宇宙人な彼女と僕

あわい しき

僕には空が濁って見えた。

 彼女は僕と同じクラスの生徒だ。

 僕の感覚で言えば、彼女は平均的な容姿を持っている。性格は底抜きに明るく、内向的な僕とは対照的に外交的だ。初めて会った人間にも気さくに話しかけてくれる。

 しかも、それなりに頭もよかった。

 変態だと思われるかもしれないが、僕はそんな彼女の笑顔を陰ながら、見るのが好きだった。

 もう高校1年も、終わりを迎えようとしているにもかかわらず、まともに人と会話をすることができず、教室の隅で、陰のように誰にも気づかれないように、過ごす僕にとっては、

 それは唯一の救いだった。


 その日は、勝手に任命された委員会活動で、いつもより帰るのが遅れてしまった。

 あの空は朱に染まり、教室も同様に朱に染まっていた。

 誰もいない教室で、身支度をしていた。

 確かにそこには誰もいないはずだった。


「そこの君、音楽は好きかな」


 誰もいないはずの教室に、声がした。

 僕は口調は違えども、その声に聞き覚えがあった。

 そう、僕は彼女の声を誰よりもよく知っていて、覚えている。あの澄んだアルトの声を。

 でも、目の前で足を組み、横柄おうへいな態度でこちらを見ている彼女は、到底彼女とは思えなかった。

 僕の記憶とは違う、表情をした彼女は僕ににっこりと微笑みかけてくれる。

 彼女の笑顔を間近で見たにも関わらず、僕の心は沈んだまま、浮かび上がることはなかった。


 彼女?は自らを宇宙人だと名乗った。

 今は彼女の体を一時的に借りているという話で、僕の違和感の通り、この彼女?は本当に彼女じゃないらしい。

 ついでのように精神交換?やら盲目のもの?など、電波人間のようなことを滾々こんこんと語っていた。正直彼女と同じ容姿と声で、そんなわけのわからないこと語らないでほしい。

 流石に頭がどうにかなりそうだったので止めてもらったが、その時の宇宙人はどこかつまらなそうな顔をしていた。

 彼女の初めて見る表情に、ドキドキしてしまったのは不覚としか言いようがない。

 なので、心の奥にその感情はそっとしまい込んでおくことにした。

 彼女の体を借りるに至った理由を聞くと、音楽のことが知りたくて地球に来たらしい。

 もっと、地球を征服しに来たとかだったら、緊迫感も生まれたと思うのだが、なんとも拍子抜けな動機に、改めて宇宙人なのか疑わしくなった。

 しかし、よく考えて、彼女と関わる機会を得たのだと、気づきこの宇宙人に協力してもいい気持ちになった。


 ピアノリサイタルのチケットをなんともあっさり、手に入れることができた僕は、そこから数日後、宇宙人と一緒にリサイタルを聴くことを約束した。

 その間宇宙人は学校をどうしたかというと、適当な理由を付けて休んだようで、学校には来なかった。正直、皆の前に出ないでほしかったので、すごくほっとした。


「素晴らしい」


 宇宙人は興奮した様子でそう叫ぶように言うと、飛び跳ねるようにコンサートホール入り口付近をうろうろしだす。

 そんな、場にそぐわない存在に、周りが白い目で見ている。本当にやめてほしい。

「まだ、音楽聞いてないだろ」

「そうだな。じゃあ中に入ろう」

 一瞬で冷静になったかと思うと、宇宙人の腕が僕の腕の間に滑り込み、ぐいぐいと入り口へと僕を引っ張って行く。何か柔らかい感触が気になるが、意識しないように僕はできる限り頑張った。偉いぞ、僕。


