第72話 希望の光を灯す闇
偶然などではなく、ハッキリとした目的を持って常若の国を訪れた者。
それは知り合いどころか共に危険へと身を投じ、背中を預けた人物だった。
「お久しぶりでございます、スクレナ様、エルトさん。こうしてまたも頼る形になってしまうのを恥じる反面、再びお会いできたことに喜びを感じております」
心闇教の信徒である黒髪の女性、シェーラだ。
そういえばレジオラの辺りにあった本拠地で別れる際、スクレナがどうしても宛がない場合に訪ねるべき場所を教えていたな。
それが妖精郷であり、同時に例の紹介状を渡したのだろう。
「あれからは変わらず我々が聖地と定めている地を転々としておりましたが、以前に比べて帝国軍の追跡が厳しくなり、いくつもの拠点を失うという状況に陥ったのです。教団の中には私とは違う非戦闘員の女性をはじめ、子供から老人まで戦いに縁のない者も多く在籍しております」
そういった人たちの集団を引き連れながら、これまで以上に警戒された状態の中を逃げ回るのは困難を極めるだろう。
移動の速度も距離も大幅に制限されるからな。
かと言って国境を越えて帝国の支配の外へ飛び出すことなんてもっと不可能だ。
「なので一時的でも構いません、スクレナ様の庇護下に置いていただければと。先に受けたご恩に報いる機会もないままの申し出で厚かましいとは承知しておりますが」
そんなことはない。
結果として接近してくる帝国軍を退ける手助けになったとはいえ、もともとは無関係だった村の襲撃に躊躇なく同行してくれたし、おかげで賊の正体から背後に存在する黒幕を暴くことが出来たんじゃないか。
それにおそらく心闇教に対する弾圧の激化は、闇の女王の帰還をルーチェスが気取ったせいという可能性がある。
だとすればこっちだって責任が皆無とは言えないだろう。
「ありがとうございます。欲する人材であるとスクレナ様やティターニア様に評価していただけるよう、十分な戦果をあげてみせます」
こちらとシェーラの意思はしっかりと噛み合っているようで問題はない。
あとは王国側に参戦を認めてもらうだけなのだが。
その判断を下す人物の表情も反応も渋く、なんだか雲行きが怪しい感じがする。
「この子の顔には覚えがある。今よりもっと若かった頃の……いや、幼かった頃のと言った方が適切か」
ドゥエインがシェーラのことを知っていたとは思いもしなかったが、決して友好的な邂逅ではないことくらい雰囲気から察せられた。
「君は多くの
教団に害をなす者の暗殺も請け負ってるとは聞いたけど、闇ギルド……そんな大層な集団とは予想もしてなかったな。
でもドゥエインはなぜそんな彼女を知っていたんだ?
「血肉を求めるカラスたちの
その実行者がシェーラで、ドゥエインも現場に居合わせたといったところか。
加えて言えばまだ若く、腕も未熟だった暗殺者が顔を見られてしまったと。
「そんな人間を自軍に置いておこうなどと言うのは余程の間抜けか楽天家くらいだ。戦に参加するのは勝手だが、その場合にはせいぜい背中にも気をつけることだね。私たちは君を味方とは認めはしないのだから」
濁すこともなくハッキリと拒絶の意志を示したか。
だけどドゥエインはあくまで冷静だ。
憤怒して頭に血が上っている感じでもないし、話を聞き入れるくらいのゆとりはあるように見える。
どうかここは慎重に言葉を選んでもらいたいところだ。
「あなたに怒りを向けられる理由はともかく、なぜ非難を受けるのか理解できません。私は物心がついた頃からコルウスにいて、暗殺術に必要なことのみを教わりながら育てられました。その境遇に同情してほしいわけでもなければ、言い訳をするつもりもありません。ただひとつ言うなれば、事実としてあの頃の私にはそれが日常であり、生きていく為の唯一の手段でした。獲物の対象が異なるだけで、猟師がその肉を食らって毛皮を売るのと何が違いましょうか?」
いや、その……言いたいことは分かるけども。
あまりにも正直に思ったことを口にし過ぎでは。
「ずいぶんな暴論だ。だけど君はさっき『あの頃の私』という表現をしたね。それはつまりこういう意味かな? 今の私は利益のために他人を殺めるのではなく、心闇教の信徒を、虐げられている弱き者を守る役割を担っていると。まさかこれまで奪ってきた命に対しての贖罪でもしてるつもりかい?」
「いいえ、入信したのは純粋に教団の教えと、スクレナ様によってもたらされると言われている世界への羨望が私の生き方に影響を与えてくれたからで、護衛として振舞っているのはその結果としてです。それに贖罪も何も、最初に申し上げた通り私は今でも自分の歩んだ道を恥じたりなどしていません。それでもあなたの気持ちが分からないわけでもないので、全てが終わった時には互いに向き合う機会を設けるとお約束します。もっともその際にこの命を所望するのであるなら、ご自身の喉元には十分にご留意くださいませ」
