400話 引っ込みがつきません

 俺の勝手な予想では――変異アルラウネはオークを呼び寄せて、何らかの催眠物質でも吸い込ませているのではないかと思っていた。しかし、予想は外れたのかも知れない。


「アルラウネを……」

「食ってる……」


 追跡していたオークたちは、変異アルラウネが健気にも抵抗するかのように伸ばす蔓を引き千切り、食べていた。蔓は確か硬くて食べられたものではない代物らしいのだが、オークはお構いなしだ。


 最初は訳の分からない光景だったが、よく観察してみると連中は変異アルラウネの根の先端、ぷくっと膨れた部分を集中して食べているようだった。ルートヴィッヒは何かに気付いたようにはっとする。


「あそこは蔓の種が入っている場所……普通のアルラウネにはなく、変異アルラウネのみに見られる特徴だ。今まで蔓は食べられないという先入観があったが……」

「あの先端は果実のような役割があるのかもしれないと? それでオークの胃腸にアルラウネの種がねぇ……」


 オーク達はついでにアルラウネの幹にも目を付け、数匹で一気に近づき捕食していく。変異アルラウネは為す術もなく数分で食べ尽くされ、無惨な姿に変貌した。


 これでアルラウネがオークをコントロールしている線は限りなく薄まった。であれば、次は変異アルラウネが持つ何らかの成分がオーク達を狂わせているという説を検証するために暫くあのオークを観察する必要がある。

 ルルが眉を潜めた。


「あのさ、もしアルラウネが原因だとしてよ? その変化が一日以上かけて起きるものだった場合、アタシたち詰んでない?」


 尤もなルルの懸念にルートヴィッヒは頷く。


「少なくとも夜明け前に暴くのは難しいだろうね」

「だとしても可能な限り可能性を追求するしかないさ。駄目なら耳の一部をカットして経過観察個体の印にして、ギルドに引き継ごう。オークが動き出した。追跡を再開する」

「はーい……騎士の仕事ってこんな地味なのね。バーナード、何が楽しくてそんな仕事してんだか」

「そりゃ比較対象の問題なんだろうよ。皇国人曰く、王国騎士団うちは殆ど特殊部隊だそうだ」


 確かに王国にある複数の騎士団はそれぞれが専門的な役割を持っており、その役割は国防に組み込まれている。世界で騎士団の名誉職化が進むなかでこの進化の仕方は極めて特殊なようだ。


「まぁバーナードの人生が楽しそうではないのは同意するけどな」


 その一言で、興味なさげに話を聞いていたルルが急に食いつく。


「あいつ大丈夫なの? 虐められてない?」

「多分めっちゃ虐められてるぞ」

「……!!」


 不安が的中した渋面と、出来れば杞憂であって欲しかったという哀情が混ざり合った表情は、すぐに怒りのつり目に変わる。


「……だれよ、やってるのは」

「さぁ。分からんから騎士団の面子丸ごと潰したけど」

「はぁ?」


 ルートヴィッヒがああ、と納得したような声をあげる。


「君は仕事してたからまだ知らないのか。彼、皇王陛下の目の前で行われた演習で皇国騎士団を完膚なきに打ち負かしたんだよ。おかげでいま皇都は騎士団再編を余儀なくされ、怠惰な騎士と関係者たちが次々にクビにされてるって話だよ」

