第44話 そんなお前が好きなのだ
スクレナの魔力による槍で貫かれた贖人は、もはや指一本ですら動かそうとはしなかった。
だが最後の瞬間に、こいつは予想もしていなかった行動に出た。
体ごと覆い被さる聖騎士に危機が迫る間際、贖人は残った左腕を使って跳ね飛ばしたのだ。
この姿になっては自我は失われ、本能のみで生きるだけと教えられた。
ならばさっきの動作の意味は?
偶然の賜物だったのか、あるいは……
「うぉおおおおお!! ティア! ティアァァァー!! あぁぁぁぁぁぁ!!」
しばらく地面に座り込んでいたグラドは力なく立ち上がり、贖人の死骸の元へと歩み寄った途端に泣き崩れる。
化け物に変異してもまだ生きているという、辛うじて繋がれていた細い糸のような希望が途切れたことによって。
俺はもちろんスクレナも、帝国軍人たちも、声を発する者は誰一人いなかった。
周囲に響くのは、ひたすらに妹の名前を呼ぶグラドの叫びだけ。
だがそれもほんの僅かな間のことであり、複数の足音と地面から伝わる振動を感じ取った。
その方向を見やれば、聖騎士の部隊とは別の軍人たちがこちらへ向かってくる。
「聖騎士様、ある情報が舞い込んできたので急ぎ駆けつけてみれば……これはなんという惨状でしょうか」
馬上から降りてグラドへ声をかけたのは、眼鏡をかけて髪をオールバックにした男性。
軍服をカッチリと着こなし、細く釣り上がった目が神経質で冷淡な印象を与える。
そんなイメージの中で浮かべる笑顔には、打算的な部分を覗かせたような気も。
何よりこんなタイミングで大人数を率いて村まで来ること自体、疑念の目を向けるには事足りた。
「シーオドア・ヴァッセル筆頭!」
聖騎士の部下たちが一斉に敬礼をするところから、それなりの地位に身を置いていることが窺える。
その為なのか崩れ落ちていたグラドも立ち上がって、未だに収まらない感情を懸命に繕っていた。
「こ、これはシーオドア殿……このような辺鄙な村にまで足を運ぶ情報とは?」
「この襲撃の件についてですよ。我々の移動が迅速であればもっと被害を抑えられたでしょうに……誠に申し訳ございません」
謝罪するシーオドアなる人物に対してグラドは険しい顔を向ける。
それはこれから判明する犯人への怨嗟なのか、やり切れない思いをこの者へ八つ当たりすることで少しでも吐き出そうとしているのだろうか。
「それで、誰なのだ!? 俺の故郷に、妹にこんな惨たらしい仕打ちをしたのは!」
「心闇教ですよ。あなたも地面に転がる遺体を見て大方察しはついていたのでしょう? この見覚えのあるローブ姿に。妹様をあのように変貌させたのもそうです。どうやら奴らによる恐ろしい呪術の実験にされたようですね」
シーオドアが語る真相を聞かされ、湧き上がる憤怒に合わせるようグラドの顔は見る見るうちに血の気が増していく。
「聖騎士様が討伐に来るという噂を嗅ぎつけて奇襲をかけたのでしょう。原因はわかりませんが、ともかく情報が漏洩したのも諜報部の失態です」
そんなのは誤報だ。
そこら中に横たわる信徒は偽物で、この惨事は帝国軍が仕組んだこと。
そう伝えようとして思い留まった。
あの賊たちに教えられた話によって。
加えて本人の謝辞とは裏腹に、事が起きてからここまで駆けつける時間が早すぎる。
寧ろ優秀なくらいにだ。
そんなことを可能にするには予め襲撃自体を知っていなければならない。
それに改めて観察してみれば、軍服の襟には階級章が付いていた。
これが大男の言っていた上級特務機関のものなのかは判断は出来ないが。
おそらくこいつが主犯……少なくとも関係者であると見て間違いなさそうだ。
だが今のグラドの精神状態で、どこまで思考を巡らせられるだろうか。
「どうして……どこから情報が漏れたのだ。ティアは俺の妹だからこんな目にあったというのか。そもそも罪のない村人をここまで執拗に嬲る必要があったのか……」
自分の任務と帰郷にも原因があると知らされたグラドの顔には、後悔と懺悔の念が浮かぶ。
「ならば聞いてみたらどうですか? 当事者である彼女に」
シーオドアが目を向ける先に皆の注目が集まる。
