第十一話・5

 似顔絵の下書きはなんとか完成し、次は色を塗るところまでいった。

 できるなら、全部を僕自身がやればいいんだけど、そういうわけにはいかない。

 なぜなら、色を塗るのは女子がやるからだ。

 共同実習での決まり事なのだから、そこは仕方がない。

 それにしても。

 僕が描いた絵を見て、何も文句を言わなかったってことは、これで良いってことなんだろう。


「私の絵の色塗りか……。ちょっと恥ずかしいけど、やってみようかな」


 千聖は悪戯っぽい笑みを浮かべてそう言って、筆を絵具につける。

 どんな色合いになるかすごく不安なんだけど……。

 共同実習の都合上、そんなに強く言えないのが難点でもある。

 そんなに心配しなくても大丈夫だよね。

 まさか絵の色塗りを失敗したりはしないだろう。


「あの……。大丈夫?」

「何が?」

「色塗るの…大丈夫かい?」

「そのくらいは平気よ。心配しないで見てなさいよね」


 千聖は、そう言って絵に色を塗っていく。

 緊張した様子はまったくなくて、むしろ落ち着いていた。

 これなら任せても大丈夫かな。

 僕はふと、他の男子たちに視線を向ける。

 男子たちは、不安そうに女子たちを見ていた。

 これは完全に個人差があるため、男子たちが頑張って描いた絵も、女子たちによって台無しにされてしまうことも少なくないと思う。

 だからハラハラした状態で女子を見てしまうのも、仕方がないことなのかもしれない。

 ちなみにこっちの方はというと、何も問題なく色を塗っていっている。  

 どうやら美的センスは、普通にあるみたいだ。


「何よ? 文句があるんだったら、はっきり言いなさいよ」


 僕の視線に気づいたのか、千聖はムッとした表情を浮かべてそう言ってくる。

 こんな時、なんて言ったらいいのか。

 僕には全然思いつかないけれど、千聖のやることに文句はないのは事実だ。


「いや……。別に文句はないけど……」

「だったら、何なのよ」

「千聖さんが、その……。絵が上手くなかったら、どうしようかと思って……」

「たしかに絵は上手いってほどではないけど。色を塗るくらいなら、なんてことないわよ」


 千聖は、色を塗りながらそう言った。

 機嫌を損ねてしまったかな。


「それなら良かったよ」

「あきらかに褒めてはいないよね、それ──」

「そんなことは……」

「そうですよ。どうせ絵のデッサンは下手くそですよ。楓君のようにはいかないですよ」

「それは、練習次第でどうにかなるよ」

「練習…ね」

「うん。練習」


 僕は、笑顔でそう答える。

 何事も練習は大事だ。

 苦手なことも、しっかり練習すれば克服できると思うし。


「そう言うなら、練習に付き合ってくれるの?」

「え?」

「絵のデッサンの練習に付き合ってくれるのかって聞いてるのよ」

「それは……。時間があれば、付き合ってあげたいけど……」

「それなら、私と付き合ってよ。彼氏彼女の関係になった方が楓君にとっても、なにかと都合が良いと思うんだよね」

「僕が君と?」


 突然何を言い出すんだろう。この子は……。

 そんなの無理に決まってる。

 しかし、千聖の中では決定事項になってしまっているのか、微笑を浮かべて言ってきた。


「そうだよ。どうせ彼女とかいないんでしょ? それなら、ちょうどいいじゃない」

「いやいや。出会って一日も経ってない人と付き合うのはさすがに……。相手のこともよくわからないしさ」

「そんなこと──。これから知っていけばいいだけじゃない」

「だけど──」

「うるさいわね。これは決定事項なの! あなたは、私の彼氏にならないとダメなんだからね。わかった?」


 千聖はビシィッと指を突きつけ、そう言ってくる。

 これは、完全に引き下がる気はないって感じだな。

 だったら、この手しかないか。

 僕は、今の状況を正直に話すことにした。


「悪いけど、僕にはもう付き合っている人がいるんだ。だから、君とは付き合えないよ」

「相手は誰なのよ? 私より、可愛い子なのかしら?」

「まぁ、僕が付き合っている子だからね。『可愛いか?』って聞かれたら、素直に『可愛い』って答えるよ」

「私は、納得しないわよ! 相手が誰なのかわかるまでは、楓君から離れる気はないんだからね!」


 そう言って千聖は、僕の腕にギュッとしがみついてくる。

 ちょっと……。絵はどうするの?

 まだ色を塗る途中だよね。


「そこのお二人さん」


 タイミングが良いのか悪いのか、来栖先生がやってくる。

 来栖先生は笑顔を浮かべていたが、あきらかに怒っている様子だ。


「しばらく経たないうちに、ずいぶんと仲良くなったわねぇ」

「いや……。これは……」


 僕は、来栖先生に気圧され、完全に言葉を詰まらせてしまう。

 この場合、何を言っても無駄なような気がする。


「これは違うんです。私たち女子校に伝わっている伝統みたいなもので──」


 僕の腕にしがみついていた千聖は、来栖先生の迫力に気圧されてはいたものの、それでも笑顔で弁明をし始めた。

 それは、僕も初耳だな。

 香奈姉ちゃんからも、何も聞かされてないや。

 周りの女子たちは、そんな千聖を見て、どうしたらいいかわからず黙っているだけだった。

 まぁ、それが普通の人の反応だろう。

 来栖先生は、千聖の言葉を遮るかのようにピシャリと言った。


「そんな伝統は知りません! さっさと本日の課題を完成させなさい!」

「ひゃうっ! ごめんなさい」


 千聖はビクッと身体を震わせ、その場で直立する。

 来栖先生は男子校の美術の先生だが、女子校の女子たちに対してもハッキリと注意することができるあたり、さすがは女子校のOGだ。

 僕も、目をつけられないように気をつけないといけないな。

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