亡国の黒騎士と呼ばれた男の旅路は闇の女王と共に

宗岡 シキ

プロローグ 影に住む者

 このアルデリスという世界にある国のひとつ、ガルシオン帝国。

 帝都ほどではないが、帝国の中では比較的栄えていると言えるレマリノは、俺が冒険者として拠点にしてる街だ。


「エルト様、お待たせしました」


 手持ちの金が少なくなってきたから今日は銀行へ下ろしに来ただけなんだが……

 自分の番が回ってきて、必要分の金を受け取った直後だった。

 歓迎すべきではない客が既に紛れているのが分かったのは。


「騒ぐんじゃねぇぞ! 大人しく金庫の金を全部ここに持ってこい!」


 隣のカウンターにいた男が受付の女性に掴みかかると、ローブの中に隠し持っていた短剣を突きつける。

 それを合図に勢いよく扉が開き、建物内に7人の男たちが突入してきた。

 それぞれが布で顔の下半分を覆って、剣で武装をしている。

 なぜよりによってこのタイミングで発生するのか。

 どうやら俺は強盗事件に巻き込まれてしまったようだ。


 散り散りになった4人の男たちは、剣を怯える客へ順番に向けながら銀行の中を闊歩している。

 一方で他の3人は次々に用意される、硬貨が詰まった袋を外へと持ち出していた。

 おそらく馬車でも用意してあるんだろう。


 ぐるっと店内を見回してみれば皆一様に震え上がっている。

 こいつらをふん捕まえてやると目をギラつかせているような奴が誰もいないところを見ると、戦闘とは無縁な生活を送っているみたいだ。

 冒険者である俺以外は。


 だが抵抗する気はさらさらない。

 状況が悪すぎるからだ。

 1人は最初からずっと人質を取っているし、強盗たちの配置が互いに離れすぎている。

 これだけ多くの人の安全を確保しながらの戦いとなると、一度に8人はなかなか難しい。


 そんな思案を浮かべていた途中、金を運んでいた男がこちらに目を向ける。

 ニヤついた顔でゆっくりと近づいてくると、カウンターの上にあった下ろしたての預金をふんだくった。


「おっと、ここの金は全部いただいていくからな。はした金でも見逃しはしねぇぞ」


 貴重な生活費があっという間に奪われた。

 けど、それも仕方がないことだ。

 これがこの世の理だから。

 立場の強い者が弱い者に有無を言わさないのはこの世の常だから。

 昔の俺ならば、そう諦めて悔しいとも思わなかった。


「やめろ……」


 だけど今ここに、この男の行動を許さない者がいることを知っていた。


「やめろ……大人しくしていてくれ」


 そいつは絶対的な強者だったからだ。

 さっきの考えが真理と言うのなら、男の行動は理にかなっていない。

 間違いを犯したということになる。

 だけどこの場でそれを示すのはまずい。

 人目が多すぎるんだ。


「あぁ? やめろって、もしかして俺に言ったのか?」


 俺の呟きが耳に入ったのだろう。

 強盗は振り返って詰め寄ってきた。

 胸ぐらを掴んで凄む男は、その拍子に俺が首から下げているプレートに気付く。

 冒険者であること、そしてその中での等級を示す為のものだ。


「なんだ、お前冒険者だったのか。と言っても青銅かよ」


 青銅とはギルドに登録さえすれば誰でも貰える等級である。

 つまり駆け出しの最低ランクということを表している。


「へっ! 報酬が出ないから手を出さなかったというよりは、縮こまって動けなかったってところか? この腰抜け野郎が」


 侮辱的な言葉や顔、それに軽く頬を叩く男の行動によって激情に駆られるが、これは自分のものではなかった。

 だからこそ必死に煮えたぎる感情を制しようとする。


「ダメだ!――」


 しかし時は既に遅かった。

 俺の拳が目の前の男の顔面にめり込むと、背後で受付嬢に刃を向けていたもう1人を巻き込みながら派手に吹き飛ぶ。


 辺りに響き渡る大きな音の後には、打って変わって静寂が訪れた。

