第67話 ……残念です

「この流れならば既に察している方も多いことでしょう。そう、たった数年前まで何の取り柄もないヒューマンだった者が、魔人を拳ひとつで倒せるほどの力を手に入れた。このあまりにも現実離れしている話の正体――」


 イグレッドは周囲に強調するよう、その場で弧を描いて歩きながら声を上げる。

 少なくとも俺には奴がこれから何を話すつもりなのかすぐに理解できた。


「それは闇の女王と契約を交わした愚か者こそが、ここにいる黒騎士だからです!」


 思った通り室内にはどよめきが起こった。

 まだ事実確認も出来ていない状況ではあるが、他人を混乱させるのには事足りる内容だ。


「黒騎士殿! 今の剣聖殿の話は真でありますか!?」


 当然ながら賢人の1人が問い質してくる。


 考えろ。

 自分の記憶と知識の引き出しを全て解放し、聞き手の求めているものを導き出せ。

 最適解でなくてもいい。

 なんとか相手をねじ伏せ、切り抜けられる道だけでも作るんだ。


「ええ、全て本当のことです」


 俺が選択したのは肯定だった。

 だけど決して諦めたわけでもなければ、これが間違いだとも思っていない。

 なぜならここで否定したところで、自分の発言が真実だと証明する術はない。

 それは向こうとて同じことではあるが、同時に互いには決定的な違いもある。

 イグレッドは自身が口にした空想のままで事足りるという違いが。

 奴は俺の正体を口にした時点で目的を達成できたも同然なのだから。


「だから言ったのです! 例え陛下の恩人だろうと、封鎖されている国境付近で出会った素性も知らぬ者を引き入れるなど危機感がないと!」


 ここへ来る前に確かにドゥエインは言った。

 賢人の過半数が俺たちの協力の受け入れに賛同したと。

 だがそれは別の角度で見れば、ギリギリまで反対する者が少なくとも同数いたということだ。

 つまり未だに誰かがほんのひと押しするだけで、自分の任意の方向へと傾けられる状態にあった。

 その結果として王国が黒騎士一行へ処分を下せばよし。

 そうでなくとも再び論争が始まり、結論が先延ばしになればイグレッドの目的は果たされたことになる。

 いずれにしろ俺らの参戦を阻止できるのだからな。

 とにかくまずは視覚で周囲から材料を集めるとしよう。


 クレフは黙ったまま考え込んでいる様子。

 迷いが生じているというよりは、放たれた真実の質が大きすぎたが故という感じか。

 賢人たちはというと、部屋の置き物のような正確な並びはどこへやら。

 全員が中央で入り乱れ、意見とも罵倒とも知らぬ声を上げている。

 これでは賛成派と反対派、どちらがどちらなのか分かったものではない。


「やれやれ、自分の周りの狭い世界を守るのに精一杯な奴らが受け入れるには刺激が強すぎる話だったかな」


「何をおっしゃいますやら。これほどの効果を見越していたから無理を押してこのような行動に出たのでしょう? 策をめぐらすのは我々の専門なのですがね」


 関心と呆れの両方を備えたシーオドアの言葉に、イグレッドは返答することもなくただ前を見据えていた。


「静粛に! 客人の前で見苦しい!」


 唐突にクレフは拳で肘掛を叩き、驚いて誰もが思わず閉口してしまうほど大きな音を立てる。

 おかげで賢人らの意識は皆同時に主君へと向けられ、言い争いは強制的に幕を閉じられた。


「ここで他者がいくら言い争いを繰り広げても不毛というもの。まずは黒騎士殿の話を伺うのが建設的であろう」


 その言葉と共に若き王と視線が交わる。

 加えて剣聖もこちらを向くと、肩を竦めながら鼻で笑った。

 この状況で俺がどのように狼狽するのか楽しみにしているというメッセージを乗せて。


 だが先程までの悶着、クレフは不毛だと言ったが俺にとってはそうじゃない。

 おかげで僅かではあるが、考えをまとめる時間を得ることが出来たんだ。


「弁明する言葉は何もない。処遇についてはそちらの好きにすればいい」


 その上で出した答えがこれだ。

 まるで自暴自棄になったような様子に王国側の者たちは驚き、イグレッドは顔から笑みを消した。


「だけど本当にあんた達には選ぶ権利はあるのか? 好きに出来るほどの選択肢が残されているとでも?」


 不遜な態度ということは承知している。

 それでも今は可能な限り強気な姿勢を見せるんだ。

 あくまで主導権はこちらが握っている。

 全員にそう思わせることが何より重要なんだ。


「我々は貴方を受け入れる他ないと。その理由をお聞かせ願えますかな?」


