第百一話 鏡の中の王女

 豫国でも極上の姿見には、女が映っていた。辰砂を用いる特殊な技法で作られた鏡は、倭国や漢のものとは比べものにならないほど鋭く艶やかで、女の姿を鮮明に写しだしている。


 裾の長い真白な長衣に赤い帯、首には輝く三連白玉の飾りを身につけ、耳には花々を象った金を垂らしていた。しかし女はまるで表情がない。自分の姿をまるで他者を見るようにじっくりと観察していた。


 そしてゆっくりと息を吐くと、少し曇った鏡に頬と両手をつけ瞑目した。


「私は、まだ美しい?」


 その問いに、鏡ではなく背後に控えていた白髪の老女が、一歩前に出て涙を堪えるように応えた。


「もちろんでございますとも。ミオ様のお美しさは、十代の頃は何ら変わっておりません」


 それは嘘だ。とミオは眉をひくりと動かせ、目を閉じたまま思った。

 自分は、確かにまだ老人と呼ばれるほどには老いてはいないだろう。しかしこの鏡を見れば分かる。波打つ髪には白いものがいくつも混じっているし、月光や部屋の灯りの下では目立たなくても、日の下だと小さな皺が目立つようになっている。たっぷりとした衣服で隠さなければ、体型も変化しているのだ。たとえ美しくても、十代のように弾ける若さはもはやない。


 時の流れは、確実に我が身にも襲ってきている。


 それでも、まだ間に合うはずだ。


「私は、まだサルタ王子の子も産める」


 ミオが自分に言い聞かせるように言うと、老いた侍女も小さな布で目を押さえながら頷いた。


「長うございましたね。ようやく姫様の宿願が果たされるのです。わたくしももう何も申しません。どうか、お幸せにおなり下さいませ。どこまでもお供させていただきます」


「あの時は、あれほど反対したのに?」


 頬と体を鏡に預けたまま、鋭い視線が侍女に向けられた。


「あの時は・・・・あの時はそれが正しいと思ったのです。誰もがそうでした。ですが、この二十年の間、誰よりもお慕いする姫様の嘆くお姿を見て、わたくしも考えが変わっていったのでございます」


 「私は、間違っていても良い。ただこの愛が手に入れられるなら。兄であるミカドも、会ったことのない姉のサクヤも、私の兄姉は自分の愛を掴むことは出来なかった。けれど私は違う。どれほどの間違いであっても、この愛を手に入れてみせる」


 鏡の中の自分に囁きながら、ミオは伝え聞く荒廃した国土を想像しながら思った。結果だけ見れば、いまや豫国を建て直すことが出来る者はサルタ王子をおいて他に誰がいるだろうか。皆が禁忌と呼ぶ自分の願いが叶うことで、多くの者が救われる。

 サルタさえ相応しい地位にさえ即けば、全ての問題は解決するのだ。


 逆に、サルタで駄目なら、もはや。


「婆や。年送りの準備はどうなっている?」


 老女は全て滞りなく、と応えた。


 今年も残すところあと三日。本来最後の晦日から年明けにかけて行われるこの儀式を、ミオは急遽年明けの三日前、すなわち本日に行うことにした。

 ミカドは年送りに伊国の大巫女を捕らえて生贄とすると言ったらしいが、戦いの勝敗がどうであれ、このままでは間に合わないだろう。まして戦いの最中にミカドが亡くなり、サルタ王子が即位すれば一時的とは言え、混乱は必至なのだ。

 

 今は王都をまとめなければならない。

 

 巫女としての教育を受けていないミオにとっては、年送りの儀式は大神に対して儀式を行うというよりも、政治的な理由が強かった。

 今や大巫女のレイを捕縛し、ミカドのいない王都の主となっているミオであるが、その王都は混乱の最中にある。


 シマムト川が赤く染まり、それを引く王都では身分の上下を問わず狂乱している。天を仰げば黒雲があり、雹とともに鳥が次々に落ち、地を見れば赤い川に魚が浮かびそれに蠅が群がっていた。家畜にも病が広がっている。その謎の異常な現象と、目先の生活への危機感がその狂乱に拍車をかけているのだ。


 ミオは王宮を掌握すると、すぐに右往左往する大臣達に食料庫を民に開放し、貯めてあった雨水も配るように命を下した。もちろん彼らの私的なものも含めてである。 

 何人かは抵抗したが、槍先をむければすぐに黙った。

 加えて王宮の兵を差し向けて治安維持を強化した。しかしそれでも流民が急増していることもあり、王都の混乱は静まらない。

 これは人心を鎮めるためにも、催しが必要である。そう生粋の王族であるミオは直感で悟ったのだった。謎と不幸を説明するために、悪が必要である。それを討つ。そしてその正義を多くの者に示さなければならない。

 

 闘技場にはすでに闘技会のように着飾った貴族達が集合しており、身分の低い者たちの入場も制限してはいなかった。誰もがこの国と我が身の不幸の源の姿と、救いを求めて集まってきていた。

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