どっちも全く歩み寄りの姿勢なんて見られない。
まさに言葉の殴り合いだ。
これじゃあ迎え入れてもらえないどころか、捕縛される恐れだってあるんじゃないか。
「ふふ……はっはっは! いくら責め立てようと自分の信念に僅かな揺らぎすらないとは、いや呆れるくらいに真っ直ぐだね。心に響かぬ謝意を述べられるより遥かに信頼できるというものだ。君がその手で奪ってきた命は紛うことなく君自身の礎となっているのが伝わってくるからね。それに雇い主によって敵味方が都度変化していくのが傭兵の常だということくらい私とて承知しているさ。それでも論争の続きが必要なのは確かなようだ。然れば喜んで先程の君の招待を受けるから、決して死なぬという命令にだけは従ってくれよ?」
打って変わってドゥエインは両腕を広げて高笑いをしながら、周囲を穏やかな空気へと変えていった。
だけどさっき話していた恩師の件はおそらく嘘などではないはずだ。
本心では無念を晴らしてやりたいに違いない。
それでも王国の事情を思えばこそ、有能な人材を引き入れるために気持ちを抑えることに徹しているのだろう。
「承りました。元よりそのつもりでしたので既に部隊は戦場に潜ませております。平原というアサシンには不向きなロケーションではありますが、それでも混戦になれば最大限に本領を発揮できることでしょう」
一見は立場が悪くなりそうな本音の方が、その場しのぎの繕いよりも上手くいく場合もあるということか。
駆け引きなのか、譲れない部分だったのかは分からない。
やはりそれでもこの展開の予想が立てられないあたり、俺もまだまだ経験が足りないということだろう。
「さぁ、隊列を組み始めている部隊も徐々に見られるようになってきた。開戦の時はもう間もなくのようだ。君たちもそろそろ配置に着いてくれまいか」
何はともあれこれ以上の急展開はなさそうだ。
そうなるといろいろ世話になったドゥエインともここで一旦お別れか。
彼はあくまで近衛隊長だ。
本来いるべき場所はここではないのだから。
「そう、近衛兵とは軍人なれどあくまで国王陛下の警衛が主な任務。しかしだからこそ、私の戦場もまたここなのだよ」
うん? その返答では辻褄が合わないのだが。
そんな疑問を抱いた矢先に、周囲の兵士たちは一様に同じ箇所に視線を集めてどよめく。
俺だって目に映してすぐに驚いた。
そこには本来ならいるべきではない人物が威風堂々と歩いていたからだ。
「へ、陛下! このような場所になぜお越しに? しかもその装いは一体どういう……?」
将校と思われる男が咄嗟に詰め寄るのも無理もない。
国王であるクレフが戦支度を整えているだけでも困惑するだろうが、その甲冑が代々王家に受け継がれてきた家宝だというから一際だろう。
だけどそれこそが若き王の決意の表れだと見て取れる。
「この国を故郷とする者として微力ながら私も共に剣を振るおう。命を賭した極限の戦においては、そのような僅かな差こそが結果に大きな影響を及ぼすこともあるのだから」
「なりません! 例えこの戦に敗北したとしても、陛下さえご存命である限りは一時的なものにしかなりえないのですから!」
その言葉を聞いたクレフは口元から小さな笑いを漏らす。
まるで自分の予想と寸分違わない返答だとでも言いたげに。
「分かっているさ。もし帝国の支配下に置かれたとしても、私が生きてさえすれば、王家の血が途絶えることさえなければ、いつか再起できる可能性が完全に摘まれることはないと」
クレフは馬に跨ると、自分の存在を知らしめながら集団から少し離れた場所へと移動する。
出来るだけ多くの兵士たちの顔が見られるように、自分の姿を見てもらえるように、そして声が届くようにとだ。
それを見た各部隊の指揮官たちは、いよいよその時が来たのだと察して急ぎ陣形を整えるよう指示を飛ばした。
「この数日の間に陛下は随分と変わられたよ。飛躍的に成長されたと言うべきか。継承したことによりこれまでは重い枷となっていた先代の志だったが、小さくも困難な冒険の中で糧とする術と精神を学ぶことが出来たのだろう。ゆえにその道案内を買って出てくれた君らには、どうかクレフスィル王の行く末を見届けてほしいのだ」
新生した指導者の姿を見ているにもかかわらず、ドゥエインの眼差しには懐かしみという真逆の思いが混在していた。
きっと堂々たる風格を見せる馬上の少年に、この国のかつての雄を重ねているのだと思う。