「こんなところでクビ狩りの異名を発揮するとは思わなかったよ」

「……ちょっと待ちなさいよ、なんで騎士一人の演習なんかでそんなにあの腐った騎士団がひっくり返るのよ?」

「そりゃ、皇国騎士団が総力を上げて戦ったのを彼が一人で壊滅させたからさ」


 ルルの表情がかちんと固まるが、別にそんなに不思議な話でもないだろう。国王直々に潰して来いって言うから遠慮無く潰しただけだ。


「実行するアンタが一番摩訶不思議よ」

「失礼な。そもそも俺は大会優勝者だぞ。俺で勝てなかったらシアリーズでも勝てないことになっちゃうんだから、むしろ勝てて当然だと思わないか」

「言われて見れば確かに。負けたらシアリーズ様の顔に泥を塗ると……なんだやれば出来るじゃない! 褒めてつかわす!!」

「どーゆー立場の人間だお前」

「あ……でも待ちなさい! 騎士団たたきのめしたってことはバーナードも虐めたんじゃないでしょうね!!」

「してないしてない」

「……なら許す」


 バーナード大好きかよお前、と突っ込みたかったが、聞き方を変える。


「よっぽど心配らしいな。そんなに長い付き合いなのか?」

「心配とかじゃないし……あんな奴。そりゃ子供の頃からの付き合いだけど、腐れ縁だし? エラくなりたいだか何だか知らないけど、人の反対も押し切って勝手に騎士団入って連絡もたまにしかよこさなくてさ……」


 ぶつぶつと声が小さくなっていく彼女は、まるでいじけた子供のようだった。




 ◇ ◆




 ルルとバーナードの出会いは今から十年前に遡る。

 当時、スラムの中でも既に頭角を現していた兄のドルファンには敵が多かった。立派な社会でもスラムでも、出る杭は叩かれる。それが後ろ盾のない存在であれば尚更だ。負けて奪われても自業自得、それがスラムのルールだった。


 そしてドルファンを嫌う者たちは、彼に勝てないと悟るや否やその矛先を無力な妹のルルに変えた。足を引っかけられる、唾を吐きかけられる、食べ物を奪われる……ドルファンのいないところで続いた嫌がらせは次第にエスカレートした。

 ドルファンも妹のことを必死に守ろうとはしていたが、なにせ両親もおらず乱暴者の彼の味方は当時誰もおらず、それに怒るドルファンは更に乱暴になり、不満を持つ者の怒りは余計に高まり、それがまたルルにぶつけられるという悪循環を齎していた。


 そんな折に現れたのがバーナードだった。


『飯の調達に良い場所があるんだけど、一緒に行くか?』


 なんとか盗んできたパンを奪われ、殴られ、蹴られ、失意の淵にいたルルにとって、同世代のその少年はとても眩しく見えた。


 彼は機転の利く男だった。スラムの誰も目をつけないような場所を転々と回って他の面々より美味しい食料を調達する頭脳があった。ルルが他の連中に見つかっても、「ドルファンが来る」と大声で嘘を叫んで散らせたり、子供なら通り抜けられる小さな通路を利用して逃げたりしてみせた。


 ただ頭の良い小狡い男ならルルもそこまで信用できなかっただろうが、バーナードはどうしても逃げ切れないときは戦う勇敢さも持っていた。彼は護身術にも心得があり、決していつも勝てた訳ではないが無抵抗でやられはしなかった。


 やがてそこに同世代のミリオとシュタットが「厄介な子供達がいる」という噂を聞きつけて合流し、兄のドルファンも自分がいない間に妹を庇ってくれた男の存在を認識し、初めてルルは家族以外の信頼出来る人間の集団に参加した。


 暴力に明け暮れたドルファンに自警団という生き方を示して味方を作る方法を提案したのもバーナードだ。ルル、ミリオ、シュタットに文字の読み書きや簡単な計算を教えてくれたのも、またバーナードだった。


 ルルにとって、バーナードは自分と同じスラムの人間なのに、とても輝いた存在に思えた。年齢を重ねるにつれその眩しさは次第に魅力へと変わっていき、『アンディライツ』が結成された頃には明確な異性への好意に変わっていた。


 ただ、気恥ずかしくてそんなことは素直には言えなかった。

 一緒にいる口実が欲しくてお姉さんぶった態度でしか近づけなかった。

 だからあるとき、バーナードがいきなり騎士団に入ると言った時には、自分の感情がごちゃごちゃして形にならず、喧嘩別れしてしまった。


『何でよりにもよってあんな腐った騎士団なんかに行くのよッ!! スラムにいればいいじゃないの!!』

『俺にだって叶えたい夢があるんだよ! それとも諦めてずっとここにいろっていうのか!?』

『……この、馬鹿。分からず屋ぁッ!!』


 それ以来、彼とは口を利いていない。

 後から聞いたが、兄や友達たちは騎士団に行って欲しくはなかったものの、バーナードの熱意に負けて背中を押したらしい。彼の育ての親の老婆が亡くなった話もそのときに聞いた。


