第83話 パメリーナと結婚祝い(8568年11月3日)



 パメリーナは、燃え尽きた気分だった。

 よくぞ、この一大イベントを乗り切った、という達成感もあるけれど。

 今はそれ以上に疲労感が強くて、椅子から立ち上がれそうにない。


 今日は、11月3日。

 予定通りに、ショコラ様8歳の誕生参拝が行われた。

 敢えて誕生日を外し、お忍びに近い形で。

 

 大変だったのは、その予定を組む段階だった。

 側仕えの中でも、様々な意見が出て、変更につぐ変更だった。

 最初から決まっていたのは、栄神殿で参拝するということだけ。


 その栄神殿は、国内の主要都市88カ所にある。

 命神殿の936カ所や恵神殿の1247カ所に比べれば、桁外れに少ないが、信者は王族や貴族ばかりで、奉納される総額は、四神殿の中で、常に首位。

 もちろん、38カ所しかない誓神殿よりも、遥かに格上だ。


 帝家や王家から補助金も出ている大神殿は、特に豪華絢爛ごうかけんらんで、学院や図書館などの付属施設も含めれば、大きな街と言えるほどに広く、門前町も栄えている。

 そうした栄神殿が全て、ショコラ様の参拝を期待していると言っても過言ではなく、数か月前から、熱心な誘致合戦が、繰り広げられていた。


 栄神殿内部で派閥再編が加速している状況では、ショコラ様の動向に、より一層の注目が集まるのも当然だろう。

 栄ハンニエルの破門事件があったため、保守派は鳴りを潜めているようだが、若手中心に、ショコラ様の獲得競争が、激しさを増していくばかりだった。

 

