第三話・4

 別室の中にはいつものバンドメンバーたちが、各々練習に励んでいた。練習しているのは、主にギターやキーボードなどを担当している人たちだ。


 ギター担当の、北川奈緒。

 奈緒さんは、練習の時間になると途端にストイックさが増して、表情も真剣なものに変わる。


 キーボード担当の、矢沢理恵。

 彼女は、香奈姉ちゃんの親友でバンドメンバーの中では、一番優しい性格をしている。練習中にも、いつも周りを気遣ってくれる優しい女の子だ。


 ドラム担当の、名取美沙。

 彼女も香奈姉ちゃんの親友でバンドメンバーのムードメーカー的存在…らしい。


 そしてボーカルを務めるのは、言わずもがな香奈姉ちゃんだ。

 香奈姉ちゃんは、意外にも美声の持ち主で、みんなを引っ張っていってくれる頼もしいリーダー的存在だ。ただ、いつも僕のことを気にかけることをしなければ、完璧なんだけどな。


 最後に僕は、ベース担当。

 香奈姉ちゃんに誘われて、このバンドで主にベースを弾いている。みんなの足を引っ張らないように注意して、頑張っているんだけど、大丈夫なのかな。他のメンバーが来るまでのヘルプだから、それまではやらせてもらうけど……。


「──よし。それじゃ、一回合わせてみようか?」

「賛成」


 香奈姉ちゃんの言葉に、みんなが賛同する。

 各々で練習をしていたのだから、きっと大丈夫なはずだ。


「それじゃ、行くよ」


 香奈姉ちゃんのその掛け声で、演奏が始まった。

 最初の出だしはいい。

 僕もそれに乗ってベースを弾く。

 しかし途中で、ギター担当の奈緒さんが音を外してしまう。


「あ……。ごめん。次は気をつけるね」

「気にしないの。…もう一度やろう」

「うん。ありがとう」


 しかし、何回やってもギターの方から失敗ばかり続く。


「奈緒ちゃん。大丈夫? なんだか調子が悪そうだけど……」

「おかしいな……。普段は、こんなミスしないんだけど……」


 奈緒さんは、キョトンとした表情を浮かべそう言う。


「大丈夫?」


 心配になった僕は奈緒さんの方に駆け寄り、そう声をかけた。

 その言葉に反応したのか奈緒さんは僕の顔を一瞬だけ見て、すぐに僕から視線を背ける。


「うん。大丈夫だよ。楓君も、ミスらないように集中しなよ」


 そう言って、僕を見ようともしない。

 ん? なんだ?

 僕、奈緒さんに何かしたかな?


「大丈夫ならいいけど……。何かあったら、私たちに相談してね」


 香奈姉ちゃんは、心配そうな表情でそう言った。


「ありがとう」


 奈緒さんは、お礼を言うと再び合わせに入る。

 しかし──


「あ……」


 と、またギターの音程を外し奈緒さんは、表情を強張らせてしまう。

 それに対してイライラしてきたのか、美沙さんは言った。


「──ちょっと。これで5回目だよ。ホントに大丈夫なの?」

「ごめん……。なんでこんなミスを……」


 奈緒さん自身わかっていないのか、「う~ん……」って唸りながらギターの音程を確認し始める。


「ホントに大丈夫なの、奈緒さん?」

「何か気になることでもあるの?」


 僕と香奈姉ちゃんは、心配そうに奈緒さんを気遣う。

 正直言うと、奈緒さんがミスを連発するのはホントにめずらしい。

 何か悩み事でもあるのかな?