「属国になってもラストリアという名前は残されるかもしれない。だけどそこにあるのはあなた方ではなく、移住してきた帝国人による帝国人のための理想郷だ。それをどうして祖国と呼べるだろうか。姿形は同じだろうと、そこに宿る魂が違うものを心から愛せるだろうか。否! 私が父や兄らから託され、生涯を捧げると誓った国とは唯一無二、今この地にいる皆が住まう王国なのだ! だからこそ王都の陥落とはリスタール家の死も同然! ならば最後にどちらへ転がろうとも、座して祈るより自らの手によって決することを私は選択したい! 勇敢で気高きラストリアの子らよ、いざ共に駆けよう! そして侵略者を斬り裂く剣となれ! 愛する者を守る盾となれ! 王国の明日をもたらす暁となれ!」
力を込めて宣言するクレフは鞘から剣を抜いて高く掲げると、それに呼応して辺り一帯からは地鳴りのような声が上がった。
太陽の光を反射して輝く刃は、きっと兵士たちの心と行く先を照らしていたことだろう。
誰かが力強く叩く太鼓の音に合わせながら全員で足を踏み鳴らし、「王国のために!」と口を揃えて叫ぶ。
それぞれが同じ思いを声にすることで一体感を生み出し、決して独りではないというその感覚が恐怖心を和らげる。
そして最高潮に達した士気を外へ吐き出すように方々から角笛の音が響き渡ると、最前から順にゆっくりと隊列が動き出した。
だがその波が俺たちのいる位置まで及んだ時、ふとあることに気がつく。
なんとなく誰か足りないように思うのだが……
そうか、デリザイトがいないのか。
こういう時には人一倍張り切ると思ってたんだが。
「ああ、デリちゃんの性格なら確かにそうだね! てか、実際に配置を無視して既に先頭の方まで行っちゃったよ」
「昔から先陣を切るのはデリザイトの役目だったからな。彼奴にはあれこれ指示を出すより独自の判断でやらせた方が真価を発揮できるというものだ」
「しかしねぇ……私としてはちょっと心配さね」
楽観的なスズトラやスクレナとは対照的に、マリメアは多少なりとも気にかけているようだ。
どちらかと言えば俺もマリメアに同意だな。
確かにデリザイトは強いが、これほどの規模の戦はおよそ1000年ぶりであろう。
当時とは勝手が違うところもあるかもしれないし、なんというか、勝負勘? とでも言えばいいのだろうか。
そういう感覚的な部分は力でどうこう出来るものではないからな。
「いや、私が言いたいのはそういう事じゃなくてさ――」
「ぬぅぅおぉぉぉああああああぁぁぁ!!」
マリメアが何かを言いかけた時、戦場に妙な絶叫が木霊した。
さっきの太鼓や角笛の音が地を震わすなら、こちらは地を引き裂くほどの声と言ったところか。
一体何者が……
なんてすっとぼけても仕方がない。
声の主は俺たちがよく知る者であり、まさに今まで話の渦中にあった者だろう。
「滾る、滾ってきおったぞ! 鳴り響く鼓舞の音色! 舞い上がる土煙の匂い! これこそまさに
その直後に現れたのは、この位置からでもひと目で分かる魔族の巨体。
王国に入ってからもずっとヒトの姿で過ごしていたデリザイトが本来の姿に戻ったのだ。
「あちゃ~、スクレナ様の言いたかったのってそういう事じゃないと思うんだけどねぇ」
「全く……予想した通りだね。今日で筋肉バカからただのバカに格下げだよ」
呆れられるのも無理はない。
どこからともなく突然あんなのが湧いて出てくれば、大抵の人ならどういう反応になるかくらいは容易に想像がつくからだ。
「うわぁぁぁあああ! なんだこの化け物は!?」
「こんな時に……いや、そもそもいつの間に乱入してきたんだ!?」
やっぱり味方に混乱が生じてしまっている。
これでは接敵する前に配置が乱れてしまうぞ。
「ドゥエイン近衛隊長から各部隊に通達! あの魔族は敵ではない、陣形を保ちそのまま進軍せよ!」
伝令役と思わしき兵士が集団の中を叫びながら走り回るのを見るや、また別の兵士が同じ行動を取りながら反対側へ走り出す。
そうしていくうちに情報は伝播し、すぐに最も広がりが見られたデリザイトの周囲までも元通りとなっていた。
いくら訓練されているとはいえ、これほどの迅速な連携を難なくこなすのは並大抵のことではない。
きっと時代に取り残されつつあった大国がここまで生き残れてきたのは、指導者の統率力だけではなかったのかもしれない。
「そういうことデシタラ遠慮は必要ないようデスね。古代兵器が使用されてイル分、デリザイトよりも刺激はすくないデショウから」
今度はレクトニオが想定外の行動をとる番だった。
俺の故郷の村からずっと維持してきた四輪の乗り物の形態から、通常の人型へと急に変形する。
そして人々の頭上を飛び越え、T-フレームの進軍の為に空けた道から一気に前線へ向かって走り去って行った。
「ふふ、男という生き物は幾つ歳を重ねても子供じみていて、やんちゃが過ぎるものだな」
はたしてやんちゃという言葉で片付けていいのか……?
