第41話「片腕の警官 Adolf」
身体的特徴……って、わかりやすいかも。
車椅子とか、包帯とか……。「欠損」も見たらすぐにわかる。だから噂になりやすいのかな。
……それで、ええと……なんだっけ……。その地域の警察は組織が腐敗していて、汚職だらけで……。……ひどい話だけど、珍しくないんじゃないかな。
……罰が下ったのかもしれないな。ある日、みんな死んだんだって。たった一人、「片腕の警官」を遺して。
***
「ロバートくん、一旦休んだら?」
「……え?」
カミーユに声をかけられるまで、自分がどこを歩いているのかよく分かっていなかった。……たしかに、危なかったかも。
「休んだら、えっと……」
「その肉体の主導権は、キースに切り替わる。今から行こうとしてるところに関係あるのって、むしろそっちじゃない?」
暗に、カミーユは、
「僕」が向き合うべきことじゃないと言った。
そうだ。アドルフに関しては僕が……「キース」が向き合うべきことだ。
「君は、アドルフと何か関係があるのか?」
「まあ……違う仕事就いたら弟をよろしくってやった」
「……あいつに?」
「首がまだ物理的に繋がってる時にね」
「ぶ、物理的に……」
何はともあれ、アドルフは夢と現実がひっくり返ったと語った。
それはきっと半分正しくて、半分違う。
どちらも現実で、この世界にいる彼にとっての「夢」や、「いつものように仕事をしている幻想」も、偽りとは言い難い。
「結局は想像で補うしかないよ。僕だって完璧には把握できてないし」
「……ローランド、か……。彼の「悪意」は、外側からの影響も大きいのかも。だって、器がそもそもしっかりしてない」
カミーユが語ったことも、彼の推測に依るところは大きいんだろう。なら、こちらとしても補うものは必要だ。
「学者くんの頭を借りたからかな。鋭くなったね」
と、相手は事も無げに言ってきた。
「……嫌味か?ローランドの身体も借りたことがあるんだよ。その時は確か、思い出せなかったけど……」
「…………あー、そっか。うん、ローランドくんもキース名乗ってた……って言うか、取り込んでたんだったね。……なんか、キース多いね」
思わずずっこけそうになった。
素で忘れていたのか、この男……。
「え? そもそも全部覚えるのとか無理じゃない?」
……正論ではあるが、せめて誠意や努力ぐらいは見せてほしいところだ。
「……やっぱり僕、ロバートくんの方が好きだな」
「……それ、どういう意味だよ」
「そのまんまの意味。常識的ではあるのかな、うん……」
何がうん……なんだ。
……サーラにも苦笑はされていた気はする。
「サーラ……。ここから出たら結婚を申し込むしかないかな」
「あのさ……君も、もう死んでるよね。あと、そもそも恋人ですらないよね?」
確かにまあ……「恋愛対象として絶対無理」としか言われてないといえばそうだ。でも、飲み仲間や相談相手として最適とはよく言われていた。
それに、死ぬ前にプロポーズしたら可能性が上がる気がしなくもない。ドラマチックだし、ついOKを出してくれ……たとしても意味がないか……。
「……15回も振られたと思い返すのは流石に気が滅入るな」
「そこは諦めようよ……恋愛絡みだとロバートくんも大概だけど君もなかなか……。……エレーヌ……」
突然凹むなよ。というかどうしたんだ? 情緒不安定なのか?
