第五十三話 野に咲く花

 果てしなく広がる空は遙か高い。

 ククリのいる熊襲の拠点には稲が植えられてはいなかったが、夏とは違う爽やかな風が吹き、あちらこちらの色づいた草木には赤い蜻蛉の姿がちらほらと見えて、収穫の秋を感じさせていた。今頃、倭国やアワギハラ、熊襲の本拠である南部では兵たちも加わって稲を刈り入れている頃だろう。


 日差しも随分と穏やかになってきており、そろそろ収穫に対する感謝の儀式が行われる時期である。


 熊襲は南部の各地に集落を構えており、巫女はそれぞれの場所で儀式を行う。豫国のように、一カ所に巫女が集まって暮らし、大巫女が代表して儀式を行うのでは無く、各地に土着の巫女が在駐しているのだ。


 今や巫女の長のような存在であり、各地の巫女たちから尊崇を受けているククリとサラ婆だが、アワギハラ最前線の砦にあって各地方への出入りの自由はなかった。表向きは彼女たちの保護のためと言われているが、実際は、豫国出身であり一時は倭国にいたククリと、半島出身であるサラ婆たちを警戒しているということは誰もが知っている事である。倭国も熊襲も古来より大陸半島からの渡海人を受け入れて栄えてはきているものの、第一世代でありながら、これほどの尊敬を集めている二人は異例のことなのだ。

 

 ククリたちは監視の下に南部各地へ行くこと自体は許されてはいるものの、まさか儀式の度にあちこち全ての集落を回るわけにもいかない。そのため、季節の儀式の時期になると、各地の巫女たちがこの砦に集まるようになっていた。


 輝く日が燃えるように赤くなって沈み、清廉な月の光が輝く頃、砦を少し離れた丘の上、クマナ媛の墓の近くの広場に巫女たちは集まり始めていた。若い者、老いた者はもちろん髪の長い者、短い者、刺青をしている者、ほとんど裸のような格好の者、盲目の者、あえて目隠しをしている者、戦士のように筋骨逞しい者など、各地の巫女の姿にはそれぞれ特色があり、暗黙のうちに統一されていた豫国や倭国の巫女たちの容姿とは明らかに毛色が変わっていた。果たして彼女たちはお互いが同族であるという意識を持っているのかとも思ったが、いざ中央に焚かれた炎の前に集まると、彼女たちは楽しげにお互いの近況を報告し合い、場が華やいだ。


 この集まりには、巫女以外の者の参加は許されず、熊襲の王であるイサオとて例外では無い。女たちだけの集会の夜は、月光に照らされて更けていく。

 声が次第に大きくなり出した頃、ドンという太鼓の音が響き、クリリが巫女たちの前に出ると、誰もが声を鎮めて跪いた。


 背筋を伸ばし、毅然と巫女たちにまなざしを向ける彼女は、たとえ身体のあちこちに火傷の跡が残り、髪が縮れ、かつての優美な姿を失っていてもなお、魂の麗質で巫女たちを圧倒していた。傍らに控えるサラ婆の姿はさらに威厳を加えていたし、ククリを導くハヤトは銀色の毛並みを輝かせて主に忠誠を誓っている。彼らはまるで、月か、夜の女神の眷属のようだった。


「この秋も、良く集まってくれた」


 ククリの役目は、彼女たちに儀式の心得を説き、不測の事態に対してどのように対処すれば良いかという基本的な部分が多かった。いざ儀式に関して言えば、各地の巫女のやり方は統一されておらず、どれも独特のもので熊襲では代々それを尊重しており、それはククリも同意見だった。


 それでも一見それぞれが独自のやり方を持っている熊襲の巫女たちにも、共通の点がある。どの集落の巫女も、激しい『踊り』によって、神を祀り、神と通じるのだ。

 豫国では太鼓や笛を使い、静かに舞うことはあっても、跳び上がって踊ることはまず無い。ククリは興味を覚え、そしてその舞踊こそが熊襲にふさわしいやり方だと得心していた。己の感性のままに繰り広げられる踊りは、この地にふさわしい『方法』であり祀りに違いなかった。

 

 ククリがいくつか訓示を述べ、サラ婆が太占の結果を伝え一連のやりとりが終わると、巫女たちは炎を囲んで自然とそれぞれの舞踊を披露し始めて、その場はさながら宴会のように盛り上がる。

 太鼓の拍子に合わせて炎が踊り、仮面をつけ手足に鈴をつけ、あるいは鈴をつけた剣や矛を振り回しながら女たちが飛び跳ね、その地の荒々しい神々と同化するようなひとときであった。

 

 ククリはもはや自分は、神をその身に感じることはできしないが、それでも彼女たちの踊る影と輪郭を眺めながら、かつての感じた感覚を思い出していた。今ここには、近くの小さな神々が集まり、自分たちを覗いているのかもしれない。楽しげな宴をみて喜び愛でているのかもしれない。それを目の前で踊る彼女たちは感じているのだ。そう思うと、自分が失ってものに胸が少し痛くなった。

 

