第91話、生誕パーティー
ハイムヴァー宮殿の一角にある大ホールが、リーベル王子の誕生を祝うパーティーの会場であった。
遠方からのゲストはすでに数日前から王都の別荘などに滞在し、王族の一員――未来の国王の生誕を祝うためにやってきた。
身分や大功を見せびらかすように正装してきた貴族の夫婦。
未婚の王子に気に入られ、あわよくば妻の座を狙う若い貴族娘らがドレスをまとい、自らを磨き上げて大ホールへと足を踏み入れる。……彼女らは、王子が聖アルゲナムの姫君に婚約を申し込んだことをまだ知らない。
間もなく日が沈み、暗くなる頃。
警備兵が目を光らせる中、出迎えの騎士が、貴族夫婦に腰を折った。
「ようそこ、ハイムヴァー宮殿へお越しくださいました。失礼ですが、招待状を――」
ふむ、と中年貴族は、リッケンシルト王家発行の招待状を騎士に差し出した。それを恭しく受け取った騎士は、素早く中身を拝見。
「……ありがとうございます、ボンビヤ男爵閣下。どうぞ、陛下のもとへご案内申し上げます」
どうぞこちらへ――びしりとした仕草で中年貴族を招いたのは、騎士の背後に控えていた若い従者だ。その案内に従い、貴族夫婦は宮殿へと歩く。
騎士は次にやってきた貴族にも同様の手続きをとる。
王家発行の招待状は、当時に通行証でもある。これがなければ、いかな貴族といえど入場を許されない。文句をいうような輩は、国王の名の元に処罰される。
貴族と騎士といえば、貴族が身分としては上である。
だがリッケンシルトを含め多くの国の騎士とは、主に対して忠誠を誓っているものであり、例え貴族が相手だろうと主の命令が優先される。……つまり騎士が貴族を追い払う事態も発生するのである。警戒は厳重だった。
さて、ボンビヤ男爵夫妻がハイムヴァー宮殿へと足を踏み入れたちょうどその瞬間、夫人の影が動いたことに気づいた者はいなかった。
・ ・ ・
すっかり日が落ち、宮殿内大ホールでは、貴族やその夫人、娘、上位の騎士らがワインや料理を肴に談笑していた。
こういう場面ではそれぞれの身分差というのが露骨に出る。よほど親しくなければ、上流貴族は上流貴族と、騎士は騎士と身分が近いものでグループが出来るのである。
アルゲナムの姫であるセラにとって、身分が近いといえば、やはりリッケンシルトの姫であるアーミラということになる。
貴族諸侯の男子や騎士らは、セラが大ホールに姿を現した時、感嘆の吐息を漏らした。
男子からの視線が集中するのを感じ、セラは伏目がちにアーミラ姫と移動したが、何とも場違い感が酷かった。……何より望んでこの会場にいるわけではないこと。アルゲナムという国が、すでにないも同然であり、姫などと言われても、それを公然と名乗ることが恥ずかしかったからだ。
アーミラ姫に挨拶にきた貴族の若者や子弟、上級騎士らは、次いでアルゲナムの美姫にも声をかける。
自然とセラの緊張は高まる。お姫様の演技をしないといけない自分がひどく恨めしい。
アルゲナムと聞いて顔をほころばせる者、尊敬を露にする者――いずれも好意的ではあるが、彼らはまだ聖アルゲナムの現状を知らないのだろうか。……たぶん、そうなのだろう。
すでにこの世に存在しない国の元姫――セラは自分を今そのように感じていた。だから王族扱いされるのは妙な気分であり、以前それで自分をお姫様と呼んだ慧太に怒鳴ってしまったことがあった。
――ケイタもこの会場に来るって言ったけど……。
昨晩、警備に見つかることなくハイムヴァー宮殿に忍び込み、セラのもとへとやってきた。
あれから宮殿の誰からも侵入者の話が出ず、彼がその痕跡すら残さず宮殿を出入りを果たしたのは間違いない。
いったいどうやって警戒されている宮殿に忍び込んだのか。
不思議でたまらない。
だが彼なら――これまで何度も絶体絶命のピンチを切り抜けてきたケイタなら、何とかできてしまいのだろう、と今では思うようになっていた。
その彼が「来る」と言ったからには、この宮殿の大ホールに姿を現すのだろう。
でもどうやって?
