存在するだろうか。今、傍らにいる暗黒卿でさえも打ち破ったのだ。

 足音がし、振り返ると、食堂の入口にテレジアが立っていた。

「閣下、よくぞ御無事で」

「テレジア、怪我の具合はもう良いのか?」

「はい。ガルム殿が治療して下さりました」

 ヴァンパイアの娘は新しい服に着替えさせられていたが、その上に鉄の胸当てを漬けていた。そして腰には細剣を帯びている。

「して、その恰好は如何した?」

 訝しんでサルバトールは尋ねた。

 すると、ヴァンパイアの娘は姿勢を正して述べた。

「ソンリッサ卿より、お譲り頂きました」

 サルバトールは館の女当主へ目を向けた。すると相手は言った。

「娘とはいえ、護衛の者ならば、それらしい恰好をしておくべきだと思ったのだ」

 すると、ヴァンパイアの娘テレジアは、女当主の前へ歩み寄り、そして跪いて言った。

「ソンリッサ閣下は、細剣の達人だと、お聞きしました。お願いです、私に剣を教えてください」

 その言葉にサルバトールは驚き、暗黒卿は微笑ましそうに笑い声を上げた。

 アムル・ソンリッサは跪く娘を見下ろし答えた。

「私の教え方は厳しいぞ。やるからには徹底的にやる」

「はい! 私はサルバトール様をお守りできる戦士になりたいのです!」

 テレジアが返事をする。その様子を今一度見詰め、アムルは言った。

「ならば、さっそく手解きしてやる。ついて参れ」

 そうして二人は部屋を後にした。

「あの娘ならば、良い剣士になれるだろう」

 二人が出て行った方を眺めつつ暗黒卿が言った。

「そうであろうか」

「素質の問題ではない。サルバトール卿、貴卿のことをどれだけ思っているかだ。あれほどの熱意ならばアムルの扱きにも決して屈しまい」

 そうして、サルバトールは己の手の爪を見た。この自慢の剣の如く伸びる頑強な爪は先ほどの戦いで、易々と圧し折られたのだ。それに、あの異形の戦士の前でも同様に使い物にはならなかった。

 あるいは、我も本格的に剣を学ぶ時が訪れたのやもしれん。サルバトールは暗黒卿に言った。

「卿よ、私にも剣を教えてはくれぬか」

「フフッ、構わぬが……。テレジアの熱意に触発されたか?」

「そのようなところだ」

 サルバトールは淡々とそう応じたが、その頭の中にはあの異形の戦士の姿が過っていた。

 あの剣があるとはいえ奴は強かった。我は、あの男の見せた圧倒的な力に魅せられてるのやもしれない。

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