第156話、見上げる星空

 ひとり星空を見上げる慧太のもとにやってきたセラは、スカートの裾を折り、草の上に座った。


「どうしたんだ?」

「ううん、ケイタがひとりで寂しいんじゃないかって思って」


 セラは微笑んだ。その優しい表情に、慧太は胸の鼓動が激しくなるのを感じた。

 雪山の一件以来、セラの仕草や表情に対する緊張というか高鳴りが強くなったように思える。


 それは多分、彼女がかもし出す親密な空気のせいだ。

 自惚れでなければ、セラは慧太に好意を抱いている。お姫様という立場でなければ、もしかしたら付き合ってくださいくらいは――やめよう、自惚れが過ぎる。悲しい妄想だ。


「何を見ていたの?」

「星空」


 慧太は上を指差した。


「綺麗なものだよ」


 セラも天を仰ぐ。


「いつ以来かしら。……こんなにゆっくり夜空を見上げたのは」


 慧太の頬が緩んだ。セラはそれに目敏く気づくと、眉を吊り上げた。


「何がおかしいの?」

「いや、オレもセラを同じことを考えてたんだ」


 視線を頭上に広がる星の海へと向ける。


「空気が澄んでいるんだなぁ。こんな綺麗な空は」

「空気……? 時々、ケイタって不思議なことを言うよね」

「そうか? まあ、メンタリティが多少違うのは否定しないけどな」


 慧太は皮肉げに笑いながら、背中から草原に寝転がった。


「オレの故郷じゃ、こんなにたくさんの……綺麗な星は見えないからな」

「ケイタの故郷って?」

「ん? 日本の話か」


 慧太が言えば、セラは小首をかしげる。


「ニホン……それがケイタの故郷の名前?」

「あれ、この前、話したよな?」

「そう、だっけ……?」


 考え込むセラ。慧太は肘をついて枕代わりにすると、セラへ身体を向ける。


「ナルヒェン山の洞窟で。……抱き合いながら」

「ばっ!? ケ、ケイタ!?」


 慌てたように手を振るセラ。羞恥に頬を染める少女に慧太は言った。


「小声だぞ、向こうの連中には聞こえないって」


 馬車の裏にいるユウラ、アスモディア、キアハのことだ。一番耳のいいリアナはこの場にいないから、何も慌てる必要はない。


「あの時、話してくれたんだ……。そう、そういえば、そんな気もする」

「覚えてないのか?」


 うん――と、気落ちするような顔でセラは頷いた。


「ま、あの時はセラもぼんやりしてたみたいだし、仕方ないな。大した話はしてないし」

「残念、かな。……せっかく話してくれたのに」

「聞きたきゃ、またいつでも話してやるさ」


 慧太は微笑するのだった。セラは唐突に草の上で寝転がった。お姫様らしくない行動。その麗しい銀色の髪や背中が汚れる――


「ニホンは、遠い国なんだよね?」

「ん? ああ、そうだな。遠い……手が届かないくらい遠い」


 世界が違うのだ。ここにいる限り、たとえ世界の果てまで行ったとしてもたどり着くことはない。


「どうして、故郷を出たの?」


 セラは、その青い瞳を向けてきた。


「あなたが、ここにいる理由」

「理由……」


 慧太は仰向けになって空を見上げた。

 異世界召喚、というのが正確だろう。こちらの世界の――スプーシオ王国の国王が魔法使いを動員して、魔人軍に対抗する勇者を召喚した。それが、慧太と同じクラスだった高校二年生三十人。勇者でも何でもない、ただの子供を――


 思い出せば暗い気持ちになる。彼、彼女らは異郷の地で果てたのだ。


「ケイタ……?」


 心配げなセラの視線。慧太は口もとを皮肉げに歪ませた。


「さあな、オレにもわからん」


 両手で後頭部を支えるように枕にしながら、何でもないように言う。


「気がついたら、ここにいた」

「どういうこと?」


 セラは問うた。はぐらかすような答えはお気に召さないようだ。

 慧太はどこまで話したものか、と考える。異世界から来た――というのは、信じられないだろう、おそらく。とはいえ、適当な嘘を並べるのも彼女に悪い。別の世界は伏せて、可能な限り答えようと思った。


