408話 道連れにします
王国人の俺から見ると、皇国の建物は屋根までが高い傾向にある。
恐らくは王国と違って魔物が出現するリスクのせいで土地をあまり贅沢に使えなかったなどの昔の事情が、そのまま建築様式として残っているのだろう。人間ならなんとか登れるかもしれないが、オークの太い指と体重で上るには厳しい家も多い。
皇国騎士団とオークの戦闘は膠着状態――否、やはり騎士団が押し込まれ始めていた。市街戦による強力な飛び道具の不足。オークを包囲殲滅する予定で重装歩兵隊を広域に展開した重装歩兵隊の不足。更には出撃者そのものも本来より少ない。そんな状態で、散り散りになると読んでいたオークがまさかの一点集中だ。
団長ルネサンシウスは流石に一定の実力があるのかオークをなんとか押し返しているが、他の団員たちのフォローに手を回すせいで全体としては結局押し込まれているようだ。
「くっ、本来オークなどある程度数を減らせば臆病風に吹かれて逃げるものを……!! 重装歩兵隊の増援はまだか!?」
「それが、包囲網を十全にするために細かな路地に入ったのが仇となり……」
「き、騎士団長!! 助けてください、騎士団長!! うわぁぁぁーーーー!?」
押し寄せるオークを盾で押し返そうとした兵士の一人が、盾ごと空を舞う。オークを押し返そうと必死で盾を握っていたのが、敵の怪力の前で仇となったようだ。一応は放っておいて死ぬような高さではなさそうだが、念のために跳躍して空中でキャッチしておく。
「あ、貴方は……」
「口閉じろ、舌噛むぞ!!」
俺はそのまま騎士団の陣の裏まで跳躍し、着地した。
着地と同時に彼を襲っていた浮遊感が全て重力に変換され、騎士は「フベスッ!?」と間抜けな悲鳴を上げる。
「無事か?」
「し、舌……ちょっとだけ噛みました……」
「そりゃ自業自得だろ。ガッツリ噛むと最悪死ぬぞ」
「ひゃい……」
騎士は口を押えて痛みに震えながら頷いた。
今頃彼の口の中には血の味が広がっているだろう。
ありがちな台詞に見えて実は本当に危ない「舌噛むぞ」である。
さて、やってきたはいいが前線が押されすぎてとてもルネサンシウスと会話出来る状況じゃない。しかもいつもの外対騎士団ならこんな時の為に用意してくれているアイテムが悉くない。催涙爆竹、丸太、投石用の石……そもそも敵を防ぐためのバリケードが貧弱かつ取り合えず置きました感が凄い。
オークとの戦いは準備が全てだ。
突発的な戦闘は最低の状況である。
最悪ではなく最低であるのが個人的には重要だ。
現に今の皇国騎士団は最悪だ。
「ひぃ、ひぃ、こんなの勝てねぇ!!」
「臆病風に吹かれたなら引っ込んでいろ! 私が仕留める!」
「バカ、突出したら陣形が……団長ぉ!!」
「ぬああああああああッ!!」
ルネサンシウスが咆哮と共に数匹のオークを斬り殺すが、その間に味方のへまで押された場所が後続のオークに埋められる。
統率はボロボロ、目的意識も足並みは揃わず、ましな動きが出来る団長にばかり負担が集中して反撃に出ることも出来ない。お得意の陣形はどこへやら、撤退者とフォローに前進する者と肩がぶつかって口論してる者までいる。
多分だが、軍学的にはもうこの陣は切り捨てるしかないのではないだろうか。それはそれとして騎士としては見逃す訳にはいかない。こうなればもう一度オークの集団の背後に回ってひたすら数を減らしつつ、前線で死者が出ないのを願うしかないか――そんな事を考えている俺の視線に、ある奇妙なオークたちの姿が映った。
オークたちは樽――どうやら花壇の水やりのために雨水でも貯めているようだ――に数匹で群がり、一心不乱にその中の水を飲んでいる。一匹が頭を突っ込んで、他数匹はその一匹がバシャバシャとこぼす水を必死の形相で舐め取ろうとしている。
「水分不足……」
はっと、森でのことを思い出す。