 何れの栄神殿で、参拝するのか。(どこに寄進するのか)。

 どの栄神官宛てで、予約を入れるか。(誰を担当神官として指名するか)。


 それによって、今後どこがマーヤ系の奉納を受けられるかが決まるのだ。

 これは、ショコラ様にとっても、誰を味方につけるかという重要な選択となる。


 最も由緒があり、格式が高いのは、内帝都にある<1-001>。

 竜育園から一番近く、便が良いのは、外帝都にある<1-003>。

 栄マーヤの墓所があり、規模が最大なのは、栄都の<1-004>。

 母君テレサ様が参拝されていたのは、第七内王都の<1-011>。


 下馬評げばひょうとしては、この四カ所が、有力候補と考えられていた。

 ところが、ショコラ様は、帝都や王都にある大神殿は全て却下された。

 参拝が大々的に宣伝され、見物人に押しかけて来られるのは嫌だと仰り、目だたなくて、[砂糖派]に好意的な神官が多い栄神殿はどこかと問われた。


 様々な調査を経て、最終的に選ばれたのは、栄神殿〈1-053〉。

 第一大陸の海岸沿いに数多あまたある貿易港の一つ、ヤスリカ港市にある。

 少し内陸に入れば、砂漠地帯が広がり、帝道すら通っていない陸の孤島だ。


 何故そんな辺鄙へんぴな場所に、こじんまりとした栄神殿が建てられたかと言えば、そこには三ノ宮国の領事館があるため。

 宮国群との最短距離にあって定期船が行き交う母港には、それぞれの領事館が建てられており、その側には、便宜上、税関と栄神殿が置かれるからである。


 外国の要人が入国する際は、栄神殿に必ず参拝する。

 表向きは、帝竜国の帝母ていぼとされる栄マーヤに表見訪問するために。

 実際は、内陸部にある土地へ移動するのに、転送台を使うためなのだが。


 ちなみに、転送台というのは、一度に四人以上転送できる大型の設備のこと。

 栄神殿の他、帝家と王家、都市部の役所や軍の本部にしかない。


 恵神殿にある瞬動房は、その簡易版で、主に郵便物を配送する小型なもの。

 瞬動力者が利用することはできるが、一緒に運べるのは一人だけだ。


 ユーレカ姫とサルトーロ様は、入国された際、栄神殿〈1-053〉に参拝され、そこの転送台を利用されたらしい。

 そのとき対応された栄セルレチアに、ユーレカ姫は、感謝の念を持たれている。

 とても優しく親身になって下さり、竜車や宿泊先の手配までしてくれたと。

 おかげで、曾祖母がお住まいの領地まで、迷わずに移動できたのだとも。


 ショコラ様の指示で調査した所、栄セルレチアは、反骨精神に富んだ老女で、栄ハンニエルを批判して左遷された[奉仕派]だと判明した。

 奉仕活動や弱者救済などを掲げている[奉仕派]は、四神殿の中では中程度の勢力だが、恵神官が大多数を占めており、栄神官は少ないと聞く。


 栄セルレチアについては、サトシ様とサツキも、色々な逸話いつわをご存知だった。

 お二方が三か月近く滞在していた仮の屋敷は、ヤスリカ港市にあったので、「怒りの聖者」の二つ名を持つ名物神官の噂は、自然と耳に入ってきたようだ。


 殺人犯を見つけて、遺族に補償させたとか。

 市長の汚職をあばいて、隠し財産を没収したとか。

 冤罪えんざいをかけられた商人を助け、めた貴族を糾弾きゅうだんしたとか。

 豪族に[赤の結婚]を強いられた平民の女性を助け出したとか。

 不倫を働いた男を次々と糾弾きゅうだんし、結婚契約の無効を言い渡しているとか。

 

 一般的に、栄神官と言えば、王族や文官上がりの貴族が多く、神殿入りしても特権意識が消えない者ばかり。

 神殿内の派閥争いにかまけて、下々の生活に興味を持つ者などほとんどいない。

 

 傲岸不遜ごうがんふそんな栄ハンニエルは、ある意味、典型的な栄神官だった。

 対して、不正を見過ごせない栄セルレチアは、理想的な聖職者と言えるだろう。

 栄神殿では、左遷させん扱いを受け、冷遇れいぐうされる立場となっているようだけど。


 ショコラ様の背後に控えて、そうしたマルガネッタの報告を一緒に聞いたとき、パメリーナは、ショコラ様と波長が合いそうな栄神官だなと思った。

 自らの信念を貫き、気脈に強固な筋が通っているところも似ておられて。

 

 ショコラ様も、栄セルレチアに好感を抱かれたらしく、栄神殿〈1-053〉で、誕生参拝をされる意向を固められたのだが、その後の調整が大変だった。

 

