第18話 聖魔道士 出陣

「うにゃぁぁあああ!! や、やめろニャーーー!!」


「どうだ? そろそろ俺とお喋りしたくなってきただろう?」


 俺は身動きが取れないトムに対して拷問を続けていた。

 このグラッシ村がケット・シーの襲撃を受けるようになったのは最近のことだ。

 ならば何か理由があるはず。

 それを聞き出そうとしているのだが、強情な黒猫は頑なに教えようとはしない。


「この外道が……トムは……トムは……ハーブを鼻先に擦り付けられようと絶対に話さないニャ!」


「そうか、ならばやり方を変えさせてもらおうか」


「エルトさん、ありました! 街の市場まで買い出しに行った時の残りが!」


 俺は村人の1人が持ってきたある物を受け取った。

 それを目の前にチラつかせると、トムの顔は見る見るうちに青ざめていく。

 本当は分からないけど……雰囲気的にそんな感じだ。


「ま、まさか……正気かニャ! そんなことをすれば、お前は人の心を失うニャ!」


 俺の手の中に収まっているものはライムだ。

 それを短剣で半分にすると、切り口をゆっくりとトムに近づける。


「シトラスだけは! シトラスだけはぁあああ!!」


「これを鼻の上に置いてからちょっと力を入れてみたら……どうなるのかなぁ?」


「分かったニャ! 洗いざらい全部話すニャ! だから汁を垂らすのだけは勘弁してほしいニャ!!」


 その言葉を聞いて先程のため息以上に大きく息を吐いた。

 ようやく観念したか。

 こいつの言うとおり、これ以上やっていたら精神がどうにかなっていたかもしれない。


「それで、どうして村を襲ったりなんかしたんだ? 迷惑なんて生易しいものじゃない。ここの人たちにとっては死活問題なんだぞ」


「それはトムたちだって同じニャ! それに約束を破って先に手を出してきたのは人間たちの方だニャ!」


 トムが告げる言葉に周りの村人たちからざわめきが起こる。

 どういうことかと村長に目を向けると、その本人は首を横に振るだけだった。


「なんのことかさっぱり分かりませぬ。我々はこれまでケット・シーとは全く関係を持っておりませんでしたし、姿を見たのも襲撃をされた時が初めてでした」


 村長に向けた視線と同じものを今度は黒猫に送る。

 するとトムは顔を背けたのかと思いきや、目には遠くのものを映しているようだ。

 それに倣ってみれば、きっとここからでもその高さが窺える山の頂を見ているのだろう。


「あのモンテス山には大昔からアイロスというケット・シーの王国があるんだニャ。だから山を中心にその一帯は帝国からも公式にケット・シーの領土の1つだと認められているのニャ。なのにある日突然、人間がやって来て追い出されてしまったんだニャ」


 長いこと公認されている盟約であるようなのに、恐れ知らずな奴もいたものだ。

 しかも王国があると言っていたし、さっきの大群を見ればケット・シーの数はかなりいるはず。

 にも関わらずそんな大それたことをするなんて、一体どこの誰なんだ?


「聖魔道士ニャ! ルナとかいう女が軍を引き連れて1ヶ月くらい前にやって来たのニャ!」


 トムの口から出た忌まわしい名前に驚きを隠せなかった。

 帝都で俺を蹴りつけ、大勢の市民の前で人としての尊厳を奪った女。

 まさかこんなところで耳にするとは思っていなかった。


「聖魔道士に追い出されてからは山を取り戻そうと機会を窺いながら潜伏していたんだニャ。でも狩り場も採集場所も限られるから食料が足りなくなって、ケット・シーは飢餓に悩まされる一方だニャ」


 ルナが率いているということは帝国軍なのだろうが、そんなのは完全なる侵略ではないか。

 それで食糧難に陥ったケット・シーたちは近くの人里を襲っていたのか。

 でもそれなら他の人間に事情を話すなり、危険かと思うが帝都まで行って異議を申し立てればよかったじゃないか。


「聖魔道士に言われたんだニャ。誰かに喋るのもいけないし、帝都に近づけば反逆と見なして処刑すると」


 そうか、それでずっと口を噤んでいたというわけか。


「そうは言っても常に監視されているわけではないんだろう? だったらそんな脅しは無意味じゃないか」


 俺の指摘にトムは項垂れると、首を横に振ってから空を見上げる。

 その上空には旋回するフクロウが1羽。

 まるでこちらの視線に気付いたかのようなタイミングで飛び去っていった。


「あれは使い魔のうちの1羽だニャ。平原に出るといつも追いかけてくるのニャ。おそらくトムが人間に喋ったと聖魔道士に報告に行ったんだニャ」


 ルナがこの事実を知ることとなる。

 ということは――


「あいつがやって来るニャ……トムたちを探し出して蹂躙するんだニャ……」


 俺の目配せに村長が頷くと、今にも泣きそうになるトムの縄を解いた。

 そして不思議そうに見上げる小さな頭を少し屈んで撫でてやる。

 あ、喉元の方がよかったかな?


