第125話、森に潜むモノ


 ベルゼ連隊を飛び立った飛翔兵は、眼下にたたずむ人間の分隊を見つめていた。

 一人は銀色の髪をもった女の騎士――あれが噂のアルゲナムの姫騎士だろう。その周りには武装した兵士が四人。

 聞いていた戦力に比べて少ないが、おそらく左右の森に潜伏して待ち構えているのだろうと思った。偵察員としては、森に潜んでいる敵の断片なり情報を獲得したいところだが、迂闊に距離を詰めて叩き落されては敵わない。


 街道を一掃するような攻撃方法を持つアルゲナムの姫騎士。対空用の魔法を持っている可能性が高いし、もしかしたら潜伏している敵兵が、近づいてきたところを弓矢で落とす算段かも知れない。

 一応、クロスボウで武装はしているものの、本来の任務は伝令だ。偵察訓練は受けてはいるが、無理はできない。

 コンビを組む相棒が本隊に引き返したから、彼が戻ってくるか別のチームに引き継ぐまでは空中待機だ。これがまたしんどい。


 飛翔兵は、地上のいるアルゲナムの姫騎士らを監視する。しばしこちらを見上げていたが、ややして森へときびすを返した。


 ――動きが……。


 飛翔兵は、森へと入っていく白銀の姫騎士と兵たちを注視する。森に入って逃げ出すのか、こちらを警戒して森に隠れることにしたのか――


 少し距離を詰めるべきか? 


 飛翔兵は迷った。相棒が離脱したために、いまは一人。迂闊な行動は控えなければいけない。


 ふ、と背筋に何かがよぎる気配を察した。


 後ろ!? だがここは空中――そう思い、振り向きかけた飛翔兵の胴体を鋭い何かが貫いた。


 最期に目にしたのは、自身の胸を貫く黒い剣のような突起。

 背中から何かに刺された――それが飛翔兵の最期に知覚したことだった。

 シェイプシフターが放った鷹型分身体が背後に回りこみ、その身体を翼の生えた剣に変えて突撃してきたことは、飛翔兵が知るはずもなかった。


 

 ・ ・ ・


 

 飛翔兵がアルゲナムの銀髪姫を発見した。


 報告を受けたベルゼは、軽歩兵大隊を先頭に、街道わきの森からの進撃へと切り替えた。

 森の木々、鬱蒼うっそうと生い茂る植物を掻き分けて進むため、通常よりも進撃速度は落ちる。だが、機動性を重んじるベルゼ指揮下の軽歩兵たちは、防具も軽さを優先しているために森の中でもそれほど足をとられることはなかった。……これが全身鎧の重歩兵だったら、進撃などカメの歩みにも等しいほど落ちただろう。

 森に敵が潜んでいる場合に備え、広く展開しつつ魔人歩兵大隊は着実に進む。蟻の一匹も逃さないローラー作戦。たとえ隠れていても見つけ出して殲滅するに十分な兵力であったのだが――


『グァァッ!?』


 突然、石肌の魔人兵が声をあげ、地面に突っ伏した。左右にいた兵らは何事か振り返る。味方は倒れ、しかし敵の姿はない。


 音も、気配も、ない。


 それは森に潜んでいた。

 ざっ、ざっ、と草を高速で掻き分ける音。それに気づいた魔人兵が手斧や剣を構える。だが次の瞬間、背後から飛び掛られ、その喉元を切り裂かれた。


『何だ……?』


 豚顔の魔人兵は周囲を見回す。隣にいた魔人兵の姿が忽然と消えていた。

 すっと、足元に何かが触れた。ビクリとして顔を下げた瞬間、股下から突き上げるように斧の一撃が来て、この世のものとは思えない絶叫を上げたのち絶命する。


 森に響く魔人の悲鳴。それが唐突に聞こえたと思えば、しんと静まり返る。


『おかしい……』


 仲間の位置を確認し、警戒を深める魔人兵ら。


『この森には、何かがいる……』


 衛士長が耳を澄ます。


『……人間ではない』


 ごくりとつばを飲み込む魔人兵。不意に気配を感じ、振り向けば、そこにはトカゲ顔の魔人兵が立っていた。

 なんだ、びっくりさせるな――知らない顔とはいえ味方であったことに安堵し、その兵に背を向けた時、突然胴体を何かが穿った。革鎧を裂いて、何かの腕が生えていた。いや血に塗れたそれに貫かれたのだ。


