第18話 嘘つき


 孤島に建つ豪邸の晩餐室に再び役者が揃った。

 ……遺憾ながら、初日より幾分か人数は減ってしまったのだが。


 まずは、探偵マーヴェルと一心同体の如くピッタリ付きまとう、可愛くもあり至極迷惑な相棒のクリス。

 今から行われる審問会の要、嘘を見抜く能力を持つ屈強な体躯の外科医、ドクター・T。

 赤い衣装を着た、口の減らないメンタルマジシャンのミスターモリヤ。

 黒いドレスを纏う、どこか不気味な老婆クナ・スリング。

 おぞましい殺人事件にひどく動揺し、初日の暗くオドオドとした青年にすっかり戻ってしまったマーティ・アシモフ。

 カメラマンをしていると言う物静かな初老の男、オオツ カズフサ。

 まさに絶世の美女と言う言葉がふさわしい女、クガクレ アマコ。

 そして最後、全ての発端となる謎の人物D.M.シラヌイ、彼に雇われた数少ない使用人の娘、気立ての良いメイドのウルフィラ。


 好むと好まざるとに関わらず、かくしてこの9人によるデスゲームが再開される。



 大きく重厚な長テーブルを前に立つドクターが、大まかな経緯を説明され現状を納得した全員に向かって、始まりの言葉を述べた。


 「それでは、今から私の能力……嘘を見抜く力を使い、犯人を特定する」


 食卓の椅子に座っている者も、腰かける事なく立っている者も皆、裁判官を見つめる被告のように外科医を正視する。この状況をどう受け止めているのか? 心の底までは読み取れないが、彼らの顔は至って真剣だ。


 「そうだな……尋ねるのは、極めて簡単な質問にしようと思う……」


 少し考えをまとめるためか、一時沈黙した後

 「私が『ロクロウを殺したか』と尋ねるので、『いいえ』と一言だけ答えてほしい」


 了解できたことを確認して、静かなる聴衆に最初の挑戦者を求めた。


 「では誰から行こうか?」



 「ハイハイハ~イ」

 厳かな静寂を見事に破り、まるで素敵なプレゼントの順番を張り合う元気な子供のようにクリスが手を上げる。

 傍らにいたマーヴェルは、いつもながらのその空気の読めぬ相棒の行動に、額に手を当てうつむき肩を落としながら、『まったく』と首を振った。流石にもう、さじを投げたようだ。


 部屋の緊張感に、まるっきり相応しくない出来事で唖然としたのか? 暫く、あんぐり口を開けたのままのドクター。

 側の探偵を見ながら、ちょっと肩をすくめると、気を取り直して

 「オーケー……では、始めよう」


 ジッと前から見つめる。


 (今から数分の内に、この館にいる殺人犯が判明する)


 「ロクロウを……殺しましたか?」


 部屋の空気の流れも止まり凍り付く。


 「はい」


 その恐ろしい予想外の回答を耳にした瞬間、室内は雷光が貫いた直後の様、驚きに固まった顔で皆が一斉に見る!


 (お前が犯人だったのか?!)


 混乱……。


 ドクター・Tだけは違った。


 おもむろに首を左右に振ると一言。


 「それは……嘘だ」



 今ばかりはマーヴェルといえども慌てふためいた!

(ばばばっバカ! ふざけてイイ場合と絶対ダメな時があるだろっ)


