第145話、日食
助けたい、とその人は言った。
けれど、それはこちらの事を何も知らないからだ。キアハは思う。
だが本当の事情は話せない……話す必要はない。
マラフ村の秘密。
それを知れば、助けの手を差し伸べた彼女らとて、手のひらを返して武器を向けてくるだろう。
どうせ、世間には受け入れられない存在だ。そうでなければ、誰もこんな
人間など、信用してはならない。
魔人の軍勢が迫っていると言う。とりあえず、そいつらが話の通じないような連中なら、山から叩き出せばいいだけのこと。
軍というからには、それなりに数はいるだろうが、雑兵ごときに負ける気はしない。
こちらはキアハひとりだが、自らの『力』と地形を利用すれば多少の問題は払いのけられる自負があった。だから、そちらのことは心配していない。
むしろ、問題があるとすれば――ケイタとセラ、あのお優しい二人が、夜になる前に村から離れてくれるかどうか、だった。
真実を知らないとはいえ、手を差し伸べようとしてくれた。そういう善意を見せる相手には、手荒なことはしたくなかった。
・ ・ ・
キアハは慧太たちと別れ、村の外へと出かけていった。
フード着きの外套をまとう彼女だが、その背中は何かを背負っているように盛り上がっていた。というより、外套の一部が破れて武器の柄が覗いている。
「止めなくていいの?」
セラが聞いてきた。魔人兵が――と言いたげな彼女に、慧太は溝にこしらえた台を椅子代わりに座る。
「ちょっと見てくるだけだろ」
どうせこっちの話なんて聞いてくれないって――慧太は遠ざかっていくキアハを見やる。
「それより見たか、あの装備」
「かなり大きな武器を背負っているみたい」
セラは神妙な顔つきになる。
「外套で隠れているけど、かなり大型の……女性が振り回すにはちょっと重そうなものに思えます。はっきり、何かまではわかりませんけど」
槍ではない。斧でもなさそうだ。両手剣か、あるいは
「背中の盛り上がりは、
慧太は顎に手を当てた。
「ああ見えて、存外強い戦士かも」
体格はいい。顔立ちは幼く、まだ決して大人とはいえない年頃――たぶん慧太たちよりも下ではないか。重量のあるそれらを使いこなせるというのなら、少なくとも弱くはないだろう。
ちらと、村へと視線を向ける。キアハが出かけているということは、いまあの村には彼女のいう病人たちしかいない。……いったいキアハが隠そうとしているものは何だ? 慧太の中で好奇心が疼く。
「村人のこと?」
セラも視線を投げかける。
「彼女がいない間に――」
「避難ならさせられないぞ」
「ええ、こっちは私たちだけ。十数人の病人を動かすなんて無理です」
セラもそれは理解していた。
「彼女、どうして私たちに教えてくれないのかしら?」
「オレもそれが気になってる」
慧太は視線を村からはずして、正面に戻した。
「キアハの口ぶりからすると、何かがあるのは間違いない。それも周囲に知られたくない秘密のようなものだ」
「周囲に受け入れられないもの」
セラが考え深げに呟いた。
「迫害された人たち……」
「あるいは、犯罪を犯して逃げた連中の隠れ里」
「キアハは、そんな風には見えない」
「まあな。……ただ、人は見かけによらないだろう?」
慧太は手に息を吹きかける。若干息が白い。少し気温が下がっただろうか。
「奴隷かな。主人のもとから逃げ出した連中……いや違うな、奴隷商人のもとから逃げ出した――それで、外部の人間を追手と警戒しているとか」
「不本意だけれど、私たちに冷淡な理由は、それで説明がつくかも」
セラは唸った。
「でも証拠はないわ」
そう、ただの推測だ。慧太は首肯した。
ふっと、影がよぎる。太陽の日差しが遮られたのだ。だがただ遮られただけではなかった。まだ夕方前で十分明るいはずが、夜のように真っ暗になったのだ。
セラが呆然と息を呑む。
「太陽が……闇に呑まれていく……!」
