383話 叱ってやらねばなりません
晩餐会から一夜が明け、翌日の早朝。
俺は逆立ち腕立て伏せをしながら床に置いた今日の日程表を確認していた。
本日の予定は午前から公開練習の視察と模擬訓練、午後からは騎士団の活動内容や仕事などの視察。一応ながら皇国騎士団が俺に教えを乞うような形式にはなっているが、さもありなん。王国騎士団は他国騎士団等との実戦演習で負け知らずなのだ。当然皇国騎士団も王国騎士団との演習ではボロクソに負かされてきた。
幾ら皇国の歴史が長く偉大だったとしても、この結果は覆せない。
「で、それはいいとしてだ」
俺は逆立ちする腕をぐっと曲げ、一気に伸ばした反動で飛び上がり、足から床に着地する。俺の目の前にはサンドイッチと紅茶で朝食を摂るアストラエの姿があった。量は些細なものだが、何故か俺の分も用意されており、アストラエの後ろには王国から来たメイドの一人が微笑んでいる。何の微笑みだよ。
「今、朝の五時だぞ? お前そんなに早起きだったの?」
「何を言うか。これでも普段は騎士団勤務だぞ? これくらい早起きな日はあるだろ」
よく忘れそうになるが、この王子も聖艇騎士団所属だった。
「お前が早起きして作業にいそしむ様が想像できん」
「仕事だもの。そこに上司も部下もないよ。大抵は与えられた役割をこなすだけで一苦労だし。それにほら、ぼかぁ天才なんでね。ちゃんと実力で出世しているとも」
ビッグマウスなアストラエだが、海の荒波に揉まれる聖艇騎士団内ではこれくらいの方がむしろウケがいいそうだ。しかも、実績も出している。上司に顔が利く分、部下全体の代弁者として機能することもあるそうだ。
「海の前には皆が等しくちっぽけな一個人に過ぎない。だから人間は団結して過酷な世界に飛び込まなければならん。そのために全員で船を適切に運用するという意識を全員で共有するんだ。たとえ波風を突っ切る動力つきの船だとしても、人間がミスをすればあっさり沈む」
「ふーん。色々課程の違いはあれど、外対騎士団にも似たところはあるな」
外対騎士団も、オーク殲滅という意識を共有することで一丸となる。
どんな組織にも目的と理念は必要だ。
それが良いものかどうかは別として。
アストラエは俺の言葉に頷いたうえで、肩をすくめる。
「とはいえ、さっき君の言ったことにも一理ある。幾ら海の男でも構成員は特権階級だし、多少ちやほやされたのは否定すまい。でもな、ヴァルナ。やっぱり仲間の事を考えて行動できない奴は、海では長続きしないものだよ……という訳でだ!!」
アストラエが突然すくっと立ち上がる。
「皇国騎士団がどんな意思の下に統率されているのか、一つ抜き打ち調査と行こうじゃないか!!」
「うーんこの王子ときたら」
どういう訳なのかさっぱり分からんが、目的は悪巧みだったようである。
◇ ◆
俺とアストラエは、とある男性と共に皇国騎士団の宿舎へ向かっていた。
男性の名はルシルフル・ド・ウェンデ男爵。
フロルの父であり皇国改革派筆頭ミカエル氏の同志、つまり俺たちに友好的な存在である。上質な衣に身を纏い柔和な笑みを浮かべる、如何にも人当たりの良さそうな上流階級といった雰囲気の人物だ。
なお現在、俺とアストラエ及び護衛のメンケントの三人は皇国騎士団の鎧兜を纏って変装している。流石に国賓が堂々と歩いていると目立つので、俺たち三人は「騎士団に体験入団してる貴族の子弟」という扱いになっている。
ルシルフル男爵は申し訳なさそうに頭を下げた。
「着慣れぬ鎧でご不便をおかけしますが、どうかご容赦を」
「いやいや、我が儘をいったのはこちらですよ、ウェンデ男爵」
「俺はむしろ人生初鎧でちょっと感動してるけど」
「口調が馴れ馴れしいぞ騎士ヴァルナ」
メンケントは最初の方こそ俺に敬語をつけていたが、最近はもう扱いが雑である。おかしいな、アストラエより遙かに優しく彼を気遣ってきた筈なのに言葉に棘がある。
ルシルフル男爵は気にすることはないとばかりに手を横に振る。
「馴れ馴れしい方がむしろ演技としてはいいかもしれませぬな。体験入学させろなどと言い出す貴族の子の多くが、わたくしより爵位の高い親を持っています。そうした子は生意気ですから」
少し気になり、質問を投げかける。
