403話 一廉の義心を信じます
アストラエは王族だ。
支配者として民衆を導くための教育を幼い頃から受けている。
故に、青い顔をして戻ってきたヴァルナの予測を聞いたとき、彼は真っ先にとあることを考えた。
――オークを活かした『良い演出』とは何か?
民衆は、自分たちに直接的な危機が及ばない限り、どんなリスクに対しても鈍感なところがある。一部の人間は気付いたとしても、大多数の人間は気付かない。その大多数の方を上手く動かすのが政治の力であり、権力だ。
仮にヴァルナの予想が当たっていると仮定して――皇都の外で村がいくつか滅んだところで皇都内の民は悲しみも焦りもしないし、そのオーク達が討伐されても無関心だろう。
商人などの町の外との繋がりが強い人間はさておき、都市全体で見れば大したインパクトはない。逆を言えば、もっと直接的に――例えばオークが『冒険者たちには防げず皇都に雪崩れ込んだ』くらいの危機があれば、その衝撃たるや絶大であろう。
しかも、今は時期が良い。
皇王の鶴の一声によって騎士団再編中の今は幾らでも初動が遅れた言い訳が利く。責任の所在が曖昧になり、再編の間接的原因になった王国に責任をなすりつけて民衆の批判の矛先を逸らすことさえ出来るだろう。
それでいて、オークが侵入しても被害のコントロールが容易な場所、ないしある程度壊れない場所があるとすれば、少しでも頭の回る人間はそこにオークを誘導し、騎士によって迎え撃つだろう。
さすればそこに『突如現れて冒険者の手にも余ったオークの集団を、再編中という時期にも拘わらずなんとか旧体制を中心にして立て直し、見事皇都の被害を最小限に抑えた有能な騎士団』という状況を成立させられる。
上手くいけば、再び旧体制の支配が戻る。
彼らからすればまさに起死回生の一手だ。
故に、アストラエはヴァルナの意見を踏まえた報告書をさらりと纏め、ギルドのファミリヤに託した。アストラエのものは皇都の王へ、ヴァルナの書いたものはセドナの下へと向かった。
「……それで、ここからどうするんだヴァルナ?」
「走って町に帰る。ファミリヤ化したフクロウは確かに速いが、流石に馬の足の方が上だ。急いで戻って馬を捕まえればオークの群れに間に合うかもしれん」
「きみ、乗馬出来ないのに?」
「……まぁ素人なのは否定しないが、こないだの休暇にマモリ共々、
よほど馬を操れたのが嬉しかったのか、ヴァルナの顔は珍しく和やかだった。
騎士と言えば乗馬。安直なハズなのに配属先の悲劇によって叶わなかった夢を、彼は漸く叶えることが出来たようだ。
(たかだか乗馬程度でこの浮かれよう……なんというか、頼んでなくともやらされた身としては可哀想に見えてきたな。口に出すと血涙流されそうだから言わないが)
――それから数十分後、セドナは次第に白んで朝日の出迎え準備を進める空より降り立ったファミリヤに呼ばれ、ぱっちりと目を覚ました。
彼女は報告を受け取るや否やその内容を起床直後にも拘わらず明晰な頭脳で分析し、アストラエの考える『丁度良い場所』に即座に思い至る。
皇国にとって死んでも良い人間、破壊されてもいい場所にぴったりと当てはまる場所がある。セドナが政治家であれば絶対にしないだろうが、戦略的に見てこれほど都合が良い場所はない。
何より、被害が起きた後にどんな理由でも付けて強引に介入出来てしまう。政治的に見れば一石二鳥の場所と言えるだろう。
セドナは、このオークの群れを人為的に操っているのが皇国騎士団であるならば、戦場となるのは一カ所しかないと特定した。
閉鎖的な空気、独特の価値観、社会的に棄てられた陰の集落。
蔑まれ、疲れ果て、救いの手を握れなかった者の集う終着点。
「戦場とされるのは、
彼女は大慌てで皇都の同僚宛ての手紙を用意すると、着の身着のままのパジャマ姿で宿から駆けだした。
幸か不幸か、彼女はギルドが緊急召集のけたたましい鐘の音を鳴らして混雑が起きるより前に、手紙をファミリヤに預けることが出来た。
◇ ◆
俺、アストラエ、ルートヴィッヒの三人が町に到着したとき、町はやっと雄鶏が鳴くくらいの時間帯であるにも拘わらず人の出入りが激しかった。
ルル、セフィール、マナの三人とルートヴィッヒの同僚たちは俺たちの移動速度について来られなかったので、森を抜るまでは足並みを揃えて後は三人で先行してきている。
ルートヴィッヒは即座に鐘の音に反応し、眉を潜める。
「どうやらギルドもオークの群れを確認したようだな。緊急召集の鐘だ」
曰く、この鐘は異常事態が発生した際に鳴らす特別なリズムの鐘らしい。彼の予想では、ギルド前の混雑が見られないので既に仕事の説明は粗方終了して本体は出発した後だろうとのことだ。
「皇国の警戒網も大した物だろ?」
「結果が伴ってれば尚のこと嬉しいけど……」
「確認を取ってみよう。ほら、あんなところに野生のメンケントがいるぞ」