あのオークたちはひたすら屋外の日差しが照る場所に居座らされ、それからその森を出て皇都まで全力疾走してきたのだ。その意志を操るのがオークであれアルラウネであれ、既に極度の脱水状態なのではないだろうか。
皇都周辺には川がない。
厳密には、近隣の川から水路を敷いており、それを魔導機関でくみ上げて町の上部から下部へ供給しているそうだ。そして、ある種贅沢の象徴である水は、上流階級のいる地域や城など――つまり都市の中心部では贅沢に使われている。
オークたちはその水気を感じ取っていたのかも知れない。
上に行けば日光も独占できて水も手に入るのだから一石二鳥だ。
だとすれば、水は囮になる。
俺は近くの団員を捕まえて問いただす。
「おい、この辺りで水が沢山ある場所はどこだ!?」
「こ、この忙しいときに何を!?」
「だから忙しさを緩和する策を考えようって話だ! この辺に大きい水路、噴水、給水施設はないのか!?」
俺の気迫に圧され、騎士は問われるがままに記憶の糸を辿る。
「ここからなら――通りを直進した所に庶民用の噴水が」
「それだ!!」
俺は騎士団の予備の剣をいくつか拝借して大地を蹴り、屋根の上から剣を投擲して前線の弱った部分をフォローする。そこでルネサンシウスはやっと俺の存在に気付いたようだった。
俺は声を張り上げて叫ぶ。
「ここはもう駄目だ!! 後退して通りの噴水の後ろに陣を敷き直せ!! 時間稼ぎは手伝う!!」
「ならぬッ!!」
これまでにない気迫で、ルネサンシウスは叫ぶ。
「ここが防衛の分水嶺なのだ!! ここで防げねばどうあってもこの獣共の進行は防げぬッ!!」
「いいや、こいつらは噴水で必ず一度止まる!! 水が欲しいんだよ、だからこんなに必死に食いついてくるんだ!!」
「その言葉に何の根拠があろうか!? 貴殿が如何に偉大な騎士でも、皇国騎士団の頂点に立つ身の人間が、海外の騎士の言いなりになるなどあってはならんのだッ!!」
「この……ッ」
石頭、と叫びそうになったところでぐっと堪える。
ルネサンシウスの気持ちが、俺には分かるからだ。
オーク狩りを始めてから、うんざりするほど部外者から机上の空論は聞かされてきた。あれをああすれば楽だった、このとき仕事を真面目にやっていなかったせいでお前たちが被害を出した、手っ取り早く大がかりな兵器を使えば良い……。
彼らにはそれほどオーク狩りは単純な作業に見えている。
しかし、それを口にする全員が必要な知識を持たない無責任な素人だ。
だから、こちらが何故それを出来なかったかということを知らないし、説明したとて理解しようとは思わない。
例えば売店のカウンターに客が来た時、偶然店員がいなかったとしよう。その店は売り上げが苦しく、どうしても店員の仕事の種類が増えてカウンターが空く時間がある。呼ばれれば来るが、常には無理だ。
しかし客は自分が入っていたそのときに店員がおらずカウンターが使えなかった、それが気に入らない。客商売である以上客を待たせないのが当然であり、店側がなにを言っても努力不足の言い訳だろう程度にしか思わない。
今、こうして指図している俺とその口うるさい客に、どれほどの差があるだろう。実際に皇国騎士団の指揮系統に組み込まれて命令を飛ばしたことのない俺に、ルネサンシウスの抱える数多の事情が読み取れるだろうか。
当然、無理だ。
それに、仮にもこちらも公僕である以上、気持ちは多少分かってしまう。
しかし、それを押してでも今はやって貰わなければならない。
だから俺は酷な言い方をした。
「あんたの都合で部下は死ぬってことをよく考えろ!! 命は出世より安くはないぞ!?」
「!!!」
ルネサンシウスは、きっと俺の伝えたい形ではその言葉を受け止めなかった。
それでも、俺が一か八かで放った言葉は、彼の琴線に触れたようだった。
「……総員、戦線を維持しつつ後退!! 第三公共噴水後方で扇の陣を敷く!!」
「「「了解ッ!!」」」
部下たちは、避難はさせているとはいえ市民の家に被害が出るのでは、とは言わなかった。彼らは生き延びたくて、少しでも眼前に迫る緑色の死への恐怖から逃れたかったのだ。
