第五十七話 自覚なき密告者

 サラ婆の造った猪汁が空になり、家の中は再びハヤヒとハヤトの寝息と、ぱちぱちと炎で小枝がはじける音だけになった。


 ククリは黙ったままだったが、サラ婆は気にせずあれこれと思考を巡らせているようで、時折独り言をつぶやいていた。


「とにかくここから出ることが肝心だ。・・・・いやしかし、どんな手があるだろう・・・やはり馬が必要か・・・いやいっそ・・・」


 そんな呟きはしばらく続いたが、疲れからかサラ婆はついに根を上げた。


「だめじゃ。どう考えても、密告者か諜者がいるのだとすれば全てが台無しになってしまう。一体どうしてばれてしまったんじゃろう。ええい、骨さえ調達できれば儂の太占で占えるというのに」


 サラ婆は明らかに焦っている。先ほどよりも湿気が増していて、それが彼女の汗のせいだと分かった。恐らくもう時間が迫っていることが、予知や占いよりも人生の勘という奴で感じているのだろう。


 今この砦にはイサオはおらず、砦の隊長が全てを取り仕切っている。だが知らせを聞いたイサオは直ちにこの砦に帰ってきて、急遽各地の長たちを召集するに違いない。その会議の席で、ククリを殺す計画なのだ。時期的にも巫女たちの集まりの報告という体裁も繕える。。まさにそれはノギクの予知した光景になるに違いない。


 イサオと長たちが揃うまでが分かれ目なのだ。


 だがそんな状況にあって、ククリはサラ婆の言った事が気になった。サラ婆の国、それは一体どんな国で、彼女はそこでどんな風に暮らしていたのだろうか。

 そしてその国にもやはり覡がいたという。覡というのは、巫女の力を持った男のことらしい。太古はともかく、今では豫国でも倭国や熊襲でも実質的には祭祀を執り行うのは女だから、このあたりの人間からすればかなり珍しいことである。だがよく考えれば、倭国の太師張政も異様な力ではあるが覡の一種だと考えて良いだろう。豫国では巫女と女の優位性について話されていたが、男でもあれほどの霊力や神秘の技を出せるのだ。


 そこまで考えて、ククリは恐ろしいことに気がついた。

 だが、必死で動揺を表に出さないように胸を押さえ、そっとサラ婆の手を握る。


「どうしたんだい、ククリ」

 ククリは一瞬サラ婆の細い手首をぎゅっと握ると、掌に一つ一つ丁寧に文字を書いた。豫国でも学び、サラ婆にも改めて教えてもらった『漢字』である。


(サラ婆は、この地で私以外に術を教えたことがあるか)

 サラ婆もククリが会話を避けているのだと気づき、同じように掌に文字を書いて返した。


(確かに昔はみんなに教えたよ。でも、今の巫女の誰も身につけることは出来なかった。才能がある子もいたのかもしれないが、みんな、昔のお前ほどでは無いにしろ、霊力があるからね。わざわざそんなものを本気で覚えようとしなかったのだろうさ)

(では、巫女以外では?)


 ククリが掌に最後の文字を書いて顔を覗き込むと、サラ婆はわずかに残った歯が見えるほどに大きく口をあけた。

(そう、そういうことだったんだ)

 二人は見つめ合いながら、頷き合った。

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