第十六話・2
奈緒ちゃんがここに来るのは、あきらかに楓が目当てだ。
私が言うのもナンだけど、一体どこが気に入ったんだろうか。
「ねぇ、楓君」
「なんですか? 奈緒さん」
「あたしがこんなことを言うのは、お門違いかもしれないけど……。少し力み過ぎだよ。もう少しだけ、肩の力を抜いてもいいんじゃないかな」
奈緒ちゃんは、楓の肩に体をすり寄せてそう言った。
「そう…ですか? 僕的には、あまり意識してなかったんだけど……」
楓は、困惑の表情を浮かべる。
たしかにベースを弾いている最中の楓は、少し力み過ぎだったかもしれないけど……。
それを指摘できるのも、奈緒ちゃんだけだろうな。
どうして奈緒ちゃんが楓の家にいるのかというと。
私が楓の部屋にやってきた後、どういうわけか奈緒ちゃんが楓の家にやってきて、それ以降、楓にべったりなわけである。
それはもう、見ているこっちがジェラシーを感じてしまうくらいに。
「どうしたの、香奈? なんだか不満そうだけど……?」
奈緒ちゃんは、わざとなのかどうなのかわからないけど、思案げな表情でそう言ってきた。
私は、表面上は笑顔で返す。
「なんでもないわよ。ただちょっと、くっつきすぎなんじゃないかなって思っただけだよ」
「そうかな? 普通だと思うんだけど……」
それでも奈緒ちゃんは、キョトンとしている。
まったく自覚はないっていう感じだ。
楓もまんざらでもないのかデレデレしちゃってるし。
少しは、私の気持ちも考えてよね!
はっきりとそう言ってやりたいが、それはできない。
そんな感情的になったら、あからさまに楓を贔屓しかねないからだ。
そんなのでは、楓も困るだろうし。
「普通じゃないよ。充分くっつきすぎだよ! すぐに離れなさい!」
私は、ビシィッと指を突きつける。
私だって、我慢してるのに……。
「わかったよ。しょうがないなぁ……」
奈緒ちゃんは、いかにも残念そうな表情を浮かべ、楓から離れた。
これでやっとまともに練習できる。
そう思った矢先、再び家の呼び鈴が鳴った。
「ん? 今度は、誰だろう?」
楓はすぐに立ち上がり、そのまま部屋を後にする。
私は、楓を追いかけるようにして部屋から出た。
「待って。私も行く」
「香奈姉ちゃんは、部屋で待ってて。すぐに戻ってくるから」
しかし、すぐに楓に制止され、そう言われてしまう。
もしかしたらと思っての行動だったんだけど、楓にはすでにわかっていたのかな。
「わかった。それじゃ、部屋で待ってるね」
私の言葉を聞いて安心したのか、楓は一階にある玄関に向かっていく。
私の家ならともかく、楓の家にお客さんが来たのだから、ここは楓に任せて大丈夫か。
私は、楓の部屋に戻っていく。
再び楓の部屋に戻ると、私が何か言う前に奈緒ちゃんが口を開いた。
「もしかして美沙かな?」
「どうだろう。美沙ちゃんが来るとしたら、まず私にメールとか電話をしてくると思うんだけど……」
私は、履いてるスカートのポケットからスマホを取り出す。
内容を確認しても、メールや電話の着信が入っては……いた。
入っていたのは、一件のメールだ。
内容は──
『今から、楓君の家に行くね。香奈ちゃんには悪いけど、楓君の初めてをいただきます♪』
と、こんな感じだった。
楓の『初めて』って、一体なんなんだろうか。
私は、その場で硬直してしまう。
「………」
「どうだった?」
呆然と立ち尽くしてる私に、奈緒ちゃんが訊いてくる。
「あ、うん。美沙ちゃんからメールが入ってたよ」
「そっか。やっぱりね」
奈緒ちゃんは、フッと笑う。
奈緒ちゃんの言う『やっぱり』っていうのは、少し気になる。まさか──
「もしかして、奈緒ちゃんにもメールがあったの?」
「ううん。あたしのところには、きてないよ」
「それなら、どうして?」
「なんとなくだよ。美沙なら、やりかねないかなってね」
奈緒ちゃんは、そう言ってギターを弾き始める。
抜け駆けなら、奈緒ちゃんもやったくせに、何を言ってんだろう。
