第十一話・7

 家に着いた僕は、真っ直ぐに自分の部屋に行き、そのままベッドにダイブする。

 なんか色んな意味で疲れた。

 千聖さんと香奈姉ちゃんに振り回されて、散々な一日だったし。

 今日はもう、香奈姉ちゃんとは会わないぞ。絶対に……。

 そう思っていても、香奈姉ちゃんは必ず僕の部屋に来るからなぁ。どうしよう……。


 ──コンコン。


 一人で悩んでいると、誰かが僕の部屋のドアをノックしてきた。

 このタイミングで、僕の部屋のドアをノックしてくるのは一人しかいない。

 しかも、向こうから声をかけてきたから、誰なのかはすぐにわかる。


「楓。いるんでしょ? 話があるんだけど」


 いつやってきたのかはわからないが、香奈姉ちゃんの声が聞こえてきた。

 どうしよう。今の状態で、香奈姉ちゃんには会いたくないし……。

 だからといって、家の中で居留守をしたって意味もないか。

 僕は、ゆっくりと部屋のドアを開ける。


「何? 話って……」


 そこには、制服姿の香奈姉ちゃんが立っていた。

 どうやら、家にはまだ帰っていなかったみたいだ。

 せめて一度家に帰ってから、ここに来ればいいものを……。

 まぁ、僕もまだ制服を脱いでいないから、人のことは言えないが。

 香奈姉ちゃんは、何事もなかったかのように僕の部屋に入ってくる。


「古賀さんのことなんだけどね」

「千聖さんのこと? 彼女がどうかしたの?」


 僕は、思案げに首を傾げていた。

 首を傾げる僕に、香奈姉ちゃんは言う。


「彼女は、その……。少し惚れっぽいところがあるから、まともに付き合うのはやめておいたほうがいいよ」

「そうなの?」

「あの子は、男関係であまり良い噂を聞かないんだよね」

「そうなんだ」

「うん。噂だと三股四股は当たり前にあるんだとか……。もしかしたら、それ以上にあるのかも」

「なるほどね」


 僕は、神妙な面持ちで相槌をうつ。

 香奈姉ちゃんが、他の女の子のことを気にするというのは、今までになかったことだ。

 奈緒先輩や美沙先輩のことなら多少は言ってはいたが、そこまで強くは言わなかったような気がするけど。


「あくまでも『噂』だから、それ以上は憶測の域をでないんだけどね。…でも、楓に目をつけたってことは、また性懲りも無く──」


 そう言って香奈姉ちゃんは、真剣な表情になっていく。

 千聖さんのことを知っているみたいだけど、一体何があるんだろうか。

 聞いてみたい気もするが、答えてはくれないんだろうな。

 僕は、頬をぽりぽりと掻いて、言った。


「考えすぎだよ。まだ声をかけられて共同実習で一緒になっただけだっていうのに……」

「楓が無用心なんだよ。だから、女の子にフラれたりするんだよ」

「それって、ずっと前の話だよね?」

「そうだったっけ? どっちにしても事実でしょ」

「そうだけどさ」

「とにかく! 古賀さんには、気をつけなさいって言いたいの」

「そうなの? そこまで危ない子には見えないんだけど……」

「まぁ、いいよ。しばらくの間は、私が見守っててあげるから」


 香奈姉ちゃんは、普段どおりの笑顔を見せてそう言っていた。

 そんなに千聖は、危険な女の子なんだろうか。

 見た感じだと、ごく普通の女子高生にしか見えないんだけど。

 人は見た目だけじゃわからないってことなのかな。

 香奈姉ちゃんがそう言うのなら、僕も気をつけないといけないか。


「用件はそれだけなの?」


 僕は、改めてそう訊いていた。


「ううん。それだけなら、わざわざ楓の部屋に来ないよ」


 小さく首を振ってそう答えた香奈姉ちゃんは、ゆっくりと僕の側に寄り添ってきて、そのまま抱きしめる。

 今度は何だろう?

