第四十四話 年送りの本祭

 一年最後の日である。外には例年通り雪が舞っており、厚い雲はまだ昼間だというのに里を夜のようにしていた。このままいけば、夜には吹雪となりそうな勢いである。


 里は年送りという大儀式を前に大わらわだった。さらに、この牢の中も騒がしいものになっていた。年送りを直前に控え、残りの二人の生贄も連れられてきたのだ。彼女たちはナルやモモとは違い、年の初めに里元へと帰されると信じて疑ってはおらず、突然有無を言わせず連れられてきたこの牢で、事態と自分の行く末を悟りずっと大泣きしている。二人ともナルよりも年長の者たちである。ナルとモモは二人をなだめようとしたが、豫国巫女としての品格などどこかに放り投げてように顔中涙と鼻水だらけで、彼女たちの泣き声が止むことはなかった。


 覚悟を決めたナルとモモは溜息をついたが、そもそもこれが普通の反応なのだろう。里に帰れると喜んでいたところに、突然お前はこれから日に焼かれて死ぬのだと言われて平静でいられる者はあるはずがなかった。

 

 里の慌ただしさが牢にも伝わってきている頃、イワナはようやくナルの前に姿を現した。

 

 ナルはほっとして凍えた気持ちが柔らかくなったが、彼女の死者のような陰鬱な顔色を見て事態を悟った。


「ナル、私はあなたを解放することができませんでした。あなたは今日、生贄として儀式に参加することになりました」

 

 それが何を意味するのかを、二人はとうに知っている。


「先生・・・・」


「でも諦めたわけではなりません。これをお飲みなさい」


 イワナは小壺から器に緑の液体を注ぎ、ナルに差し出した。


「これは」


「生贄に選ばれた娘は、儀式の前に意識を失う毒水を飲まされます。この里に来た時、あなたも死者となるという死水を飲んだでしょう。それがその原型なのです。この薬湯は、その毒を中和させるもの。これを予め飲んでおいて、毒を飲まされた後も朦朧としている振りをなさい。そして事が起これば、そこから一目散に逃げるのです。そして私の宮に来なさい」


 ナルは自分の師が、ただ陰鬱というだけではなくどこか鬼気迫る迫力のようなものを背負っていることに気がついた。イワナは儀式の最中に、何かをする気なのだ。詳細は分からないが、それがどういう性格のものかはナルにはすぐに理解できた。


「何をなさるおつもりですか」


「・・・人生には、どんなに愚かでも大それた事でも、しなくてはならない状況というのがあるのよ」


 曇った師の表情からは、もはや後戻りができないのだということが伝わってくる。当然、それがどういうものであったもナルはイワナを責める気などなれるはずがなかった。今、彼女がしようとしていることは全て生贄となる巫女たちと、教え子である自分のためなのだから。

 

 年送りの儀式は今年も鶴亀山頂上で厳かに始まった。あたりは一面の雲海であり、人の気配が全く感じられないこの場所は、まさに天界のごとき神域である。かつて、豫国の始祖が西方からこの地にやってきた時、ミカドはここで神に定住を宣言した。神はこの山に宿ることになった。


 当時はミカドが大巫女の役割も兼ねていたが、この地は広く、地の利から言っても海側に都を築き、国の統治を行わなければならず、この山にはとどまることが難しかった。そこで次第に祭祀と政の役割は大巫女とミカドの二人に分担されたのである。

 だがそれは、もう遙か昔のことである。

 

 地上より離れたこの地でさらに暗い空が吠えた。まるで分厚い雲の真上に、恐ろしく巨大な生き物が悠然と泳いでいるように感じる。


 春迎えならば豪華な食事や華やかな舞が献じられるが、年送りはそのはじめから懺悔によって始まる。まず豫国の法が最初から最後まで読み上げられ、それらを破った罪人たちの懺悔、また罪人たちが罪を犯さなくてはならなかった事への懺悔。そして法には反していないが、民草が生活の中で犯してしまった小さな罪、蓄積されていった穢れについても懺悔する。巫女たちは誰もが仮面をかぶり、罪と穢れを背負った本人となって中央に焚かれた大炎に平伏するのであった。

 

