第四十話 キョウ

 次の日、外で雨の音が聞こえだした朝方にやってきたのは、取り調べを任されたキョウと五人の幹部達だった。立ち会いを許されたはずのイワナの姿はなく、これはキョウが勝手に行っているらしい。


 キョウは相変わらず薄気味の悪い笑みを浮かべ、他の幹部達の先頭に立っている。そのことからも、今幹部を掌握しているのが彼女だという事が分かった。

 他の幹部達の中にはレル、スミ、タキと言ったククリと親しくしていた者の顔もある。


「安心して、これは取り調べじゃないのよ。食事を持ってきただけなの。ほら」


 キョウは後のスミから器をのせた盆を受け取ると、わざとらしい仕草でナルの前に置いた。ナルと器の間には格子があるが、隙間から手を伸ばせば食べることは十分可能だった。


 器は山菜や魚を混ぜた汁のようで、色や香りからしてもどうやら不穏なものではないらしい。


「でも、世間話くらいしましょうよ。ね? これは世間話よ」


 つまりはこれは取り調べではなく、イワナが同席していなくても許されるという理屈なのだろう。


 キョウは蹲っているナルと同じ目線まで屈み込み、首を傾げて微笑した。


「殺された見習いだけれど、別の見習い複数人が重要な証言をしてきたの。以前からあなたは死んだ娘に嫉妬していて、嫌がらせをしていたって。あなたにいつか殺されるのではないかと、怯えていたというのよ」


「嫉妬・・・ですか。一体私がその娘に何を嫉妬するというのです」


 ナルは呆れた。予想していた通り、キョウは証拠をでっち上げてナルを陥れるつもりなのだろう。呆れるのは、それが周到に用意した物的な証拠ではなく、自分の権力の及ぶ見習達の証言という力技によって陥れようとしているものということである。

 キョウがもっと狡猾ながらも聡明だと思っていたナルは、ある意味がっかりした。


「決まっているでしょう。あなたは霊力が無い。巫女としてこの上なく恥ずかしい事よね。ここにいるのが不思議なくらい。殺された娘はあなたよりも若くて、しかも才能があった。レイが幹部になったから、私が次に指導してようと思っていた子だったのよ」


「あなたは・・・自分が指導しようとしていた子を殺したのですか」


「違うでしょ。殺したのはあなたじゃないの」


 キョウの笑顔には、ただ冷たいだけではなく狂気もあった。彼女自身、ナルが殺したと自らに暗示をかけたように信じ切っており、油断して凍えるほど澄み切った瞳を見ているとまるで本当に自分が見習い巫女を殺したような気になってきそうだった。しかしそのキョウ、レイという優秀な幹部に憧れ、自分も彼女たちの如く幹部になるのだと、選ばれるために最後まで従順だったその娘のことを思うと、ナルは涙とともに怒りがこみ上げてくる。


 せせら笑うキョウとは対照的に、後の幹部達は無表情だった。ナルはキョウを無視して視線を彼らに移したが、彼らの表情が変わることはなかった。少しでも人としての心があれば、親しくしていたククリの妹を殺人者に仕立て上げることに苦しまないはずがない。


「いつから・・・一体いつから巫女団はこのようになってしまったのでしょう」


「え、なんですって」


 キョウは小馬鹿にしたように大仰に手を耳に当てて尋ねた。


「大神に仕える巫女団は、この国の礎。選ばれることは誉れだったはずです。自分たちの祈りが国の安寧に結びつくこと、民の幸せを守れること、それが私たちの誇りでした。だから私も、そのための霊力が無い自分を悔しく思い、持っている者に嫉妬したこともありました」


「ほらね、ほら、あなたは嫉妬していたのよ」


「お黙り下さい!」


 言質を取り、今にも小躍りしそうなキョウに、ナルはぴしゃりと言った。あまりの迫力に後ろに控える幹部たちはもちろん、キョウもびくっとなってすぐには言葉を出せない。


 その様はいくら髪や服が乱れていようと、もはや囚われ人やただの巫女のものではない。まるでサクヤに次ぐ地位だったあのククリ、あのイワナを彷彿とさせるものだった。そのことは当のナルにも不思議なことだった。まるで五体に温かく強烈な気が流れ込んでくるような感覚である。


「この巫女団に入る時、私たちは死水を飲んで死者となりました。この世の喜びもしがらみも全てを捨て神に仕えるということであり、ここにいることはそれだけの価値があったのです。思いやりや真心こそ、私たちに必要なものでした。大切にしなければならないものだったのです。生きとし生けるもの、自然を敬い愛し、人の幸福を繋げる。それが豫国の巫女です。派閥だ、生贄だ、嫉妬だなどと保身のために人まで殺めて、あなたたちは一体何者ですか。恥を知りなさい!」


