第24話 バリントスの苦悩
「主賓がこんな所で何をしているんですか?」
「ん?おお、ヒュートか」
昼間とは打って変わって落ち着いた声音に驚く。その変り様に言いようのない不安を覚えて慌てて櫓を登って行く。そんな俺を気にすることもなく、バリントスは再び空へと視線を向けていた。
困った。突き動かされるようにしてここまで来たが、何を話していいのか、いや、それ以前に話しかけて良いものなのかすら分からない。
「いい村だな」
まごまごしている俺に助け舟を出すように、バリントスは呟いた。
「え?ええ。俺みたいな余所者を受け入れてくれたいい人たちですよ」
妻の口添えはあったにせよ、良く受け入れてくれたものだと今でも思う。まあ、これを言うと必ず「お前が受け入れるに値するだけの努力をしたからだ」と返されてしまい、気恥ずかしい思いをする羽目になるのだが。
「はははっ。本当にいい村なんだな。……だけどな、俺にとっては退屈過ぎるんだよ」
「えっ!?」
突然の言葉に再び驚いていると、彼は体ごとこちらを向いた。
「アリシアと一緒にだったが、本気で戦い合ったんだ。俺の本性がどんなものかはお前にも分かっているだろう」
「…………」
その瞳に込められていた色は昼間と同じかそれ以上に真剣なものだった。
社会人となって数年が経っているとはいえ、こちとら現代社会でのほほんと生きてきた軟弱者だ。切った張ったの命を懸けた戦い――しかも自分だけでなく、大勢の命を背負っていた――を繰り広げてきた彼を相手にするには貫目も何もかもが足りていない。
結局、
「あいつらと一緒になって常に最前線で魔王や魔族と戦ってきたんだ、平和ってもんがどれだけ大切でありがてえものかはよく知ってる。だが……、しばらくそんな平和な所にいると、無性に落ち着かなくなってくるんだよ」
元の世界でも戦場から戻ってきた兵士が日常生活に馴染むことができないといった話題を耳にしたことがあったが、それと似たようなものだろうか。
「無性にあの殺伐とした世界が恋しくなってきやがる。……へっ!言葉にしてしまうとなんてことはない、俺は壊れちまっているのさ」
自嘲気味に吐き出されたその言葉は、重たく鋭い杭のように俺をその場へと縫い付けた。
「レトラたちドラゴンに加勢して魔族の生き残りと戦ったのも、彼らへの恩返しの部分はもちろんあったが、一番は気兼ねなく全力で戦える場所を求めてのことだ。……全く笑えねえよな、魔王を倒した勇者の仲間だった男が、戦いを求めるあまりにこの平和な一時をぶち壊そうとしているなんてよ」
それはどれほどの苦悩だったのだろうか。いっそ、彼がもっとシンプルな性格であればこんな苦しみを抱え込まなくて済んだのかもしれない。
ただしその場合、この世界は再び破壊と暴力が支配する混沌とした世になっていただろう。そう思うと無責任なことではあるが彼が彼であってくれて良かったと思ってしまうのだった。
そんなことを考えている間にも、バリントスの独白は続いていた。
「……今回のことは良い機会だと思った。俺はな、本当はアリシアに殺してもらいに来たんだ」
なんだと?
「いずれ戦いへの欲求に飲み込まれて、全てを破壊して回るような存在になり果てる前に終わりにしたかったんだ」
目の前が真っ赤になったかと思うと、俺はバリントスに掴みかかっていた。
重たく鋭い杭?そんなもの、一瞬で消え失せていたさ。
「ふざけるな!」
そして、渾身の力で殴りつけていた。
「がはっ!」
口内を切ったのか、バリントスの口から赤いものが飛んだ。だが、それだけで終わりにするつもりはなかった。襟元を掴んでその巨体を物見櫓の柱へと押し付ける。
「欲求に飲まれる!?終わりにしたかった!?そんなもの誰だって同じなんだよ!英雄様だ、戦匠だと煽てられて図の乗っているんじゃねえよ!あんたはただ一人で死ぬのが怖かっただけだ。自分がいたことを忘れられたくないだけだ!」
「ぬ……、ぐぅ……」
「そんな我が儘にアリシアを巻き込むな!これ以上彼女に辛い記憶を背負わせるな!」
バリントスの体をダンと音がするほどに背後の柱へと打ち付ける。同時にギシリと嫌な音もしたが、頑丈に作られた櫓が倒壊することはなかった。
俺が怒りに支配されていたためか、それとも彼が弱音を吐いていたからだろうか。バリントスの体はその巨体からは考えられない程の軽さだった。
それが、酷く悲しかった。
「……認めない。人々の希望を背負って戦い抜いた英雄の最期が絶望に彩られていたなんてことがあってたまるかよ!」
これを認めてしまえば、妻もまた絶望の淵に沈んでいくことになる。
それだけは絶対に否定しなければならなかった。
「要は新しい生きがいが見つかればいいんだろう!少しだけ待っていろ、必ずあんたに生きていて良かったと言わせてやる!」
「……くく、ははは。全くどうして頼りない兄ちゃんだと思っていたら、言うじゃないか。……だけど、ひたすら良い子ぶって理想の勇者であろうとしてきたアリシアを変えたお前なら、本当にやってくれるかもしれないな」
俺の啖呵に、バリントスは久方ぶりにあの獰猛な笑みを浮かべた。
「長くは待てねえぞ?」
「ああ。すぐに自分がどれだけちっぽけな存在だったのかを思い知らせてやる」
勢いが戻ってきた彼に、俺は精一杯強がるのだった。
「美味え!何だこの料理は!?生きていて良かった!」
その後、広場の宴会場へと戻ってきたバリントスは、マヨネーズをベースに味付けされた料理の数々を食べてそう叫んでいた。
俺はといえばそんな姿を見て、数分前のあの真面目なやり取りは何だったのかと、膝をつきたくなる程の徒労感を味わっていた。
「おう、ヒュート!」
「なん、ぐえっ!?」
気が付くと太い腕に締め上げられるようにして肩を組まされていた。
「この調子で、もっと面白いものを見せてくれよ」
「うるせえよ、このくそ親父」
こそっと俺にだけ聞こえた台詞に、笑いながらそう返してやった。
こうして意気投合した俺たちは見事に飲み過ぎてしまい、翌日、妻に揃って叱られる羽目になる。
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