第三話・7
ある日の学校の帰り道。
今日は、香奈姉ちゃんは学校に用事があるらしく、一緒には帰れないと連絡を受けた。──なので、今日は久しぶりに一人で帰ることにする。
学校帰りにしばらく街中を歩いていると、そこにはショートカットの女の子の姿があった。女子校の制服を着ているので、その女の子も学校帰りだということがわかる。
言うまでもなく、その女の子というのは奈緒さんだ。奈緒さんは、背中にギターのケースを肩に担いでいた。
私物になるから学校に持っていくと没収されてしまうのは当然だから、おそらくは近くの駅にあるコインロッカーにでも入れておいたのだろう。
奈緒さんは、こちらに気づくと微笑を浮かべて、近づいてくる。
「やぁ、楓君。…こんなところで会うなんて奇遇だね」
「奈緒さん。ここで何をしてるんですか?」
僕は、周囲を見回す。
いつもどおりの喧騒に包まれた街の雰囲気だが、学生である僕たちが立ち寄れるような場所は、数カ所しかない。
例えば、ハンバーガーショップだったり本屋だったり、はたまた楽器店とかだ。
「楽器店にちょっと用事があってね。これから行くところなんだ」
「そうなんですか」
楽器店に用事ってことは、ギターとかのメンテナンスとかだろうか。
いや、まさか、奈緒さんに限ってそんなことはないだろう。
「良かったら、楓君も一緒にどうだい?」
「僕もですか? …いいんですか?」
「もちろんだよ。楓君なら、オッケーさ」
奈緒さんは、そう言って僕の手を掴んでそのまま引っ張っていく。
奈緒さんにしては少し強引な気もするが、その辺りは先輩ということもあり許すことにしよう。
ここの楽器店は、僕もよく利用させてもらっている。
音楽関係の色々な備品がたくさんあるから、その時必要になった物をよく買いに来ている。だから店の人との交流も多い。
「ところで奈緒さん」
「何だい? 楓君」
「楽器店に何の用事があるんですか?」
「ああ、そのことか。…大した用事じゃないんだ。ちょっとギターを見に来ただけなんだ」
そう言って奈緒さんは、商品として展示されているギターに視線を向ける。
ギターとかは、物によっては非常に高価なものがあるのだ。
奈緒さんが見ているギターはまさにそれだった。
値段を見るだけでも頭が痛くなるようなレベルのものだ。
「そのギター。カッコいいですよね」
「うん、そうだね。…さすがに高いだけはあるよ」
奈緒さんは、飾られているギターを見て微苦笑する。
「奈緒さんも、こういう物には見惚れてしまうんですね」
僕がそう言うと、奈緒さんは肩に担いでいるギターのケースをギュッと握りしめ、言葉を返した。
「そんなことないよ。あたしのお気に入りはコレだからね。他の物に目移りすることはないかな」
「それじゃ、そのギターは?」
「これは、あくまでも目の保養だよ。特に深い意味はないんだ」
「なるほど……。奈緒さんには、その気はないと……」
僕は、メモ帳を取り出し、そうメモを取る。
「ちょっと。何、メモしてるのかな。あたしだって、純情な一人の女の子なんだからさ。その辺りを勘違いしないでほしいな」
「でも奈緒さんは、恋愛については興味がないって言ってたじゃないですか。あれはどう説明するんですか?」
「それは、ほら……。バンド活動に力を入れていきたいなと思ってさ。全く興味がないってわけじゃないよ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。──あたしは、楓君だったら別に構わないって思っているからさ」
奈緒さんは、そう言って僕の方を見て微笑を浮かべていた。
冗談を言えるのだから、正直、奈緒さんはすごいなって思う。僕はありのままを言った。
「そんな冗談を言ったって、何もでないですよ」