「じゃあ、俺たちの設定って現実にも割とあるんですか?」
「多くはないですが、珍しくもない程度でございましょうか。ちなみに見学から実際に騎士団に入るケースは稀です。騎士団員は殆どが平民上がりで構成されていますからな。時たま親に命じられて騎士団に入隊する者もいますが、そうした子は騎士団内でも特別扱いです。すぐに出世させられ、現場から遠のきます」
「つまり現場を大して知らない人間が重役に回されていく……」
「困ったことです」
ルシルフル男爵は騎士団という組織を監督する貴族の一人で、フロル曰く彼を通せば騎士団の内情は簡単に探れるそうだ。貴族が子弟を任せる程度には信用があるが、逆を言えば爵位の低さ故に便利に使われているとも言える。
「騎士団の監督といっても実際にはもっと上の爵位の貴族達の意向が反映されるので、実際は便利屋です。騎士団の運営にとやかく口を出すことも出来ませぬ。しかし、子弟を預かっている身でこそ知れる話もありましてね?」
少し意味ありげに微笑むルシルフル。
察するに、改革派の情報収集係なのだろう。
そんな忙しい人に迷惑かけるなよこの馬鹿王子は、と思うが、アストラエはアストラエでちゃんと思惑があったようだ。
「騎士団視察のスケジュールを見たんだが、見学範囲や行動範囲が随分狭い。つまり、広げると見つかるボロがあるのを隠したい訳だ。そもそも騎士団自体そんなに質が良くないようだしな」
「仰るとおりです、王子殿。さて、皆様方。ここから先に騎士団の真実の世界があります。見ない方が心健やかに過ごせるやもしれませぬが、準備はよろしいですかな?」
「勿論。本場の騎士を見せて貰いますよ。いろんな意味で」
皇国騎士団は世界最古の騎士団だ。
世に広がる騎士物語の多くが皇国騎士をベースにしている。
だが、俺も流石に少しは騎士の現実を見てきた。
多少の腐敗は覚悟の上だ。
意を決し、俺たちは皇国騎士団宿舎に突入する――前に足が止まる。
「どうしたヴァルナ?」
「ロック先輩の部屋の前と同じ臭いがするんだが。具体的には扉開ける前から既に酒臭い。もうなんかこの先の光景が想像出来る」
「じゃあ答え合わせしようぜ。ルシルフル男爵、行こう」
ルシルフル男爵は頷き、扉を開ける。
そこには、宿舎の部屋から雪崩れ出たような空の酒瓶と食べかけのツマミ、そして酒と汗の入り交じった悪臭を放ちながら床に雑魚寝する男達の姿があった。人間の駄目な部分が凝縮されたような淀んだ世界だ。
「うわぁ」
「怠惰さが部屋に収まりきれず溢れたと見えるな」
「やはりですか……窓を開けますね」
ルシルフル男爵が換気の為に窓を開け始めたので、俺たちも手伝う。
外から入る朝の冷気のせいか、床に転がった男の一人がぶるりと震えるが、起きる気配はなく、腹を掻いていびきをかき続ける。
いきなりの体たらくに俺は少々混乱した。
「え、今日の昼に国賓迎えて訓練とかする予定の騎士なんだよなこいつら? なに、夜中まで酒盛りしてたの? これ絶対行事予定までに酒気抜けきらないよね? なんなんマジ? ロック先輩の親戚?」
ロック先輩でさえ公の催しに顔を出す際は自重しようとするがしきれずいつも通り飲もうとするところを周囲が羽交い締めにして縛り上げて唾を吐きかけるというのに、皇国騎士はそれすらないのか。
「それがある方が怖いぞヴァルナ」
「一理ある」
(蛮族騎士団め……)
ともあれ、ルシルフル男爵の慣れた動きからして、どうやらこれは日常的な光景らしい。ふぅ、と心労から来るため息を漏らした男爵が語る騎士団の現状は、酷いものだった。
「皇国騎士は半ば形骸化しつつあります。もちろん演習は行いますし魔物との戦闘に派遣されることもありますが、多くの魔物討伐はギルドの冒険者が金目当てに狩り尽くしてしまう以上はどうしても暇な期間が長いのです。しかも暇していても給料は定額貰え、こんな有様でも少々叱られる程度で罰則を受けることも稀です」
「なんでそんなに規則が緩いんですか……公的な戦力でしょう? 予想外の事態が発生して緊急出動することだって……」
