第17話 東心悟の来訪
「突然訪ねてきて申し訳ない。仕事のお邪魔でしたかな?」
事務所の入り口に立っている東心悟が口を開いた。
湯沸室から出てきた真奈美は驚いて立ち尽くしていた。
「いえ、ちょうどお茶にしようと思っていたところです。よかったご一緒にどうぞ」
御影は平静に見えたが、真奈美にはその心中は計り知れない。
「学君、いいところに来たねえ。ロールケーキは好きかい?」
学の目線まで屈みこんで御影は尋ねた。
「ケーキ?ケーキはなんでも大好きだよ」
「それはよかった。穂積君、宮下君、東心さんと学君の分も頼む。学君にはそう・・ジュースがあったかな」
「オレンジジュースがあります」
保住恵子が冷蔵庫を開けて答えた。
「これはいろいろご面倒をおかけしますな。学、みなさんにお礼を言いなさい」
「おじさん、お姉さんたち、ありがとう」
御影は広いオフィスの窓際にある応接セットに東心父子を案内した。
間もなく、保住恵子と真奈美がお茶とケーキを運んできた。
「さあ、君たちも座って・・ティータイムは賑やかな方がいい」
御影はそう言うが、真奈美はまた息の詰まるような対話が始まるとのか思うと、とても楽しい気分にはなれない。
保住恵子も真奈美も腰を下ろし、御影の言うディータイムが始まった。
「ほお、良い紅茶を使っていますな。これはセイロンティーですか?おそらくはヌワラエリヤ産のB.O.P、それも
紅茶を一口啜った東心悟が言った。
「さすがですね、紅茶にもお詳しいとは。それがわかっていただけると嬉しいな。お出しした甲斐がある」
真奈美にはぜんぜん分からないが、これはかなり高級な紅茶らしい。
「ロールケーキも美味しいですよ。大阪の友人が持ってきてくれた、当地の有名店のものです」
東心悟を知らない穂積恵子がにこにこ笑いながら話しかける。
「お姉さんははじめましてだね?僕は東心学です。お姉さんは?」
「お姉さんは穂積恵子です。よろしくね、学君。ケーキはどう?」
「すごく美味しい!こんなの食べたことない」
学のおかげで昨日より幾分、緊迫感は薄れている。
「学、みなさんのお名前は覚えたかい?」
東心悟は普通の父親の顔で言った。
「うん。御影純一おじさん、宮下真奈美お姉さん、穂積恵子お姉さん・・・」
御影は相好を崩して大袈裟に驚いてみせた。
「すごいな学君。おじさんは人の名前を覚えるのが苦手で、いつも恵子お姉さんに怒られているんだよ」
「いやだ、所長。私はそんな怒ったりしませんよ」
一堂に笑いが巻き起こった。
一見、なごやかな時間が、真奈美にはかえって不気味に思えた。
「ところで今日はどのようなご用向きでしょうか?」
御影が切り出す。
「いや、特に用ではないのです。今日は学を連れてヒーローショーに行って来たんですよ。ちょうどここのすぐ近くだったもので、一度お伺いしてみようと思い立ったのです」
「ああ、そうでしたか。学君、ヒーローショーは楽しかったかい?よく遊びに来てくれたね」
このような、たわいもない会話がしばらく続いた。
みんながリラックスした雰囲気で談笑している中で、真奈美はひとり緊張していた。
・・・いったい東心悟は何を考えているのだろう?御影さんも。。
真奈美が他人の考えが読めずに不安になるなどということは、過去にはあり得なかったことだ。
「穂積さんは、御影さんの秘書をなされておられるのですか?」
東心悟が突然、話を穂積恵子に向けた。
「はい、もうかれこれ5年ほど」
「そうですか。御影さんの秘書が務まるいうことは相当に優秀な方なのでしょうな」
「いえ、この事務所は暇ですから・・・あ、言っちゃった。。」
御影が苦虫を噛み潰したような顔をすると、穂積恵子はおかしそうに笑いをこらえていた。
「あはは、そんなことは無いでしょう。しかし、穂積さん。私の見るところ、最近何か悩みを抱えておりますな。ほがらかな笑顔の奥に深い苦悩が見える」
「東心さん、おやめ下さい」
御影が急に真顔になって言った。
それに対し、東心悟は照れ隠しのような笑みをうかべた。
「いや、これは失礼。いけませんな、これは一種の職業病ですよ。毎日多くの人々の悩み事を聞いておりますものでつい先走ってしまう。穂積さん、忘れてください」
「いえ、気にしていませんから」
そう言いながら、穂積恵子の表情はこころなしか曇っているように見えた。
「さて、これはずいぶん長居してしまいましたな。学、お仕事の邪魔になるから、そろそろ帰ることにしよう。御影さん、みなさん、お邪魔しました」
そう言い残すと、東心悟は学の手を引いて事務所を後にした。
真奈美には東心悟の訪問の意図がわからなかった。
「御影さん、あれは一体なんだったんでしょう?東心悟は何をしにここへ?」
「実は僕にもよくわからない。ただお茶を飲みに来たとは思えないしなあ・・」
その間、穂積恵子は黙々とティーカップやお皿を湯沸室に運んで行く。
「僕たちの捜査の様子を見に来たのかなあ?それにしては意味の無い会話しかしなかったし。。ん?」
湯沸室の方から、食器が次々に割れる大きな音がした。
見ると湯沸室の外に向けて、食器が投げつけられているのだ。
「穂積君、何をしている!どうしたんだ?」
驚いた御影が叫んだ。
ゆっくりと・・穂積恵子が姿を現した。
両手にしっかりとキッチンナイフを握りしめて。。
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