 渾身のダメ出しを込めてクリスを睨み付けるが、全くケロリとしている、何食わぬ顔で言い放った。

 「能力がほんとか、最終チェックしてみた……」


 嫌~な空気の支配する間を一拍ほど何とか耐えて、マーヴェルは、相棒の無分別な行動を心から謝る。

 「……す、すみません! もう一度、もう一度僕からお願いします」


 医者は、見放した患者を診るかのように冷たい目をしてぶつくさと苦言を述べた。

 「一応……私の能力が本物だという事は、納得済みだと、こちらは承知した上で始めてるんですがね、……冗談も程々に、いい加減にしてくださいよ?」


 厳粛な儀式の最中に、おちゃらける事など実社会においてはかなりの顰蹙ものだが、幸いにもこの場に限っては、一部を除き、返ってリラックスできたのか怒る者はいなかった。


 ドクターは今一度、マーヴェルに質問した。

 「ロクロウを、殺したか?」


 「いいえ」

 真面目な顔つきで返事をする。


 ドクターは言った。


 「真実だ。間違いなく殺していない。……では、次の者は?」


 腕を組んで壁際に立っていたオオツが手を上げる。


 「俺が答えよう。さっさと済ませてこの件にけじめをつけてしまおう」


 一度部屋を見渡し、医者の前へ数歩、歩み寄る。


 「ロクロウを殺したか?」「いいえ」「真実」と、あっさり彼の無実判定が終わる。

 オオツの顔には汗一つ無く、緊張感も感じられなかった。分かり切っていた当たり前の診断結果を聞いただけというように、変わらぬ態度で医者から離れた。


 同じく椅子には座らず立って聞いていたモリヤが、続けて立候補する。


 「あんたも……ふざけて、無駄な時間を使わせないでくれよ」


 彼を見つめて言った、ドクターの忠告に対して、マジシャンは若干声に棘のある神経質さを感じさせ返事をした。


 「分かってる。ここへ来て、嘘の騙し合いなんてしやしませんよ。私だって早く自分の無実を示し、そっち側へ渡りたいですから」


 モリヤの言う通り、疑いの掛かったままのサイドに立つ人数は……徐々に少なくなっていく。


 「ロクロウを…殺したか?」

 ドクターは落ち着いた声で同じ問いを繰り返す。


 モリヤの顔に目立った焦りは見えないが、緊張感はヒシヒシと感じられる。


 「い、いいえ、……私は殺してませんよ」


 何も犯罪を犯した訳でも無いのに、目の前からやって来る警察官に思わず目を伏せてしまう、そのような感覚か……。


 「……真実だ」


 不思議と肩の重しがフッと抜けたように口が滑らかになった。


 「まあ、そうなるのは当たり前だけど……だって本当に殺しちゃあいないからね~でもこれで、お墨付きを得たという事ですな」


 モリヤは大げさに腕で額の汗を拭う仕草をして、テーブルに座っている残った者の方を向き横柄さが伴う嫌な笑みを浮かべた。



 「次は?」


 そう問うドクターの立っている側、食卓の端の辺りに座っていたスリング婦人が答えた。


 「じゃあ、次はあたしで……座ったままで構わないかい?」


 「ええ、そのままでいいです。スリングさん、ロクロウを……殺しましたか?」


 (パッと見は、只の品の良い婆さんなのだが……少し言葉を交わせば分かる、どこか得体の知れぬ凄みを持った老婦。とても表の世界で生きて来たとは思えないが……)


 「いいえ……坊やを殺しちゃあいない」


 堂々とした態度、揺るぎない発声、もしもこれが嘘だったとするなら、どんなプロフェッショナルでも、どんなマシンをもってしても見抜くことは出来ないだろう。


 果たしてドクターの答えは?


 ……。


 「真実。嘘は言っていない。犯人ではない」


 その言葉を聞いたクナは、ニヤリと笑った。



 続けて、彼女の向かい側に座っていた、クガクレ嬢にドクターが聞く。


 「クガクレさん、では……次はあなたに質問していいですね。怖がることはありません」


 彼女は神妙にコクリと頷いた。スリング婦人と真逆で、動揺がありありと表情に出ている。仮に本当の事を訴えても、怪しいと勘繰られてしまうのではないかと危惧するほどに。


 怯える美女を前にして、男の悲しい性か、今までとは違い明らかに優しい口調で皆と同じ質問をした。

 「あなたがロクロウを……殺しましたか?」


 潤んだ瞳を大きく見開きながら質問者を見つめ返す。


 「いっ、いいえ」


 (殺人鬼を見た目では判断はできない……古今東西、毒殺犯には女性も多い、力も要らぬ殺人方法……彼女が犯人なのか……)


 にっこりと笑顔を見せドクターは告げる。

 「真実。彼女は殺していない。……ええ、もちろんあなたが犯人なんて最初っから思っていませんでしたよ」


 現時点で、誰も犯人に該当しない!

 爆弾に繋がれたコードを一本一本切って行くように胃をキリキリさせる。眼前には残り少ない選択肢、正解の電線に迫っているのだろうか? そうであるとするなら……。


 「後は……最後、アシモフ君か……」


 力なくテーブルに俯き座っている青年マーティ・アシモフ。


 マーヴェルが近寄って、肩にそっと手を置き促した。


 されるがまま医者の方を向くが、視線もあまり定まっていない。少し声を大きくして彼に同じ質問をした。

 

 「ロクロウを……殺したかい?」


 「……」


 被害者ロクロウと仲良くしていた、この中でも最も人畜無害に見受ける大人しい青年マーティ、虫も殺せそうもない。


 しかし皆は今一度、同じことを思う。


 (……人は見かけによらない)


 かなりのショックを受け、意気消沈している様子は間違いないが……まさかこれは……すべて演技ではないだろうか?

 動揺、演技、自然、上手い演技、素朴な演技、いったい何をどう見抜ける??


 「ロクロウを……殺したか?」

 無言のままの彼に、再度問いかけた。


 「……」


 被害者と打ち解け、気を許していたのなら……逆に毒を飲ませる事も容易だったのではないか?


