第230話、胸中

 ケイタのことが好き。

 好きだけど――セラは俯く。

 洞窟の中の温泉。銀髪のお姫様は考えに沈む。


「セラ……?」


 リアナの声に我に返る。心配げな表情に見えるのは気のせいだろうか。

 セラは微苦笑を浮かべながら視線をそらした。


「私とケイタは、そういう関係にはなれないわ」


 言ってて胸が苦しくなる。反対隣のアスモディアが小首をかしげた。


「セラ姫がケイタとらないなら、わたくしがとってしまうわよ?」

「えっ……?」


 思わず声に出た。アスモディアはその大きな胸を張って言った。


「わたくしは男嫌いだけれど、ケイタは別よ。それに彼は、普通・・の男ではないから――」

「そんな、ダメ……」


 何がダメなのか口に出したセラ自身が驚く。サターナがお湯のなかで腕を組んだ。


「アスモディア、趣味が悪いわよ」

「えー、いいじゃない」


 唇を尖らす女魔人をよそに、セラは自らの発した言葉について考えてしまう。

 ダメと言ったのは、ケイタが他の女性にとられるのが嫌だからだ。自分では諦めておきながら、他人が手を出すのを嫌がるとか、どれだけ勝手なのだろうと思う。

 いや、でもアスモディアの場合は止めて正解なのか。だって彼女は魔人で、人間と家庭を築くなんて無理なのだから――


「好きなら好きって言っちゃえば?」


 サターナの言葉が洞窟内に反響した。みなが吃驚びっくりして固まる。

 長い黒髪の少女は、その紅玉色の瞳を細めた。


「好きなんでしょ? 慧太のことが」

「そんなんじゃ……ないです」


 セラは湯船に沈み込む。あつい湯気が視界を覆うが、かえって表情を隠すというものだ。たぶんきっと、いま周囲にもわかるくらい顔が赤くなっているだろうから。


「身分差を気にしているの? あなたがアルゲナムのお姫様で、慧太はただの凡人で傭兵だから……。まあ、身分差ありすぎて、確かに躊躇ためらうのもわかるけれど」


 自身も魔人上級貴族であり、魔王の血縁である姫であるサターナである。セラは押し黙る中、黒髪の魔人姫は肘をついた。


「いいなさいよ、お姫様」

「……」

「もしあれなら」


 リアナが口を開いた。


「ケイタに聞こうか? セラのこと、どう思ってるか」

「いや! いえ、いいから。そういうの」


 ビクリと、セラは肩を震わせる。


「その……好きとか、嫌いとかそういうんじゃなくて」

「うん?」

「ライガネンについたら、ケイタや……みんなと別れるんだなって思って」

「セラさん……」


 キアハが視線を下げた。アスモディアでさえ、どこか哀れむような目になる。


「私は、ライガネンに着いて魔人軍の脅威を伝えると共に、アルゲナムを取り戻すために活動するつもり」


 それははっきりしている。

 亡き父の遺言に従いライガネンを頼るが、最終的な目的は聖アルゲナム国をレリエンディールの支配から解放することだ。


「でも、ケイタや皆はアルゲナムの人間ではないし、そもそもサターナやアスモディアは魔人でしょう? アルゲナムのために戦う理由がないわ」

「それはそうね」


 サターナは、はっきりと頷いた。


「でも慧太やリアナたちは傭兵。お金で雇うという方法もあるんじゃない?」

「……私、無一文だから、皆を雇えないよ」


 セラは自嘲するように笑みを浮かべた。


 本音を言えば、一緒にいてほしかった。アルゲナム奪還に力を貸してほしいとお願いしたかった。

 けれど、ケイタやその仲間たちは、もう充分すぎるほど尽くしてくれた。命を危険にさらし、セラを守り、ライガネン王国の目前まで連れて来てくれたのだ。

 これ以上を期待するのは、人としてどうかと思う。ケイタたちには借りがある。それを返しもせず、ただアルゲナムのために命を捧げてほしいと言うのは我儘わがままが過ぎる。

 彼らは、もう充分に戦ってくれたのだ。

 その恩に報いなければいけない。


 硬い表情のセラを見やり、サターナはため息をついた。


「お願い、してみたら?」

「……?」

「慧太によ。彼をあなたを助けたいってここまで来たんでしょ? しかも無報酬で」

「いや、ちゃんとお礼は払いますから! いくらになろうが、すぐには無理でも必ず」

「後払いが有効なら、頼んでみる価値はあるんじゃない?」


 サターナは右手でお湯をすくい、そこから流れるさまを見やる。


「そうね、アルゲナムを取り戻したら報酬を支払うってことにすれば? あなたはアルゲナムのお姫様であるわけだし、むしろそちらのほうが現実的ではないかしら」

「理屈ではそうですけど」


 セラはサターナを睨んだ。


「でも、アルゲナムを取り戻すといっても簡単な話ではありません。私だってできるだけ早く奪回をしたいですが、実際はどれくらいの時間がかかることか……」


 沈痛な空気が流れる。キアハもリアナも言葉もなく、サターナは何度目かわからない溜息をついた。

 その空気を破ったのはアスモディアだった。


「そんなことはどうでもいいのよ!」


 は? ――周囲が白い目で赤毛の女魔人を見やる。アスモディアは立ち上がった。湯が飛び、彼女の魅惑のプロポーションが惜しげもなくさらされる。


「貴女が、ケイタとどうしたいのか聞いてるのよッ! アルゲナムがどうとか、じゃなくて、ケイタとナニしたいのかって話でしょ!?」

「え、え……っ?」


 セラは困惑する。ナニって何? アスモディアは凄んだ。


「貴女はケイタとエッチしたいの? 結婚したいの? どうなの!?」

「いや、そういうの……」


 セラは顔をそらしてしまう。

 考えないわけでもない。雪のナルヒェン山で肌を触れ合わせた時――もちろんあれは緊急避難的処置の結果であり、男女の恋愛がどうとかのせいではないのだが、より関係を意識したのは間違いない。


「無理だよ、そういうのは」


 思わず膝を抱えた。


「私は、アルゲナムの元姫だし。……今は色々抱えているし。婚約とか、そういうの考えてる余裕なんて、ないし……」

「そんなのッ!」


 言い訳だ。だがアスモディアが続ける前に、サターナが止めた。


「彼女は王族なんだから、自由に恋愛なんてできるわけないでしょうが」


 七大貴族にして、魔王の血縁たる姫は強い口調で言った。


「彼女はアルゲナムの再興に将来を捧げている。いまはまだ先だとしても、いずれは後継者を生み、育てなくてもいけない。自分の立場を顧みずに考えることが許されない身分なのよ」


 王族の恋愛事情は、政治的、あるいは国の事情と切っても切れない関係にあるのだから。

 ただの好き嫌いで済む話ではなかった。

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