 見知った顔の老人、ジャーメインの問いは単純に自分の興味なのだろうが、こちらにとっては話を掘り下げやすい絶妙なタイミングだった。


「感情的にならずに考えれば簡単に分かるはず。もし俺たちを処刑なり追放なりすれば、そちらにとってはデメリットしかないことを」


 ただでさえ数の上では圧倒的に不利な戦況の中で、ザラハイム及びティターニア様が寄越してくれる援軍を拒むほどの余裕は王国に残されていない。


 それにイグレッドが吹き込んだような、俺らが後に王国を掌握するという意思。

 もちろん否定するところではあるが仮にそんな思惑があったとしても、今は手を組んで共通する敵である帝国を退けることを優先して考えた方がいい。

 これも彼らにとって現時点では一番に気にかけるべきことではないだろう。

 さすれば少なくとも問題を先延ばしにした分の猶予は作れるし、世界最大の軍事力を誇る大国を相手するよりはまだマシなのだから。


 ましてや反目するなど以ての外だ。

 こちらが全力で抗えば軍は大打撃を受けて、戦の前に大幅に戦力を削がれる恐れだってあり得る。


 ここまで言えば剣聖が危険を冒してまで乗り込んできた理由がもう分かっただろう。

 俺たちが袂を分かつということはただ帝国に得を与えるだけで、それこそが奴の望むシナリオなんだ。


「ふむ、確かに互いにとってメリットがあるという事実は清廉な言葉以上に信用できるとも言えるが……」


「皆様方、黒騎士の口車に乗せられてはいけません。彼は僕が問題とした部分をぼかした上で自分を受け入れることに得があると繰り返していますが、結局のところは王国にとって闇の女王が無害であると示せない限りは大元の解決にはなっていないではないですか」


 歩み寄りの望めないイグレッドは穿った目で見ている分、間髪入れずに指摘をしてくる。

 だがその態度こそが、向こうも賢人たちの意見が若干傾いていると考えた証拠だ。


「世間に流れる数少ない情報における黒騎士の人物像といえば、無償で危険度の高い魔物を狩って回ることから謎が多くも英雄視する者も多々おります。しかしその本質はただ凶暴性が高く好戦的なだけ。あまりにも凄惨で公表されていませんが、実を言うと対立関係となった聖騎士の実妹や村民を見せしめに殺めるという事件もあったのです」


 流れを引き戻そうと、すかさずシーオドアは本人が積極的に否定できないギリギリの線で捻じ曲げた事実をさらけ出してくる。

 しかしここまで静観していた人物が、その口撃を利用して助け舟を出してくれた。


「おや? それは妙ですな。ジャーメイン殿が事前にある筋から黒騎士殿の情報を仕入れてくれましたが、聖騎士殿の故郷は心闇教を語る集団と正体不明の化け物によって被害がもたらされたと聞いております。よろしければそこらの食い違いについて詳しくご説明願えますか?」


「い、いえ……なぜそような齟齬そごが生じているのかは不明ですが、これ以上のことは守秘義務がありますので」


 王国側がこの出来事を知っているとは全く念頭に置いていなかったようだ。

 おかげで思いもよらないドゥエインの指摘に、シーオドアは不自然に言葉を引っ込める。

 ここから先を語るとなると贖人あがないびとについてもより詳しく触れなければならない。

 奴らにはそれを良しとしない理由があるのだろう。

 本番であるならば好機と考え進軍するも、まんまと奇襲にあって撤退を余儀なくされたといったところか。

 しくじりによる焦りと恥辱に満ちた諜報員の姿に周囲の目が注がれる中、俺は剣聖が向ける視線の先を追った。

 1人だけ異なる箇所へと向ける視線。

 きっと反射的なものだろう。


 これによって俺は、王都に入る直前にスクレナが口にした言葉の意味とその答えの察しがついた。

 だけど相手が話の誘導に失敗し、自滅で勢いを失った今こそ一気に畳み掛けるチャンスだ。

 攻め時を逃さない為にも一先ずこの件は保留にしておこう。


「部下の失言はお忘れいただいて結構です。ですが闇の女王が此度の戦争を利用しようとしているのは偽りのないこと。そこで僕から提案があります。黒騎士の惑わしから覚ましてさしあげられる提案が」


 僅かに気を逸らした隙を逃さずにイグレッドが先に口を開く。

 こういう不測の事態も即座に対応してくるとは、さすが油断ならない奴だ。


「現体制をそのままに王国の降伏を受け入れていただけるよう僕が皇帝陛下に進言し、かつ受諾させてみせましょう。そして両国が手を取り合い、共に真に打倒すべき世界の闇に立ち向かおうではありませんか」


