第十二話・13

 自分の部屋に戻ると、いつの間にか香奈姉ちゃんが笑顔で僕の目の前に立っていた。

 もちろん、メイド服姿でだ。


「楓。今日も疲れたでしょう? よかったら、私がご奉仕してあげるよ」


 笑顔を浮かべてはいたが、不機嫌なのはあきらかだった。

 丁寧なメイド口調じゃないし。

 きっと千聖とのデートの様子を、ずっと見てきたからだろうな。

 本命彼女がいるのに他の女の子とデートに行ってしまったら、さすがにいい気分じゃないよね。

 逆の立場だったら、僕も香奈姉ちゃんみたいになってるだろうし。


「いや、大丈夫だよ。それよりも、香奈姉ちゃんの方はずいぶんと不機嫌そうだけど。なんか嫌な事でもあったの?」

「別に……。何もなかったわよ」


 香奈姉ちゃんは、それでも笑顔のままそう答える。

 不機嫌なのは、否定しないんだ。

 それに、その顔はあきらかに何かあったでしょ。

 でも、敢えて聞かないでおこう。


「何もなかったんなら、いいんだけど……」

「何? 気になるの? 私のこと」


 香奈姉ちゃんは、フフッと魅惑的な笑みを浮かべてそう訊いてくる。


「それは……。一応、デートの一部始終を見てもらったんだし…ね。気にならないって言ったら、嘘になるっていうか……」

「そっかそっか。楓は、古賀さんよりも、私のことが好きなんだね」

「そんなの当たり前だよ。僕たちは、恋人同士なんだよ。他の女の子のことなんて、絶対に好きにならないよ」

「それじゃ、今日の古賀さんとのデートは、何をしに行ってたの?」

「別に何も……。ただ千聖さんの趣味に付き合わされただけだよ」


 香奈姉ちゃんには、千聖さんの趣味のことは詳しく話してはいない。

 香奈姉ちゃんにとっては、漫画は読む程度のことなんだろうし。


「そっかぁ。古賀さんの趣味ねぇ。とても気になるけど、私たちには、関係なさそうな話ね」

「そうだといいんだけど……。千聖さんのことだから、次も僕に何かお願いしてくるかも」

「それって……。またデートの約束でもしたの?」


 香奈姉ちゃんは、僕の言葉にショックを受けたのかそう訊いてきた。

 僕は首を横に振り、答える。


「いや、さすがにそんな約束はしてないけど」

「だったら、なんでそんなことが言えるの?」

「知ってのとおり、バイト先が一緒だからね。シフトが被った時にまた何か言ってくるかもしれないなぁって思って……」


 大抵の場合、僕は千聖と同じシフトになってるんだけどね。

 ちなみに、香奈姉ちゃんには千聖が僕と同じ場所でバイトをしているってことは伝えてある。


「言ってきたとしても、ハッキリと断ればいいじゃない」

「うん。わかってはいるんだけど……」


 僕は、そう言って表情を曇らせた。

 何の理由もなく千聖のことを邪険にすることなんて、僕にはできない。

 ましてや、バイト上では後輩になるとはいえ同じバイト仲間だ。

 そんなことをしたら、仕事上にも影響がでてくる。

 香奈姉ちゃんも、そのくらいのことは理解してるんだろう。納得した様子で言い出した。


「わかってはいるけど、同じバイト仲間だから邪険にはできないってことね」

「まぁ、そういうことです」


 僕は、身体を縮こめてそう答える。

 今の現状ではどうにもならないしなぁ。


「それなら、仕方ないね」


 香奈姉ちゃんは、それで納得したみたいだった。

 納得したならいいんだけど……。


 香奈姉ちゃんは、勉強中の僕に寄り添ってきてこう言ってきた。


「ねぇ、ご主人様。一緒にお風呂に入らない?」

「え? お風呂? いきなりどうしたの?」


 僕は思案げな表情で香奈姉ちゃんを見てしまう。

 いきなりお風呂に入ろうだなんて、何を考えてるんだろうか。

 僕に勉強を教えてくれるのは、ありがたいことだけど。

 それとこれとは、話が別だ。


「浴室だったら、ご主人様に色々とご奉仕できるかと思って……。ダメですか?」


 香奈姉ちゃんは、恥ずかしそうに身体をもじもじさせて、上目遣いで僕を見てくる。

 急にどうしたんだろう。

 香奈姉ちゃんが僕と一緒にお風呂に入りたがるのは、付き合ってからはいつものことだけど、あきらかに様子がおかしい。

 まさか……。


「ダメってことはないけど……。まさかエッチなことをしてくるつもりじゃ──」

「ご主人様のためですから、そのくらいは当然のことだと思います」


 そう言い切る香奈姉ちゃん。

 エッチなことをしてくる気、満々じゃないか。


