4-3 信窟捜索戦
騒音と『神の器』の信徒へ伝えられた非常事態。
いまだに状況にはわからない事の方が多いが、この混乱は『神の器』の信徒にとっても予想外のものらしい。つまり、混乱に乗じてエスを奪還するのには、これ以上ない好機だと言える。
扉の先、部屋の外は、長く暗い洞窟のような廊下だった。地下に作られる『神の器』の信窟の中でも、俺はより深く遠くにある部屋に放り込まれていたらしい。
「шаффоф」
廊下の奥、見張り役であると思わしき二人組の男の首を不意打ちの風の刃で飛ばし、装備から短剣を二本ほど奪った後に骸を通って来た廊下へと投げ込む。エスについて聞くべきだったかと悔やむが、俺のすぐ近くに人質の情報を持った者を配置するわけがないと結論付けて切り替える。
数歩で廊下を抜けて出た先は、信窟の大広間の一つであろう広大な空間だった。非常事態のためか、周りに人影がないのは幸いだろう。
信窟の構造がわからない以上、地図の類がほしいところだが、広間にはそれらしきものはなく、となれば片っ端から調べて回るしかない。もっとも、当面の目的がここにいるかどうかも定かでないエスを探す事である以上、仮に地図があろうとやる事は大して変わらないだろう。
「っ……、ここは保つのか?」
手始めに近くの扉へと向かう途中で、再び大きく空間が揺れる。
『神の器』の信窟は、地上から地下へと掘り下げられた地下空間だ。騒ぎの原因こそわからないものの、その規模があまりに大きくなれば信窟が崩れ落ち、俺を含む内部の人間が全員生き埋めになるという可能性もある。
「ここも違う、か」
手近な扉を総当たりで開けていくも、そのどれもが特筆する点もない普通の部屋で、中にエスの姿は見当たらない。仮にエスがこの信窟に捕らわれているとすれば、こうありきたりな場所ではなく俺のいたように見張りの付いた特別な部屋だとは思うのだが。
「……下か」
なおも探索を続ける内に、やがて下の階層へと続く階段を発見してしまった。
この信窟が地下を掘って作られている以上、単純に考えれば下に行けば行くほど入口からは遠く、人を閉じ込めるのに適した場所となる。つまり、エスがいるとすればこの階段の先である可能性が高い。
ただ一つ、下の階に向かう事に問題があるとすれば、俺自身の信窟からの脱出が確実に困難になる事だ。それどころか、上で繰り広げられている戦闘の規模次第ではこの信窟ごと生き埋めになる可能性すらある。
「っ」
一瞬だけ止まった足は、背後に聞こえた足音により前に押し出された。『神の器』の信徒か、あるいは騒動の原因かはわからないが、ここで遭遇する危険を取るくらいなら下層に向かって危険に晒される方がマシだ。
もっとも、結論から言うとその選択に大した意味はなかった。
「шаф」
階下に一歩踏み出すと同時に、最速で魔術詠唱。防御の詠唱が紡がれるよりも早く着弾した空気の弾丸は、しかし鋼鉄の鎧に弾かれた。
「っ、кулранг」
指輪の爆発魔術で煙幕を張ろうと試みるも、装備を奪われていた事を思い出し手段を詠唱に変更。煙の中を前方に走る事で、両脇に控える鎧の横を抜けて距離を取る。
下りてきた階段の終点、下層に続く道の両脇に陣取っていたのは二体の鎧だった。もちろん、中には人間が入っているのだろうが、頭から足先まで全身を鋼鉄の鎧で覆ったその姿はどこか無機質で生物らしさを感じさせない。
「ルイン=Ⅵだな。この場に現れたという事は、大教主様に逆らうつもりか?」
向かって右に立つ鎧から、威圧的な声が響く。
「изил」
当然、返事は魔術詠唱。