俺も約束通り後退の手伝いで前線に出てオークを切り伏せる。
気付けば騎士たちが撤退する中、俺とルネサンシウスの二人でオークを押えていた。
「騎士ヴァルナ……」
「なんですか」
「私は部下を甘やかしすぎた。練度の話ではない……部下を、可愛がりすぎていた」
ルネサンシウスの顔には何の表情もない。
ただ眼前のオークを淡々と捌くのみ。
しかし、その言葉には重苦しい年月を感じた。
「騎士はみな仲間だ。しかし騎士団は年々その存在意義を少しずつ削られ、民にも時には笑われるようになっていった。私は古い人間だ。騎士としての生き方しか知らない。だから組織を守り、部下を導き、出世させてやることも、自分の知る古いやり方でしか出来なかった」
「……」
「本末転倒だ。気付けば手段と目的がこんなにも……」
ルネサンシウスは、現体制の騎士団という枠では有能な騎士だったのだろう。
しかし、彼には新たな体制を作る能力がなかった。
自分の知っている領分の範囲でしか、導けなかった。
もう彼の領分は時代に置いて行かれ始めていたとしても、それしかなかった。
「私は部下のためにと思ってあの話に乗った。せめて自分の居るうちは、自分に出来る範囲でと……しかし、貴殿に大敗したときには、既にそうするべきだったのだ」
「辞める気ですか」
そこで、ルネサンシウスは初めて切ない笑みを浮かべる。
「せめて、なるべく多くの責任を道連れにしてな」
彼は、己が辞するのを以てして、旧体制終了の宣告とする気だろう。
古い考えで醜く出世に足掻く部下たちに彼がしてやれる、唯一の介錯だ。
「……俺は若輩者なので何も含蓄のあることは言えませんが……お元気で」
「ふっ、引退前に君と刃を交えた経験は、これから重宝することだろう。酒の席でな」
皇都に侵入したオーク二〇〇のうち、騎士団とぶつかったのはその六割程度。騎士団の奮戦と俺によって減ったのはおおよそ三〇。まだ沢山のオークが残っている。しかし、俺の予想通り、オークたちは噴水前で止まった。
「ブバッ、ブババッ、ゴキュ、ゴキュ!!」
「ゲェッホゲホ!! グビ、グビ!!」
そのうち自分で窒息するのではないかという勢いで水を飲むオークたちに、皇国騎士団は唖然とした。
やはり彼らは水も求めていたらしい。しかしオークが吸収した水がアルラウネに辿り着くまで時間がかかりすぎるため、とうとうオークの頭頂部の芽の周辺から噴水に向けて根が噴出しはじめた。まるでオークに髪の毛が生えたような根の出方で、非常に言い表し方の分からない状況になっている。
もう彼らは周囲が見えていない。
自分たちの背後に、その身を貫かんとする刃がそろりそろりと近づいていても。
それから数分後、噴水はオークの血で真っ赤に染まった。
(考えてみりゃ、アルラウネは好きでオークに寄生した訳じゃないんだろうなぁ。それで生き残る為に必死で足掻き、オークも同じく必死で足掻き、最終的にはこんな意味の分からん形で共倒れとはね……)
魔物にくれてやる同情はないが、責任の度合いで言えば魔物を操る実験をした誰かの方が重いだろう。あとでルネサンシウスの乗った『あの話』とやらを確認したい。
一応オークの死体処理についてアドバイスしながら、俺は首をほぐすように軽く回す。
「にしても、王国のオークもこれくらいわかりやすく罠にかかってくれると仕事が楽なんだけどなぁ。じゃ、俺もう片方の群れを血祭りに上げに行くので失礼」
(えぇ、怖……)
(危うく死人が出るくらいの戦いを『楽』って……)
(王国って本当に平和なのかなぁ)
何故か戸惑いや畏怖の入り交じった視線を浴びながら、俺はその場を後にした。
ルネサンシウスが辞職するときに背負う責任を、少しでも軽くしてやるかと思いながら。
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