そこには帝国の諜報員が主張する元凶と同じ出で立ちをした女性、シェーラが佇んでいた。
何が言いたいかはさすがにグラドも理解したようで、強く地面を踏み締めながら彼女に迫っていく。
だがさっきとはてんで立場は逆となり、俺はその道に立ち塞がった。
「どけ! エルトよ! その信徒を拘束して全てのことを吐かせねばならんのだ! 心闇教の奴らが自分たちの目的の為にどんな汚いこともすると分かった以上、根絶やしにしなければ危険なのだからな!」
「違うんだ、グラド。今回の件に心闇教は関わっていない。襲撃したのは信徒でもないし、もちろんけしかけた奴は他にいる」
「ならば言ってみるがいい! 真相の一部でも知っているというのなら、俺の怒りの矛先を変えてみろ!」
「全ては帝国が仕組んだこと。そして信徒と偽るための賊を雇ったのはゲイソンという特務機関の者だ」
ここまでで得ている情報を開示した後、俺はシーオドアの表情をさり気なく注視してみる。
偽名を使っていたとはいえ、あの日に偶然にも自分の素性を知られたことへの焦りを見せるかどうかだ。
だが相手にそんな素振りは一切なかった。
もともとポーカーフェイスなのか、雇用したのがゴロツキの時点である程度のイレギュラーは想定していたのか。
何にせよこの程度では尻尾の先すら掴ませては貰えなかった。
「その通りですよ、全ては私が画策したことです」
どうにか上手く伝わらないかと考え込んでいたところで、シーオドアは思いもよらず
自供する。
突然のことに驚く俺の反応が想像通りで可笑しかったのか、口元を緩めながらもだ。
「いえね、あなたがこちらに疑いの目を向けていたのでつい。それで、私がこう言ったところで聖騎士様が鵜呑みにするとお思いでしたか? 確たる証拠も提示できないというのに」
情報源が賊である上に、そいつらは既にこの世にはいないのだ。
シェーラの焼印の話だって、他人に「真実なのか!?」と強く問い詰められれば首を傾げてしまう。
それに帝国がどうしてこの村を襲う必要があったのか。
その動機すら分からなければ、そもそも俺が心闇教と共謀していないという証明もしてやれない。
とどのつまりはこいつの言う通り、こちらにはグラドに信じてもらえるような要素は何ひとつない。
「ならばあなたが制裁を加えますか? 自分の主張が正しいと仰るのなら、手にしたその長剣で。私はこの場を一歩たりとも動きませんよ。さぁ!」
シーオドアは両腕を大きく広げて挑発してきた。
今の手持ちのカードを並べたところで出来るわけがないと知っているから。
だがどうすべきか俺が考えあぐねていると、顔のすぐ脇には一陣の風が走る。
その原因を把握した時には既に、巨大な戦斧が諜報員の首筋ギリギリのところで止められていた。
それでもシーオドアは宣言通りに身動きひとつ取ることはない。
と言うよりは、体が硬直してしまっているようだが。
おそらくスクレナが放った殺気によって、錯覚ではあるが僅かな時間だけ死を体験したのだろう。
「確かに貴様の言う通り、今の我らの言葉に真実味を帯びさせるのは不可能だ。なればこそ先の発言に甘えさせてもらおうぞ」
その意味を理解したのか、シーオドアの額にはじんわりと汗が滲んできていた。
向けられる本人だけではなく、周囲の者たちにまで「本気」を感じさせるほどであったからだ。
「だがこんな辺境の地では勿体ない。もっと観客の多い大舞台でこそ相応しかろう」
そう言いながらスクレナは戦斧の向きを変えてシーオドアの顔に宛てがう。
「聖騎士による話をエルトから聞いたが、近々この国は戦を始めるようだな。ならば上の者達に進言しておくがいい。体裁を保った敗北をしたくば最高戦力を用意して挑めと」
それを伝えた直後に刃の面で相手の頬をひと撫ですると、背後からは重い足音が近づいてくるのが聞こえた。
「マスター、例の物は回収できまシタ。これ以上ここに留まる理由はないカト」
「ああ、ならば我らは離脱するとしよう。この女を仲間の元へ送らねばならぬし、急ぎ準備を進めるべきこともあるからな」
レクトニオの言う「例の物」は全く分からないが、今後スクレナが何をしようとしているかくらいは理解している。
そしてシェーラをこの場から離すのが優先事項だということもだ。