 南部、日向と呼ばれる熊襲、狗奴国王都の巫女であるノギクが舞踊の影に紛れてククリに近づいてきたのは、宴が盛り上がっていたその時である。

 ククリが彼女の影を感じるよりも先にハヤトが唸り尾を立てたが、相手の目が潤み、身体がわずかに震えていることに気づくと、やや警戒を緩めた様子だった。

 サラ婆が杖で守るように前に出る。


「お前は、日向の巫女のノギクだね。どうした。何か相談事かえ」


 潜ませながらもどこか厳しいサラ婆の声に、歳若いノギクは気迫に負けたようにその場に跪いた。束ねていた黒髪の束が、ふさりと肩に掛かる。


「は、はい。ククリ媛様に、内密にご報告したい議がございます」


「ここでは話せないのか」


 太鼓と鈴の音を背にククリが尋ねると、ノギクは目にいっぱいの涙をためて頷いた。

 彼女の様子に、ククリもこれはただ事では無いと察知する。今ククリに見えているのはノギクの影と輪郭だけであっても、彼女の必死さは十分伝わってくる。


「ついてきなさい」


 ククリとハヤトとともに宴をこっそり抜け出すと、背の高い草をかき分けてクマナ媛の墓の前まで移動した。人気は全くなく、フクロウの鳴き声と鈴虫の音が、クマナに供えられるように響いている。

 ここまで来れば、誰も会話を耳に出来はしないだろう。

 ノギクは相変わらず、身体を震わせ、目を潤ませている。この少女がそれほどまでに深刻になって伝えたいことは一体何なのだろうか。


 するとノギクはクマナの墓の前で改めて跪き、ククリを見上げた。

 秋の夜風が草を揺らす音が聞こえた。


「我らが長であるククリ媛様に申し上げます。どうかここからお逃げ下さい。あなたは、もうすぐイサオ様たちに殺されます」


 ククリは大きく息を吸い込むと、動揺を悟られぬようにできるだけ自然に息を吐く。


「・・・どうしてそう思うのだ。お前の霊力か」


「そ、それもございます。ククリ様が殺されている光景を、私は視ました。けれど、巫女の私でもそんなことは信じられなくて・・・・。でも私は、直接聞いてしまったのです。ご存じのように、私の住む日向は、熊襲の本拠地です。イサオ様も王の宮で各地の長とともによく会議を行います。その夜、私は自分の家で瞑想していたのですが、不意に場所を飛び越えて、王の宮で交わされる会話が聞こえてしまったのです」


 ククリはかつてあったその感覚を思い出して、顎をあげた。


「ノギク、手を出しなさい」


 ノギクが言われるままに、小さな手をククリに出すと、ククリは親指で彼女の脈に触れた。


 (嘘は言っていない)


 ノギクの言葉が真実だと確信すると、一瞬寒気を感じた。


「ク、ククリ様・・・あなたはもうすぐ、この砦でイサオ様や、イサオ様に近しいいくつかの地方の長たちが集まる会議に呼ばれます。収穫の儀式の報告だと言っていました。その席で、あなたを殺す計画があるのです」


 ノギクの呼吸は次第に激しくなり、目からはついに涙もこぼれ落ちていた。

「私はすぐには信じられませんでした。すでに熊襲の巫女たちはあなたを尊敬しています。大国である豫国の巫女であり、様々な知識を持ち、過酷な経験を乗り越えたあなたは私たちにとって、無くてはならない存在なのです。誰もが抵抗を感じていた数年前ならともかく、どうして今になってと・・・・。話はあなたの事だけではありませんでした。ご子息のハヤヒ様も。ハヤヒ様はあなたが殺された後、すぐに日向に移されイサオ様が育てると言っていました」


 ククリが自らの思考を深めていくと同時に、ノギクの声がだんだんと遠くなっていく。

 イサオの殺意は、もうずっと以前から感じていたことであった。あの時、熊襲の王、イサオとして最も一族に利益のある行いは、ククリを養女に迎えることだった。彼はそう計算し、判断した。底にある、娘を死なせた憎しみを押し殺して。


 その振る舞いに、ククリは尊敬と恐怖を覚え、そして冷静に考えた。彼の殺意は、恐らく一時的なものではない。

 いつか、機会あれば自分を葬る気なのだ。

 それはいつか。


 恐らくそれは、自分に用がなくなった時だと思っていた。自分の持っている巫女としての知識を熊襲の巫女たちに伝えた終わった時、あるいはハヤヒが成長した時かと思っていた。


 だが、その時は思っていたよりも早く来た。

「ククリ様、私を始め、熊襲の巫女はあなた様の味方でございます。王であるイサオ様に逆らってでも、あなたを守りたいという者も多くいるでしょう。私もできる限りのことは致します。ですから、どうか、この熊襲を出る用意をして下さい」


「お前は・・・・巫女でありながら、自分の視た運命に逆らえというのか」

「運命など、一体何だというのでしょうか。そんなものは変えれば良いのです。それが我ら熊襲です。そして私たちのククリ様です」

 月の光が、ノギクの涙に照らされて清く光った。彼女はきっと微笑んでいたに違いない。

 そのノギクが、謎の死を遂げたのは次の日のことだった。

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