第十一話・15
家に帰ってくる頃には、もう夕方になっていた。
僕は、とりあえず台所に行き、手を洗う。
母は仕事から帰ってきていないようだから、今日も僕が夕飯の準備をしなきゃいけないな。
兄は、おそらくいるとは思うが、夕飯の準備を手伝わせるとろくな事にならないので、呼ばないようにする。
兄の料理の腕前は壊滅的だし……。
──さて。
今日は、何を作ろうかな。
そう思いながら、僕は冷蔵庫の中を確認する。
──ピンポーン。
それと同時に、家の呼び鈴が鳴った。
とりあえず、出ないとダメか。
そう思って、僕は玄関に向かおうとする。…しかし、先に兄が足早に玄関に向かって行った。
「はーい。…て、香奈じゃないか。今日は、どうしたんだよ?」
兄は、相手が香奈姉ちゃんだったからか、少し上機嫌な様子だ。
「うん、ちょっとね──。楓はいるかなって思って、来てみたの」
「楓なら、今はいな──」
「僕がどうかしたの?」
兄が言いきる前に、僕はそう言って玄関まで出る。
兄の舌打ちが聞こえてきたような気がしたが、今は気にしないでおく。
香奈姉ちゃんは、僕が出てくると嬉しそうな顔をした。
「あ、楓。今、何をしているの?」
「今は、夕飯の──」
と、言いかけたところで、兄が僕に言った。
「楓。お前は夕飯の準備をしてたんだろ?」
「うん。そうだけど……」
「だったら、はやくしてくれよ。俺は腹が減って、どうにかなりそうだ」
「…わかった。なるべく早く作るから、ちょっと待ってて」
「ああ。頼むぞ」
僕の言葉に、兄は安心したのかそう言った。
香奈姉ちゃんが何しに来たのか、とても気になるところだけど、空腹状態の兄を放っておくのも気が引ける。
ここは、兄に任せるとしよう。
僕は、再び台所に向かおうと踵を返す。
すると香奈姉ちゃんは、僕にこう言ってきた。
「ちょっと待って、楓。私も手伝うよ」
「そうしてもらえると助かるかな」
僕は、香奈姉ちゃんの心意気につい嬉しくなりそう答え、台所に向かっていく。
香奈姉ちゃんは、いつもどおりに家の中に入り、僕の後を追いかけてくる。
しかし、兄が邪魔をするかのように香奈姉ちゃんの前に立ち、言った。
「手伝いは別にしなくていいから。楓は料理が好きなんだから、放っておこうぜ。そんなことよりも、次の俺たちのライブが決まったんだ。次は──」
「それって、私たちには関係のない話だよね」
「何言ってるんだよ。香奈は、俺たちのバンドの大切なメンバーなんだ。関係ないわけないじゃないか」
「前にも言ったけど、私には、自分で立ち上げたバンドがあるの。だから、隆一さんのライブには出るつもりはないよ」
「だけど、メンバー紹介もしたんだし──」
「とにかく。そういうのは、私抜きでやってよ」
香奈姉ちゃんはそれだけ言うと、エプロンをして僕のいる台所にやってくる。
兄は、香奈姉ちゃんに聞こえるように大きな声で言った。
「次のライブは、日曜だから。必ず来てくれよ」
「………」
それに対して香奈姉ちゃんは、まったくの無反応だった。
兄は、どういうわけか二階に上がっていく。
もう少しで夕飯だし、普通は居間で待つものだと思うんだけど。
何かあったのかな。
まぁ、僕には関係のないことだから、そっとしておこう。
香奈姉ちゃんの方はめずらしく無表情で、僕が作っている料理の手伝いをし始める。
僕は、そんな無表情な香奈姉ちゃんを見ていてちょっとだけ怖くなり、声をかけてみる。
「香奈姉ちゃん」
「ん? 何かな?」
「兄貴のライブ…出るの?」
「出ないわよ。なんで私が、自分のバンドとは無関係のバンドのボーカルなんてしなきゃいけないの?」
香奈姉ちゃんは無理やり笑顔をつくり、僕にそう訊き返してきた。
これは確実に怒ってるな。
香奈姉ちゃんのその笑顔が逆に怖いんですけど。
「いや、その……。なんていうか……」