「ないのですよ、皇都周辺は特段に。しかもどんなに急を要する出撃要請があっても騎士団派遣の決定が下るまでに大抵は会議で丸三日かかります。本来は半日もあれば議論が煮詰まるような内容でもです。そうしてまごついている間に冒険者が問題を解決してくれれば、皇国騎士団は労せず問題を解決できますからね」
余りにも酷すぎる現状に俺は目眩がした。
流石に騎士団全体がそうという訳ではなく、少数精鋭の素行が良いエリート部隊も存在するという。それでも、所属騎士の大半が床に転がる彼らのように酒に溺れて二日酔いで千鳥足になりながら訓練に顔を出すような連中だという。
何故なら、騎士団の仕事が少ないから。
「地方騎士から見れば彼らもエリートですが、実情を知った者はこう思います。出世して皇都所属の騎士になれば、あとは楽して遊んで暮らせると。それでも出世しようと努力するだけ地方騎士の方がましで現場慣れしてるでしょう」
「じゃあ騎士団を縮小した方がいいのでは? これに満額給料払い続けて維持するのは税金を無駄に使いすぎでしょう!」
「いやまったく。しかし皇国は世界一の規模の騎士団を自慢にしていますから、各国のパワーバランスを考えると縮小はしたくないなどの政治的意図があるのも本音です。民への配慮などそこにはない。騎士団自体を改革しようにも、冒険者に依存する今の状態ではどうあっても士気が上がらない。そも、貴族達の間では冒険者を小間使いだと思って蔑視する傾向もあります」
そういえば、と記憶の糸を手繰る。
冒険者はどちらかといえば貧困層がなるものらしい。彼ら騎士団からすれば、冒険者は騎士になれなかった貧乏人がやる危険な肉体労働とでも思っていそうだ。そして事実、この皇都の騎士団が戦いに赴くのは稀だとルシルフル男爵は語った。
「厳しくすれば脱走者や辞職者が増えるため改革するにも現場の反発は根強いものになるでしょう……尤も、わたくしとしては『面倒だし自分たちが苦労したくないので変えたくない』というのが本音ではないかと思いますが」
「……そうですか」
こいつらは誰の為の、何のための騎士なのか。
こみ上げる思いはいろいろあるが、俺は他国の事情に口を突っ込めるほど偉くない。
アストラエが足先で酔っ払いをつつく。
「人は安定した生活を望む。変化しなければ先がないとしても、とりあえず自分たちに即座に害が及ばないのであれば先延ばしにしようとするものだ。これは王国も例外ではない……とはいえ、これはちょっとなぁ。暗殺者が一人侵入しただけで壊滅しそうな体たらくだ」
つつかれた騎士がンガッ、と呻いてうっすら目を開けるが、眠気に負けてすぐ眠りに落ちていく。もう騎士でも何でもなくただ勝手に入ってきた酔っ払いであって欲しい危機感のなさだ。
確かにこれは早起きしてこっそり忍び込まなければ見られない実情だが、碌でもなさ過ぎて本当に見たくなかった。
と、廊下に並ぶ部屋の一つが開き、中から女性が出てきた。
如何にも遊び人といった風体の女性は、ルシルフル男爵を見ると自然に挨拶してくる。
「ハァイ、ウェンデ卿」
「おはようございます」
「後ろの子たちは新入りさん?」
「そんなところですな。今し方、偉大な先輩方の寝姿を目の当たりにして感涙に震えている所です」
「あははははは! やだ、すっごいピュアなのね!!」
ひとしきり笑った女性は俺たちに近づいて蠱惑的に笑う。
「あんまり肩肘張らずにお金に正直になれば、そんなに悪い職場じゃないみたいよ? 実際ここ本当は女人禁制だけど、朝の七時になるまでは見張りは眠気で私たちが見えないみたいだし」
「見えないって何? って感じなんですが」
「コレは多分、見えてはいるけど取り締まりが面倒で見逃してる的なニュアンスじゃないか? 或いは小金握らせてるか」
「後ろの子、どっちも正解!」
びしっとアストラエを指さした女性は「入団したらサービスしたげる」と投げキッスを置き去りに去って行く。よく見れば他の部屋からもちらほら女性が出てきている。規則破りで宿舎に女を連れ込んでいたらしい。全員がこの光景を日常にしている風だ。
そんな中、女性たちとは別方向にふらふら向かう男が目に入る。足取りが悪いというより、引きずっている。酒に酔っている風ではないが、と見ていると、ルシルフル男爵が彼に声をかけた。
「おはよう。今日も体調が優れなさそうですね。治療室まで送りましょうか?」
