第6話 兄弟の絆(汚い)


「離せぇっ! この人攫いめがぁっ!」

「大丈夫大丈夫、暴れるな安心しろ。今からいいとこ連れてってやるから」

「それこそ人攫いの甘言だ! 騙されるものか!」


 すっかり元気になった月天丸を肩に担ぎ、俺は夜の安都を駆けていた。人攫いという物騒な言葉に街の衛士たちが反応することもあるが、俺の足についてこられる者はいない。


「さては貴様、どこぞの悪党の手の者だな!? この私を拷問して盗品の隠し場所を吐かせるつもりか! そうだとしたら残念だったな! 盗んだものはすべてお前たちが食い物にした貧しき者たちに還し与えた! 私をどんなに絞っても鐚銭の一枚も落とさんと思え!」

「へえ。着服してるものかと思ったけど、そりゃ立派だな。偉い偉い」

「な、なんだ貴様その反応は! 少しは悔しがれ!」


 さきほどから月天丸は肩の上でじたばたと暴れているが、腕力は案外と大したものではない。担ぎ方を工夫してこちらの急所に手が届かぬよう動きを制限してやれば、さしたる脅威にはならなかった。


 まあ、歳もまだ若く女子である。俺と比べて正面からの腕っぷしが劣るのは仕方ない。


「しかしな月天丸。さっきの蔵の罠なんかに嵌ったのは兄として感心できんぞ。露骨に怪しい気配が漂ってただろう」

「う、うるさい! 私だって入った瞬間に『まずい』と勘付いたわ!」

「だけど脱出できなかったんだろう? 入った瞬間に気付いたなら、さっさと回れ右して扉が閉まる前に出りゃよかったのに」

「そうするつもりだった! だが邪魔が入ったのだ!」


 急に月天丸は暴れるのをやめ、不貞腐れるようにそっぽを向いた。


「邪魔?」

「あの阿片売りの悪党が凄腕の用心棒を雇ったという噂があったのだが、おそらくそいつだ。私が脱出しようとした瞬間に、赤い頭巾の大男が現れてな。扉の前に立ち塞がってきたのだ」

「どうせ立ち止まっても焼け死ぬだけなんだから、ダメ元で斬り込めよ」

「うるさいまともな状況なら私とてあんな奴簡単に斬り伏せられたわ! だが、一瞬だけ躊躇してしまった。その隙に扉が閉じられたのだ」


 少なくとも俺が到着したとき、赤い頭巾の大男はいなかった。閉じ込めた時点で仕事を終えたと思って去ったか――あるいは俺の存在を察知して逃げたか。


「まあ、間に合ってよかった。今後はあんまり無茶なことはするなよ」

「だから何様だ貴様! どういう立場で私に説教なぞする!」

「兄貴の立場だよ、さっきから何度も言ってるだろ」

「ふざけるな私は天涯孤独の身! 兄などおらん!」

「え? でも、第五皇子なんだろ……?」


 月天丸が俺の肩の上で眉をひそめた。


「あのな貴様。義賊が高貴の落胤を自称するのはお約束というものだろう。あのような挨拶を真に受けていたのか? 愚かもいいところ……ん? 私を本当に皇帝の子と思っていて、その兄を名乗るということは貴様……?」

「待った」


 怪訝な顔になりかけていた月天丸の言葉を途中で制する。


「嘘? 皇子の自称は出まかせだって……?」

「だからそうだと言っているだろう。ま、父も母もどこの誰とも知れんから、豪猪の毛から一本の金糸を引き抜くほどは可能性もあるやもしれんがな。それより貴様、皇子の兄とはどういう」

「なら諦めんな!」


 俺がいきなり熱くなったので、月天丸は「は?」と首を傾げた。


「諦めるなって……何をだ? というか貴様まさか本物の皇」

「可能性があるなら、どんなに小さくてもそれを信じるのが男ってもんだろう。いいか、俺はお前を妹だって信じるからな。いいか、お前は絶対にこの国を背負う皇帝になるべき人間だ。だから自分を皇子と信じろ」