途端に僕は、何も言えなくなる。
香奈姉ちゃんは、別の料理を作りながら言った。
「私がボーカルをやるのは、楓を含めたいつもの四人がいる私のバンドでだけだよ。間違っても隆一さんのバンドでなんかじゃないから」
「そっか」
「だから楓は、何も心配することはないからね」
「うん。その辺りの心配はしてないから、大丈夫だよ」
「それって、どういう事? 私のことはどうでもいいってことなのかな?」
「いや……。そういうわけじゃなくて……。『信用』はしているって意味で……」
ここで怒るところかな。
心配することはないって言われたから、そのとおりに答えてあげただけなのに……。
「ふ~ん……。『信用』ねぇ……」
香奈姉ちゃんは、ジト目で睨んでくる。
「何か問題でもあるかな?」
「問題大ありだよ。『信用』してくれるのなら、それなりの誠意を示してほしいな」
「誠意って?」
「そのくらいは、自分で考えなさいよね」
思案げな顔をしている僕に、香奈姉ちゃんは僕の唇を指でチョンッと触れて言う。
「誠意…か。今の僕にできる事といえば、このくらいしかないかな」
僕は、香奈姉ちゃんの身体を抱き寄せた。
香奈姉ちゃんも嫌ではなかったのか、僕の身体を優しく抱きしめてくる。
「…まだまだ『信用』に値するだけのものじゃないけど。今回は、このくらいで許してあげるとしますか」
「ありがとう」
何で許すって感じになってるんだか、よくわからないんだけど。
香奈姉ちゃんは、ゆっくりと僕から離れ、料理の続きを行う。
「…さて。はやく料理を作らないと、どっかの誰かさんが不機嫌になっちゃうから。はやく作っちゃおう」
「そうだね」
僕は、微笑してそう言うと料理の続きに入った。
夕飯を食べ終えると、香奈姉ちゃんはそのまま僕の部屋にやってきた。
兄の分の夕飯はとりあえず居間のテーブルに置いてきたが、それで問題はない。
そういえば、僕に用事があって来たんだっけ。
「ねぇ、楓。次のライブの事なんだけどね」
「うん」
「次のライブには、もちろん楓にも来てもらうんだけどね。実は──」
「どうしたの?」
香奈姉ちゃんの微妙な表情に、僕は嫌な予感を感じつつ訊いていた。
もしかして、僕はライブに出られないとか。
まさかそんなことはないよね。
香奈姉ちゃんは、頬を赤く染めて言う。
「文化祭の時にやったライブがみんなに覚えていてもらったみたいでね。楓には申し訳ないんだけど、もう一度、女装して出てもらってもいいかな?」
「え⁉︎ あの格好でもう一回やるの?」
僕は、思わず声を上げてしまう。
それもそうだろう。
もう一回、女装してライブに出てくれって言われたら、誰だってそうなると思うし。
文化祭の時だってそうだった。
ステージに立った時って、恥ずかしくて顔から火が出そうだったのに……。
「衣装は、もう用意してるんだ」
「はやいね……」
「うん。今度は楓のサイズに合うようにしたゴシック風の服装だから、どこも問題ないと思う」
いや……。
僕的には、サイズよりもその衣装自体が気になるんだけど……。
どんな衣装を着せるつもりなんだろう。
「そうなんだ」
「安心して。ストッキングもちゃんと用意してるから」
「あ…ありがとう」
そんなこと聞いてないんだけどな。
「そういうことだから。楓には、絶対に参加してもらうんだからね」
「それで、どこでライブをするの?」
「いつものライブハウスだよ。今度の日曜日にライブをやるつもりだから、その日になったら迎えにいくよ」
香奈姉ちゃんは、笑顔でそう言った。
こういう時、僕はどんな顔をすればいいんだろうか。
「ライブ……。楽しみだね」
「うん!」
やっぱり香奈姉ちゃんの楽しみを削ぐようなことは、僕にはできなかった。
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