「この列は何なんだ?」

「ああ、これからリサイタルを聞く人の列だよ。会場まで待っているんだ」

 コンサートホールに入ると、すでに長蛇の列が出来上がっていた。宇宙人はその列を始めから最後まで不思議そうに眺めていた。

「そうなのか。変な種族なのだな」

「は?」

「そうだ、開場はいつなのだ」

「もう少しだよ」

 うきうきとしているのが、宇宙人の表情から読み取れる。

 目を輝かせ、口角はまるでどこかの悪役のように上がり切り、ぶつぶつと独り言を言っているが、そこには触れないことにした。

 正直、怖すぎて引いたので、彼女を見るのもやめることにした。

「む、あれは何なのだ?」

 宇宙人が後ろを振り返ったまま、僕の服の袖をつかんで何度も引っ張る。

 振り返るとパーテーションに囲われた黒い一台のピアノが、そこにあった。

 あらかじめ、ピアノリサイタルに行くことは、伝えていたはずなのだが、事前調査していないのか本当に知らないようだった。

「ああ、あれがピアノだよ」

「あれがか!あのようなものなのだな。だが、どうやってあんな箱から音を出すのだ?」

「箱って」

 その言い回しに、僕は思わず苦笑する。

「ほらあの椅子あるだろう」

「ふむ」

「その上、突き出ているところに、カバーがされてるんだ。カバーを上げるとそこに鍵盤っていう白と黒の小さな部品が並んでるんだ。それを押すと、鍵盤に連動しているハンマーっていうのが動いて、あの箱の蓋の空いているところ、いっぱい線が並んでるだろ?あの線にハンマーがぶつかって線まぁ弦っていうんだけど、にぶつかって弦が振動するんだ」「で、弦は駒っていう突起に繋がってて、その駒を介して弦と駒の下にある大きな響板って言われる板に振動が伝わって空気を振動させて音が鳴るんだ」

「そうなのか。」

 ふむふむと聞きながら、宇宙人はどこから取り出したのかメモ帳とペンで何かを書き綴っている。

 宇宙人という割に、原始的なその様子にやっぱり、宇宙人という話は狂言なのかもしれないと、思わずにはいられなかった。

「ピアノについて調べてこなかったのか?」

「実際に見てみたくてな、事前情報は得ないようにした。ふふ、そのために家から一歩も出なかったのだぞ!」

 宇宙人は嬉しそうに話していた様子から一転して、うーんと唸りながら、考え込み始めた。

「なんだよ」

「いや、あれに似たものを見たんだ」

「ピアノに?」

「そうそう」

「どこで」

「それは」

 宇宙人が答える前に、開場を告げる声がホールに響いた。有無を言わさずに列が、動き僕らもそれに飲み込まれるように前に進んでいくしかなった。


「べーとーヴぇん、ぴあのそなた?」

「そ。ベートヴェンの3大ピアノソナタって言われる曲だよ」

「8番、14番、23番にえーと楽章?なんだどういうことなんだ?」

 受付でもらったパンフレットを見ながら、宇宙人は次々に質問を繰り返していく。傍らにはあのメモ帳と、ペンも一緒だ。

 尽きない興味に、苦笑しそうになりながらも、僕は彼女に説明していった。

 気付けば開演のアナウンスが響き、ホールの照明が消され壇上だけスポットライトが当てられた。

 ピアニストが、登壇し拍手が鳴り響く。宇宙人は周りにならいながら、同じように拍手をしていた。

 静寂が、小ホールに降りる。彼女もさすがに、興奮して叫びだすことはなく。ほっとした。

 そしてほっとしたのもつかの間、僕の心を揺さぶる音が、僕の耳にも届いた。

 それは僕の胸を強く鷲掴み、揺さぶるような心が苦しくなる音だった。


「なんというか、そうだな。悲しくもあり激しい。情緒揺さぶられるものだった!