 だとしたら、遠慮なく言えばいいのに。

 奈緒さんは、神妙な顔をして香奈姉ちゃんに言う。


「ううん。こっちの事情だから気にしないで。…これは、あたしがケリをつけないといけない事だから──」


 奈緒さんの事情って何なんだろう。

 とても気になるところだが、今は聞けそうにはないな。

 香奈姉ちゃんも、それを思ったのか奈緒さんに言った。


「そう……。何があったのかは、敢えては聞かないことにするよ。…でも、練習に響くくらい重たい内容だったら、一人で抱え込まないでね。私たちに相談して」

「うん。そうするよ」


 香奈姉ちゃんの言葉に励まされたのか、奈緒さんは微笑になる。

 クールなイメージがあるからか、奈緒さんの笑顔はとびきり可愛かった。


「それじゃ、もう一回合わせてみようか?」


 香奈姉ちゃんは、みんなの方を見てそう聞いてみる。

 みんなの答えは言うまでもなく


「オッケー!」


 だった。

 僕はしばらく奈緒さんを見ていたが、みんなが定位置に戻っていったので、僕も定位置に戻りベースを握り音程を確認し始める。

 香奈姉ちゃんは、心配そうな表情で奈緒さんを見て


「奈緒ちゃん。今度は大丈夫?」


 改めて聞いていた。

 すると奈緒さんは、香奈姉ちゃんの言葉で心の汚れが払われたのかギターを盛大にかき鳴らし


「大丈夫だよ。今度はイケるよ」


 と、自信満々に言う。

 その様子を見ていた香奈姉ちゃんは笑顔になり、マイクを持つ。


「それじゃ、気を取り直してやってみよう」

「そうだね」

「一時はどうなるかと思ったけど、何も問題なさそうでよかったよ」

「何か問題あるとすれば“弟くん”だったりして」


 そう言って、僕を見てきたのは理恵さんだ。

 僕に問題があるって……。一体、何なんだろう。


「え……。僕ですか?」

「そう。楓君だよ」


 理恵さんは、意味深な笑みを浮かべる。

 そんな風に言われても、全然わからないんだけど。


「…もう。そんなのは後でいいから。今は、練習しなきゃだよ」

「あ、うん。そうだね。…ごめんね」


 香奈姉ちゃんのむくれた顔を見て、理恵さんはキーボードの音を調整しだす。

 ようやく準備が整ったところに、香奈姉ちゃんが号令をかける。


「行くよ! せーの!」


 僕たちが弾く音と香奈姉ちゃんの歌声は部屋全体に響いた。まだ練習中で未完成だけど、一つの楽曲としては完成されているのではないかと思うくらいのできの良さだ。

 さっきの奈緒さんの失敗は、何だったんだろうかと思うくらいだった。


 練習が終わった後、奈緒さんは「用事があるから」と言って先に帰っていった。

 奈緒さんはいつも最後のタイミングで帰っていくので、先に帰っていくのはめずらしい。


「それじゃ、また明日ね。弟くん」

「うん。また明日」


 香奈姉ちゃんを見送ると、僕は電気を消して別室を後にし、そのまま自分の家に戻っていく。

 晩御飯に関しては、さすがに時間的な問題もあって作ろうとは思えなかった。冷蔵庫の中にあった作り置きをレンジで温めて食べることにする。

 手抜きはしたくなかったんだけど、この時間から作ろうとしたら、お風呂に入る時間がなくなってしまう。

 僕が晩御飯を食べていると、テーブルに置いていたスマホから着信音が鳴った。


「ん? 誰だろう?」


 僕はスマホを手に取り、誰からの着信なのかを確認するとそこには“北川奈緒”と書かれていた。

 メールではなく直接の電話だ。


「奈緒さんからだ。一体何だろう?」


 そう言いながら、僕は電話に出る。


「──はい。もしもし、周防です」

『あ、繋がった。楓君、今暇かな?』

「暇と言えば暇ですけど……。何かあったんですか?」

『よかった。それなら、すこし相談に乗ってくれるかな?』

「相談ですか?」

『うん、相談。…いいかな?』

「僕でよかったら、いいですよ。何があったんですか?」

『あたしさ。実は男子校の男子から告白されてさ。それで、どうしようか悩んでて……』

「なるほど。それで、名前はなんて言うんですか?」

『それがわからないんだよね。名乗らずにあたしに告白してきたからさ』


 名乗らないで告白するとか、普通にあるんだろうか。