「冗談なんかじゃないんだけどな……」
と、奈緒さんの表情が苦笑いに変わる。
奈緒さんは、気持ちを切り替えるようにしてこの場所から離れ、別のコーナーに行ってしまった。
何か変なことを言ってしまっただろうか。もし言ってしまったとしたら、奈緒さんに謝らなければならないかな。
──いや。その必要はないか。それがもし奈緒さんの本心だとしたら、僕は奈緒さんの気持ちに応えることができないだろう。
何故なら、僕の心の中にはいつも香奈姉ちゃんがいるからだ。
その想いがある限り、僕は奈緒さんのことを好きになることはないだろう。
「あ、待ってください。奈緒さん」
僕は、この場を離れてしまった奈緒さんを追いかける。
奈緒さんが誘ってきた以上、最後まで付き合ってあげるのは、一人の男として当然のことだ。
結局、奈緒さんは店内を色々と見て回った後、何も買わずに店を出た。厳密には鞄の中からメモ帳を取り出し、欲しいもののメモを取っている様子だった。
「──さて。そろそろ出ようか?」
「あ、はい」
僕は、先に店を出て行こうとする奈緒さんの後をついていく。
楽器店に入って何かを買っていく時、大抵の場合は奈緒さんのようにメモを取ってから、後で買いに行くスタイルをとっている。何故なら、楽器店に置いてあるものは大抵は荷物になってしまうからだ。他の店に行く予定がある場合は、特にも楽器店での買い物ができないのである。
だから、別の機会で楽器店に立ち寄って買い物を済ませるのだ。
楽器店を出ると、奈緒さんは突然、僕の腕を組んできた。
あまりにいきなりのことで、僕は困惑してしまう。
「どうしたんですか? 奈緒さん」
「なんか、さっきから誰かに見られてるような気がして……」
奈緒さんは、不安そうな表情を浮かべ僕の腕にしがみついてくる。
「え?」
僕は、まだ誰かいるのかと思い周囲を見回す。
“さっきから”ということは、楽器店の中にいた時からになるのか。僕は、楽器店の方にも注意を払う。
すると奈緒さんは
「なんだか、ここにいたくない。…場所を移そうよ」
そう言って僕の腕を引っ張り、そのまま街の中を走っていく。
僕は困惑気味に奈緒さんを見る。
「ちょっ……。どこに……?」
「いいから、はやく」
奈緒さんは、問答無用で僕の腕をぐいぐい引っ張っていき、何かから逃げるようにして街の中を走っていった。
誰かに見られてることが嫌なんだろうか。…ていうか、街ゆく人たちにもう見られてるんだけど。
「どうしたの、奈緒さん?」
と、僕が訊いても
「いいから、こっちに行こう」
奈緒さんは、さっきからそう言って聞かない。
そろそろやめてほしいとも思ったが、奈緒さんに嫌われるのは建設的ではないと思い、流されるままに引っ張られていく。そうして、引っ張られていくうちにたどり着いたのは、近隣の住宅街だった。見覚えのある場所だが、僕の家のある住宅街とは別の場所のため、一つ間違えば迷ってしまう可能性もある。
ここまで来ると、奈緒さんはキョロキョロと左右を確認しだし、安心したのか組んでいた腕を離す。よく見れば、この辺りの人通りはなく、日陰になるような場所に連れてこられていたみたいだ。
「さすがにここまではついてきていないか。…良かった」
「あの……。奈緒さん? 一体何があったんですか?」
何が起こっているのかわからなかった僕は、思案げな表情でそう訊いていた。
奈緒さんは、誰もいないことを確認して、微笑を浮かべる。
「ううん。なんでもないよ。…これで楓君を──」
その後の言葉は、よく聞き取れなかった。
独占とか、そう言った言葉が聞こえたような気がしたが、よくわからない。
「もしかして、誰かにつけられてたんですか? それなら、警察に電話したほうが──」