『な、ぜ……』


 絶命する魔人兵。力を失ったその死体は、ずるずると引きずられ、やがて茂みに消える。


 ケタケタケタ――聞いたことのない笑い声のようなものが、ある魔人兵分隊に聞こえてきた。分隊長は援護できる態勢をとりながら、音の正体を探る。


 それはなにやら見たこともない小箱のようなものだった。茂みに隠れて置かれたそれから、奇妙な笑い声のような音が漏れているのだ。


『なんだこれは……?』  


 部下のひとりにそれを拾わせる。そろりと手を伸ばした魔人兵――だが瞬きの間にその小箱は形を変え、魔人兵の顔に飛び掛った。


『っ!?』


 スライムの類か? 顔に張り付かれ、もがいている仲間を見やり、分隊長や周囲の同僚たちが助けに駆け寄る。だがそこで何かに足を引っ掛けられ、魔人兵は次々に転倒した。

 何事かと振り返れば、自身の影から得体の知れない手のようなモノが這い出してきて足を掴まれていた。


『ひっ!?』


 化け物――だがそれが声に出る前に視界が闇に呑まれ、意識も途絶えた。


 姿なき敵に不意打ちされる者。

 謎の影に襲われる者。

 突然姿を消す者。


 そのような光景が、森の中で立て続けに起きた。

 結果、いつの間にか前衛を務める魔人歩兵中隊が壊滅状態へと追い込まれていた。彼らはすでに戦闘に巻き込まれていることも気づかぬまま、戦力を消耗したのである。

 そして後続する次の中隊が通過した時、彼らは異変に気づいた。

 森の木々の至るところに血痕が発見され、魔人兵の武具が放置されていた。だが肝心の死体が見つからない。

 鬼型魔人の中隊長は、前を進出しているはずの中隊と連絡を取るべく伝令を出したのだが、今度はその伝令が帰ってこない。

 部隊は進んでいる。なのに、この異常事態。

 しかも敵の報告はない。前進しながら、兵たちは、血や装備の名残を見つけて不安を掻き立てられていった。


 消えていく仲間。徐々に周囲から孤立していく兵たち。


 異変は、軽歩兵大隊に後続するベルゼ率いる魔騎兵大隊にも伝わった。


「……ちくしょう、何だってんだ?」


 魔獣ゴルドルに騎乗しながら、森ということで低速で移動していたベルゼは、思わず唸る。


「魔獣どもも、妙な気配を感じてる。この森、何か変だぞ」


 茂みをかわし、木々を避けながら進むガルス・ガーとゴルドル。古参の副将は険しい顔のまま、辺りを伺う。

 彼が騎乗するゴルドルもまた、その動きは固かった。何かを感じているが、それが何なのかわからず神経質になっているのだ。ガルス・ガーは相棒の魔獣の首を軽く叩いてやった。


「警戒をしつつ、進むしかありませんなぁ姫君」


 ガルス・ガーは呼びかけた。


「実際、敵の妨害にしろ、我が軍は停滞することなく前進を続けているのです。消えた兵も視界不良で迷子になっているだけかもしれません。しばらく進めば――」


 激しく茂みを揺らし、駆けてくる音が聞こえた。そちらに目を向ければ魔人兵が現れ、ガルス・ガーの傍で頭を下げた。

「報告します! 森の中をアルゲナムの姫騎士と思しき女を発見。街道より離れ、森奥へと入っていく模様! ただいま前衛中隊が追跡中です!」

「姫騎士!」


 ベルゼが声を張り上げた。


「森の中にいるのかよ! あたしらも行くぞ!」

「しかし姫君――」


 ガルス・ガーは振り返るが、ベルゼはすでにゴルドルを蹴り、早足での移動に切りかけた。


「あたしらが森にいることに気づきやがったのさ。それで一か八か森に入って逃げようって魂胆だろ!」


 それなら街道に出て逃げたほうが――とガルス・ガーは思ったが、しかし街道では魔騎兵の足に追いつかれる。ベルゼの言うことに一理があった。


 魔騎兵隊はその足を速めた。

 しかし、森の中を進撃するベルゼ連隊は、なおも行方不明者が続出することになる。

 目撃者の話では、『何らかの敵』がいるのは確かだが、それが何かわからないと言う。


 結果、最後まで『敵』の正体は不明のままだった。

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