得体の知れない物体の形がいきなり変わり、且つ人工の兵器とは思えない滑らかな動作で駆ける姿にやはり動揺が湧き起こる。
しかしレクトニオの言った通り、先にデリザイトの件があったからか兵士たちの状況の受け入れは早かった。
それどころかショック療法に近いものとでも言うのだろうか。
周囲から漂う緊張や恐怖が少しばかり薄れ、皆の腹が据わったようにも感じられた。
怪我の功名か、歴戦の勇士たちが培ってきた立て直し術の賜物なのか、結果としてはいい方へと昇華できたみたいだ。
一方で騎兵にさえ差をつけ先頭を行くデリザイトは、侵攻してくる帝国兵との衝突を待たずに立ち止まる。
「猛き子らよ。地母神の懐に抱かれ安らぎを得よ……『
そして手のひらで地面を強く叩くと、何本もの石柱が互いに交錯するように突き出てきた。
「本来は敵の足止めや拘束の為の術ではあるが、こういう力技にだって使えるのだ」
間髪入れずにデリザイトの足元に魔法陣が生成されると、そこから得物である両手斧が召喚される。
それを手にすると水平に構えたまま体を捻り、元に戻す反動を利用して力いっぱい振り回した。
そして自身が造り出した障害物を叩くと、凄まじい衝撃によって粉々に砕かれた石柱は、無数の岩となって迫り来る帝国兵たちを襲った。
今ので何人の兵士が散ったかなど数えるのは馬鹿げた行為だ。
拡散する大砲の弾の如き岩の範囲がどこまで及んだのか瞬時に分かるくらい、隊列にぽっかりと大きな空白が出来ていたからだ。
最早「たくさん」としか言い表しようのないほどに。
だが場馴れしているのは帝国側も同様であり、状況を見るやすぐに2体のグレンデルを対処に向かわせる。
どちらも近接戦闘用の装備が施されており、目標である魔族を凌ぐ巨体から振り下ろされるロングソードは圧巻の一言だ。
それでも臆することを知らないデリザイトは、一瞬の硬直も見せずに身を翻してかわした。
そして空を切りながら自分の体の横を通過する相手の腕を、両手斧を振り上げて斬り落とし、そのまま頭上で器用に回転させると右から左へ薙ぎ払って胴を真っ二つにする。
その大振りの隙を逃すまいともう1体が即座に急接近を試みるが、刃と逆側の柄で脚の関節部を叩かれ、バランスを失って膝から崩れ落ちた。
猛攻を続ける闘将はグレンデルが倒れ込む前に右手で頭を掴むと、自慢の腕力でねじり切って機能を停止させる。
「足りぬ! この肉体と魂を震わすにはまだまだ足りぬぞ! 如何なる策を弄しようが構わぬ! 我こそはと思う者がおるのなら今すぐ名乗り出よ! 某が真っ向から
「お……お……」
デリザイトの咆哮をきっかけに王国軍全体の雰囲気がまた変わった気がする。
クレフの演説によって士気を高め、覚悟を決めた兵士たち。
そこからは愛国心によって命を散らしてみせるという美学のようなものが滲み出ているように感じられた。
『おぉぉぉぉおおおおおおおおお!!』
だけど数え切れないくらいの敵兵や、帝国の主戦力のひとつであるT-フレームを一瞬で粉砕する。
そんな光景が雄叫びと共に、王国軍全体にある思いを芽生えさせた。
『勝てる』という肯定的な思いが。
闇人族が人々に希望の光を灯すなんて笑えるほど妙な話ではあるが、とにかく先手を打てたのは俺たちだ。
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