 例えるならそうだな、悲しみに暮れていたが、猛烈に怒りがわいてきて、激しい衝動がこの身を焦がすような感じだろうか」

 何とも言えない表現をする宇宙人に、苦笑いしつつ、目を輝かせ興奮がちに鼻息を荒くする宇宙人にどこかうらやましい気持ちになる。

「君は音楽は好きなのか?」

「まぁ好きかな」


「弾けるのだろう?」


 さっきと打って変わって、表情の読めない、まっすぐな瞳で宇宙人はこちらを見ていった。

 油断していただけに、衝撃が強く、息が苦しくなり、思わずよろけそうになった。

 ホールは人々の興奮冷めやらぬ、声でうるさいはずなのに、突然僕の中からそんな音が消えた。

「聞いている最中、君の目は輝いていた。手も動いていたぞ?弾きたいのではないのか?ほら、あそこにピアノがある弾いてみたらどうだ?」

 何のことはないといわんばかりの表情で宇宙人が言った。それよりも、無意識に自分がそんなことをしていたことに気づかされ、どうしていいかわからない。

「か、ってに弾いていいわけないだろ」

 思わず言葉に詰まりながら、口をついて出た言葉は、言い訳のようだった。

 周りにはまだ人がたくさん残っている。そう認識した瞬間に、のどが強烈に乾き、手が震えてくるような気がした。

 ホールの明かりが、あり得ないのに、自分を照らしているような感覚に陥る。

「やってもいないのになぜだめだと分かるのだ?」

 本当に困ったような、不思議そうな表情と口調で宇宙人は言った。

 その言葉が、胸に突き刺さる。

「こんなに人がいるのに、いきなり弾けるやつなんているわけないだろ?」

 もう言い訳にしかなっていないのを、僕のどこかで自覚していた。

 宇宙人は

「ふむ」

 と考え込むような表情をすると、まるでそれが当たり前かのように自然な流れで、パーテーションを越え、ピアノの前に座った。

 堂々としすぎたのか何なのか、なぜか、自分以外の周りの人間はそれに気づいていないようだった。

 宇宙人が、蓋を開けて指を下した。

 弾けるわけがない、そう思っていたのに。

 周りの視線を一瞬で引き付ける、さっき聴いたばかりのヘ短調がホールに響いた。


 結果から言うと、最後まで弾くことはかなわなかった。それは、宇宙人が付け焼刃で弾き間違えたからではなく、単純に警備の人間に連行されてしまったからだった。

 そして、僕は、会場の外でそんな馬鹿な宇宙人を待っていた。

 曲は本当に一音も間違いがなかった。あのリサイタル演奏者との違いといえば、その弾き方だけだ。

 でも、それも決して悪いものではなく。あれは宇宙人にとっての曲だったということがわかる。

 不思議でしょうがなかった。なぜ、ピアノもベートヴェンも知らない宇宙人が、あの曲を弾けたのか。

「なんだ、待っていたのか」

 驚いたような声が聞こえ、振り返ると宇宙人がいた。飄々ひょうひょうとした様子に、なんとも言えない気持ちになる。

「怒られたんじゃないのか?」

「色々文句は言われたがね」

 へらへらと笑いながら、りていない様子の宇宙人は返す。宇宙人は「では、帰るとしようか」というと、

 日が暮れて、街頭の青白い光に照らされた、歩道を歩き始めた。

 そのあとを僕は少し離れて歩く。

 しばらくはお互いに無言だった。色々聞きたいことがあったのに、言葉にできない自分がもどかしかった。

「そういえば」

 足を止めて、宇宙人が言った。

 そして、こちらを振り返ると

「できないという君の予測の一つは外れてしまったな」

 とはにかみながら、続ける。その表情はに胸がきゅっと閉まるような感じがした。

「それはお前だからできたことで、誰にでもできることじゃないだろ」

「そうだな」

 あっさりと宇宙人は認めた。あまりにもあっけらかんとしたその様子に、

 本当に口が開いてふさがらない。

「でも、一つ分かったことがあるだろう」

「分かったこと?」

「できるかできないか、限界は他人に規定されるものではなく、自分で決めることだと」

 ふ、と寂しいような、泣きそうなそんな何とも言えないような表情で、宇宙人は言った。

 その言葉が、少し遅れて僕の頭に染み込み、また僕の心に今度は深く突き刺さる。

「人込みは大丈夫でも、人の目があると思った瞬間に、緊張してしまうんだろう?」

 なんでそんなこと言っていないのにわかるのか。

「音楽は好きかな?」

 最初に会った時のように、不遜な宇宙人はそう僕に聞いた。


 音楽は好きだ。聞くのも弾くのも。

 ピアノを弾くと、自分の心が、音になったような気がして、楽しかった。

 母もすごく喜んでくれた。

 周りも、褒めてくれて、コンクールもいい賞をいくつももらった。

 でも、気づけば、そこに楽しさはなく。人から見られることの恐怖だけが存在していた。

 うまく弾けなくなれば、飽きられるのではないか。褒められなくのではなるのか、

 コンクールで入賞できなくなるのではないか。

 毎日毎日焦った。

 母は嬉しそうに聴いてくれた。

 でもそんな母の様子もただの恐怖でしかなくなった。

 いつから、音楽を楽しむことを忘れてしまったのか。