 いきなりの香奈姉ちゃんの行動に、困惑してしまう。


「これは…何をどうすればいいのかな?」

「今日一日、古賀さんと一緒だったんでしょ?」

「共同実習だったからね。いたしかたなく……」

「だったら、一日のもう半分は私と一緒にいたっていいじゃない」

「気持ちはわかるんだけどさ。今日はバイトがあって……」

「それは、私も同じなんだけど」


 香奈姉ちゃんは、ジト目で僕を睨んでくる。

 そんな目で睨まれてもなぁ。

 怖いだけなんだけど。

 香奈姉ちゃんは、つとめて平静を装い、笑顔で訊いてきた。


「そんなに私と一緒にいたくないのかな? 楓は」

「そんなことないよ。僕と香奈姉ちゃんは付き合ってるんだし、いつでも一緒にいられると思って。その……」


 恋人同士なんだし、香奈姉ちゃんとはいつでも一緒にいられる。

 その辺だけは何も変わらないし、変わるわけがない。

 しかし香奈姉ちゃんは、僕のちょっとした変化に気がついているのか、こう言ってきた。


「そうだよね。私と楓は恋人同士なんだから、いつでも一緒にいられるよね。…でも、なんだか最近、不満そうなのは気のせいかな?」

「不満そう…に見えるの? 僕が?」


 不満なのかな。僕は……。

 いや、そんなわけがない。

 香奈姉ちゃんとのスキンシップは楽しいし、僕も思わず笑顔が出てしまうくらいなのに。


「うん。なんとなく不満そうに見えるかな」

「なんとなく…か」

「私が楓を束縛しちゃってるせいなのかなって思ってしまって……」

「それは、好きなんだから当たり前にしちゃう行動なんじゃないかな。だから香奈姉ちゃんが気にする必要は……」

「好きだからって相手を束縛してしまうのは、逆に相手を信頼してないってことにならないかな?」

「どういうこと?」

「私たちの間には、幼馴染なのだからっていう安心感というか親近感があるよね?」

「まぁ、幼馴染だからね。普通にそれはあるでしょ」

「だからこそ、心の距離が必要なのかなって思ってね」

「心の距離……」

「心の距離が近いから、すぐに身体の関係を持ちたいって思っちゃうんだよね……。まだお互いに子供なのに……」

「セックスは、まだ早いかなって思っちゃうのはたしかだけど……。香奈姉ちゃんがしたいのなら、それはそれで仕方ないんじゃないかな」


 心の距離が近いのは、お互いに惹かれあっている証拠だと思うし。


「そうかな。エッチなことをしちゃってもいいのかな?」

「エッチなことがしたいのは仕方ないことなんじゃないかな。僕だって、香奈姉ちゃんとエッチなことがしたい時ってあるから」

「楓がそう言うなら、私の気持ちは間違ってないんだね。良かったぁ」


 香奈姉ちゃんは、安心したのかホッとした表情になる。

 香奈姉ちゃんのそうした気持ちに間違いなんて、あるわけがない。

 そろそろ時間か。

 僕は、部屋の置き時計を見て言った。


「あの……。香奈姉ちゃん。そろそろバイトに行かなきゃいけないから、その……」

「え……。もうそんな時間?」


 香奈姉ちゃんは、慌てた様子で僕から離れ、部屋の置き時計を見る。

 時間は十四時半になっていた。

 それを見た香奈姉ちゃんは、『なんだ……。まだその時間か』と言わんばかりに肩をすくめていた。


「十四時半か。今からでも充分に間に合うけど」

「うん。それでも早く行かないと……」


 たしかに香奈姉ちゃんの言うとおり、遅刻するってことはないけど。

 一応、早く行かないとダメな気がするのだ。


「楓は真面目だなぁ。まぁ、そんなところも私は好きなんだけどね」


 香奈姉ちゃんは、微笑を浮かべそう言った。

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