 何しろ、ヤスリカ港市は、かなり遠い。

 第一大陸の北東部にある竜育園から、南西部にあるヤスリカ港市まで、密林あり砂漠ありの陸路で行くとすれば、何年かかるかわからないほどの距離だ。

 最寄りの港町から、船で沿岸沿いに南下するとしても、片道二か月はかかる。


 大型の飛竜を借りれば、数日で着くだろうが、離着陸できる場所が限られているので、飛行計画を出さなければならないし、宿泊先の選定も難しい。

 人目を引くのは避けられず、暗殺だけでなく、事故が起きる危険性もある。

 となれば、瞬動で行く方が、まだしも安全だと言えた。


 原則、幼児を瞬動させることは、禁じられている。余程の緊急時を除いては。

 成長期の子供は、まだ竜気量が少ないせいで、瞬動時に手足を失ったり、発達が阻害されたりする恐れが高いからだ。

 しかし、既に【防御波】を習得されているショコラ様に、その心配はない。


 転送台や瞬動房が利用できるようになる目安は、王族で8歳。

 臣族が12歳で、平民は16歳。


 20歳を過ぎれば、瞬動力者による羽衣なしの移送も可能になるが、未成年の間は、原則として禁止されている。

 要するに、成人するまでは、瞬動力者の側仕えがいても、瞬動房がない所を自由に跳んで行くことができない。


 それならば、恵神殿の瞬動房を乗り継いで行くしかない――普通の者なら、そう考えるところだ。

 ところが、ショコラ様は、並みの御方ではない。

 なんと私有の瞬動房を作ることにしてしまわれたのである。


 当初、警備責任者のマイケル師は、猛反対された。

 それもそのはず。瞬動房は、悪用される恐れがあるというのが一般常識。

 昼夜に渡って厳重な警備が必要となるし、どれほど警戒したところで、爆発物や毒薬、暗殺者などが強制転送されてくる危険は消しきれないのだから。


 瞬動房を開設すること自体は、比較的容易だ。

 大量の羽衣を購入するのに、巨額な費用はかかるが、技術的な難しさはない。

 あとは、外帝府に申請して、認可を受けるだけですむ。


 問題は、ここだ。

 申請するということは、設置場所が瞬動定点しゅんどうていてんとして登記とうきされるということ。

 つまりは、潜り込みやすい裏口を一般公開するようなものなのである。


 マイケル師から、そう説明されたショコラ様は、ことげにおっしゃられた。

「それでしたら、移動型にして、公開されないようにすれば良いわけでしょう?」


 かつては、移動型の瞬動房も存在していたが、費用対効果コスパが悪すぎてすたれたと聞く。

 それは竜車の車部分を瞬動房にしたもので、必要な場所まで陸送していたとか。

 かなりの重量があって、悪路では壊れやすく、天候によっては動かせない上に、メンテナンスが面倒なため、使い捨てに近かったらしい。


 ショコラ様が考案なさったのは、同じ移動型とは言っても、組立式のもの。

 大人二人で設置できる軽さで、使う時だけ組み立てれば良いので、簡単便利。

 しかも、親機と子機の一対セットにすれば、双方向にしか跳べず、親機に登録した瞬動力者の波長以外は受け付けないという保安機能までつけられる。


 呆気あっけないほど早く実用化されたそれは、パーソナル瞬動テントと名付けられた。

 耐久性については、改良の余地があるということだが、性能はとても良い。

 特に、指向性の高い一対セットは、飛距離が瞬動房より4倍も長いと言う。

 

 これならばヤスリカ港市まで一気に跳べる、とマイケル師が認める試作品ができた9月末に、誕生参拝の準備は本格的に始まった。


 何より優先されるべきは、非公開での使用認可を取ること。

 マルガネッタは、その根回しや交渉にかかりきりになった。

 そのため、ヤスリカ港市に先発して、拠点となる屋敷を購入し、受け入れ体制を整える役目は、パメリーナとオランダスに回って来たのである。


 もちろん、二人きりというわけではない。

 マルガネッタの部下、ライネとバーシェが補佐についたし、ユーレカ姫とサトシ様も、ヤスリカ港市に土地勘のある側仕えや中仕えを貸し出して下さった。

 