アストラエが冗談めかして指さした先には、ギルドの入り口近くに直立不動で待機しているアストラエの護衛、メンケントがいた。彼はこちらの様子に気付くや否やつかつかと足早に近づき、礼をする。
「お帰りなさいませ、アストラエ殿下! セドナ殿に頼まれ今までギルドのオークへの対応をつぶさに確認しておりましたので、ご報告したく存じます!」
「うむ、聞こう」
「王子達の伝達後すぐにギルドは推定四〇〇頭のオークの群れを発見! 進撃経路への避難呼びかけと同時にこれを討伐せしめん為に陣を展開しました!」
「四〇〇だと? 俺が見たときより更に増えてるぞ……」
「森を移動中に更に別のオークと合流したんだろうね」
「三〇〇でも多いのに四〇〇頭の魔物の群れなんてこの辺じゃ前代未聞だ……」
顔を青くするルートヴィッヒをよそに、メンケントの報告は続く。
「しかし、オークの数と進撃速度が予想を遙かに上回っていたため、第一陣は既に突破! 第二陣の構築が間に合わないと判断したギルドは
ばつが悪そうに付け加えるメンケントだが、むしろ食い下がっているだけ良い方だろう。そもそも四足歩行で痛覚が麻痺した大量のオークの群れだ。ちょっとやそっとの攻撃で止まれる数でもない。統率者の指令があるならば尚更足並みを乱さないだろう。
正規の訓練を受けた相応の数の戦士たちが、事前に陣を張らねば効率的な撃破は無理だ。
「また、地方騎士団から一部増援も駆けつけているとの情報がありましたが、詳細は不明! ただ、依然オークの進撃速度が緩まらないことから彼らも苦戦している、ないしオークに追いつけていないことが予想されます! どうも騎士団とギルドは普段連携することがないらしく、情報伝達にもごたつきが発生しているようです!」
騎士の悪いところが出ているのかと思った俺たちだったが、現地人のルートヴィッヒは別の見方をする。
「無理もない。こんな襲撃、騎士団には特に予想出来ないだろう。むしろいつもより対応が早いくらいだ」
対応が早い理由は、オークが皇都に向かっているからだろうか。
何にせよ、あてには出来なさそうだ。
状況は大体分かったが、一つ確認がある。
「メンケント。オークの群れの前方に誰かいたとか、リーダー格が見えたとかはないか?」
「そのような報告は聞いていない」
「本当に、群れの前方には誰もいなかったんだな?」
「だから、そのような報告は――いや、待て……」
ぞんざいに突き放そうとしたメンケントだが、ふと思い出したように顎に手を当てる。
「そういえば、第一陣が崩壊して帰還した冒険者たちがこんなことを言っていた。オークが攻め込んでくる前に、オークの進撃方向から馬に乗った男が『もうすぐオークの群れが来る』と伝達したとか。一緒にそれを聞いていたセドナ殿が難しい顔をしてどこかに文を飛ばしていたから偶然覚えていたが……」
曰く、冒険者たちとしてはその知らせは助かったので気にはしなかったが、改めて考えるとやたらといい馬に乗っていたり、荷物がやけに少なかったり、その後の戦いで姿が見えなかったり、そもそも男が誰なのかが目撃者には心当たりがなかったそうだ。
「どう見る、ヴァルナ?」
「証拠はないが怪しすぎる。そいつを『笛吹き男』と仮定して動くしかない……で、そういえばセドナはどこに?」
「セドナ殿はフロレンティーナ殿が王子たちの為に残した馬車から馬を借りに向かいました」
「手回しいいなぁ……」
ちゃっかりオーク煽動の容疑者にも何か対策を打ったようだ。
ここから先はもはや打つ手は殆ど無い。
とにかく群れを追いかけて、オークを一匹でも沢山仕留めるしかない。
さもなくば、推定400――冒険者の必死の攻撃で減っていることを願いたいが――のオークは一斉に皇都に突撃してスラム街を蹂躙し、数多の死者が出るだろう。そして、その状況を利用して皇国騎士団は絵図を裏で書いた人間の都合に合わせて再編成され、更にはスラムそのものにも大規模な介入が入り、生き残った人々は場所を追われるかもしれない。
俺は、絶対にこれを許せない。
民を守る為に存在する組織が、保身の為に民が苦しむのを黙って見ていることなどありえない。未然に防げる筈の事態を逆に自ら誘発させ、民の血を流させるなど決して許されることではない。税金を払っているかどうか、などという問題以前に、スラムの者も人なのだ。
騎士団のような『守る』組織には、本音の為に建前を歪めることは許されない。
それは、取り返しのつかない致命的な裏切りなのだから。
綺麗事を本気で貫いてこそ誇りある騎士だ。
そうでなくては騎士を名乗る資格がない。
(これ以上俺を失望させないでくれよ、皇国騎士団……ッ!!)
俺は、騎士団の中にも
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