そんなことを思いながら、奈緒ちゃんのギターの演奏を聴いていた。
しばらくしないうちに、楓が部屋に戻ってくる。
案の定というか、美沙ちゃんを連れてだが──。
「やっぱり、香奈ちゃんたちも来てたんだね」
美沙ちゃんは、私たちを見て悪戯っぽい笑みを浮かべ、そう言った。
やっぱりって……。
あんな挑発的なメールを見たら、誰だって大急ぎで行きそうなものだけど。
奈緒ちゃんは、微笑を浮かべて美沙ちゃんに返す。
「あたしは香奈の後に来たから、なんともいえないかな。もしかしたら、あたしが来る前にエッチなことの一つくらいはしたんじゃないかな」
「えぇ~。そうなの?」
美沙ちゃんは、驚いた様子で傍にいた楓に視線を向ける。
そんな抜け駆けみたいなこと、楓はしてないし。
楓は、慌てふためいた様子で言った。
「僕は、そんなこと絶対にしないよ。変なことを言わないでよ!」
言いたいことは、私の代わりに楓が言ってくれたので、私から言えることは何もないと思う。
私は、黙って美沙ちゃんの反応を伺う。
美沙ちゃんは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「へぇ~。絶対にしないんだ。それがたとえ二人っきりでも?」
そう言って楓にくっついているあたり、美沙ちゃんも積極的に楓にアプローチを仕掛けてるな。
「ちょっ……。美沙先輩」
楓は、どうしたらいいか悩んでいる様子だった。
同じバンドメンバーだから、邪険にすることもできないだろうし。
──仕方ない。
ここは私が何とかしよう。
そう思い、私はすぐに行動に出る。しかし──
近くにいた奈緒ちゃんが、私の腕を掴んで制止した。
私は、奈緒ちゃんの行動に困惑してしまう。
「え……。奈緒ちゃん?」
「香奈。気持ちはわかるけど、もう少しだけ様子を見よう」
「でも……」
「大丈夫だって。楓君は、香奈一筋だからさ。美沙がそんな行動をしたって、楓君は絶対にブレないよ」
「そうかなぁ……」
私は、楓に視線を向ける。
普通は、そんなに積極的なアプローチをされてしまったら、まんざらでもないっていう感じになってしまうだろう。
ただでさえ、美沙ちゃんは普通に可愛い部類に入るのだから。
楓のことを信じてないってわけじゃない。
私は、楓のことが心配なのだ。
「香奈が信じてあげなくてどうするの? 楓君だって、香奈のことを信じているのに……。それに、もうお互いにエッチなことをしちゃった仲なんでしょ?」
「それは……」
私は、顔に火がついたかのように赤くなる。
たしかに楓とは、一緒にお風呂に入ったり、エッチなことをしたりと、色々やった。
それはもう、私には楓しかいないって言うくらいに。
「香奈のその顔を見たら、楓君に手を出そうだなんて思えなくなっちゃうくらいなんだから。美沙だって、そのくらいはわかってると思うよ」
「うん……。それだと安心なんだけど……」
私は、不安に思いながらも美沙ちゃんを見る。
美沙ちゃんは、何を思ったのか楓のことをギュッと抱きしめた。
「大丈夫だよ。楓君のことは、私たちみんながしっかりと支えてあげるから。楓君は、何も心配しないでやることをやりなさい。わかった?」
「う、うん。わかったよ」
楓はキョトンとした表情をしていたが、すぐに意味を理解して美沙ちゃんを抱きしめ返す。
どうやら美沙ちゃんは、楓を安心させたかったみたいだ。
「だったら、良しとするか」
そう言うと美沙ちゃんは、ゆっくりと楓から離れる。
それも名残惜しそうに……。
もしかして、美沙ちゃんも楓のことを狙ってるのかな?
もし狙ってるとしたら、完全に恋のライバルになってしまうじゃないか。
奈緒ちゃんだって、恋のライバルに近いのに……。
どっちにしても、楓は私の恋人なんだから、そんなのは絶対に許さないけど。
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