「一緒に入ってもいいけど、エッチなことは無しでお願いできないかな?」

「それだとご主人様にご奉仕ができないです……」


 香奈姉ちゃんは、なぜか寂しそうにそう言う。

 そう言われてもな。

 僕にとっては、香奈姉ちゃんと一緒にお風呂に入ること自体が『ご奉仕』だと思うんだけど。


「いやいや……。必要ないから。香奈姉ちゃんが一緒にいてくれるだけで嬉しいことだから」

「そうなの? 私的には、一緒にお風呂に入って楓が好きそうなことを私にするのが『ご奉仕』かなって──」

「そうなんだ」


 僕は、相槌をうっていた。

 香奈姉ちゃんはもう、心の準備ができてるんだな。

 だけど僕の方は……。

 あの時、香奈姉ちゃんとセックスまでしたけど、あれはどちらかというと香奈姉ちゃんがリードしてやっていたっていう感じだったから、まだ実感がない。

 今回、香奈姉ちゃんと一緒にお風呂に入って、どこまで平気なのか試すつもりなのかな。


「そうなんだよ。楓は、他の女の子を好きになっちゃダメなんだからね」

「それ、もう何回くらい僕に言ったかな?」

「何回でも言うよ。楓の恋人になるのは私だけなんだから──」


 迷いなくそんなことを言うところは、可愛いというかなんというか。

 聞いてると、なんだか無性に恥ずかしくなってくる。


「そっか。…ありがとう」

「お礼なんていらないよ。私のことを好きでいてくれるのなら、それで構わないんだよ」

「うん。僕は、香奈姉ちゃんのことが大好きだよ」

「私のことが大好きなら、私と一緒にお風呂に入ったって何も恥ずかしいことはないと思うよ」

「それは……。そうだけど。でも……」

「とにかく! 私は、ご主人様と一緒にお風呂に入るの! それでいいでしょ? いいよね?」

「う、うん……。香奈姉ちゃんがいいのなら」


 そう押し切られてしまうと、何も言い返すことができない。

 香奈姉ちゃんは、僕の手を取ると微笑を浮かべる。


「それじゃ、行きましょう。ご主人様」


 僕は、香奈姉ちゃんに手を引かれ、そのまま部屋を後にした。


 香奈姉ちゃんのメイド服姿は、いつまで見られるんだろうか。

 できれば、すぐにでもやめてくれるとありがたいんだけど。


「どうしたの?」


 脱衣所で服を脱いでいた香奈姉ちゃんは、思案げに首を傾げ僕を見てくる。

 メイド服を脱ぐ途中だったので、僕は咄嗟に視線を逸らす。


「ううん。なんでもない」

「そう。それならいいんだけど」


 香奈姉ちゃんは、そう言うと今履いているストッキングに手を伸ばした。

 目の前で脱ぐつもりなんだろう。

 さすがに女の子の裸を黙って見ているわけにはいかない。

 すぐに視線を逸らして、見ないようにした。

 すると香奈姉ちゃんは、不満げに訊いてくる。


「なんで目を逸らすの?」

「いや……。なんとなく」


 僕は、香奈姉ちゃんから視線を逸らしたままそう答えた。

 香奈姉ちゃんは、怒ったような表情でずいっと顔を近づけてくる。


「『なんとなく』で、私から目を逸らすの? 私の着替えは、なかなかお目にかかれないよ」

「いや、いつも見てるから」

「いつも⁉︎ それって……」


 僕の言葉に、香奈姉ちゃんは頬を赤くする。


「香奈姉ちゃんてば、無自覚で僕の部屋で着替えをしてるよね?」

「それは……。楓が寝てる間にこっそりとね──」

「うん。ちょうどその時かな。目を開けると、ちょうど香奈姉ちゃんが着替えをしている最中なんだよね」

「…ていうことは、楓は私の着替えをしょっちゅう見てたりするの?」

「あんまり見ていたくはないんだけど、しょうがなく……」

「そっかぁ。見ていてくれてるんだ。なんだか嬉しいな」


 香奈姉ちゃんは、頬を赤くしてそう言った。

 普通は恥ずかしくて声をあげているところじゃないのか。

 今、こうしている瞬間も嬉しそうだし。

 だからといって、脱衣所を出ようとしても、香奈姉ちゃんに引き止められてしまうのがオチだしなぁ。

 お互いに裸になると、香奈姉ちゃんは僕の手を取った。


「それじゃ、入ろっか? ご主人様」

「う、うん」


 僕は、なんとも言えないような微妙な表情を浮かべ、返事をする。

 ここまで来ると、正直言って断りづらい。

 香奈姉ちゃんはバスタオルを片手に持つと、迷いなく僕の手を引いて浴室へと入っていく。

 やっぱり、香奈姉ちゃんには敵わないな。

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