 よくわからない。僕だったら、自己紹介してから告白するけど……。もしくは──


「それって、奈緒さんを誰かと間違えたとか……」

『それはないかと思う。その男子は、あたしのことをしっかりと『北川奈緒先輩』って言ってきたから』

「それなら間違えたってことはない…か。…それで、奈緒さんはどうするんですか?」

『どうするっていうと?』

「その男子と付き合うんですか?」

『いや……。あたしは、恋愛には興味ないから男子と付き合うっていうのは、ちょっと……。楓君なら、まだいいんだけど』


 僕ならって、どういうことなのかよくわからないけれど。

 一々聞くのも面倒なので、敢えてつっこまないようにする。


「それなら、断ればいいじゃないですか」

『それが、簡単にはいかなくて……』

「どういうことなの?」

『もちろん、あたしは断ったんだけどさ。相手の男子はしつこくて、それでも言い寄ってくるんだ。『俺は絶対諦めない』って言ってさ』

「それで、僕に何をしろって言うんですか?」


 奈緒さんが電話で相談してくるようなことだ。きっと重要なことにちがいない。

 すると奈緒さんは


『しばらくの間、あたしと恋人同士になってほしいんだ』


 と、そう提案してくる。


「え……。それって、どういう……」


 僕は、思わず声をあげてしまう。

 そして、しばらくの硬直。そりゃそうだ。

 何をお願いするかとは思っていたが、まさか恋人のフリをしてくれと言ってくるとは思わなかったのだから。


『どういうことも何もないさ。あたしにはちゃんと彼氏がいて、その人と付き合っているから、彼には悪いけど諦めてもらおうかなって』

「だけど僕には、香奈姉ちゃんが……」

『もちろん香奈にも悪いとは思うんだ。だけど、しばらくの間は我慢して──って、ねぇ、もしもし? 楓君? 聞いてる?』


 奈緒さんは、電話先で硬直している僕を心配して、そう声をかけてくる。

 僕は正気に戻り、なんとか返事をした。


「あ、うん。聞いてるよ。あの……。奈緒さんと恋人同士になってほしいって、余程のことじゃないですよね? ホントに何かあったんじゃないかと」

『何もないよ。…ただ、その男の子が少ししつこいからさ。諦めてもらうのには、それなりの理由がなければダメだと思っただけで』

「それなりの理由ですか。…まぁ、たしかにしつこい人にはそれなりの理由つけて諦めてもらうしかないですよね」

『それで、楓君にお願いしたいんだ。こういう事って、早いうちに手を打っておいたほうがいいと思ってさ』


 ──なるほど。

 僕と奈緒さんが仲良くしているのを見せつければ、相手の男子は諦めてくれるだろうと奈緒さんは思ってるんだな。

 まぁ、上手くいくかどうかはわからないが、やってみる価値はあるだろう。


「わかりました。僕も一肌脱ぎましょう。…それで、いつからそれを実行すれば?」

『──できるなら、明日からでもお願いできないかな?』

「明日からですか?」

『ダメ…かな?』

「いや……。ダメなことはないんだけど。香奈姉ちゃんには、何て言ったらいいか……」

『香奈には、あたしから説明しておくよ。だから、楓君は何も心配しなくていいよ』

「それならいいんだけど……。変な誤解をされても僕が困るので、奈緒さんが説明してくれるのなら安心できます」


 香奈姉ちゃんは、あんな風に見えてやきもち妬きなところがあるので、ある意味心配していたのだ。


『そういう事だから、明日からさっそく一緒に登下校しようね』

「わかりました」

『それじゃ、約束だからね。…待ってるから』

「はい、たしかに約束しました。それじゃ、また明日」

『うん、また明日ね。楓君』


 そう言って、奈緒さんの方から電話を切る。


 ──さて。

 奈緒さんと約束したはいいけど、登校中にどこで待ち合わせるつもりなんだ。

 そもそも香奈姉ちゃんには、うまく説明しておくって言ったけど、なんて説明するつもりなんだろうか。

 うーん……。

 考えていてもしょうがない。

 何かあれば、香奈姉ちゃんの方から連絡がくるだろう。

 僕は、途中にしてた晩御飯を食べ始めた。

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