エスを人質に取られた俺の立場は良いものとは言えないが、ヒースの息の掛かった者に対して全くの無力でいる必要はない。ヒースとしても有力な手札である人質に簡単に手を掛ける事はできないはずで、それ以前に鎧の二人をこの場で消してしまえば俺の行動が伝わる事もない。死体は今現在起きている騒乱の被害者に紛れてくれると期待しよう。
「кк」
俺の詠唱により発生した炎は、鎧の一人の放った水の魔術とぶつかり合い相殺。その間にもう一方が詠唱を紡ぎ始めていた。鎧の二人ともが魔術師であるとすると、指輪と遺物のない今の俺一人では勝てるかどうか怪しくなってくる。
だが、まだひとまずは俺の攻勢だ。
「кулранг」
再び先手を取ったのは、俺の紡いだ爆発の魔術現象。広範囲に及ぶ爆風はまたも水の盾に防がれるが、空間に広がる黒煙は止まらない。先程から鎧の紡いでいた放雷魔術がようやく完成するも、目標を見失った雷撃は明後日の方向へ消えていく。
「кулранг, кулранг, кулранг」
対する俺は視界が晴れるのを待たず、爆発魔術を連続で詠唱。鎧の二人は突風の詠唱を連続して爆風を跳ね除けてくるが、構わず更に爆発を連打する。
相手は二人、こちらは一人。仕切り直してやり合えば単純に手数の差で分が悪い。広範囲攻撃と煙幕の役割を兼ねる爆発魔術を続ける事で相手から主導権を奪ってはいるが、それだけで二人分の防御を越えられるわけではない。
ただ、だからと言って、必ずしも俺が不利だというわけでもない。
「изил」
一定のリズムで続けていた詠唱を、流れを止める事なく変更。爆発から火炎の放射へと変わった攻撃手段に、一瞬だけ遅れて黒煙の先から放水の魔術詠唱が聞こえた。
炎が防御に掻き消されたかどうかは、煙に遮られ視認できない。俺にできるのは、ただ適当な方向に向けて火炎を放ち続ける事くらい。そして、それだけで十分だ。
やがて黒煙が薄れて消えた時には、すでに鎧の二人からの詠唱は絶えていた。
「……ケホッ」
多少なりとも煙を吸い込んだのか、息を吸うと同時に喉から咳が出る。
「熱っ」
そして、爆発と火炎を続けたおかげで、地下空間は暑いというより熱い。それらの発生源である俺でもそうなのだから、火炎放射の先にいた者の立場になど絶対になりたくない。更に全身を鉄で覆われていればなおさらだ。
つまり、鎧の魔術師二人は、煙による呼吸妨害から来る詠唱の阻害と、鎧に蓄積された熱により倒れていた。そもそも、全身鎧は風の刃や打撃、刃物による攻撃に対しては無類の強さを誇るが、魔術師の装備として適切であるとは言い難い。
職業魔術師にまでなるような者は大抵が多くの系統の魔術の行使が可能であり、その内の鎧で防げるようなものはほんの一握りしかない。むしろ全身鎧は熱への弱さや重量による機動力の低下、頭まで覆えば更に魔術師にとっての生命線の一つである呼吸機能の低下にも繋がるため、メリットよりもデメリットの方が多いくらいだ。鎧により威力の軽減されやすい風・爆発系統の魔術を主力とする俺相手ですら、耐熱対雷素材で作られた一般的な魔術師用防具を身に着けていた方が余程勝機はあっただろう。
「生きてるなら、質問に答えろ」
倒れた鎧の内の片方、若干ながら炎の直撃を受けた時間の短い側の兜を、見張りから奪った短剣と靴底を用いて外す。素手で触れられないほどの高熱を帯びた兜の下、現れた男の顔は一面を火傷に覆われていた。兜の熱から開放し、簡単な魔術で水を浴びせてやると、辛うじて意識を取り戻したらしく火膨れした瞼がわずかに開いた。
「エスはどこにいる? 白髪の少女だ」
「……白髪の少女?」