 それでも、気脈が痩せ細るほどの忙しさだった。

 マイケル師とサツキに送迎してもらって、数日ごとに王寮と新しい屋敷を行ったり来たりするだけでも、瞬動疲れが溜まって行く。 


 何しろ、栄セルレチアと面会の予約を取り、ショコラ様のご意向を伝え、参拝する日時を決めるだけでも、四往復しなければならなかったのだ。

 その合間に、現地で雇い入れる使用人の面接をしたり、採用した侍女や中仕えの指導をしたり、不足している調度を注文したりと息つく暇もない。


 新しい屋敷は、非常に小さく、個室は使用人用の部屋も含めて20だけ。 

 ショコラ様がお泊りになる予定はなく、年に数回、栄神殿<1-053>へ参拝されるときだけ使用される休憩所にすぎないのだから、それでも十分ではある。


 しかし、そこに、パーソナル瞬動テントを常備するとなると、盗難を避けるための防犯は万全にしておかなければならない。

 警備に関しては、主に、オランダスが采配さいはいしたが、パメリーナの方から要望を出したり、逆に意見を聞かれたりと、二人で打合せする機会が増えていった。

 そして、休憩の合間に、個人的な話などもするようにもなったのである。


 二人の気綱が結ばれたのがいつだったのかは、はっきりしていない。

 少なくとも、パメリーナは、あまり意識していなかった。

 いや、意識しまいとしていた、という方が正しいかも知れないけれど。

 オランダスから、結婚を申し込まれるまでは。



 パメリーナは、今年43歳。

 これまで結婚契約は3回結んだが、子供は一人もいない。

 初産が難産で、唯一生まれた息子は、生後わずか二日で、竜界へ還った。

 その後も、早産と流産が続き、30歳過ぎてからは、妊娠すらしなくなった。


 竜眼族の男にとって、子を産めない女に価値はない。

 4人目の婚約者からは、不妊症になったという理由で、契約を無効にされた。

 その噂が広まると、王族や貴族の求婚者は、潮が引くように去っていった。

 10代の頃は、断るのに苦労するほどはやされていたというのに。


 当時は、心無こころない仕打ちや中傷に傷ついたものだった。

 幸か不幸か、パメリーナは、それまで挫折を知らなかった。

 成績は優秀だし、家系も良く、経済的にも恵まれ、何不自由なく育った貴族だ。


 それが一転して、不良品扱いされるようになったのだから、自尊心が打ち砕かれ、我が身の不運を嘆き悲しむのは当然だったと思う。

 更に追い打ちをかけたのが、当時仕えていた第四内王家の対応である。


 パメリーナは、栄立学院の侍女科を卒業した20歳で、生家のある第四内王国の王家に女官として出仕した。

 最初は、王家に文官として仕える女性王族ザリアレルダ様付きの側仕えとして、主に3歳になる御長女カレンダ様のお世話を手伝うよう命じられた。

 翌年、カレンダ様が王寮へ行かれた後も、シェリーメイ様、マーマレーヤ様と幼い王族方ばかり担当するようになり、お守り係としての経験を積んでいった。


 ところが、33歳のとき、いきなり接待係への転属を打診された。

 これは、文字通り、男性王族の客人を接待する係で、夜伽よとぎも含まれている。

 その分お手当が良いので、後ろ盾がなくて貧しい女性が志願するもので、人並みの財産を持つ貴族女性が強要されることはないはずだった。通常であれば。


 それなのに、若くして妊娠できない身体になったのだから、愛人とするのに都合が良いと言われたのである。

 接待される王族も、私生児の生まれる心配をしなくてすむなら気楽だろうと。


 当時の上官ヴェルウェラ様と波長が合わなかったので、配置転換されると予想はしていたが、ここまで酷い嫌がらせを受けるとは思っていなかった。

 怒りを禁じえなかったパメリーナは、その感情波で上官を気絶させ、解雇される羽目になったのである。

 

 そのこと自体は、後悔していない。

 調査官が、パメリーナに同情的で、ヴェルウェラ様も降格されたことだし。

 お世話していたヴェルウェラ様の娘ケティエラ様も、癇癪かんしゃく持ちの我儘わがままな方で、置いていくのに心残りを感じなかったせいでもある。


 ただ、王家で面倒を起した女官では、他の王族から雇用されるわけがなく、縁筋の貴族セシューラ家に、食客扱いで身を寄せるしかなかった。

 もちろん、遊び暮らしていたわけではない。

 侍女の仕事を手伝いながら、嫡女ノリエアのお世話をしていたのだ。


 ノリエアは貴族なので、初等科へ入る8歳まで、6年以上も傍にいられた。

 おとなしくて可愛らしい方で、パメリーナにはよく懐いてくれたので、今までにないほどの強い気綱で結ばれ、パメリーナの傷ついた心も癒されていった。

 

 その分、ノリエアが第七王寮へ入寮してしまうと、寂しさが募り、セシューラ家にも居場所がなくなってしまったような気がした。

 あまりにも鬱々うつうつとして、栄神殿に移籍しようかと考えたこともある。


 しかし、相談した伯母のアロエ栄神官からは、脅し混じりの忠告をされた。

「栄神殿は、貴女には合わないでしょう。あつい信仰心もなく、安易に逃げ込んだところで、気脈を休める避難所にはなりません。絶対に後悔しますよ」と。


 結局、踏ん切りがつかないまま2年が過ぎた頃、ノリエアが竜界へ還った。

 700年ぶりの魔物大出現で、第七王寮が攻撃を受けた際に。


 その連絡を受けたとき、パメリーナは、遺体の確認に行きたいと願い出た。

 自分の眼で確認しなければと、居ても立ってもいられなかったのだ。

 何かの間違いであって欲しいという思いが、荒れ狂うほどに強すぎて。

 

 願いむなしく、ノリエアの遺体と対面したとき、パメリーナは気絶した。

 そうして運び込まれたのは、外帝軍がいていぐん救助隊の救護施設。

 そこには、ただ一人の生き残られた女性王族も、救出されておられた。

 