「俺も同行するから、早く仲間たちにこの事を知らせに行かないと」


「ニャ? なんでお前まで一緒に行くのニャ?」


 事情を知らなかったとはいえ無理やり口を開かせたのは俺だ。

 今度は同胞たちから縛り上げられないようにそこら辺は口添えをしてあげないと。

 それに帝国の……ルナの行動があまりにも不可解だからでもある。

 ロブスト山脈の侵攻といい、世界を敵に回すつもりなのか。

 こんなに大胆な振る舞いを始めたのはここ数年のこと。

 もしかして聖者たちと何か関係が?

 帝国にとってより強力な戦力だとか、ただの象徴以外の価値が隠されているのだろうか。


 ――答えの出ない憶測を繰り返していても時間の無駄だな。

 今はケット・シーたちの問題をどうにかするのが先決か。


「そういうわけで、いいかな? レイナ」


「断ると思っておったのか? 我の夢を阻む者など万死に値するわ」


 この期に及んでまだ言ってるのか。

 ただあくまでも目的はトムのことについての弁明をしてあげることだ。


 だけどその後の帝国とケット・シーの騒動を他人事にするのは無責任すぎるか。

 大きな争いだけは回避できるように、何か力になれることがあればいいのだけど。


 ……と、その前に。


「トム、村のみんなに言うべきことがあるんじゃないか? ここの人たちには関係のないことだったんだから」


「ごめんなさいニャ。盗んだ食料の埋め合わせは必ずみんなでするから、どうか……だニャ」


 ケット・シー側にも事情があることが分かったし、自分たちが出した損害の償いもすると誓った。

 頭を下げるトムに向ける村人たちの顔を見れば、渋々ながらも今のところは申し出に承諾してくれたみたいだ。

 根っこの部分をどうにかしなければ解決しないし、仕方なくなのだろうが。


 後はきちんとその約束が果たされるかどうか。

 トムたちを解放する身としてはそれに立ち会う義務もありそうだ。




 ◇




 ガルシオン帝国軍の駐屯地の1つ。

 その上空に1羽のフクロウが旋回していた。

 休息をとっていた部屋からその姿を目にした女は、窓を開けると外に向かって腕を伸ばす。

 止まり木のようにしてフクロウがそこへ降り立つと、首を小刻みに動かしながら何度も微かな鳴き声を上げた。


「ふーん……あの野良猫ども、ついに喋っちゃったんだ。時間が限られているし、あれが見つかるまでは生かしておいてやろうと思っていたのに。馬鹿な奴らね」


 女は感情の起伏も特に見せず、淡々と言葉を発した。


「ケット・シーはともかく、村人たちの方はどうしようかな」


 人差し指を口元に当てて考え込むが、まるで取るに足らない問題であるようにすぐに思考を放棄したようだ。


「どうせ消滅してもいいような小さな村みたいだし、理由は後から考えればいいか」


 当たり前のように笑顔で恐ろしいことを口走る女に、フクロウは再び囁くのだった。


「冒険者を雇ってる? しかも魔術士の方はかなりの使い手? へぇー」


 女は腕を下ろしてフクロウを窓枠へと移すと、赤いローブを羽織り、黒いストールを肩にかける。


「どんな奴かは知らないけど、魔術でこの聖魔道士ルナ様に適うわけないじゃない」


 台に掛けていた杖を手に取り、聖魔道士が口元を緩めながら先端で床を一度叩くと、扉はひとりでに開いた。


「さぁ、野良猫狩りといきましょ。ついでにその魔術師に格の違いを見せ付けて心を折ってやるのも面白いかもね。きゃはははは!」


 そして高笑いを上げながら、初めて単身での指揮を任された部隊と共に出陣の準備を始めるのであった。

 ケット・シーたちの住まう場所だけに飽き足らず、その命をも刈り取る為に。

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