第三十話 サクヤの異変
「全く騒々しい子だこと。まるで昔のあなたみたいですよ」
ふんっ、ウメが駆けだした後を見ながら、イワナが機嫌悪そうに言うとナルはくすりと笑った。
「昔と言うほど、時間は経っていませんよ。先生。それに私はあの子ほど、利発ではなかったはずです。ウメはとても溌剌として、あの年頃の割にはしっかりして将来が楽しみです」
イワナはやはりむすっとしたが、怒っていると言うほどではなかった。
「そういえば、あの子とモモは、昔あなたの組が使っていた家で生活しているのでしたね。ウメは、少し潔癖すぎる性格なのが少し心配です。際だって素質があるというわけでもなさそうだから、将来は年少者の教育係だと思うけれど、あまり潔癖なのは大人でも子どもでも付き合いづらいから」
イワナは自分で言いながらもはっとして、そんなことよりも、とナルの近くに座った。
ナルはさっと紫蘇茶を差し出す。
「今年も年送りの日が近づいて来ました」
一瞬で、宮の空気は張り詰めたものになる。
「今日の話し合いで、生贄の話題も出ました。それがなんと、今年は二人多い、四人必要だというのです」
ナルは言葉を失った。
「そんな・・・なぜ」
「これは常軌を逸しています。古い記述を見ても、生贄が二人より多かった時など無いのですから」
「抗議は、なさらなかったのですか」
わずかに非難を吹くんだナルの物言いに、イワナは悔しさを滲ませた。
「出来ませんでした。幹部たちは誰もが大して驚くこともなく、受け入れていましたよ。あの、冷たい目と来たら」
二人の間にこの数年のことが走るように思い出された。イワナとククリが育てていた生贄反対の派閥は、ククリが倭国に行ったことで元々減少していたのだが、そこにサクヤが根回しや巧妙な人事を振るうことによってほとんど意味のないものになってしまったのである。いまや、表だって生贄に反対する者はほとんどいない。いたとしても、それは廃止するために立ち上がろうというまでの気力も情熱も無い程度の者たちばかりだった。
「幹部たちや他の者たちは、自分や自分の親しい者が生贄に選ばれるかもしれないとは考えないのでしょうか」
怒りを含んだナルの当然の疑問に、イワナはふっと自嘲気味に言った。
「人というものは、いざその時にならなければまさか自分がと思うものなのよ。誰かに災いが降りかかって最初に思うのは、自分ではなくて良かったということ。周りが何もしなければ、自分もしなくてもいい、むしろ周囲と同調することで安心してしまう。そういうものよ。もっと悪いのは、そんな災いが降りかかった本人に原因があると非難する。でもいざ自分に降りかかった時、全てを後悔してやっと気づくのです」
ナルの頭は、今年は誰が選ばれるのだろうと言うことに考えが移っていた。この五年、十人の生贄にされた娘たちを為す術もなく見送った。彼女たちは表向きは故郷に帰ったと言われているが、実際は豫国の罪と穢れを背負い、年送り炎の中に散っていったのだ。その事は幹部たちだけが知っている秘密である。例外としてナルもその事は知っているが、この五年何も出来なかった。
「また、また誰かが炎に灼かれて死んでいく・・・先生、私たちはなんて無力なのでしょう」
涙をにじませながら訴える教え子に、鉄の女は少しだけ表情を和らげた。
「霊力のない私たちは、ここでは無力感とは友人みたいなものよ・・・孤独もね。でも、あなたは良くやっていますよ。この数年で草花の種類ばかりか鳥や獣の糞の利用方法を驚くほど覚えましたし、星の動きも学んでいます。そんな巫女は私がこの地に来るまで一人もいなかった。あなたは本当の意味で、私の継承者なのだわ。その内、あなたは霊力になど頼らなくても、国の行く末を示すことが出来るかも知れませんね」
イワナの言葉は嬉しいものだったが、それでもナルは納得しなかった。
どれほど努力を評価されようと、自分はサクヤを止めることは出来ない。生贄たちを救えない。まして、遠い異国の地へと言った姉を追いかけていくことなど出来ないのだ。
国を背負うサクヤには大義がある。サクヤを止めるためには、幹部たちを味方につけなくてはならない。だが、優秀で能力も気位も高い幹部たちは、相手も自分と同等かそれ以上の能力がなければ決して話を聞こうとはしないだろう。
自分には薬や星の知識があり、もはや決して無能だとは思ってはいなかったが、その事を彼女たちが評価するかどうかと言うのはまた話が別である。いくら希有な知識を持っていようと、巫女としての素質がものをいうこの場所、そしてその価値観の元に選ばれた選良たちがナルに一目置くはずがなかった。
何か、自分が活躍できる機会でもあればよいのだが。いっそ、この里で流行病でもあれば良いのにと思ったところで、ナルは自分の考えが怖くなってすぐに打ち消した。