 剣聖の提示した条件に賢人たちは感嘆の声をあげる。

 まるで逃げ場のない崖っぷちに追い詰められている状況で、突然ロープが垂れ下がってきたような案だ。

 冷静になれず咄嗟に掴みにかかろうとするのも仕方がないこと。


「なんという破格の条件。この差し伸べられた手を取る以外の道がありましょうか?」


「せっかくのご厚意です。ここは剣聖殿に全てを委ねるのがよろしいかと」


 それほどに魅力的な申し出だが、それなりにイグレッドの本質を知っている俺には違和感があった。

 今のこいつの言葉は、目がくらむような眩い光の裏側に本当の形が隠されている。

 そしてその犠牲になるであろう者たちが、自分と似た立場であったからこそ気付くことが出来たのかもしれない。


「体制をそのままと言っても、停戦や同盟ではなく降伏ということは帝国の支配下に置かれるのだろう? 『手を取り合い』だの『共に』だの、甘い言葉を囁いているが言わば属州。そうなればこの国の行政を束ねるのは属州総督の座に就いた外部の者になる。そうなれば王族も賢人会議も軍上層部も全てが無意味。実質的にお飾りという状態になるのではないか? もし違うというのなら、今ここで、はっきりと皆の前で否定してみてはどうだ」


 険しい表情で口を噤むイグレッドを見れば、何が答えなのかは一目瞭然だ。


 だけど俺が憂いているのは、この国のお偉方の行く末なんかじゃない。

 大して理由も分からないまま成り行きだけで虐げられ、それに気付いてさえもらえない者たちの在り方についてなんだ。


「俺が育った村は帝国領の地図に名前すら載っていない。なぜなら元々は存在していなかった集落なのだから。では最初の村民たちは一体どこから来たのか。それは領地拡大のために帝国に飲まれた小国の都市から移住を強いられたんだ」


 そして居住するのに環境のよいそれらの土地は自国の権力者たちに分け与えられる。

 謀反を起こす気力を削ぐ為なのか、純帝国民の力を誇示する為なのか、理由など様々にあるのかもしれない。

 ただ確かなのは、どんな形にしろガルシオン帝国の軍門に下れば富や地位を持たない者は過酷な環境に追いやられるということ。

 そして辺境にある村の数だけ故郷を失い、涙を流した人の歴史があるということだ。


 帝国主義もまた思想のひとつ。

 それ自体を頭ごなしにただ批判すれば自分も同じ色に染まるのだろう。

 だけどより力の強い者が上に立ち、その責務を果たして全ての人と等しく向き合うという姿勢がない限り、俺はいつでも皇帝クルテュヌスを全力で否定してみせる。


「その通りだ……やはり私は黒騎士殿を支持するぞ。国の舵取りとなる賢人が、『より良い国を造りたくば民のより一層の安寧を考えよ』という先代の理念を受け継がずにどうするか!」


「そんなことは言われずとも分かっている! 各々が国を思えばこそ、こうして意見が割れているのではないか。闇の女王の手の者だと自供した輩の言うことを鵜呑みに出来るわけがなかろう!」


「結局のところ我々はザラハイムとガルシオン、どちらの傘下に入るかを選ぶしかないのか……」


 重りの取り合いが終息を迎えた今、天秤は並行を保った状態となった。

 これ以上は動かせそうにもないが、イグレッドの総取りに近い形からスタートしたことを思えば上々と言える現状ではないか。


 そして残りひとつの重り。

 この重りが置かれた皿の方に天秤は傾く。

 それを持つ者は周囲の注目を他所に、何かを考え込むように顔を上げながら目を閉じていた。


「さぁ、あとは陛下のご決断次第ですぞ。王国の運命を決めるのはクレフスィル王の慧眼にかかっております」


 以前に聞いた限りでは、ここの政治屋はクレフを自分の都合がいいように利用してたというじゃないか。

 今回は自国の存亡に関わるような稀な問題ゆえに丸投げしてるのか。

 それともひと回り成長した今の国王は信頼に値すると?

 どちらにしろ調子のいい話だ。


 部屋の中の誰もが固唾を呑んで見守る中、クレフは心を決めたように静かに双眸を開く。

 そして周囲が待ちわびていた答えをついに語り出した。


「……とても残念です。ここまでの話を聞いて、私の胸中は裏切られた気持ちでいっぱいだ」


 途端にイグレッドの顔には笑みが浮かぶ。

 勝ち誇り、俺の結末を想像し愉悦に浸る笑みを。

 ところがそれは独り吞み込みだったようで、若き王の表明はまだ続きがあった。


「イグレッド殿、あなたは思っていたよりも剣聖としては矮小であり、軍団長としては少々ぬるいお方だったようだ。隣国が謳う英雄像とはあまりに掛け離れていると感じるほどに」


 義務を重んじるクレフなら、王として自国民の暮らしや生命に不利益を生むと判断すれば誰であれ躊躇なく関係を絶つだろう。

 それが今回は剣聖の方だったというわけか。


 何がその決め手になったのかはこれから聞いてみないことには分からない。

 ただハッキリとしているのは、俺に求めた表情を逆にイグレッド本人が顔に貼り付けているということだ。

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