 その場に居合わせた全員の注目を集めたが、状況を把握するには少しばかりの間が必要だったようだ。


 そんなことはお構いなしと言わんばかりに俺の体は別の強盗に飛びかかり、押し倒すと顔を踏みつけて意識を奪った。

 声が届かないくらいに彼女が怒り心頭なのが自分にも伝わってくる。

 こうなっては止める手立てはない。

 だから俺はもう諦めた。

 ここまでの一連の流れは自分の意思ではないのだから。


 残った5人の男たちは各々が自分なりに適切な行動を取ろうとしていた。

 こちらに向かってくる者や、客の中から新たな人質を取ろうとする者。


 俺は……正確には俺ではないが、右腕を前に突き出す。

 常に包帯で隠している、闇夜のように真っ黒な腕だ。

 すると黒く禍々しい影のようなものが伸びていき、それぞれの剣にまとわりついた。

 そのまま腕を引いて剣を引き剥がしてから、ロビーの中の人々の間を縫って高速で移動する。

 反応する隙も与えずに、1人、2人……そして3人を一撃で沈めていった。


 ようやく硬直状態から抜け出せた残りの2人が、悲鳴をあげてから外に飛び出していくのを見て後を追う。


 全速力で逃げる犯人たち。

 だけどわざわざ走るようなことはしなくてもいい。

 俺は右腕を天高く掲げると、勢いよく振り下ろす。

 すると今度は巨大な黒い手が出現して、見る見る伸びていくと逃亡を図っていた2人の男を押し潰した。


 完全に気を失っているみたいだし、これで全員か。

 一時はどうなることかと思ったけど皆に怪我がなかったのは何よりだな。


「もう気は晴れたか?」


 俺は半ば呆れ気味に彼女に問うてみると、頭に上っていた血が引いてくれたのか、今回は返事が返ってきた。


『あぁ、下賎な者への仕置きも出来たし、適度な運動にもなったしで、それなりにはいい気分だ』


 適度……ね。

 そっちにとっては適度でも、普通の人間の体には過度な負荷が掛かるんだ。

 明日の朝は確実に筋肉痛に悩まされるな。

 考えるのが怖い。


 それにしてもこの騒ぎでかなり目立ってしまったな。

 銀行に来ていた人たちはもちろん、表の通りを歩いていた人や、集まってきた野次馬たちの目も刺さる。

 いろいろと面倒なことになる前にここを離れた方がよさそうだ。


「てめぇ! よくも邪魔をしてくれたな! 念入りに立てた計画だったのによ!」


 怒号が飛んできた方へ顔を向けると、2人の強盗が肩を震わせて佇んでいた。

 みんな似たりよったりの服装で判別は難しいが、おそらく先程まではいなかった奴らだ。

 存在を把握できていなかったのは外で見張りをする役だったからかもしれない。

 ここまで計画が破綻してるんだから、誰にも気づかれないうちに逃げておけばよかったものを。

 そもそもこんな幼稚な計画を「念入りに立てた」と言っている時点で最初から成功は難しかったろうけど。


「馬鹿にしてんじゃねぇぞ! もう許さねぇ……この場で確実に殺してやる!」


 そう言って片側の男が手に持って掲げたのは橙色の石だった。

 一瞬目を疑ったが間違いない。

 本来は希少なものであるのにも関わらず、近年は世界中に出回り問題視されている魔道具、召喚石だ。

 理由のひとつとして、その強さに比例して変わってはくるが、使用者の実力が見合わない場合は内外から何かしらの代価を支払わなければいけないことにある。

 そして最たる理由、それは召喚石の中には稀に人々から『神』と謳われるほど強大な存在が宿っているものがあるということだ。

 大国なんかは戦時下において、これを兵器として用いることもある。

 もちろん先にも言った通り相応の対価を払ってだが。


 そうこう考えている一瞬のうちに目の前の男が持つ石が発光する。

 その為に平然と犠牲にしたものは、仲間の命だった。

 思いもよらないことに怨嗟と苦悶の表情を浮かべて絶命した直後。