「あー……お取り込み中のところ失礼します?」
頭の上から声が降ってきた。
…………塀の上に黒髪の少年。久しぶりに見た気がするな、レニー。
「レニーさん、何か用?」
「……今度はコルネリスの方に用事だ。お前さんよ……自分は悪だと思うか?」
何を言ってるんだ、こいつ。
「…………善だとは言い切れないけど……少なくとも悪じゃないはずだ」
カミーユが息を飲んだ音がした。
何か、選択を間違えたのだろうか。
「……君、ロバートくんのこと言えないよね」
「……? 何か、心当たりが?」
何か、大切なことを忘れている気がする。
……何を言ってるんだ、僕は。
この街で記憶なんて、何の証明にもならない。
「まさか、僕も罪人だと」
「……その答え、きっとあそこにあるぜ」
指差す先に、目指していた目的地。揺らいで消える、少年の姿。
……アドルフはおそらく、知っている。キース・サリンジャーは正義の象徴だとしても、コルネリス・ディートリッヒの方の「キース」は、彼と直接話した、生きていた人間だ。
「行こう、カミーユ」
「…………もしかしたら、君も……」
苦々しい声を残して、カミーユはそのまま黙り込んだ。
銀髪が、煙の中に埋もれている。サングラスもすすけてしまっているが拭く気もないらしい。
資料室では吸えないからと、取調室での対話を許可したはいいものの……タバコの灰皿はとっくにいっぱいになっていた。
「……なぁ、いつまで吸ってるつもりだよ、アドルフ」
「頼むから待ってくださいよ……。なんでアンタは……。……はぁ……」
弱々しい声に聞き覚えがある。聞き慣れた感覚すらある。
ロバートはあんなふうに優柔不断だけど、僕は彼に比べれば……まあ、しっかりしている。……こんな臆病者に僕が殺されたっていうのか?
「……アドルフ、お前が僕を殺したんだったよね」
「やっぱちゃんと覚えてないんすね……変だと思ったんすよ……」
サングラスの奥で金色の瞳が、思いきり僕から逸らされているのがわかる。
「……ねぇ、君、タバコの趣味悪いね。これだとニコチンしか吸ってなくない?」
「…………タバコはニコチン吸うもんだろ」
「いやいや、フレーバー必須でしょ」
「女かよ」
「は? 何? 男はフレーバーつき吸ったらダメって?」
いやいやいや、なんの話だ。……ロバート、タバコのニコチン含有量の話なのはわかってるから言わなくていい。ジェンダー論の話も今はいい。
「…………アンタ、今いくつだ」
「……32……じゃないのか?」
沈黙が部屋を満たす。
カミーユはいつの間にかスケッチブックを取り出して何やら描いている。……たぶん現実逃避、とロバートが言った気がした。
「…………俺、今38なんですけど……アンタが死んだのは確か33の時……5年前っすね」
「……僕は、年下の上司だったよな?」
「あー、顔でお互い間違えてただけっすよ。一応、愛称で呼んでいいとかフランクでいいとか言われたくらいの仲っす。……アンタ、俺の一つ上だ。5年前なら34……」
何が言いたいんだ。こいつ。
ロバート、なんだよ。何か言いたいのか?
「……上司になったのが、32歳……」
僕の口から漏れ出た呟き。街の外にいるロデリックの小さな嘘は弟を守り、そして、真実を確かに遠ざけていた。
「……2年の空白……? 記憶の退行……過去の……状態……って……レヴィくんと同じ……?」
カミーユがそう呟いて、席を立った。顔色がみるみる青ざめていく。
待てよ、カミーユ。何を知ってるんだ?
……過去の誰かに未来の本人が呪詛を吐いた様子を、確かに僕達は見た。今思えば、どっちが「現在」だったのか。
「……「レヴィ」の名前、アンタも……知ってるっすよね」
…………調書に載っていたし、会ったから、知って……違う。
それは、
アドルフと勤務した時期が同じなら、アドルフの不正を暴いた存在が僕だというなら、わざわざ聞かなくても「レヴィ」の噂を知っていなければおかしい。
悪意を間近に耳にしたにしては……実感がなさすぎた。僕も、ロバートも素直に接することができた。できすぎていた。
「アンタが、脚を撃った青年の名前なんですけど……」
アドルフだけ、
僕は、既に死んでいたから……魂の状態で呼ばれた。
わざわざ僕に伝わるように、はっきりと綴られていた言葉は、「許さない」……だった、ような……。
──忘れるな
脳裏に、呪詛が蘇る
メールの着信音。その内容に手早く目を通し、やがて、見開かれた瞳が僕を見る。
「は……? 待ってよ、まさか、君が……!?」
何が書かれていたのか、分からないはずなのに、
──忘れるな
地の底から響くように、その声が、記憶に蓋をした脳髄を揺らす
……ロバート、君のことをとやかく言えないのも当然だ。言う資格がそもそもない。
あの時、ここから帰る間際に現れた「彼」は、誰を狙っていたんだろう。
ロバートに接触する意味なんかない。彼はあの時、「過去の自分」にしか語りかけていなかった。もし、関係があるとするなら、
──忘れるな
2年もあれば、人は歪む。……そんなこと、僕は、よく知っている。
「……赦さない」
血を吐くような声。いつから、そこにいたのか。
「俺は……赦さない……忘れるものか……」
部屋の隅で、鬱蒼とした森のような緑がこちらを睨んでいる。
「また殺してやる……そして、何度も何度も……愚かな過ちを悔いるがいい……!!」
僕は、彼に、
「忘れるな」
何を、した?