 ドクターには、無言で居られては困る事情がある。嘘を判定できないのだ。

 痺れを切らし、また同じ質問を今度はもっと強い口調で言おうとした、その時。


 「ロクロウを殺した? なぜ? どうして? どうしてこの僕が?」


 感情が爆発したマーティは勢いよく立ち上がり、大声で怒鳴った。


 モリヤが声を掛ける。

 「おいおい、落ち着けよ。質問だよ……君がやったとは言ってない」


 周りの反応を見て、自分の取った行動に気が付き驚いたとでもいうように、怯えてハッと口をつぐむ。

 「……」


 ゆっくりと皆を見ながら後ずさりするマーティ。

 「……ぼっ……僕が殺した……そうさ……」


 呟くような小さな声で、誰かに向かって言っているのかさえ分からない。

 「……僕が殺した。……そうって言わせたいんだろ? ……どうせそうだ結局僕にかかわるとこうなる……」


 「……み、みんな……不幸になる……」

 マーティはその言葉を最後に、晩餐室を飛び出していった。


 「おい! おいおい、待て、待てよ!」


 モリヤが制止しようと後を追いかけるが、スリング婦人が止めた。


 「行かせてやりな。ほっといて」


 何か反論しようとしたが、言葉を飲み込み頷いた。ドクターの方を見ると首を振っていたからだ。


 「彼は殺していないよ。彼は無実だ」



 だだっ広い、豪奢な晩餐室が静まり返る。それぞれがそれぞれの思いを巡らせている。


 そんな中カメラマンが、戸惑っている医者に向けて口を開く。

 「どういう事だ? 結局犯人はこん中にいないって事かね?」


 ドクターは真一文字に口を結んだまま、すぐに答えられなかった。何とか自分の能力による結果を再考し絞り出す。


 「……そ、そんなはずはないが……。この中には彼を殺した者はいな……」


 が、モリヤが遮り、こう言った。



 「いいや……まだ聞くべき人間が残ってるぜ」


 彼の目線に誘導され……。


 入口に目立たぬように静かに立っているウルフィラに、皆の目が向けられた。


 彼女はキョトンとした表情で見返している。


 「当然、部外者……という訳にはいかないですね……」

 マーヴェルはそう言った後、ドクターに顔を寄せ、何やら一言二言そっと耳打ちした。


 「えぇ? まあ! このわたしが人殺しなんて……」


 彼女は自分も同じように審問を受けるとは、露程も思っていなかった様子でちょっと恥ずかしそうに頬を赤らめた。


 「みなさんが、わたしもと……そうおっしゃるのなら」


 舞台上からいきなり指名され、会場の人々から視線を集める観客席の一人のように、申し訳なさそうな照れを見せ近づいて来た。


 彼女を見つめながら、ドクターは努めて冷静にラストの台詞を口にした。


 「あなたがロクロウを……殺しましたか?」


 起爆剤へと繋がる残ったコード、赤い線と青い線。ドクターは極度の緊張感でその線に鈍く光るニッパーを近づける。誰にも見えてはいないがその手は震えていた。


 「いいえ」


 ご主人様の命令を受ける、いつもの朗らかな表情で明瞭に返事をした。


 (どっちだ?!)


 「……」


 (彼女か!?)


 ドクターの返事に一瞬間が開いた。


 「じ、真実だ」



 緊張が解け、スリング婦人が思わず大声で言ってしまう。

 「!? じゃあなんだい、犯人はいないのかい?」


 医者が診断の結論を述べた。

 「ああ、間違いなくこの中にロクロウ少年を殺した人物はいない。……よって……考えられることは、此処に居ない者、……それは…………主人、そして消えた執事」


 そう言ってから、ああ、と思い出したように続けた。


 「ウルフィラさん、ちょっと聞くが……主人を知らないって本当か」


 「はい、本当です。ま、前にも? 少し事情をお話ししたかと思いますが……ほとんどの指示は直接ではなくて、執事さんに伺っておりましたし……」


 「一度も本人に会った事は無いのか? 初めて会ったのは?」


 「……初めて……雇って下さった時に面接でお会いしました。ただ……お顔は見ておりません。カーテン越しに声を聴いただけで」


 「そんな馬鹿な……そんなおかしな雇い主を信頼して仕事を受けたのか?」


 「…………ええ、はい……すみません。信じてしまいました」


 医者はメイドの言葉に、後悔の念を感じはしたが続ける。


 「その後の接触は?」


 「何度かご指示を受けた時も……このイヤフォン? で……」

 そう言って、可愛らしい耳に付けた超小型のヘッドセットをよく見えるように向けた。


 「じゃあ、最近シラヌイから連絡は?」


 「……あ、ありません。昨日から全くありません」


 皆の強い視線の意味に気付いたのか、そう言うとメイドは俯き、役立たずで申し訳ないとばかりシュンとしてしまった。


 老婦人が意を決したように意見する。

 「さて……こうなると、そろそろシラヌイって奴の部屋に行ってみるべきではないかい?」


 「そ、それは……困るんですが……」


 「そうは言ってもねぇお嬢さん。こうなった以上、あんたのボスが殺人者かもしれないんだよ……諦めな」


 そう言われてしまっては、忠実な使用人としても返す言葉が無い。


 「じゃあみんなで地下へご挨拶に行くかね?」


 オオツが大きく頷き、他の者も大体同意の意思を示した。


 スリングが立ち上がり、カメラマンと共に部屋を出ようとする。外科医や探偵達も後に続こうと動いた時。


 「くくくっ、ハッハハハハッ」


 メンタルマジシャンが高らかに笑い出した。

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