第55話 真実《まみ》の相談

「後ろを抑えてるから大丈夫だぞ」


「パパ、そう言って安心させておいて、こぎ出したら手を離すんでしょ」


「まあ、そうだが、とりあえず今は抑えているんだからウソじゃないだろ」


「やっぱり、離すんじゃない!ダメだから」


今日は真実まみが補助輪なしの自転車デビューを果たす練習を手伝うため、地元公民館前の公園に来ている。

昔からある公園だがブランコが隅の方に取り残されているだけで、他の遊具は劣化とともに撤去されたため、今はただの広場と化し自転車の練習には最適だ。


彼女は二輪しかないのになぜこけずに進めるのかと言う難しい理論は分かっている。

どのくらいの力をペダルに加えればよいのかも計算できる。

しかし、分かっていることと出来ることは違う。

真実まみは運動全般が苦手なので、8歳になった今も可能な限り出歩かないし、どこに行くにも車で送ってもらうことを期待している。


もっとも田舎すぎて自転車に乗れる程度の距離内に何かある訳でもないので仕方がないのだが、それでも多少は行動範囲が広がる。

普通の小学生なら親が注意しても勝手に自転車で出かけてしまい、大通り沿いのコンビニまで足を伸ばし、後でコンビニの店員から「○○ちゃん今日来てましたよ」と報告を受けることになるのだが、真実まみの場合、コンビニで買えるようなものはだいたいすべてネットで買っているので、自転車に乗れるようになってもあまりメリットがない。


では、なぜ練習しているのか?