疑問を顔に浮かべた男が言葉を言い切る前に、その首元に短剣を刺す。切れ味の悪いそれを足で強引に押し込み、絶命を確認したところで引き抜く。
今はとにかく時間がない。最初の反応でエスについて知らない事がわかった以上、ヒースに告げ口をされないためにも姿を見られた相手は殺すしかない。
「そこまでだ、ルイン=Ⅵ」
だが、それでもまだ手遅れだった。
進行方向になるはずだった信窟の奥、勢い良く開かれた扉の向こうから現れたのは横二列に並んだ七人の魔術師。それも、中央に立ち俺の名を呼んだ壮年の男を除いた六人は、今まさに魔術詠唱を紡いでいる最中だった。
もちろん、ここは敵地の真っ只中。多数の信徒と鉢合わせになる可能性は考慮していたつもりだったが、それにしてもあまりに準備が整い過ぎている。
あるいは、先程の鎧の二人は、最初からその準備の時間を作るために配置されていたのかもしれない。一般的な魔術師装備に比べ全身鎧の防御力は総合的には劣るが、一撃で首を落とされ即死するような可能性は減らす事ができる。俺が足を踏み入れてから体勢を整えるまでの時間稼ぎとしてなら、たしかに鎧は有用たり得るだろう。
「……いいのか? 魔術師連中がこんなところで油を売ってて」
もっとも、だとしても俺一人に対してそれほど厳重な警備を敷いているという事自体には納得がいかない。俺を止めたいのであれば人質であるエスを連れてくればそれで事足りるはずであり、騒動に揺れる信窟内で七人もの魔術師を脅迫のための駒として遊ばせておくのは道理に合わない。
「わかっていないな。ここは『神の器』の信窟だ」
「……どういう意味だ?」
「時間稼ぎは自分の首を絞めるだけだぞ」
軽く切り捨てられるも、男の返答は俺には本気で意味がわからなかった。それを説明したところで答えが返ってくる事はないのだろうが。
「なら、俺にどうしろと?」
「降伏しろ。拘束して上に連れていってやる。上と言っても、立場の話だがね」
男の口にした要求は、退屈なほど真っ当なものだった。
ここで降伏すれば、俺は再び軟禁された立場に戻る。ヒースがまともなら、信窟を嗅ぎ回った程度で見せしめに人質であるエスを殺したりはしないだろうが、俺は多少の信頼を失い監視もそれなりに厳しくはなるだろう。
もっとも、男の答えがどうであろうと俺には選択肢はない。拒否すれば戦闘、そして勝算がない戦闘は死とイコールだ。幸いな事に、目の前の男は俺を信窟を襲う騒動から逃してくれるつもりはあるようで、一時の身の安全だけを考えればここでの遭遇はプラスであったとすら言えるかもしれない。
「……わかった。ヒースに会いに――」
「――сабзи ранг」
せめて余裕を見せながらの降伏を口にしかけた瞬間、魔術師の内の一人が紡いでいた魔術詠唱を完遂した。
発生した魔術現象は巨大な氷の刃。想定外のタイミングで振るわれたそれに対抗する術も回避する余裕もなく、胴体は断ち切られ上下真っ二つに別れる。
「……何のつもりだ?」
目の前に転がる六組の人間の上下半身を前に、口をつくのは困惑の声。『神の器』の信徒の一人としてそこに立っていた後列左端の女による虐殺は、俺ではなく仲間であるはずの六人を骸に変えていた。
「勘違いしない方がいいよ。別に、私は君の味方ってわけじゃない」
女はその言葉通り、信徒の殲滅から間を置かず俺の元まで接近すると、喉元に短剣を突き付け動きを封じていた。
「単刀直入に聞くよ。君は、どうやって龍を――いや、どうやって『龍殺し』になった?」
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