 生存者がいたと聞いたとき、最初に浮かんだのは、「ノリエアではないのか」という妄想に近い期待だった。

 気絶する前に、ノリエアの死に顔をはっきり見たというのに。

 既に、セシューラ家の竜車が、遺体を運び出したとも聞かされたのに。


 それでも、確認せずにはいられなかった。またしても。

 理性的な秀才と評されていた自分が、これほど諦めが悪く愚かだったとは。


 ともかく、パメリーナは、幼い王族に仕えていた経験を話し、臨時のお世話係に志願したのである。お会いするための方便として。

 正式な侍女が到着するまで、繋ぎとしてご奉仕いたします、と。


 外帝軍の施設では、他に女性貴族がいるわけもなく、パメリーナの申し出は、感謝とともに受け入れられた。

 そうして望み通りお目通りがかなったわけだが、当然のことながら、全くの別人――ショコラ様というお名前の幼女の寝顔を見ることになった。


 ノリエアは、茶色の肌に、緑の髪だったけれど、この子は、黄色の肌に、黒髪。

 ノリエアは、10歳になっていたけど、この子は、まだ6歳。

 ただ一つの共通点は、小光竜をペットにしていること。

 ノリエアは、紫色の尾光竜びこうりゅうで、この子は、緑色の翅光竜しこうりゅうだけど。


 そう、何故か、翅光竜も一緒に発見されていたのだ。

 この子が生き残ったのは、まだしもわかる。王族で竜気が強いのだから。

 しかし、翅光竜は、小型の竜類だし、竜気は貴族よりも弱いはず。

 恐らくは、この子が胸に抱きしめて守りきったのだろうが……。


 こんなペットより、ノリエアを守ってくれれば良かったのに。

 パメリーナは、そう思わずにはいられなかった。


 完全な八つ当たりで、この子には非などないとわかっていても。

 そもそも、幼年科の王族と初等科の貴族では、面識すらあるはずがなかった。

 同じ初等科の王族ならば、取り巻きとなっていたかもしれないけれど。


 いや、そんな可能性すらない。

 ノエリアとは頻繁ひんぱんに手紙をやり取りしていたが、ほとんどが読んだ本の感想で、王族はおろか、貴族の友達の話題が出ることすら珍しかった。

 引っ込み思案じあんのノエリアは、人よりも竜といる方が落ち着くタイプだったのだ。

 

 思い出があふれ出すと、いたみと哀しみがみ上げてきた。

 寝室から続き部屋に下がって慟哭どうこくするパメリーナを慰めてくれたのは、主人のショコラ様よりも先に目覚めていた翅光竜であった。


「キュルル、キュルリル、キュリル、キュルリルリーン」


 テーブルの上に置かれた籠の中で、身を丸めていた翅光竜が、パメリーナの感情波に反応したのか、癒し系の可愛らしい声で鳴き始めた。

 あたかも、「大丈夫?」、「元気出して」と優しく語りかけるように。


 愛玩竜あいがんりゅうは、気綱を結んだ主人の感情には、敏感に反応する。

 だからと言って、誰にも気安く懐くというわけではない。

 主人に害する者を近づけまいするので、新参者は特に警戒するのが普通だ。


 それなのに、その翅光竜は、パメリーナに『心配』の竜気を向けてきた。

 これは知能が高く、共感力が強い証と言える。

 絶対に並の小光竜ではないが、今まで見たことも聞いたこともない。 

 

 驚きの高波を被って、悼みのうねりが崩れたおかげで、一瞬のうちに、パメリーナに理性的な思考力が戻った。

 まじまじと籠の中の翅光竜を見つめると、知性を感じる視線が返ってきた。

 エメラルドグリーンの翅は、昼間だというのに、輝くばかりに明るく、小型でもかなり竜気量が多いと思われる。


 恐らくは、突然変異種なのだろう。

 だとすれば、帝家所有か、軍用竜であるはず。

 人工交配できるようになるまでは、機密扱いで、その分、価値は跳ね上がる。

 いくら王族と言っても、幼児にペットとして与えるものではなかった。


「キュルル、キュルリル、キュリル、キュルリルリーン」


 パメリーナの疑惑を感じとったように、翅光竜が、鳴き声を大きく響かせる。

 今度は、「秘密よ」、「内緒にしてね」と可愛くおねだりするように。

 小さな翅をパタパタ動かす様子は、焦っているようにも見えた。


「わかったわ。秘密なのね」


 パメリーナがそう呟くと、翅光竜は、左目で一回瞬きした。

 それは、はっきりとした『肯定』だった。

 パメリーナに交感力はないが、確かに、意思が疎通しているのを感じた。


 竜眼を持つ高等竜には、時折、抜きんでた力を持つ突然変異種が現れる。

 それは、竜神リ・ジンの恩寵だと言われていた。

 竜界に危機が訪れる際、竜眼族を導くために送られてくるのだと。


 帝位や王位につく男女を選ぶ大型の配偶竜などは、その代表格だが、中型や小型の中にも、人並み以上の知能や特殊能力を持つ守護竜がいるのだとか。 

 この翅光竜が守護竜だとすれば、守っているのは重要人物ということになる。


 もしかすると、ショコラ様は、帝女候補なのだろうか?