「余すことなく周りを囲んでいるんだ! どこにも道はない! 大人しくその信徒の身柄をこちらへ寄越せ!」
「果たしてそうでショウか? あなた方の手が届かぬ場所はこんなにも無数に広がっているというノニ」
訝しげに眉をしかめるグラドを後目に見ながら、レクトニオは体の形を変えていく。
初めにこの村へ飛んできた際のあの鳥のような形へと。
「
どよめきが起こる中でスクレナがレクトニオへ跳び乗るのを見て、俺たちもそれに倣う。
「待て! 決して逃がしはしないぞ!」
「笑わせないでくだサイ。寧ろ行く手を完全に遮れなかったことを幸運に思うことデス。そうでなければ我々は強行突破という手段に出ていたでしょうカラ」
先の戦いの結果を思い出したのか、グラドは唇を噛み締めながら口を噤む。
正直このまま何も言わずに去った方が楽であろうと思った。
だけどそれは一時的なものであって、今ここできっちりと心に蔓延るものを解きほぐしておかなければならない。
そうでなければ絡みつく茨、あるいは毒のように、時が経つごとにゆっくりと自分を深く蝕んでいくことだろう。
「グラド、望まずとも俺たちの間には怨恨が出来てしまった。だから次に戦う機会があれば決着をつけよう。きっとその時はすぐにでも訪れるはずだからな」
「貴様と再戦し、今日の思いを断ち切れるというのなら願ってもないこと。それまでに研鑽を積んで待つ事としよう。だが――」
聖騎士は復讐の炎が激しく燃える鋭い目をシェーラへと向ける。
「妹の直接の仇である心闇教については別だ。すぐにでも本拠地を探し出し、必ずや根絶やしにしてくれる」
少し前に見せたスクレナの目と同じだ。
こいつはやると言ったらやるのだろう。
だからこそ、ここは一旦退かせてもらうことにする。
帝国に踊らされながらの無駄な争いを、これ以上は起こさない為にも。
俺がグラドから目を離して前を見据えると、レクトニオが放つ轟音と共に多くの爪痕が残る村を後にした。
◇
シェーラを本拠地へ届けると、ベイジル司祭や信徒たちに事情を話し、すぐにこの地から去るように忠告する。
元から場所を転々としていたし、御神像としていたレクトニオもなくなった。
そのおかげで何の抵抗もなく聞き入れてもらえたのは幸いだ。
それからもし行く宛がない場合に訪ねるべき場所を言い残して、俺たちはマリメアの待つ海原へと進路をとった。
飛行形態の燃費の都合で海岸までは歩いて出なければいけなかったが、今はスクレナと2人でレクトニオの背に乗り空の上である。
だがモンテス山奪還戦からの帰り道のように、互いの間に会話はなかった。
人間が滅多に見ることもない景色に心奪われているというのも否定しないが、最たる理由は他にある。
どうやら俺は機嫌を損ねたり、落ち込んだりすると黙りになる面倒くさい性格のようだ。
そしてこれまでの付き合いのせいなのか、向こうにはその心境を簡単に見透かされてしまう。
「何にそこまでへそを曲げておる……と言っても凡そ見当はついておるがな」
それに対しても返答せずにいると、スクレナは自分の影に腕を突っ込んで徐ろに何かを取り出す。
両手で握られていたのは瓶に詰められたジャムであった。
色からしてイチゴのようだが。
「これはな、あの娘が作ったジャムなのだ」
確かにティアと約束はしていた。
自分の作ったジャムを餞別として受け取ってほしいと。
だがどうしてそれをスクレナが持っているのか。
振り返ってみても入手するタイミングなんてなかったはずなのに。
「実は贖人が家を破壊した時に、我の足元へ転がってきたのだ。それが偶然によるものだったのか、それとも――」
完全に変異する間際にティアが投げて寄こしたのか……
俺たちと交わした約束を守ろうとして。
その話の流れでふと思い出したのは、贖人が最後に見せた行動だ。
あの意図を他の者の目にはどう映ったのか聞いてみたくなった。
グラドを襲おうとして偶然にも腕がぶつかったのか。
心の底に眠る妹の本能が兄を守る為に体を動かしたのか。
はたまた低級の贖人の特徴を覆してティアが今際の際に自我を取り戻したのか。