「もう大丈夫だよ。“彼女”はついてきてないから」
「彼女? 一体誰のことなの?」
「楓君が一番よく知ってる人だよ。…その人はね、バンドのリーダーをしている人でもあるけどね」
奈緒さんは、そう言って微笑を浮かべる。
「まさかその人って……。香奈姉ちゃんのこと?」
「さすがに、そう言ったら答えられるか。…でも、あたしの行動までは読めなかったみたいだけどね」
「どういうこと?」
「こういうことだよ」
奈緒さんは、何を思ったのか制服のスカートの中に手を入れて穿いていたパンツを下げるという動きを目の前で見せた。ちなみにパンツの色はピンクだ。奈緒さんは、そのままパンツを脱ぎ、僕に手渡してきた。
あまりのことに僕は、驚きの声をあげる。
「っ……⁉︎ これは、どういうことなの? なんで穿いてたパンツを僕に……」
「あたしが通っている女子校には、あるジンクスが伝わっててね」
「ジンクス?」
それは、初めて聞くことだった。女子校にもジンクスがあるのか。
そもそも、それがこのパンツとどういう関係があるんだろう。
驚愕の表情を浮かべている僕に、奈緒さんは説明する。
「好きな人に告白する時、自分が穿いているパンツを手渡すと告白がうまくいくっていうジンクスがあるのさ。特にも、可愛い下着を手渡せば成功率も上がるみたいなんだよね」
「まさか、これって……」
ここから先の展開なんて想像したくないんだけど……。それでも僕は、つい訊いてしまった。
奈緒さんは、頰を赤らめ僕に近づいてくると
「うん、そうだよ。あたしからの告白だよ」
ゆっくりと僕を抱きしめてきて、そう言ってくる。
「え? でも奈緒さんは──」
僕は、若干の抵抗しようともがく。
しかし奈緒さんは、背後にあった壁にそのまま押しやり、僕を動けないようにした。
僕を逃がさないといった態度だ。
さすがに他の人に見られたらいけない光景なんじゃ……。
奈緒さんは、恋愛については興味ないと言っていたはずなのに。
「楓君。あたしは、君のことが好きだよ」
それは、まぎれもなく奈緒さんからの告白だった。
香奈姉ちゃんよりも、真っ直ぐに僕を見てくる。
でも──
「ごめん。僕は、奈緒さんの気持ちに応えることはできないです」
「わかってるよ。──香奈だよね? 楓君が好きな人って」
「え、うん……。僕の本命は、香奈姉ちゃんだけど」
僕が好きな人は、香奈姉ちゃんだ。恥ずかしくて香奈姉ちゃん本人の前ではあやふやになってしまったが、それだけはハッキリと言える。
奈緒さんは、そのことをわかっていて告白してきたのかな。
何でだろうか?
「…だけど、何で奈緒さんは僕のことを?」
「あたしは、たしかに恋愛には興味はなかったんだ。だけど、あたしたちが立ち上げたバンドに楓君がやってきて、まわりの空気が良くなっていって、美沙も理恵もついてくるようになった。一人の男の子が入ってメンバーの結束力があがったんだから、これほど嬉しいことはなかったよ。それに楓君は、あたしたちをすごく気遣ってくれたし」
「いや、僕はそんな……。何もしてないよ」
気遣ってるって言われても、最低限のことしかしてないし……。
「ううん。楓君は十分にやってくれてるよ。特にも、あたしには優しく接してくれた。…だからかな。あたしが楓君に惹かれたのは……。もちろん楓君には香奈がいるっていうのはわかってるよ。…だけどね。あたしは、香奈のことが好きな楓君が一番好きなんだ」
「それは、さすがに……。横恋慕にならないの?」
「どうして? 別に香奈から君を奪うわけじゃないし、そうはならないと思うけど」
「それはそうだけどさ。でも……」
しどろもどろしてる僕に埒があかないと思ったのか、奈緒さんは僕を抱きしめて言った。
「あたしは、香奈のことが好きな楓君は一番良いと思う。香奈とも張り合いができるしね。それに──」
