第四章 大巫女

第二十八話 花の名前

 夏の爽やかな風が次第に寂しさを増していき、枯れた葉が混じるようになった頃、ウメは川での清めが堪えるようになっていた。


 ウメは里に来てから、この川に浸かって禊ぎをするこの儀式をすぐに気に入った。自分の中の穢れが全て落とされ、清らかになっていくのを思うと、なんだか大神の居る場所に近づけたような気になるのだ。


 正直まだ里に着たばかりのウメには大神と言っても遙か遠い存在だが、何より水に浸かるとさっぱりする。だから同じ『組』の者たちと修練で禊ぎをするのとは別に、ウメはしょっちゅう時間を見つけては川で禊ぎをしていた。本当は仲の良いモモと一緒にしたいのだが、身体の弱い彼女を付き合わせてしまってはたちまち彼女が寝込んでしまう。モモは自分と同じくこの春に里に来た新入りで、同年代の中だれよりも素質があると大巫女のサクヤからもいわれている秀才だったが、身体が弱くいつも熱を出してしまうのだ。


 そのためウメはいつも一人で禊ぎをしていた。だが、温かかった春や夏とは違い、初めての秋と冬を迎えつつあるこの里での禊ぎは、さすがに厳しいものになっていた。手足が痛くなり、動きが鈍くなる。


 モモは組で暮らす家に帰って冷えた身体を温めようとすると、すでにモモが火を焚いてくれており、湯も沸かしていてくれた。組の残りの三人は、いつもどおり年少組の教育係であるタカとトシのところで、色々復習をしているらしい。


 差し出された白い手から熱い器を受け取ると、二人は微笑みあった。


「ウメ、また禊ぎをしてきたのね。先輩方は禊ぎを良いことだとしているし、褒めて下さるけれど、さすがにもう寒くなってきたのではない? このところ急に寒くなってきたから」


 少し伏し目がちのモモの視線に、ウメはにこっと子どもらしい笑顔で応える。


「平気よ。だって私禊ぎが大好きだもの。川の冷たさも、自分の中の穢れが祓われているだって実感できるわ」


 それにしたって秋も深まってきているのに、と言うモモの話はウメの耳にはほとんど入っていない。器をふうふうと吹いて、湯を冷ましている。


「そんなことよりも、体調はどう?」


 大丈夫というモモの言葉をやはり遮って、ウメは冷えた右手をモモの額に当てる。やはり微妙に熱い。


「やっぱり熱がある。このところ気温が急に下がってきたから・・・」

 それは先ほど自分が言った言葉だ、とモモが言おうとしてもウメは気にしない。

 ウメはモモを強引に横にならせると、お湯を一気に飲み干して立ち上がった。


「私、イワナ様のところで薬をもらってくる」


「悪いわ。だってあの方は、とても」


 イワナは怖い、近づくなというのは、春に入った新入りが最初に覚えなくてはならない事である。新入りの些細な間違いや至らなさを見つけては、それこそ鬼のように怒鳴って叱りつけ、しかもその後、組の指導役であるタカとトシにも報告して厳しく叱っておけと圧力をかけるも決して忘れないという徹底ぶりだった。


「今更何を言っているのよ。私はもう何度も行っているもの。それにね、大丈夫なの。イワナ様のところには、いつも別の女性が居るのを知っているでしょう?イワナ様が居ない時にその方に頼めばとても快く薬をくれるのよ」


 この事はこの春に入った者たちのなかでは、自分が一番に知ったのだとウメは誇るように言った。


「その方のことなら、私も一度お会いしたことがある。あまり私たちの前には姿を見せないよね。西の谷に白くて小さい花が咲くところがあるでしょう? 以前、みんなよりも早起きしたから花を見ようと散歩しにいったのだけれど、そこにいらっしゃったの。湧き水に摘み取ったばかりの沢山の花びらを氷のように透明な器に浮かべて、太陽の光に照らしていたわ。何をしているのか尋ねたら、花の波動を水に移しているのですって。こうすれば花の力が宿って、薬とはまた別の不思議な力を持った水が出来上がるのですって。その水も不思議だと思ったけれど、あの方も不思議な方よね、イワナ様の直属なのだから、きっと偉い方なのだと・・・」


 モモが瞼を開いてそこにいるはずのウメの方を見やると、彼女の姿はなく、とっくに家を出てイワナの宮へと向かった後だった。

 モモはさすがにむっとなって、「もう、少しは人の話を聞いてよ!」と怒鳴るのだった。



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