 パメリーナは、気脈が引き締まる思いがした。

 先代の帝女殿下は、6年前に竜界へ還られて、後継者がまだ見つかっていない。

 そして、内帝陛下は、確か、今年327歳。

 畏れ多いことながら、竜気が四割方、竜界へ抜けてしまわれたという噂だ。

 

 帝子殿下もおられない現状で、内帝陛下まで失ったら、この国は終わる。

 どれほど外帝陛下が有能な方であっても、竜界を支えきれるはずがなかった。

 お一人では、遅かれ早かれ、限界を迎えることになるだろう。

 そして、今回の魔族の大出現は、その前兆と言えるのかもしれない。


 竜眼族としての種族記憶が、パメリーナの危機感をかき立て、強烈な目的意識に目覚めさせた。


 嘆き悲しんでいるような状況ではない。個人的な感傷などで。

 ショコラ様だけはお守りしなければ。4の4乗を尽くしても。

 ノエリアのように失うわけにはいかないのだ。何があろうと。


 そのとき、パメリーナは、密かに覚悟を決めた。

 正式な側仕えに志願し、必要とされる限り、お傍でお仕えして行こうと。

 必要とあれば、この身も竜気も全て捧げようとも。

 

 あれから16カ月。

 ショコラ様のお人柄に魅かれ、ご英知に感銘を受ける日々だった。

 様々な事件があり、その度に、感情波は、心痛や不安、驚愕や感激と大きく振れながらも、忠誠心は強まる一方で、覚悟に揺るぎはないと断言できる。

 結婚も子供も望めない自分には、残りの人生をショコラ様ただお一人のため、忙しく仕事をこなしていくのが最善だとも思っていた。


 それなのに。

 どうして、今更、オランダスの求婚に、気脈が緩んでしまうのだろうか。

 まるで10代の生娘に戻ったかのように。


 二度と結婚することはないと割り切ったのは、10年以上前のこと。

 男性不信に陥ってからは、恋愛など面倒なだけで、興味も持てなくなっていた。

 ショコラ様の名声が高まるにつれ、求婚者は、若い頃よりも増えたけれど。


 少なくとも、オランダスは、警戒する必要がない相手だった。

 ショコラ様と縁を結ぶために、側仕えを懐柔しようとするやからとは違う。

 あるいは、王寮内の情報を少しでも得ようと暗躍する間諜スパイの類でもない。


 保安的に言えば、結婚契約を結んでも、何ら問題はなかった。

 警備責任者のマイケル師も、側仕え同士ならば、反対しないだろう。

 外からのかよこんは認められていない王寮にも、夫婦用の舎宅しゃたくはあるのだし。


 それに、結婚してしまえば、これ以上、他の求婚者にわずらわされずにすむ。

 四回結婚した臣族には、仲人も派遣されないし、断りやすくなるのである。

 子宝に恵まれない以上、成人義務を果たしたことにはならないにしても。


 条件が良いだけではなく、肝心な波長も合っていた。

 お互い好感を抱いていることはわかっているし、竜気量にも差異はない。

 本音を言えば、これまで夫に選んだ三人の誰よりも、相性が良いと感じている。


 それでも、パメリーナは辞退した。

 結婚契約は、子づくりを前提にしたもの。

 息子を与えることができない自分には、妻となる資格はないと思った。

 

