『34、子供領主』
朝、カーテンの隙間から零れてくる光で目が覚めた。
カルスが寝室にいないことから見るに、起きる時間よりも早い時間のようだ。
布団を綺麗に畳み、カーテンを開けて王都を眺める。
今日も雲1つない快晴。晴れだと気分が高揚するのは何でなんだろう?
「ふあぁ・・・・」
欠伸を噛み殺しながら鏡を覗くと、寝癖がついているのを見つけた。
水で濡らしながら寝癖を整えていると、カルスが入ってくる。
「おはよう、カルス。毎朝ありがとう」
微笑みながら手櫛で髪をなぞると、スムーズに流れていく。
前世では癖っ毛だったから、サラサラの髪は最高だね。
寝癖を直すのにそれほど時間がかからないのが、忙しい朝には本当に助かる。
「おはようございます。今日、特別な予定はございますか?」
カルスの問いに俺は小首を傾げ、しばらく考えた。
今日の予定は何だっけ?忘れちゃったから手帳を見に行くか。
書斎に置いてある手帳には、その日の予定が逐一書いてある。
それを確認しに行くのだ。これが執事にとっては意外と助かることらしい。
何でも予定が把握できないと、執事が主に付きっ切りという事態が生じるのだとか。
「リレン様に仕える前は何度も経験しましたよ」と疲れた表情で語っていた。
だから「執事だって自分の時間は欲しいでしょ?」を合言葉にカルスを休ませている。
カルスのプライベートの時間を確保するために、忘れていたら必ず手帳で確認するのだ。
手帳を開いた俺は居間のソファーに座った。
「えっと・・・午後から父上とお茶会か・・・。最近ずっとあるんだもんなー」
頬を膨らませながらごちる俺に、カルスから笑みが零れる。
国民を苦しめている領主たちの不正事件を解決するため、父上主催のお茶会兼作戦会議が毎日のように開催されているのだ。
「出される紅茶が本当に濃いんだよ。だけど父上の手前、飲まないわけにはいかないし。お茶会の時もカルスの茶葉で淹れてくれないかなぁ・・・」
俺にとっては至上命題なのである。
カルス印の茶葉で淹れるお茶は丁度よい濃さのため、俺のお気に入りの銘柄だ。
お茶会のお茶がカルス印のお茶なら、とても良い案が出そうなのに。
何とかできないかと首を捻る俺の肩をカルスが優しく叩いた。
「うん?ああ、朝ご飯の時間か」
「はい。行ってらっしゃいませ。また後で」
カルスの一礼を受けてから食堂に着くと、家族は俺以外既に集まっていた。
「わ、すみません。僕のせいで食事が遅れましたか?」
慌てて謝罪すると、向かいに座っていたアスネお姉さまが口元を抑える。
え?俺、何かした・・・?そんなに遅かったのかな?
「大丈夫よ。むしろリレンが時間通りだわ」
母上は微笑むと、脇に控えていたメイドに視線を向けた。
メイドは一礼し、縁に赤い線が入ったお皿に載せられた目玉焼きを配っていく。
「あれ、新しいお皿だ。赤いワンポイントが綺麗ですね」
「そう?嬉しい!私が王都で買ってきたのよ」
アリナお姉さまが満面の笑みを浮かべて手を上げた。
王都散策をした時にお土産として買ってきたものだったのか。
俺は家族みんなで使えるものは買ってこなかったな。
今度の領地巡りの時にでも買ってこよう。
「アスナのセンスはとてもいいと思うわ。それじゃいただきましょう」
母上にも褒められ、アリナお姉さまは終始ニコニコ顔だった。
部屋に戻って、他の郡から提出された書類を机に並べていると外から物音がした。
恐らくカルスが部屋の前に立ったのだろう。
何も気にせず入ってくればいいのに、いちいち俺の許可を取らないと入ってこない。
だから俺が毎回許可を与えなければならないのだ。
「カルス、部屋に入っていいよ。今日は午後まで何もないし」
暖房を適度な温かさに調整しつつ、ドアを開けてカルスを呼び込む。
カルスが入ってきたのを確認した後、書斎で書類に目を通す。
おかしいと思われるところに線を引いていくと、ダリマ郡の数が異常に多い。
逆に、ヂーグ郡は線の数が少なく、まとまった書類だと言える。
他の郡はどこも同じくらいの線があった。
「ヂーグ郡は領主が優秀なのかな?とりあえず複製しておくか」
1人呟きながら複製用の魔導具を起動させ、線を引いた書類を複製する。
ふと懐中時計を見てみれば、もう片付けないと間に合わない。
インクを拭く布を取ろうとして手を伸ばすと、布の上に何かがいた。