「サクヤ様の様子がまた変なのよ」
紫蘇の茶を飲み干し、イワナはぽつりと呟いた。
「やはり、また使者来てからですか」
大巫女であるサクヤに異変が起きていることは、イワナとナルを始め幹部たちも気づき始めていた。
王都から里に来る使者が来る度に、宮に籠もって数日間誰にも会わなくなるのだ。最初は宮に籠もるのと、使者の来訪との因果関係がはっきりしなかったので単に体調を崩しているのだと誰もが思い、最悪の事態を想像して次期大巫女は誰になるのだろうという噂まで流れたほどだったが、それはいつものことである。
しかしサクヤが宮に籠もる時期は、決まって王都から使者が訪れた後なのだと分かったあとは、イワナをはじめ幹部たちも不審に思いだした。
籠もっている間は身のまわりの世話係はおろか、大幹部たちも会う事は叶わない。籠もる時期と儀式が重なり、若い幹部に大巫女の役目を任せたことさえあったのだ。
幸い滞りなく儀式は終えられたものの、これが前代未聞の事態であることは誰にとって共通の認識だった。
本当であれば、巫女団の幹部たちは力を合わせてサクヤに問い質さなければならないのだが、ミカドの姉であり歴代最高の霊力を誇るサクヤが静かな表情で拒絶の意思をみせれば、誰もそれ以上は言えなかった。それほどに、当代の大巫女サクヤの存在は大きい。
「使者が訪れる回数が、年々増えていっているわ。今月などもう二回も。その度に、サクヤ様は宮にお籠もりになる。一体何が起きているのか・・・ああっ、ナル、許してね」
「先生一体何のことですか」
師の突然の謝罪が、ナルには意外だった。
「あなたは、本当であればククリ殿の後を追って、早く倭国への行きたいのでしょう。それなのに、あなたをこの里に留めてしまっているのは、生贄反対のため。私はあなたに次の大巫女になれる素質と可能性を信じていますし、ぜひなって欲しいと思っています。けれど以前からサクヤ様にお許しを頂いているのだから、全てのしがらみを捨てて、倭国に行く事も出来る。今の巫女団と私の願いが、重荷に思っているのではない?」
「生贄の廃止は、姉の意思でもあり、私の意思です。それに・・・仲の良かった友人も、生贄にされたのです。もう元には戻れません」
友人というのは、サキの事である。三年前の年送りで、サキは生贄に選ばれた。
サキが突然故郷に帰されるという話を聞いた時、ナルは取り乱してイワナに押さえつけられるほどだった。サキの両親は存命であり、ただ巫女として挫折して故郷に帰って暮らすことになったのだと、しょげていながらもどこか嬉しそうだった彼女は、まさか自分が生贄に選ばれたのだと自覚すらしていなかった。
ナルは彼女をなんとか助けるために、イワナに相談して奔走したが、結局どうにもならなかった。幹部たちの会合に乗り込み、必死の抗議をしたが相手にしてもらえず、それならば自分が代わりに生贄になるのかと迫られた。一瞬の沈黙の後、分かったと言いかけたところでナルはイワナに思い切りぶたれ、下がらせられたのだった。
さらに年送りの日、ナルはサキを逃がすために計画を練っていたのだが、それに気づいていたイワナが薬を使って一日気を失わせ、目覚めた時には年が明けていた。その事でイワナと険悪になり、やっと和解したのはその次の年になってからだった。
実はサキを逃がそうとしていたのはナルだけではなく、イワナを筆頭とする一部の幹部たちも協力していたらしい。だが結局察知していたサクヤに阻まれ、その幹部たちはイワナを除いて要職から外されてしまっていた。
イワナは自分も計画に参加しながらも、ナルに累が及ばないように取りはからっていたのである。
「先生、私は今年の生贄が増えたことと、ミカドの使者、サクヤ様のお籠もりはなにか関係があるとように思います」
イワナも鶴のように細い首で頷いた。
「私もそう思っていました。サクヤ様もミカドも、何か私たちに隠しているのです。それは一体何なのかしら。使者はサクヤ様と会うとすぐ帰ってしまうし、相手も警戒しているから私たちも容易には接触できない。使者から話を聞けば手がかりでも掴めそうなものを」
使者、という言葉でナルはナムチのことを思い出した。倭国からの使者を里へと導 き、年送りの日にミカドの密使として里を訪れていた生意気な少年ナムチ。彼が都でどのような立場なのかは分からないままである。
あの少年は今、一体何をしているのだろう。元気にしているのだろうか。もう大人の男になっているのだろうか。
里を巡る深刻な話をしながらも、ナルはそんなことがふと気になった。
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