「良夫さん、そこはウソでもいいから『絶対離さない』っていうところでしょう」

苦笑いしながらそう言うのは、日蔭のベンチに座り二人を見守っているミキだ。

彼女は今、身重なので動き回れないのだ。


そして、それが真実まみの自尊心に火をつけた原因でもある。

もうすぐ、弟が産まれるという事実。

近所の子供の中には3歳で自転車デビューを果たしている子もいるという事実。

そこから、せめて自転車ぐらい乗れるようになっておかないと、すぐに色々と追い抜かれてしまうのではないかと焦り始めたようだ。


「そうだ、真実まみ。近隣の町村から町村合併するかどうかの判断を求められているんだがどう思う?」

真実まみの気をそらさせるために、最近近隣の町や村から多くの人が移住してきて顕在化した問題について相談する。


「あー、そういえばそろそろよね」

彼女が言っている『そろそろ』と言うのは、人口3万人の壁のことだ。

町村合併をすれば3万人に達成できるほどまで上野町かみのちょうの人口が増えて来たのだ。

そして、合併して3万人に達すると町から市に移行することが可能となる。

ただし、それは合併した時だけだ。

上野町かみのちょうが単独で人口を増やし、市になりたいなら5万人の人口が必要だ。


つまり近隣の町や村からすると今しかこの話を切り出せないのだ。

このまま、放っておくと上野町かみのちょうの人口は早ければ数年内、遅くとも10年以内に5万人に達する可能性がある。

その時期になるともう合併の話をしても上野町かみのちょうにはメリットがない。


近隣の町や村の住民からすると数キロ離れた場所に住むだけで、税金が格段に安くなるのだ。これからも移住は続くだろう。

それも家や土地を所有していない若い世代ほど移住してしまう。

建設ラッシュで仕事はあふれているし、低い税率で手取りも多い。家を継ぐ長男以外が移ってこない方がおかしい。

とり残される側の、主に高齢者、からすると今のうちにより良い条件で合併されてしまうのが最善だろう。


だが残念ながら人間の心情はそう都合よく出来ていない。

今まで片田舎の小さな町だった上野町かみのちょう

自分たちより格下だと思っていた町に吸収合併されると言うのは面白くない。

だから、近隣町村の議員を含む年寄りは合併に反対、もしくは消極的だ。

危機感を持った町長や村長が合併の話を進めようと頑張っても実現する見込みはあまりない。


言ってみればそれほど重要ではない問題なので、自転車の練習をしながら話す話題にはちょうどいいと思ったのだ。

「良夫さんたら、またあんな話題を選んで」とミキのぼやく声がするが、子供らしい話題についていけないのは真実まみも同じなので仕方がない。


「まあ、メリットは早く市になれるってことかな。

デメリットはまた選挙があること。

楽に勝てるだろうけど、上野町かみのちょうの町民の多くは近隣町村の出身だから、親戚からの根回しがあれば接戦になるかもね。

それに、他の町村がいま持ってる問題を抱えこむことになるのもデメリットかな」


「ようは合併はしないほうがいいってことだな?」


「結論は正直、少し迷ってる」


「珍しいな、真実まみが迷うなんて。

最初はハンドルを固定してまっすぐ進む方がいいぞ」


「そうしようとしてるよ。

勝手にグラつくんだもん。

それにわたしも不確定要素があれば迷うよ。

世界経済全体の動きに関してはどうしてもはっきりといつ何が起きると言い切れないから。でも、8:2ぐらいで合併しない方がいいかな」


「世界経済が上野町に関係するのか?考えすぎな気もするけど、真実まみが言うならそうなんだろうな。

あっ、止まって。ここで方向転換しよう」


「っんしょ。

それでね、選挙も終わったし、新しい政策を始めて欲しいんだけど大丈夫かな?」


「それじゃ、こぎ出して。少し押すから。

それっ。その調子だ。

で、どんな政策だい?」


「地方通貨を導入して欲しいの」


「へー、なんか真実まみにしては珍しいな。

それは一昨年、議会でも提案があったんだけど、ほとんどの自治体で失敗してるみたいだから止めといたんだ」


「そうだよね。日本円があるのにわざわざそれより使い勝手の悪い通貨を使うなんて、面倒くさいし誰も進んでやりたくないからね。かと言って、無理に使ってもらおうと思ったら交換レートをよくしないと行けないし、そうするとコストが跳ね上がる、って感じでしょ」


「まさしくそんな感じの理由だった。それが分かってて作って欲しいってことは何か打開策があるんだな?」


「一応はね。でも、たぶん最初は上手く行かないよ。

打開策はあるけど、決定的じゃないし、それに普通の地方通貨より複雑にしなくちゃいけないからプラマイゼロのスタートってとこかな」


「そっか、それでもやってほしいってことは、何か事情がありそうだな。

あっ、そこで止まって、またターンして再開だ」


「っんしょ。

しっかり持っててね。

離しちゃだめだよ。

それでね、理由ってのがさっき話してた世界経済の動向なの。

正確にいつとは言えないけど、大きく動きそうだから今から対策しておかないとダメなの」


「そうかー、とうちゃんには理解できない分野だな。特になんで地方通貨が関係するのか分からん。

それに上手く行かない政策をいつまでって区切らずに、ずるずる続けるのは結構議会とか職員から反対されそうだな。

でも、真実まみが必要だと言うなら、必要なんだろ。

一応、詳しい説明を聞いてから判断するけど、導入する方向で進めてみようか」


「ほんと!ありがとう!

って、パパのバカ!

手、離しちゃダメって言ったじゃない!

キャーー!」


抗議のために後ろを向いたことでバランスを崩し、真実まみは転んだ。

まあ、言っても16インチの小さな自転車だ。

たいしたことはない。

しっかり手袋もプロテクターもつけているし、特注のヘルメットも被っている。

それでも普段から運動をあまりしない娘が転ぶと男親は心配になる。


真実まみ、ケガはないか?

ごめんな、もうしっかりこげてたから大丈夫だと思ったんだけど」


「あああーーん。

もう、パパの言うことなんて信じないからー!」


この後、結局練習は再開されず、真実まみをなだめるのに半日を要した

しかし、子供らしく泣いたりぐずったりする真実まみを見ることもあまりないので、良夫にとってそれはそれで楽しい休日となった。












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