 バーナードが騎士になると言ったときも、スラムにずっといたくないと言ったときも、ルルは裏切られたと感じた。彼は自分と同じところを見ていると思っていたのに、いざ確認してみれば彼は嫌いな騎士になると言い、いて欲しいスラムにいたくないと言うからだ。

 しかも皇国騎士団は女人禁制で、絶対にルルは一緒に行けない。

 それもまた突き放された気分にさせられた。


 少し考えればそんなもの、唯の自分の決めつけだと分かる。

 スラムを離れないと叶えられない夢があったとして、だから生まれ育った場所を嫌いになっていると解釈するのは無理がある。しかしルルはあの時、それに思い至れなかった。ヤケを起こし、彼女は冒険者にまでなった。

 騎士の対極たる冒険者は当てつけに相応しいと思った。

 思いのほか戦闘の才能があり、今では仕事を楽しんでいるが……。


 それからというもの、ルルはバーナードと口を利いていない。

 彼は故郷のことを忘れたりはせず、定期的に顔を出して様子を見に来たりしていた。友人伝手にルルとの喧嘩のことも余り気にせず歩み寄る様子が覗えた。それが逆に、彼女の意地のやめどころを分からなくさせてしまった。


 そして今、自分の都合ばかり気にしている間にバーナードは騎士団で虐められていたと知った。

 純粋な心配で虐められてないか質問したが、まさか本当とは思わなかった。昔の自分ならきっとバーナードの異変をどこかで気付けていた筈なのにだ。この推しに泥を付けた王国騎士が勝手に虐めの報復をしてくれたと聞いたときは溜飲も下がったが、それだけではルルの心に纏わり付くもやは晴れない。


(離れちゃったのかな……私たち)


 近づいて会うことは出来るのに、想いは消えないのに、心の距離は離れるばかりだ。

 

 ――と、眼前にヴァルナの遮るような手が伸びて、過去に耽る思考を中断する。ヴァルナは鋭い視線で追跡するオーク達を見つめていた。


「様子がおかしい。氣が急に乱れ始めた」


 はっとして追跡していたオークの方を見ると、オーク達は頭の血管が浮き出て小さく唸りながら痙攣を始めていた。これは誰の目にも明らかな異常だ。そしてオークたちは急にしゃがみ込み、四足歩行で猛然と疾走を始めた。


「追うぞ、付いてこい!」


 目の色を変えて追跡の態勢に入ったヴァルナに慌てて続く。

 ヴァルナはまるでここは自分の仕切りだと言わんばかりに先陣を切りながら叫ぶ。


「方角的に、恐らくロックバードのいる岩場に向かっている! それにこれは――!!」


 言い終わるより前に右方、左方の遠くからガサガサと草木を分ける音がする。木々の合間に辛うじて見えたそこには、ワルフのような小型魔物ではない大きなシルエットが疾走していた。その走り方はまるで自分が追跡する相手と同じで、重量を感じさせる足音を森に響かせている。やがて、月夜が一瞬照らした特徴的な緑色の皮膚で正体を確信したルルは叫ぶ。


「オークだ!! 同じ方向に向かってるし、こっちに見向きもしないよ!!」

「そうかい……なんか、正直ものすごーく嫌な予感がしてるんだよ、俺」

「この真夜中にオークと並走してる時点でなかなか嫌な状況だが、何を疑ってるのかね騎士殿は!?」


 ヴァルナはあまり自分の予想が当たって欲しくなさそうに、こう呟く。


「誰かが人為的にオークを操ってる可能性。あくまでカンなんだけど、至極残念な事に若干の心当たりがあるんだよなぁ」


 その表情に、冗句を匂わせるふざけた態度は見受けられなかった。

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