 地面には召喚石と同色の魔法陣が浮かび上がり、そこから這い出してきたのは背中に炎を纏った巨大な赤いトカゲだ。


「サラマンドラか……」


 ゴロツキが入手できるというだけあって、召喚獣としては見劣りしてしまう。

 だがそれはあくまでも基準が異なる。

 街の人たちに降りかかるであろう被害を思えば十分に驚異的だ。

 相当腕に覚えがない限りは逃げることをお勧めするくらいには。


「よし! サラマンドラ。あの腹の立つ男を嬲り殺した後で派手に暴れ回れ!」


 その混乱に乗じて逃亡を図るつもりなのか。

 主となった男の指示通りにこちらに顔を向ける火蜥蜴のせいで、ため息が出そうになるほど陰鬱な気分となる。

 しかし俺の感情とは裏腹に彼女は気分が高揚しているようだった。

 まるでそれなりに活きのいい遊び相手でも見つけたかのように。


「どうだ? 久々に思いっきり戦ってみたくないか?」


『ふん! バカを言うな。この程度の精霊では戦いにもなりはしない』


 鼻で笑われてしまったが、やる気はあるようなのはありがたい。

 ならば是非ともお相手願いたいところだ。


『で、では……思いっきり魔術を使ってもよいか? かなりお前の魔力も消耗するかもしれぬが』


 問題ない。

 サラマンドラの相手となるとかなり骨が折れる。

 魔力の消費による疲労感の方が遥かにマシなくらいだ。

 それにさっさと片付けて一刻も早くこの場を離れなければいけないのだから。


 ちょうど日も傾いているし、もうすぐこの世界にも闇が広がる頃だ。

 条件としては申し分ないだろう。


『そういうことなら任せておけ。微塵も遠慮などせぬぞ』


 表情は伺えないがどうやら喜んでいるようだ。

 その言葉が合図であるように俺の影は前へ前へと広がっていく。

 サラマンドラの足元を覆うとさらに後方へ伸びていき、背後の建物の外壁には大きな影が映し出された。

 ただし俺の影ではなく、巨大な女性の姿で。

 頭にあたる部分に二点の赤い光が灯ると、耳に入るだけでその者を絶望の底に沈めてしまいそうな声で言葉が発せられた。


『我は闇の国の女王なるぞ』


 そして平面であるはずの影からは上半身がせり出し、サラマンドラの頭を片腕で掴むと強引にねじ伏せる。


『トカゲ風情が見下ろすな。頭が高いわ』


 逃れようと抵抗をするサラマンドラだったが、地面から突き出てきた多数の黒い槍が全身を貫き、動きを封じられた。

 最後に一際長い影が形作った物、それは馬鹿でかく、見るからに鋭利な斧だった。

 それをサラマンドラの首元の真上に移動させると、慈悲など全く感じられない冷たい声で告げる。


『貴様の不敬な振る舞いが許される代償……それは死のみだ』


 ――【漆黒の断頭台ギローティネ・デ・ニゲラ


 死刑宣告とも言える言葉と同時に斧が振り下ろされると、拘束されていたサラマンドラは頭と体の別離という非業を遂げる。

 その後は光の粒となり、巨体はこの世界から完全に消え去った。


「そ、そ、そんな……サラマンドラが……一撃で!?」


 地面にへたり込んで驚愕の表情を浮かべていたのは召喚石を使用した男だった。

 俺が殺されるのを見る為に居残っていたのが仇になったな。

 きっと先程の影を目にして腰を抜かしたのだろう。


「何なんだ……何なんだよ!? お前は!」


 高値の取引をして、仲間の命を犠牲にしてまで呼び出した精霊が僅か数分で役目を終えたんだ。

 取り乱すのも無理はない。


 それと、さっき言ったことには語弊があるぞ。

 正確には「お前」ではない、「お前たち」だ。


 この闇の女王と称する女性と出会い、運命を共にすることなったのは3年前のこと。

 俺が最も大切だったものを奪われ、何もかもを捨て去ろうとしていた時だった。


 自分の命でさえも――

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