「オレも専門じゃないんだが、セラは召喚魔法というのを知っているか?」

「召喚魔法……?」


 銀髪のお姫様は視線を星空に向け、少し考えてから口を開いた。


「契約した精霊や悪魔を呼び出したりする魔法、かしら? 古代の魔法、その類(たぐい)なら聞いたことはある。でも、おとぎ話だと」

「おいそれと使えるものではない魔法らしいな。……オレは、その魔法でこの大陸の西側、つまりここに飛ばされてきた」

「それ本当?」

「嘘をつく理由はないな。信じられないのも無理ないけど」


 セラは、がばっと上体を持ち上げた。


「そんな……。では、無理やりここへ呼ばれたと? 魔法で?」

「そうなるな」


 慧太はすっと手を伸ばし、指の間から見える星を見つめる。


「故郷を出る理由が、オレにはなかったからな。突然だった……」


 クラスメイトたちの顔が浮かんでは消える。家族、両親も――


「それでは、さらわれてきたようなものではないですか! ご家族とか、あなたを心配しているのでは……」

「してるだろうな。間違いなく」

「帰ろうとは?」

「できるものならな」


 慧太は手を下ろし、溜息をつく。


「行ったろ。とても遠いって。遠すぎて、一生費やしても無理な場所にある。普通の方法じゃ帰れない距離だ」


 セラは押し黙る。慧太は彼女を見なかった。ぼんやり夜空を眺めていたが、微動だにしないセラが気になり、視線を向ければ……。

 少女は悲しそうな顔をしていた。いや、目に涙を溜めていた。


「あ……なんでセラが泣きそうなんだ?」

「だって」


 目元を拭い、セラは涙をこらえる。


「知らなかったもの。ケイタが、そんな身の上だったなんて――」

「言わなかったんだ。知らなくて当然だろ」

「それでも!」


 セラは手を付いて、慧太の顔を覗き込む。


「私は、ケイタ……あなたのことを知らなさ過ぎる!」

「不幸自慢は好きじゃないんだ。……言ったら、心配するだろ」


 慧太は手を伸ばし、セラの目元の涙を拭う。


「オレのために泣くなよ。こちとら、ただの傭兵だぞ? お姫様が心配するようなことじゃないんだから」

「でも……」


 セラの右手が慧太の伸ばした手、その甲に触れる。そのまま黙り込むセラ。何か言いたいのかもしれないが、言葉にならないようだ。

 慧太は小さく笑みを浮かべながら、視線をずらした瞬間。


「あ!」

「なに?」


 慧太が声を上げたので、セラはビクリとした。


「流れ星だ」

「な、流れ……」

「消えちまった。他にも流れないかな」


 そわそわと夜空を見上げる慧太。セラも顔を上げる。


「流れ星が、何かあるの?」

「流れている間に願い事をすると、その願いが叶うんだってさ」


 実際は、迷信の類だが。


「願い事……?」

「セラも何か願ったらどうだ?」


 二人して空を見上げる。とはいえ、早々都合よく流れ星が見えることもなく――


「……ケイタは、流れ星を見たら何を願うんですか?」


 セラが聞いてきた。慧太は顔を上げたまま答えた。


「セラが無事にライガネンにたどり着けますように」


 ベタ過ぎたかな――言ってて少し気恥ずかしさをおぼえる。こういう時、反応が返ってこないと余計にしくじった感だが。


「それなら私は、ケイタがいつか故郷に帰れますように」


 え? ――思わず彼女を見れば、銀髪のお姫様はニコリと微笑んだ。

 まいったな――慧太は照れくさくなって、流れ星を探す作業に戻るのだった。


 

 ・  ・  ・



 夜も深まり、セラやキアハが幌馬車の中で休んでいる頃、慧太は見張り番をしているユウラに声をかけた。


「ちょっと、周辺をぐるっと回ってくる。……アルフォンソを連れて」

「アルフォンソを……?」


 眠そうな顔だったユウラだが、少し背筋を伸ばした。


「それはまた何故?」

「馬で見回りするからだ。徒歩で歩いたら時間がかかるだろ?」


 わかりました、と彼は納得したようだった。

 慧太は馬車――これもアルフォンソの一部だが――を切り離し、黒馬姿のアルフォンソを伴って、その場を離れた。


 どれくらい歩いたか。視界からユウラたちのいる場所が見えないところまで進んだあと、慧太はアルフォンソから距離を置いた。そして背中を向けたまま、分身体に告げた。


「……そろそろ姿を現していいぞ。アルフォンソ……いや」


 慧太は振り返った。


「サターナ・リュコス」


 黒馬だった姿が震え、それが人型へと姿を変える。

 長い黒髪。整った顔立ちながら、紅玉色の瞳は妖艶さをかもし出す。ただの女性ではない。その耳は狼を思わす獣耳。

 いつぞやのパーティーでまとったフリル着きの漆黒のドレスをまとった美女は、不敵な笑みを浮かべて慧太を見つめ返した。

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