 この大炎には大神の一部が降りてきているのである。巫女たちは一人一人、自分が白い人形に息を吹きかけ、それぞれが大炎に投げ入れる。笛がもの悲しく鳴り響き、太鼓が三度勢いよく叩かれれば、前半は終わりだった。

 

 ここまでが普通の巫女たちが参加できる部分である。

 若い巫女たちが里へと下りていった後、年送りの供犠、その本祭が始まる。それまで跪いていた幹部たちが立ち上がり、降りていった者たちに代わって笛、太鼓、鈴を鳴らす。若い者たちよりもその所作は遙かに洗練されており、まさに天女が楽器を奏でているような光景だった。だが流れてくる音色と旋律はこの世のものとは思えないほど寂しく幽玄で、まるで異界から流れ、また人を異界に拐かすような妖しさがある。

 

 以前、この場に来たナルはその音色のことなど頭になく、巫女が焼かれている事と、サクヤの異様な美しさに怯え逃げることしかできなかった。

 

 しかし、今のナルは自由を奪われ逃げ出すこともできない境遇である。

 

 ナルは両脇の巫女たちに導かれるまま、大炎の脇に立たされていた。モモと二人の若い巫女も同様である。

 本来意識を奪われているはずの彼女たちは、イワナのおかげでしっかりと意識があった。ナルはそれがばれはしないのかと気が気では無い。しかし少しでも震えを見せれば、その時こそたちまち見破られてしまうだろう。

 

 楽器の奏でる音色と拍子が変わり、場の空気も変化した。いよいよ、罪と穢れを大炎で清める場面が来たのである。


「形代を!」


 ナルは四人の中で一番に段の上へと導かれ、炎へと近づいた。真冬の山とは思えないほどの熱気が、覆われた布越しに伝わってくる。イワナの言っていたあれは何だったのか、こんなことならば意識がない方が楽だったかもしれない、そう思ったその時である。


「罪を!あっ・・・・・ううっ、ううっううっ」


 被せられた布によって視界はほとんど見えないが、それでも炎の光で影は見ることができる。間違いなく、目の前にいるサクヤが突然苦しみだし、蹌踉めいて崩れ落ちたのだ。脇に控えていた年かさの巫女たちは、慌てて次々にサクヤに駆け寄っている。


 自分の脇に立ち、拘束していた巫女たちもそこへと駆け寄り始めたその瞬間、まさにナルは今だと思った。


「三人とも、今よ!」


 ナルは後ろのモモたちにそう叫ぶと、頭をふるって被せ布を振り払った。手の縄はまだ解かれていないが、なんとか走れそうである。

 ナルたちは決して後ろを振り返らず、予め計画していたとおりイワナの宮へと一心不乱に走り出した。すぐに持ち場を離れた巫女たちも気がつき、「待て!」という声が聞こえたが、待つはずが無い。とにかく今はイワナの宮に急がなくては。

 

 すぐ横に同じく走るモモの姿が見えた。ナルはできれば幼い彼女と手をつないでやりたいと自身の縛めを憎いと思った瞬間、自分の手の縄はすっと解けた。呆気に取られたが、恐らく誰かが細工してくれていたのだろうとすぐに悟る。

 走りながらモモに近寄り、彼女の縄も解いてやる。他の二人もそうしたかったが、どうやら自分の周りには見当たらなかった。捕まってしまったのだろうかと頭によぎったが、今は助け出すことなどできない。

 

 次第に人々のざわめきが小さくなってくる。巫女たちは生贄を追うよりもサクヤの安否を優先したのだろうか。

 モモの小さい手を握り、ようやく里の家や宮を見下ろせる坂のところまで来たその時である。

 

 無数の鳥が羽ばたく音がしたと思うと、頭上から身まで震える轟音が響き渡り、あたりは地震のように揺れ始めた。さすがに二人の足も止まる。


「ナル様、あれ」


 モモが指す、先ほどまでいた山頂の方を振り返ると、ナルは言葉を失った。

 突如、一面の雲である遙かなる天空から、灰色の雲に混じって漆黒の雲がまるで逆さの煙のように山頂へと降りてきていた。その様は、黒く巨大な蛇が天下っているようである。


 それが視界に入った瞬間、ナルとモモは震えが止まらなくなった。あの黒い煙か大蛇のような「もの」は、間違いなく比類無いほど邪悪なものである。瞬時にそれが分かった。もしあれに触れてしまったら、間違いなく自分は命を失うことはもちろん、死後も苦しむのだと直感する。