 気付けば、人に注目されることが恐怖でしかなくなり、人と話すことがあまりできなくなった。

 特に、ピアノに座り、大勢に注目されているという、認識を持った瞬間目の前が暗くなり、

 息が詰まるようになってしまった。

 そうして、ピアノは弾けなくなった。


「君は、人のためだけに生きているのかい?」

 そういうわけではない。宇宙人の言いたいことは分かった。

 でも、

「人は変われない」

 結局そうなんだ、と僕は心から思っている。

 なのに、

「さっきも言ったじゃないか」

 宇宙人はそう言った。

 数分前の出来事を思い出す。でもどうしても認めることができなかった。

「そうだな。きみのその意見で認めるとするとすれば、人はすぐには変われない。

 でも変わろうと意識することはできるかな」

 簡単に言ってのける、宇宙人に僕は怒りを覚えずにいられなかった。叫びだしたかった。

「私はいつか君の音楽を聴いてみたい」

 宇宙人は彼女と同じように笑っていった。

 はっとしたときには、今にも噴出しそうな煮えたぎる思いは、すーっと引いていた。

「それよりも」と、宇宙人は話を唐突に切ると、リサイタルの話をしだした。

 そこからは帰路が完全に別になるまでは、興奮した様子の宇宙人の話を聞く羽目になった。


 次の日学校に行くと、数日間の出来事が嘘のように、その教室には大好きな彼女のいつも笑顔があった。

 話すことはない。そもそもあれは何かの間違いだったのだから。


「音楽は好き?」


 委員会でまた遅くなった放課後、どこかで聞いたことがあるようなセリフが、僕の耳に届く。

 彼女が目の前に座っていた。これもどこかで見たような光景だ。

 違ったのは、彼女は宇宙人と名乗らなかったことと、その表情は間違えるはずがない彼女のものだったことだ。

「え、と」

「いきなりごめんね。本当はずっと前からいっぱい話がしたかったんだけど。いきなり話しかけたら変かなって」

「いやそんなことはないと思う」

 もっと変な奴はいたからと口をついて出てしまいそうになるが、何とかこらえた。

「私ね。ピアノを習ってるの」

「そうなんだ」

 それは知らなかった。

 彼女は一度目を閉じ一呼吸すると、僕と顔を合わせないまま視線を下に向け語りだす。

「好きでもないのに、女の子だからって、お母さんがピアノを無理やり習わせてね」


「毎日毎日嫌だったけど。ある時出たコンクールですごい子にあったの」


「綺麗なピアノですごく楽しそうに弾いてた」


「でも中学生になる前ぐらいにね。その子発表会にもコンクールに出なくなっちゃって。その子のおかげで、ピアノを弾くの楽しくなったのになって」


「それで、今度私コンクール出るから、来てくれないかなって」


 彼女はそう言って、コンクールのお知らせの紙を僕に渡して、去っていった。

『人は変われない』

 そんな自分が言った言葉が、なぜか、彼女と話せた嬉しさよりも、思い浮かんで頭から離れない。


『私はいつか君の音楽を聴いてみたい』


 苦しくてしょうがなかったのに、気づけば、音楽室でピアノの前に立っていた。卒業式が近く、体育館で練習しているからか、部活もやっていなかった。

 そこには誰もいない。

 椅子に座ってカバーを開いて、白くて冷たい鍵盤に、指を這わせる。歌うように、あの日宇宙人が弾いたように、あの曲を弾いてみる。

 すべてを断ち切るような、激しい音から始まるそれは、今の僕にぴったりのような気がした。

 僕の感情がそこにはあった。

 人がいないからなのか、不思議と息は苦しくなく、目の前は清々しいもので、手は震えなかった。


 コンクール衣装のドレスを身にまとった彼女が登壇する。

 彼女の指から奏でられる音は、あの彼女のものとは違った。

 夢だったのかもしれないと思う。

 人と話すのはまだ苦手だ。人前でピアノを弾くなんて猶更なおさらだろう。

 でも、音を出すことの楽しさは、思い出せたような気がする。

「いつか、あの宇宙人にも聞かせられたらな」

「ふむ、楽しみにしているぞ」

「は?」

 どこかで聞いた口調、だが、声が違う。振り返ると、知らない男が立っていた。

「え、と誰ですか?」

「すまない。忘れたことがあってな」

「何言って」

 自分勝手に話を進めるこの感覚に、覚えがある。声が違っても忘れない。

「宇宙人!」

「はは、数日ぶりだな。ではもうお別れだ!」

「どういう、」

 言い終わる前に、奇妙な形をした箱を取り出して、男は箱を操作した。


 朝が来た。

 カーテンを開けるとそこには、澄んだ青い空があり、いつもより眩しいような気もした。

 一階へ降りると、リビングに、一台のグランドピアノがある。

 自然と鍵盤の前に腰を下ろし、指で音を鳴らす。

 そこには、心地よい気持ちだけがあり、いままであった不安はなぜかそこにはなかった。


「僕はやっぱりピアノを弾くのが好きだ」


 今なら素直にそう伝えられる気がした。

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