目を凝らして見ると、大きな蜘蛛がゆったりとくつろいでいる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」
自分の口から発されたとは思えない甲高い悲鳴が部屋中に響き渡った。
慌てて書斎に入ってきたカルスが大きな蜘蛛を見て固まる。
「カルス、何か細い棒状の物を持ってきてくれる?アイツを潰すよ!」
そう頼みつつ、棒状の物が無いか辺りを見回す。
しかし、カルスは俺の肩を優しく掴み、首を横に振った。
「リレン様、落ち着いて下さい。この種なら問題ありません。窓を開けておいてください」
咄嗟の判断で資料の上に本を置き、窓を思いっきり開ける。
カルスは蜘蛛を素手で掴み、開けられた窓から蜘蛛を放りだした。
「はあ・・・大きい声を出してゴメン。蜘蛛はどうも苦手でね・・・」
胸を撫で下ろしながらカルスに謝る。
昔から蜘蛛は苦手なのだ。多数の足でシャカシャカ動いていく様はひたすらキモイ。
恐る恐る布を手に取り、机の上を拭いていく。
「苦手な気持ちは分かりますから・・・大丈夫ですよ」
そう呟くカルスの顔も、自身が嫌いなものを連想したのか青白い。
「本当に心臓に悪いよ・・・。あ、これ洗っといてほしいんだ。僕はもう行かなきゃ」
机の上に置かれた懐中時計を一瞥し、遅れないように俺はお茶会へと向かう。
もちろん資料を持っていくことも忘れていない。
執務室に着くと、父上が硬い表情をしながら出迎えてくれた。
何かが、不正事件絡みで起こったのだろうか。
ソファーに座った俺を確認するなり、父上は1枚の紙をテーブルに置く。
読んでいくと、それはダリマ郡の農民からの陳情書だった。
今年の夏に税が大銀貨4枚から6枚に増えたといったことが書かれている。
しかも説明も無かったため、どうして増税したのかも分からない。
「これは厄介ですね。帳簿の方では防衛費と書かれていましたが、有能な人材を招いたわけでもなく、武器や道具を買ったわけでもありませんでした」
ため息交じりに資料を渡すと、父上は深くソファーに身を預けた。
「ダリマ郡以外も1つはおかしなところがあったのだろう?ということは7郡の領主全てが今回の不正事件に関わっている可能性が高いな」
「そうですね・・・。ただ、ヂーク郡だけは例外だと思うんですけど」
俺が意見を言うと、父上は目を見張った。
「ほう?それは何故だ?」
「おかしな点が少ないこと。そしてそのおかしな点も数字の読み取りミスかもしれませんし」
ヂーク郡の領主の数字が読みにくく、解読に苦労したのを思い出す。
資料の該当部分に目を通した父上は苦い表情をしながら唇を噛んだ。
「確かにこれでは分からないではないか。まあ齢10では仕方がないかもしれんが」
「え?齢10って言いました?そんな子供が領主をしているのですか?」
どんな因果関係があれば10歳が領主をすることになるんだ。
ヂーク郡の資料は他の郡と比べて見やすかったが、あれは従者の成果なのかな?
「ああ、両親が急逝してしまってな。後継ぎがその子しかいなかったのだ」
「別の領主を送ることは出来なかったのですか?」
いくらなんでも領主は負うべき責任が重すぎると思うんだけど。
勉強という意味でも他の領主の下で働くべきだ。
「先代が大分慕われていてな。領民たちが変えたら暴動を起こすと脅してきたのだ」
「それはまた物騒ですね。だからやむを得ず子供領主を認めたと」
「ああ、その代わりとして優秀な執事を送り込んであげたからな。特に問題視はしていない」
やっぱり、あの資料は従者が作ったものらしい。
ただし細かな数字などを書き込んだのは子供領主ということか。
そう当たりを付けているとメイドの手によってお茶が運ばれてくる。
父上はメイドに目線でお礼を言ってお茶に口を付けた。
こうなれば俺はお茶を飲むしかない。このお茶、濃いんだよな・・・。
「えっ・・・」
1口飲んで、思わず困惑の声が出てしまった。
いつもの濃いお茶ではなくカルスが淹れてくれる美味しいお茶だったのだ。
最も、カルスが直々に淹れてくれたお茶には劣るが。
「どうしたのだ?何かお茶に入っていたか?」
父上の訝し気な声にハッと我に返った俺は顔を青ざめさせるのだった。
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