……脚を撃った……?
「…………あいつらが、悪人だった。あいつらさえいなくなれば、汚職はなくなるはずだと、僕は……」
「ああ……だから貴様はこう言った」
犠牲になれ、と。
「俺がどうなってもいい相手だったからか」
血に濡れたような赤い髪。
いつ、誰の血を浴びたのか。
「思い知れ。いや……何度でもこの手で思い知らせてやる……ッ」
そういえばロバートは、カミーユは、どこに行ったんだ?
アドルフは、隣で何をしているんだ──?
「……ここ、知り合いが働いてるんっすけど……」
「……アドルフ。僕は、奴らを裁けたらそれでいい。あいつらがいる限り、ここの治安はよくならない」
気が乗らなさそうにため息をついたのはアドルフ……のはずだ。
だが、目の前にいるのは、「僕」だった。
「必ず成功させる。朝方に従業員はいないはずだ」
酒場の前で、決意をみなぎらせた瞳で……人を、殺す話をしていた。
「…………あの、もしいたら」
「その時にどうにかする。……とにかく奴らを酒で潰して、朝方に始末する」
殺したい相手は、どこかの会社の上役だったはずだ。
……何があったのかなんていちいち数え切れない。ただ、その2年間で僕が歪みきっていたことは確かだ。
「そんなことしても、キリないですよ……」
「…………それなら、続けるだけだ」
アドルフなら「使える」と思った。
最初は年下と思われたり舐められたりもしたが、職場の違和感が苦手だと明かされてからというもの……お互いすぐ女にふられる……なんてくだらない話をすることも増えた。
アドルフは手を抜くコツは知っていても、ここぞという時はしっかりする。つまり、仕事のできる男だ。……営業スマイルは心底疲れるらしいが。
「……アドルフ、今の彼女から情報を買ったんだったか」
「いや、大概ツレにはビンタされて振られてきたっすけど……。そんで仕事と私がどうのこうのってのは聞き慣れたんすけど、流石にああいうのは……俺ァ特殊なあれやらそれには興味ないんすわ……」
「見るからにサディスティックな女性だったな、そういえば」
正義を語ったその口で冗談を飛ばしながら、僕は、人を殺す話をする人間になってしまっていた。
公権力でないものが力を持つ土地……そこでは法律よりも、彼らの基準が法となる。非営利団体だろうが、宗教だろうが、自治組織だろうが……頭が腐っていたら、どれもが「悪」になり得る。
「…………本当にキリがないんだな。まさか、こんなにすぐに代わりが出てくるなんて」
「あの、わかったならやめましょうや、そろそろ」
奴には、格好をつける割に保身に走るくせがあった。
……だからこそ、僕の行為を手伝うことに怯えていた。それでも手を引いてもろくなことはない、と、最後は渋々手伝った。
上司の僕に従うことで、仕事を楽にする小悪党だ。悪徳商人をたかが1人や2人殺すくらい……と、軽く思っていたんだろう。
もう、この時には知ってしまった。
本当の悪は隠れるのも上手い。少し潰したってアリのように湧いてくる。
間接的に殺す輩は、僕だって罪には問えない。
それこそ完全犯罪。邪悪でしかない。
……それは、まだ、アドルフに両腕があった頃の話だ。
──忘れるな
貴様も唾棄すべき罪人のひとりだと
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