「それに?」
「楓君は、あたし以外の女の子にも狙われているんだよ。だから、あたしが他の女の子たちから守ってあげないと」
そう言って、奈緒さんは僕にキスをしてくる。
僕は当然嫌がったが、奈緒さんに抱きしめられていて抵抗ができない。ましてや、奈緒さんのパンツを持ったままの状態で何かできるわけがないし……。
「ちょっ……。奈緒さん──んっ……」
「抵抗しても無駄だよ。楓君は、香奈かあたしのどちらかとしかこういうことをしちゃダメなんだから」
奈緒さんはそう言って、再びキスをしてきて言葉を遮ってしまう。
──やばい。
これは完全にやばい。香奈姉ちゃんに見つかったら、なんて言われるか。
奈緒さんは、僕の好きな人が誰だかわかっていて、こういうことをしてきている。
しかも都合の悪いことに、ここは人目のつかない場所だ。奈緒さんが、こんな大胆な行動をしてきても、誰にもバレない。
こんな時、急に香奈姉ちゃんの姿が思い浮かんでしまい、目の前に現れることを期待してしまった僕がいた。
──助けてください。香奈姉ちゃん……。
僕は、抵抗しようと身体をもぞもぞさせて奈緒さんから離れた。
なんだかわからないが、これ以上、奈緒さんに何かさせたらダメだ。
「ごめん、奈緒さん。…そんなことされたら、僕はどうしていいかわからないから……」
「楓君……」
奈緒さんは、頰を赤らめて僕を見る。
そんな可愛い表情で見られたら、普通の男の人なんてイチコロだろう。
しかし僕の場合は、そうはならない。
僕は、もう片方の手に握られているパンツを奈緒さんに返そうとする。
しかし奈緒さんは、パンツを受け取らずに僕の手を握ってきた。
奈緒さんは、僕の顔を見ると恥ずかしげに微笑を浮かべる。
「…急にごめんね。楓君に対する愛情をどうやって伝えればいいのかわからなくてさ。それはお近づきの印にとっておいてよ」
「いや……。それはさすがに……。女の子のパンツを手に持って歩くのは……」
「そうだよね。それはさすがにないよね」
「とにかく、僕は奈緒さんの想いに応えることはできないから……。その辺だけはハッキリと言っておくよ」
「あたしは諦める気はないからね。香奈にも、きちんと言っておくから。…だから、ソレは楓君が大事に持っていてよ」
「え……」
僕は、手に持っている奈緒さんのパンツに視線を落とす。
それじゃ、これから奈緒さんはノーパンで街の中を歩くつもりなのか。いやいやいや……。さすがにそれは……。
僕は、奈緒さんが穿いてる制服のスカートの方に視線を移す。すると奈緒さんは、鞄の中から別のパンツを取り出した。
「──安心して。替えの下着は持ってきてるからさ。…今日の練習には出れるよ」
「そうなんですか。だけど……」
「ちょっと待っててもらえるかな。今、パンツを穿くから」
そう言うと、奈緒さんはその場で替えのパンツを穿きだす。
「っ……⁉︎」
僕は、咄嗟に後ろを振り返り、奈緒さんから視線を逸らす。
すると奈緒さんは、恥ずかしがる様子もなく言う。
「あはは。別にそっちを向いてもらう必要はないんだけどな」
「何言ってるんですか。奈緒さんがこんな所で着替えをしだすから、僕は気を遣って──」
「安心していいよ。ここは普段から人通りが少ない場所だから、不純異性交友だってできるよ」
「そんなこと絶対にしないですよ。少なくとも僕は、香奈姉ちゃん一筋だから」
僕は、きっぱりと言い切る。
今なら、ハッキリと言うことができる。本人の前で言うことは、まだ無理っぽいけど。
「そっか。…それは残念だな」
奈緒さんは、微苦笑してそう言っていた。
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