「待て貴様。話が見えんぞ。いったいどういう話なのだこれは?」


 簡単だ、と俺は頷く。


「お前が嫡子だということを、今から皇帝に認知させる」


――――――――――――――――――――――――――


「生贄がノコノコ帰って来たぜ! 囲めそして潰せ!」

「諦めておとなしく皇帝とおなり!」

「あなたの尊い犠牲は忘れませんよ……」


 門番の目をかいくぐって宮廷に侵入するなり、阿呆の兄姉たちに包囲された。想定はしていたが、さすがに早すぎる。


「くっ。なぜ俺の動きを掴めたんだ」

「あんたの匂いを番犬に覚えさせといたのよ。戻ってきたらすぐに吠えて知らせるようにね」


 ニリャウシャがけろりとした顔で答える。

 どうりで、城内に放たれていた犬の数が普段より多かったはずである。門番の目は盗めても、犬の鼻は想定外だった。


「いやあ四玄。オレは嬉しいぞ。ついに皇帝になる覚悟を決めて戻って来たんだな。心の底から応援するぜ――で」

「そちらの子は誰ですか? 皇帝になる者が人攫いとは感心しませんが」


 三龍サウランが、俺の担いでいた月天丸を指さして尋ねてくる。

 一虎イーフはこちらを睨みながら舌打ちをして、


「まさかてめえ、犯罪に手を染めて皇帝の資格を失おうってのか? 男の風上にも置けねえゲスの考えだな」


 この発言は全員が無視。

 状況が把握できずに目をあちらこちらへと動かしている月天丸を、俺はゆっくりと地面に立たせる。


「喜べ皆。俺よりももっと相応しい皇帝の跡継ぎを見つけてきた。こいつは義賊として安都に名を轟かせる第五皇子――つまり俺らの妹だ」


 沈黙。

 少しばかり間を置いて、こちらに寄ってきた二朱がぽんと月天丸の両肩に手を置く。


「御免なさいねお嬢ちゃん。うちの馬鹿な弟が誘拐しちゃって。口止めのお金は払うからこの件は忘れてくれるかしら?」

「待ってくれ姉上! 耳聡い姉上なら月天丸の名は知っているだろう!?」

「知ってるわよ! 知ってるけど本物の皇子のわけないでしょうが! 常識でものを考えなさいこのお馬鹿!」


 助けを求めて兄二人を見ると、


「月天丸……? なんだそりゃ。菓子の名前か?」

「僕の情報網をしても聞いたことがありませんね」

「虎兄はともかく龍兄は無駄に知的ぶるのをやめてくれ。あんたも実は相当の馬鹿だっていうのは皆知ってる」


 ともかく! と俺は声を大にする。


「苦労して見つけてきたんだぞ! 皇帝になれるようちゃんと面倒は見るからどうか兄上たちも認めてくれ!」

「駄目よ! さすがに赤の他人を皇帝に据えるなんて認められないわ。拾ったとこに捨ててきなさい!」

「き、貴様ら! さっきから黙って聞いていれば人を犬猫のように!」


 と、そこで月天丸が抗議を叫んだ。

 未だに理解は追いついていないようだが、とりあえず目の前の非礼に食いついてみたという感じだ。


「そも、貴様らは何者だ! まさか宮廷が人攫いをしているというのか!? それならばこの月天丸、容赦はせん! 命はここで果てようとも貴様らの一人でも道連れに」

「落ち着きなさいな」

「ふぺっ」


 実に情けない声とともに月天丸が芝生に組み倒された。文字通りに尻を敷いてその上に座り込んだのは、二朱である。


「ほら御覧なさい四玄。そこらのチンピラよりはいい腕してるみたいだけど、あたしらには遠く及ばないでしょ。こんなのが妹のわけないじゃない」

「人の資質はそれぞれだ。こいつには確かに力こそ欠けているが、皇帝になろうという意志は誰よりも純粋で強い。きっと名君になって国を豊かにしていくはずだ。俺の見立てを信じてくれ」

「待てっ! さっきから聞いていれば誰が皇帝になるだと!? ぜんっぜん話が見えんぞ!? 一から順を追って説明しろ!」

「ああ悪い少し静かにしていてくれ月天丸。こっちは今、お前を皇帝にするための高度な駆け引きをしているんだ。すべて俺に任せてくれ」

「任せられるか!」


 喚く月天丸を宥めようとしていると、呆れたように二朱がため息をついた。


「何一つ説明せずに連れてきたわけ? まあ、口止めしなくていいからかえって楽だけど。面倒になる前に早く帰してきなさいな」

「そうだそうだ。潔く負けを認めろ」

「この期に及んで悪あがきとは醜いですよ四玄……」


 一虎と三龍も後追いでこちらを責めてくる。だが、俺とてこのような事態を想定していなかったわけではない。


「兄上、姉上。もしこのまま首尾よく俺に皇帝の座を押し付けたところで――皇帝となった俺があんたたちにこれまで通りの待遇を敷くと思うか?」


 全員の眉がぴくりと動いた。一虎が唸るようにしてこちらを睨み、


「どういう意味だ?」

「皇帝となったら俺は容赦しない。次から次に激務を押し付けて寝る間もない生活にさせてやる。俺もそうなるだろうが、道連れだ」

「卑怯な……なんと卑怯な! 許されませんよそんな非道徳的な行為は!」

「四玄! あんた、あたしたちを脅すつもり!?」

「当然だ。俺一人で地獄に落ちるつもりはさらさらない。さあどうする? このまま全員で地獄に落ちるか? それとも――」


 俺は二朱の尻に敷かれたままの月天丸を指差す。


「正義心に溢れた第五皇子・月天丸様に未来を託すか。選べ」

「ええい! さっきからよく分からんままに人を妙な姦計に巻き込むのはやめろ! 早く私を離せ!」


 と、二朱が立ち上がって月天丸を解放した。月天丸はふんと鼻を鳴らして、黒装束をはたきながら立ち上がる。


「まったく、やっと離す気になったか。私はもう帰らせてもらう――」


 その言葉は途中で止まった。というよりも、物理的に止められた。

 なぜなら、一虎・二朱・三龍の三人が一斉に飛び掛かって来て、月天丸を三方向から一気に抱きすくめたからである。


「いだだだだだだ!! 離せ! 離せ貴様ら!」

「オレの目は節穴だったぜ……! どこからどう見てもオレたちそっくりな可愛い妹じゃねえか!」

「これからあたしのことはお姉ちゃんって呼んで構わないからね!」

「僕らも陰ながら次代の皇帝となる貴女を支えましょう……!」


 第一段階の説得成功に、俺はぐっと拳を握った。

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