「……いえ、男爵様のお手を煩わせる訳には」
「そうですか……何があったのか、聞いても?」
「……」
男の表情が一瞬険しくなり、頑なな拒絶が見て取れた。
年齢はヴァルナより少し年下だろうか。オーバーワークにも、階段から落ちて転んだようにも見えないが、明らかに体の痛みを隠している。ルシルフル男爵とのやりとりもコレが最初ではなさそうだが、彼は深く追求しなかった。
「そうですか。いや、詮索のしすぎですな。しかし思い悩むなら相談に乗ることくらいは出来ますぞ?」
「お心遣い感謝します」
背が遠ざかってい中、ルシルフル男爵がぽつぽつと喋る。
「彼は恐らく虐められています。騎士たちは可愛がっているだけだと言いますし当人も認めませんが、十中八九間違いないでしょう」
それは、嫌がらせではなく、恐らく暴力を伴ったものだろう。
むかむかした気分が胸の奥を渦巻く。
「……分かっているなら調査しないのですか?」
「無駄なのですよ。虐められた当人が誰かに相談しようにも、上司達はまともに取り合う気はありません。虐めが当たり前だと思って出世してきた連中なんです。もし問題だと気付いていても、栄えある騎士団は清廉潔白でなければならないという前提が先に立ち、事実は隠匿されます」
王国騎士団で虐めがまったくないなどとは口が裂けても言えないが、少なくとも俺の知る範囲では虐め対応の窓口は存在する。平民と特権階級の間の問題であれば泣き寝入りもあり得るが、この騎士団の場合は平民同士の問題である筈だ。
「ここ三年ほどで八件の匿名の虐め報告がありましたが、一つも証拠は出ませんでした。そして調査をする度に、告発者が先に諦めます。調査ついでに告発した犯人を捜し出して更に苛烈な虐めを加えようとする者が出てくるからです」
やられる側からすれば悪夢の連鎖だ。しかも、虐めを耐え抜いた人間は自分が上の立場に立つと下を虐め、正当化された虐めが延々と継承される。胸くそが悪い話だが、アストラエは俺とは対照的に退屈そうな顔で欠伸を漏らした。
「凡俗の考えることは矮小すぎて理解できないな。食事を終えたあとにナイフとフォークを置く場所がマナーで決まっていると知ったときもこんな気分だったっけ」
「お前なぁ……」
「もののついでに言えば、そこまで理解していながら行動を起こさない貴方のこともよく理解出来ない」
「アストラエ、やめろ」
俺はアストラエを諫めた。
時々、アストラエという男は驚くほど冷たく鋭利になる。
俺とセドナの前では馬鹿王子だし、婚約者のフロルの前では歯が浮くような台詞を吐くが、興味のないものに対しては驚くほど熱がない。本人曰く、そこが自分とイクシオン王子の致命的な器の差だという。
しかし、ルシルフル男爵は俺の言葉を手で遮り、首を横に振った。
「アストラエ王子の仰る通りです。私は小さな男だ。どうせ何も変わらないからと、誰とも争わず何も変えてこなかった。今でもモルガーニ卿の鶴の一声がない限り動くことのない臆病者でございます」
「変えたい思いは、それでもあるんでしょう?」
「思っているだけの思いなど……いえ、失礼しました」
ルシルフル男爵のすすけた背中は、余りにも寂しかった。
俺は自然と、あることを思いだして話の流れを逸らす。
「今日の演習、確か一時間ほど俺が自由に指導出来る時間ありましたよね」
「え? ええ。皇王から好きにしてよいとのお達しです」
「そうですか。彼らが千鳥足で訓練場に現れると思うと、ちょっとおかしいですね」
「ははは……それは流石のわたくしも叱らねばなりませぬな!」
ルシルフル男爵はそれを一種の励ましと受け取ったのか、少しだけ元気を取り戻してくれた。
本来ならば、その訓練はなぁなぁの馴れ合いになる筈の時間。
しかし、具体的に何をやるかは俺に一任されている。
何をすべきか色々と話し合ってある程度は決めていたのだが、今、それとは別にやりたい訓練を思いついた。
気付くとアストラエは俺の顔を見てニィ、と口元をつり上げ、メンケントはとてつもなく嫌な予感でも覚えたのか胃を押さえていた。
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