 オランダスは、若い女性護衛たちや中仕えたちにも人気がある。

 兵役相殺で、成人義務を免除されたと言っても、望めば結婚できるし、子供を8人儲けることだって不可能とは言えない。まだ53歳なのだから。


 しかし、オランダスは、息子が欲しいわけではないと言った。

 パメリーナとだから、結婚したいと思っただけで、パメリーナと結婚できないのであれば、誰とも結婚する気はないのだと。


 嬉しい言葉だった。

 思わず竜気が増幅してしまうほど。

 その思いを素直に受け入れられれば良かったのに、とは思うけれども……。


「ここにいらしたのね、パメリーナ。ショコラ様がお呼びですわ」


 マルガネッタの声に、物思いに沈んでいたパメリーナは、慌てて立ち上がった。

 パメリーナが座っていたのは、テラスの柱の陰にある椅子だった。

 昼食会が終わった午後からお休みをいただいているので、別にさぼっていたわけではないが、居場所を探させてしまったことを謝罪する。


「ごめんなさい。お手間を取らせて。あなたも疲れているでしょうに」

「いえ、今はもう疲れておりませんわ。ヒール様に回復していただきましたから」

「え?」

「ヒール様の治療波は、瞬動酔いや疲労にも効果があるのですね。今日ヤスリカ港市までお供した側仕えは、出張手当として、全員回復していただけることになったのです。それで、パメリーナもお探ししていたのですよ。なるべく急いで、本館の医療室に行ってください。ショコラ様とヒール様がお待ちですから」


 マルガネッタの指示を受け、パメリーナは、早足で医療室に向かった。

 これが一年前だったら、驚きのあまりマルガネッタを質問攻めにしただろうが、今では異常事態が起きても、あるがままに受け入れる平常心がつちかわれている。


 今日の誕生参拝でも、奇跡が再び起きたくらいだ。

 栄神殿〈1-053〉にまつってある栄マーヤの像が、白い竜気に包まれたあと、くすんだ黄土色から、鮮やかな黄金色に塗りかえられるという奇跡が。


 ショコラ様は、命神殿〈3―789〉に引き続いて今年も、竜神リ・ジンよりご加護を賜ったことになる。

 そのような恩寵をたりにすれば、他は、些末事さまつじに思えてきてしまう。


 第一、ショコラ様のなさり様に一々驚いているようでは、側仕えは務まらない。

 それが、聖竜の治療などという過分かぶんな恩恵をいただくようなことであれ。

 たとえ恐縮して辞退しようとしたところで、「あなたが倒れると困るのはわたくしなのです」と言われ、反論を封じられるに決まっているし。

 

 パメリーナが医療室の扉に近づいたとき、ちょうどオランダスが出てきた。

 ショコラ様をお待たせしていることに気が取られていたせいで、避ける間もなく、ばったりと顔を合わせてしまった。

 求婚を断ってから4日しか経っていないので、気まずい思いが抑えきれない。 

 それでも、顔色が昼時より格段に良いと見てとれるほど、視線を外せなかった。

 

「このあと話がしたい。外で待っている」


 目礼もくれいをしてすれ違おうとしたときにささかれて、気脈がびくんと跳ねた。

 浮ついた感情波のまま、主人にお目通りするわけにはいかないと、動揺を抑え込もうと必死になったが、成功したとは思えない。


 パメリーナは、ショコラ様のご指示を半ば上の空で聞きながら、診察台の上に横たわって、ヒール様の治療を受けた。非常に申し訳ないことながら。

 本来であれば、もっと感謝感激するべき感動的な体験だったはずなのに、オランダスが待っているということに意識が行って、全く集中できなかったのだ。


 それで、治療が終わったと言われたときも、型通りのお礼を申し上げただけで、退出しようとしようとしていた。

 ショコラ様に、こう言われるまでは。


「これは、結婚の前祝いよ、パメリーナ」

「――は?」

「わたくしね、ソフィーヌ寮長様に、叱られてしまったの。今のままでは、側仕えが忙しすぎて、誰も結婚休暇や出産休職を申請できないではありませんかって。ごめんなさいね。そこまで気が回らなくて。配慮が足りなかったわ」

「いえ。そのようなことは……」


 パメリーナが否定の声を上げたが、ショコラ様は、聞く耳は持たないと言わんばかりに、一方的に話を続けていく。


「マルガネッタは、仕事を続けたいという希望なので、できるだけ負担を軽くしていって、出産の前後は好きなだけ休みを取ってもらうことにしたの。あなたは、どうしたい? マルガネッタと同じように、【白の結婚】にしておく? それとも、オランダスと正式に契約を結ぶ? どちらを選んでもいいけど、結論は早目に聞かせてちょうだい。舎宅の準備とか、保育士の確保とか、やることが色々あるし……」