これは――慧太は壕から立ち上がった。
日食だ。太陽の前に月が重なり、その姿が見えなくなったり、欠ける現象だ。これまた珍しいものを――慧太は自然を口もとをほころばせた。
「ケ、ケイタ……」
セラが棒立ちのまま、黒くなった太陽を見つめる。
「どうしよう……これはきっとよくないことが起こる前触れだわ!」
「は……?」
何言ってる――慧太は首を捻る。
日食如きで不吉なこととは、と思った時、ふと大昔の人間は天体に関する知識が現代ほど発達しておらず、ふだん見慣れない光景を不吉の象徴と見なしていたというのを思い出した。
――どうしようか、別にそんな大したものじゃないんだが……。
昔の人は、説明できないことを神の奇跡だとか、超自然的なものに置き換えていた。そしてそれを為政者たちは都合のいいように解釈し、民を時に欺き、または導いてきた。
セラがどういう教育を受けたか知らないが、こちらの常識を通しても、たぶん理解が追いつかないだろう。
それなら、と慧太は、セラが抱いている不安の要素を取り除くことだけを考えた。
「あれはオレの故郷じゃ『日食』って言われてる現象だ。珍しいことだけど、別に不吉でも何でもないよ」
「いえ、ケイタ。これは異常なことよ!」
セラは反論するように言った。
「まだ昼なのに、夜のように真っ暗よ。太陽が黒くなってしまうなんて、ありえないでしょ!」
「でも実際、そうなってる」
慧太は平然とした態度で座った。不安を煽ってはいけない。
「目の前で起きていることだ。受け入れろ。それに、何も悪いことは起きないよ。オレが保障する」
「どうして、そんなことが言えるの?」
信じられない、と言わんばかりのセラに、慧太は肩をすくめた。
「実際悪いことが起きても、それは日食が原因じゃないからさ」
大丈夫さ――慧太は、暢気な声で言うのだった。
「もし不安なら、オレにしがみついていろよ。何も起きないから」
「……どうしてそこで、あなたにしがみつかないといけないんです?」
少し怒ったように、セラは慧太の隣に座った。当の慧太はすっ呆ける。
「怖いからだろ?」
「怖くないです!」
「怖いくせに」
「怖くない!」
頬を膨らめて睨むセラに、慧太は笑いかける。
「悪い悪い。でも、別に暗くなったからってどうってことはないよ。じきに、また明るくなるさ」
「そう……」
セラは視線を太陽のほうへ。真っ黒な太陽。その淵が光の円を作り、太陽が黒くなってしまったように見える。――黒い太陽、か。
「でも、その、日食ですか。太陽が闇に包まれる時は、災いが降りかかると昔から言われてる」
「ああ、何でもその時に起きた事件や事故を、日食のせいにしたんだな」
慧太は口もとを歪める。
「当時の偉いさんは、日食を悪いものにすることで、民の不安を煽ったり、解消したりしたもんさ。あれだ、あいつが悪いって注意を引けば、自分の責任が軽くなるってやつ」
「火山の噴火や大地震も、関係ないと?」
「別に日食じゃなくたって、地震や噴火なんて起きるだろ?」
慧太はやり返した。セラは憮然とした表情になる。
「それは、そうですけど……」
とはいえ、さすがに暗いな――慧太は夜のように暗くなった周囲を眺める。正面から左右、そして村のほうへ……。
――ん?
人影が見えたような気がした。慧太は立ち上がり、目を凝らす。
「ケイタ?」
セラの不安げな声。慧太はその視界を夜目のきくそれに変える。……村人か。民家の出入り口から、一人、また一人と出てくる。
――何だ……?
違和感を覚える。村人たちのシルエットが、どうにも歪(いびつ)に見えるのだ。病気のせいで身体の形がおかしくなっているのだろうか。……あれでは、まるで……まるで。
魔人のようだ。
慧太は呆然とそれを見つめるのだった。
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