「も、モモ・・・何が起こっているのか分かる?」

 

 小さな掌をさらに強く握りしめ、ナルはモモに尋ねた。


「・・・・分かりません。でも、でも私は恐い!」

 モモは今にも泣き出しそうな声でそういうと、へなへなとその場に座り込んでしまった。


 このままではいけないと、ナルがモモの腕を握って引き上げなんとか立たせ、とにかく走らせる。

 やはり止まってはいけない。今山頂で何が起こっているかも分からないし、この事態がイワナが用意したものなのかどうかは分からないが、とにかくここから離れてイワナの宮に行くのが今は最優先である。

 全力で坂道を駆け下り、一気にイワナの宮までたどり着くと、その時こそ二人はその場にしゃがみ込んだ。

 

 二人の脳裏に、突然目の前とは違う光景が浮かんできたのは、灯りもつけず、震えながら身を寄せ合っていたその時である。

 

 目で見ているものでは無い、まさに景色が「浮かぶ」というこの感覚。ナルは今見えている場所は、先ほど逃げてきた山頂のものであることに気がついた。

 目を閉じ、浮かぶ景色に集中する。


『ぎゃーーーーー、助けて』


『殺してやる、殺してやる!!!』


『殺して殺して! 私を殺して』


『許さない、許さない、許さない!』


『あっはっはっ、私が一番』


『さあ、一緒に、一緒に』


『あー、あー!』


 それは身の毛がよだつ光景だった。

 

 黒い煙に触れられた巫女たちは、次々に燃えかすのようになって消滅していっている。やはりあれは、人が決して触れてはならない何かなのだ。だが巫女たちは煙から必死で逃げようと強いるわけでも無く、各々の行動をしていた。ある者はただ絶叫して泣いているし、ある者は鬼の形相で別の巫女の首を絞めている。ある者は裸になって殺してくれと笑いながら叫び、ある者は楽器を使って別の者を撲殺していた。

 人が黒い影だけになって消し飛び、あたりには悲鳴と笑い声が響き、血のしぶきが上がる。

 

 これが巫女団で、しかも大神の宿る山の頂で繰り広げられている光景とは、到底信じられなかった。


『お前よりも私の方がお前よりも私の方が!』


『私は生き残る!』


『嫌だ嫌だ、帰りたい! 私を帰して!』

 

 もう見たくないその光景は、たとえ目を開けようが閉じようが問答無用で頭の中に浮かび続ける。さすがに吐き気を催しうっとなった時、頭の中の光景はすっと嘘のように消え去った。


 ナルはいつの間にか息を止めており、光景が頭から消えたと同時に呼吸が荒くなった。


「い、今のは」


「・・・今のは遠見という、巫女の奥義の一つ・・・だと思います。私もまだ習ってはいませんでしたが、以前から感覚でそのような事ができると思っていたのです」


「あれは、本当に今山頂で起こっていることなの。あんな凄惨なことが」


「分かりません! 分かりません!」


 モモは泣きながら頭を振り、ナルは彼女を胸に抱いた。

 あれは一体何なのだ。あの光景は到底この世のものとは思えない。いや、それよりもここにいて本当に安全なのか。あの黒い煙が、山頂からここまで迫り来る事は無いのだろうか。そうなれば、この里は全滅である。


「も、モモ、私たちはみんなを避難させないと!」


 だが巫女たちは自分を信じてくれるだろうか。あの光景を見たものでなければ、今この地で起こっている異常事態を理解できるはずが無い。まして幹部でも何でも無い自分の指示を誰かが聞いてくれるだろうか。そして、この雪の中、麓までの道は開かれるのだろうか。


 そう思いながらもナルが立ち上がると、外からイワナの声がしていた。その声がたまらなく懐かしく感じて、ナルはすぐに立ち上がった。


「は、ナル、いますか。手を貸してちょうだい!」

 飛び上がって宮の外に出ると、イワナが息を切らせながら立っていた。その背中に背負っているのが気を失ったサクヤだと気づいた時、ナルはさらに青くなった。


「サクヤ様、どうして・・・」


「説明は後でしますから、今はとにかく中へ運ぶのを手伝いなさい!この方は、もう長くないのだから」

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