昨日みたいに忍び込んでどこかに隠れているのか? あるいは変装とかするのだろうか?
「セラフィナ姉様?」
アーミラの声に、セラはハッとなる。
「な、何かしら?」
「ご気分が優れませんの? お暗い顔をされていますと、せっかくの美人が台無しですわ」
「ああ、ええ……ごめんなさい」
愛想笑いを浮かべつつも、どこか上の空のような返事になってしまう。
ケイタの顔を見たい。早くそばに来てくれないかな、と。
リーベル王子と対峙して、アルゲナムの将来について真意を問いただす――それを思うと緊張で胸が苦しくなってくる。
答え如何によっては、婚約も――そう考え、口の中がカラカラに乾く。
「セラフィナ姉様」
アーミラが給仕を呼んだ。白ワインのグラスを受け取り、セラもそれに倣う。いいタイミングだった。ちょうど飲み物が欲しかった。
「では、姉様」
乾杯――軽くグラス同士を当て、ワインを口に――
「あ、姉様。兄様がやって参りましたわ」
う、と思わず吹きそうになり、何とか耐えた。元とはいえ姫の品位を落とすようなマネはできない。
視界の端に、リーベル王子がやってきた。その甘い顔、スマートな彼は、たちまち諸侯の娘たちに取り囲まれる。すべては王子に気に入られてその妻の座を狙っている者たちだ。
セラは複雑な心境になる。
――王子も妻は、彼女たちの中から選べばいいのに。
一方でアーミラは露骨にしかめた。
「ああいう露骨にアピールする人は好きになれません」
十三歳の姫は嘆息する。
「やはり姉様のように慎み深く、慈愛に満ちた方でないと――あの人たち、口ではちやほやしてますけれど、内心では何を思っているのやら……」
ああ、それはわかる――セラは王族ゆえに分かる話だと、アーミラの言に同意した。
リーベル王子は笑顔で女性陣に応対していく。
王子に声をかけなくてはならない。セラは自身の胸元、白銀のペンダントに触れる。
だが貴族娘たちが囲んでいる状態で行くのは、周囲も憚らず彼の助力にすがるようで、気恥ずかしい。……いや、それしか方法がないのなら恥もプライドも捨てよう。しかしまだライガネン行きという本来の目的がある以上、ここで自分を安売りすることはないのだ。
待てば、彼のほうからやってくる。
セラは焦る気持ちを抑えるように深呼吸。
そんな銀髪のお姫様の仕草に、アーミラは小首を傾げる。
その時、空気が変わった。ホールの一角で声が上がったのだ。
何事かと見れば、そこには一人の女性の姿があった。
闇色のドレスをまとった長い黒髪の美女だった。
ゾクリ、と妖しい迫力を感じ、セラは心臓がドクリと鳴るのを感じた。
何者も受け付けず、まるで全てを見下すような眼光。
漆黒のドレスは、闇の化身かのような妖しさと美しさを同居させる。……もし冥界などというものが存在するのなら、その女王だと言われても信じてしまいそうな雰囲気。
コツコツとヒールの音を刻みながら、黒髪を背中にまでなびかせた美女は進む。
颯爽と、力強く。
周りの声は途絶え、目が彼女の姿を追う。リーベル王子ですら視線を注ぎ、彼に夢中だった貴族娘たちでさえ、美女に見惚れてしまう。
黒髪の美女の視線は、周りを見なかった。ただ正面に固定されている。
何故、緊張したのかセラは理解した。
その美女は、ただ一点、セラだけを見つめていたからだ。
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