スクレナは問いに答える代わりにスプーンを取り出し、それを使ってジャムを口に含む。
そして今度はひと匙掬うと、俺の顔の前に差し出した。
「食べてみろ」
この行動と言葉の意図が読めずに、スプーンとスクレナの顔へ交互に目を向ける。
しばらくは疑問を抱きながらも、言われた通りにしてみた。
だが目をつぶって舌の上で味を確認しているうちに、俺は自然と渋い表情になっていたかもしれない。
「なんて言うか……ちょっと苦いかも」
味覚が狂ってるのではないか。
それくらい素っ頓狂な感想だったけど、何だかスクレナは嬉しそうな顔をしていた。
「そうか、我にはとても甘く感じたぞ」
「そう……なのか? 俺はティアが失敗したのかと思ったけど、やっぱりどこかおかしくなってるのかな?」
「いや、その味はお前の心の内によるものだろう。つまりそれこそ、さっきの質問の答えが自分の中で出ている証拠だ」
無意識下の事だったとはいえ、俺はスクレナが言わんとしていることを察した。
もし最後の瞬間まであれがただの贖人であると思っていたならば、命を絶った後にここまで心を痛めてはなかったはず。
つまりはそういうことなのだろう。
「それでよいのだ。お前は誰かを守る為に敵に対して無慈悲になることもあれば、困窮している者を気にかけ手を差し伸べる一面も持っている。自身が絶望の中にあったとしてもな。感情の振り幅が大きく如何にも人間らしいと言えるだろう。この世界で生きるには甘っちょろいし、不器用で不安定と捉えるならそれまでだが、そんなエルトだからこそ我は好きになったのだ」
不意に俺たちの間には暫しの沈黙が流れる。
表情も姿勢も変わらずだったけど、やがて時間が経過するごとにスクレナの白い肌は急激に赤みが増していった。
「ち、ち、違う……絶対に違うぞ! 今のはそういう意味ではない! あれだ……仲間として好きだということだ!」
本人は慌てて否定するが、俺にとってはその言葉だけで十分だ。
いや、寧ろそれこそが最も欲していた言葉だったんだ。
「お前を闇人族にはさせない」
そう言って拒絶された時には、妄想が自分の中で独り歩きしていた。
やはりスクレナにとって、あくまでも俺は単なる従者なのか。
目的の為に利用されているだけにすぎないのかと。
だけど口をついて出た「仲間」という一言に、スクレナの真意を知ろうともせず勝手に拗ねていただけだと気付かされた。
それが恥ずかしくもあり、嬉しくもあり、つい苦笑してしまう。
「そう言いますがマスター」
主人が尚も忙しない様子であれこれと理由を語る中で、レクトニオは唐突に口を挟んでくる。
「あなたの心拍数の増加と体温の上昇を感じマス。これは明らかな動揺というやつデスね。必要とあらば音声認識機能をオフにしておきますので、もっと素直になってもよろしいのデスよ」
「うるさい! デタラメを言うでないわ! そうだ、どうせまだ寝ぼけているのであろう! 我が直々に目を覚まさせてやる!」
スクレナは自分が腰を下ろすレクトニオの背を何度も強く拳で叩いた。
すると何やら不穏な音と声が辺りを包み込み、下方に向けて大きく傾く。
「《システムエラー、システムエラー》当機は間もなく墜落しマス。速やかに脱出してくだサイ」
「ま、待て! 脱出しろと言われてもここは海上だぞ! 分かった、我が悪かった! だからなんとか持ち直してくれ!」
「冗談デスよ。そこまでポンコツではありませんカラ」
揺れが収まり、再び高度を上げると飛行は安定し始めた。
どうやらからかわれていただけみたいだが、こいつにとってはいつも通りと言えよう。
一層顔を赤くしながら今度は両拳で交互に殴っているが、寧ろその反応こそみんなが求めているものだといつ気付くことやら。
フィルモスで依頼を受けた時には、ここまで大きく状況が動くなど思ってもみなかった。
ひとつの別れもあったが、それ以上に多くの出会いもあったことが、何者かにまだ旅は終わらないと啓示されているようだ。
そして次の目的地となる場所――
それは3年と数ヶ月ぶりに足を踏み入れる、俺にとって懐かしきあの地である。
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