 結婚することが前提となっていることに、焦りを感じたパメリーナは、思わず大声を張り上げた。


「いえ! わたくしは、結婚するつもりはありませんので」

「あら、そうなの? 結婚祝いになるかと思って、ヒールに不妊治療もしてもらったのだけど。余計なお世話だったかしら?」


 ショコラ様の言葉が頭に染み込むまで、パメリーナは瞬きを繰り返した。


「不妊……治療? 治療ができたのですか……?」

「えぇ。この場合、古傷を治療したと言う方が近いけれど。お腹の中の癒着ゆちゃくしていた部分を再生したので、成人した頃の健康な状態に戻ったってことだし。あぁ、でも、誤解しないで。治療したのだから、産みなさいという話じゃないの。成人義務を果たそうと無理して欲しくなんかないもの。わたくしは、ただ、さっきオランダスに事情を聞いて、あなたは子供が欲しいのかと思っただけで」


 パメリーナは、オランダスが、二人の間のデリケートな会話を漏らしたことに対する怒りの感情波が波立つのを感じた。

 身上書には不妊も申告してあるし、ショコラ様に秘密にしていたわけではないにしろ、こうも赤裸々せきららに話題にされると、平常心ではいられない。

 気にしまいとしても、恥ずかしくて、顔は濃く染まっているに違いなかった。


「オランダスが、ショコラ様に、そのようなお話を……?」

「怒らないで。わたくし、オランダスにも、結婚する予定がないか確認したのよ。そうしたら、不妊が理由で、パメリーナに振られたって言うから、ヒールに治療できるものならお願いって頼んだの。不妊それを口実にして断りたかったのなら、治療できなかったことにしても良いのよ。期待させたオランダスの方は、可哀想だと思うけど。あなた次第よ、パメリーナ。何をどう選択するかは任せるわ」


 そこまで話すだけ話すと、ショコラ様は、ヒール様と一緒に、医療室を出ていかれた。「落ちつくまで、ここで休んでいなさい」と言い置いて。


 その場に一人残されたパメリーナはと言えば、頭の中が混乱して、ぼんやりしてしまい、診察台にへたり込んでいた。

 治療されたと聞いても、嬉しいとは感じられなかったし、子供が欲しいのか、もう産みたくないのか、自分の気持ちすらわからない。

 

 子が産めなくなり、女としての人生が終わったと諦観ていかんしてから、ずっとその障害を抱えて生きてきた。

 もうそれが自分の一部になって、どうでも良くなってしまったのかもしれない。


「キュルル、キュルリル、キュリル、キュルリルリーン」


 聞き覚えのある鳴き声が聞こえて、パメリーナは我に返った。

 ショコラ様の翅光竜――ソラが窓の外で鳴いている。


 その声に誘われるように治療室を出て、歩いて行くと、中庭にあるテーブルの上に、ソラがちょこんと座り、目の前のオランダスに歌いかけているところだった。


 気配に気づいたのか、オランダスが顔を上げて、パメリーナを見つめる。

 竜眼には、紛れもなく『期待』と『希望』が籠められていた。

 自分は、この眼が、『失意』と『絶望』に変わるところを見たくない。

 その瞬間、やっと、パメリーナにもわかった。

 

 愛している。この人を。

 愛されている。この人に。


 ショコラ様には選択を任せると言われたが、竜気の流れる先は決まっていた。

 結論を頭で考えるより早く、気脈が固く結びついていくのを感じる。


 オランダスが、立ち上がり、両腕をパメリーナに向けて、まっすぐ差し伸べた。

 左の掌を上に、右は甲を上に。

 竜神リ・ジンへの参拝と同様だが、これは、正式な求婚の儀式でもある。


 受諾するならば、歩み寄って、両手とも握る。

 謝絶ときには、お詫びの気持ちを込めて、胸元で両腕を交差させてうつむく。

 

 「キュルル、キュルリル、キュリル、キュルリルリーン」


 今度の声は、「幸せになってね」と祝福してくれているように聞こえた。

 その声に後押しされながら、パメリーナは、よろめき混じりの足取りで前に進み、差し出されたままの両手に触れる。


 いつか、この手を取ったことを後悔するときが来るかもしれない。

 それでも、今この瞬間は幸せだと感じていた。かつてないほどに。

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