意識概論

アキ

Or the modern Frankenstein

 こんな話を聞いた事がある。

 よくできた人形には魂が宿り、ひとりでに動き出したり髪が伸びたりするという。一体なぜ、精巧に作られたからといって魂が宿るという話になるのか、いまいちよくわからなかった。

 お気付き、だろうか。私は今過去形を使った。よくわからなかったと。今は違うのだ。今はよくわかる。そもそも魂とは何で、どう宿るものなのか?

 生物は意識、精神を持っている。あらゆる存在や法則を既知の範囲内、すなわち唯物的な世界観に押し込みたい人達は、魂という実体を否定する。精神という実体を否定し、意識体験は電気信号によって起きるのだと断言する。

 ところが、よく考えてみれば、そんな頑なになる必要があるだろうか。心的実体の実在を認める事は論理的に矛盾しないし、物質的な法則とは独立して存在していると仮定しても何ら困らない。しかも実際、私やあなたが今こうして色々な事を思っている意識体験が電気によって起きているなどと言われてもピンと来ないだろう。少なくとも感覚的には。

 何が言いたいかと言うと、意識=精神=魂の所在は物質的法則とは別に存在しうるという旨だ。十七世紀の著名な学者をして、思惟実体と延長実体は明確に区別されるとされた。もし仮に実は両者に因果的な結び付きがあるのだとしても、とりあえずは、観念的に両者をはっきりと区別する事は確かにできる、つまり両者は互いの因果を必要とせず独自に成立しうる実体同士なのだ。

 生物が生まれた時、その体に意識が宿る。ならばその本物の生物とほとんど同じ外見をした模型を作れば、"間違って"意識が宿る事があってもおかしくはない。たとえ脳や心臓という器官がそこに無くてもだ。

 そうして私は"それ"を作ってしまった。本物そっくりの色彩を施した肌の下には、血管も骨も肉も神経も細胞も入っていない。ただの石粉粘土だ。それでも"彼"は動いた。可動部分を自分で動かしたのだ。

 何らの科学的及び医学的知識そして技術を持たぬ私が、人工的な生命を創造してしまったのだ。まあ幸いな事に、私は何処かの宗教の馬鹿げた信仰を持ってはいない。子宮ではなく手による生命創造を罪深き行ないであるなどとは思っていない。

 私は現代のヴィクター・フランケンシュタイン、はたまたプロメテウス。斯くの想像上の名高き先達に名を連ねられる事を今は喜んでおこう。

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