 ナルの叫びとともに、幹部達は目を見開いてたじろいだ。


 一体この娘はなんなのか。ただの落ちこぼれの巫女が出せる威容ではない。まるで大幹部、あるいはサクヤに匹敵するほどの迫力と怒気である。ナルが後ろに控えた幹部たちを見やると、彼女たちはまた震えて縮こまった。

 だがキョウだけは毒蛇のような眼差しをやめることはせず、決して臆しはしなかった。


「若いわね。一体何様のつもり。綺麗事だけで、巫女が務まると思っているのかしら。漢にも匹敵する大国である我らが豫国。その最高の権威と権力と秘宝が、この里にはあるというのに。ふっ、イワナ殿に取り引きを持ちかけるつもりだったけれど、もうやめます。ここまで侮辱されては、私も許すことは出来にないわ。あなたには生贄になってもらう。レイの代わりにね」


「この痴れ者」


 その言葉と威容に、キョウは今度こそぐっとなってナルをきつく睨みつけた。


「幹部でもない落ちこぼれの分際で偉そうに・・・。本来であれば、私たちはあなたがこうしてふつうに言葉を交わすことも憚られるくらいの違いがあるのだぞ」


 キョウの侮蔑をぶつける言葉にも、ナルは微動だにしなかった。むしろ逆に何かを問いかけ語りかけるように、底知れない瞳でキョウを見つめ続けている。その瞳の奥底に、侮蔑と哀れみがあることに気がつくと、キョウは今までのけっして絶やさなかった寒い笑みをやめて狂ったように激高した。


「馬鹿にして!」 


 キョウは控えている幹部の一人から、奪うようにして大きな器を受け取ると、そのまま中身をナルに浴びせかけた。中には氷の浮かんだ水があり、ナルはそれを頭から浴びることになった。幹部の一人もさすがにそれはやり過ぎではないかという顔色をしたが、キョウは全く気にしていない。


 むしろナルが寒さと仕打ちに打ち拉がれ、その場に泣いて蹲るものと思っていたキョウは、相手が体を少しも震わせることなく同じ瞳を自分に向けているのを見ると、さらに顔を赤くした。


「全く、なんて子なの!」


 これ以上関わることに底知れない危機感を覚えたのか、キョウはその言葉を吐き捨てると、一人でそそくさと出て行った。

 残された幹部たちが戸惑い続ながらも続いて退散しようと思ったところを、ナルは呼び止めた。


「皆様方。私はこのままでは、熱を出してしまいます。誰か、新しい服と暖かいお湯をお持ちください」


 尊大ともいえるほどの堂々たる態度に、幹部たちはまず呆気にとられ、そしてすぐに自分たち幹部であり、この小娘にそんな風に命令される覚えはないのだと気づくと、顔を紅くして舐めるなと怒濤の勢いで怒りだした。


「なぜ私たちがそのようなことを。あなたは自分の立場というものを・・・」


「あなたたちこそ、自分の立場というものを分かっているのですか。もしわたしがここで凍え熱を出して死んでしまえば、せっかく埋まっていたはずの生け贄の席が空いて、今度はあなた方幹部の中から選ばれることになるのですよ。良いのですか」


 ナルの冷たい眼差しは、イワナを彷彿とさせ幹部たちは震え上がった。顔を見合わせ、すぐに確かにここでナルが死ぬのはまずいということにと思い至ると、逡巡し始めた。その様をみて、ナルがお早く!と叫ぶ。すると彼女たちは誰もが小さく飛び上がり慌てて牢屋を後にした。


 あの様子ではすぐに手分けしてお湯を沸かし、服を調達して戻ってくるだろう。

 一人になり、先ほどの修羅場が白い吐息と嘘のような静寂に包まれると、ナルはつい先ほどまでの自分の言動が嘘のように思えて仕方なった。一体、先ほどのあれはなんだったというのか、少なくとも普段の自分からは考えようもない言葉である。巫女団の現状に嘆きを覚えたところまでは真実自分の気持ちそのものだったが、その後のことははっきりと覚えていながらも、自分の言葉や態度とは思えない。まるで自分に何かが乗り移ったかのように。

 

 ナルはその後幹部たちが大慌てで命じられた品々を持ってくるまで考えを巡らせたが、自分の身に一体何が起こったのかを理解することは、ついにできなかった。

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