第34話「寂れた医院」
ㅤ異界に通じる場所みたいな話、聞いたことない?ㅤ大体は目立たないところだよね。人が寄り付かない、とか、行方不明者が最後にいた、とか……人が死んだ、とか。元々は人さらいの仕業から転じたのかもしれないけど、それはそれとして……
異界って、具体的に「どこ」になるんだろうね?
***
「あ、そう。迷い込んできちゃったの。あっちの方に」
診察室に招かれたけど、書類が積み上がっていて汚い。まあ、ロッド兄さんの部屋よりはマシだけど。
目の前の相手は白髪混じりの濃い茶髪。確かに頬骨の形とか落ち窪んだ眼窩とか、お世辞にも美形とは言えない。でも白衣のシミ(しかもどう見てもカレー)くらいは何とかできる範囲だと思う。
「災難だったね~。顔面偏差値高いとそういう苦難も映えるだろうけど」
「……顔は、関係あるのかな」
「イケメンが苦労してる方が女ウケ良いに決まってんだろ……」
「え……そもそも苦労したくない……」
「……ほんとだね。俺も苦労するのは嫌だしね」
丸椅子に座って、相手の方を向く。向こうはカルテにメモを取りながら、診察のように言葉を投げかけてくる。取り留めのない話題が続くけど……たぶん、悪い人ではない……のかなぁ。
何かを飲んでるマグカップに茶渋?ㅤがついてるのは見なかったことにしよう。
「彼はグリゴリー・ベレゾフスキー。見るからに不摂生だけど医者だよ。確か内科系統よりは外科のが得意だったんじゃないかな。……あ、あとはよろしくね。僕そろそろ首がやばい!」
「おう、とっとと帰れ。帰って寝ろ」
「説明とかもよろしく!」
「待って?ㅤそれはよろしくされても困るよ?ㅤちょっと!?」
首を押さえて立ち去るカミーユを引き止めようとしつつも、グリゴリーはやがてため息をついてこっちに向き直った。
うん、きっといい人だ。
「おし、オレと二人で頑張ろうぜぐっさん!」
「すごい全然頼れる気がしない!」
「何とかなるなる。ここあれだろ?休憩とかするとこ」
「違うよ!?ㅤちゃんとした個人経営の診療所だよ!?」
……頑張れ、ぐっさん。
レオにいじられ……じゃない、絡まれる姿を見ると、なぜか応援したくなってしまう。……けど、残念ながらそんな場合じゃない。
「えーと、とりあえず君の名前聞かせてくれる?」
「あ、うん。ロバート……サリンジャー……じゃなくて、ええと……」
「ハイハイ深呼吸~。あっちの方いたら結構そういうことなるらしいから」
「……!ㅤうん。ロバート……ハリス、かな」
「ロバート・ハリスくんね……。…………うん、アイツの親戚かな……?ㅤまあいいや」
「……兄弟は、まあ、結構いるよ」
「あー、なるほど……?ㅤんで、国籍はイギリス?」
「うん。一応歴史学者。……まあ……大学のレベルはそんなに高くないし、博士資格もとったばかりだから、自称みたいなものだけど。……言いたくないけどコネとかもあったし」
「いやいや充分すごいって。俺なんか親父のあと継いだだけだよ。あ、年齢は?」
「あ、うん。28歳」
「……俺の一個下かよ……」
なんでそこで凹むんだよ。もっと反応するところほかにあったと思うんだけど。
「もっと若かったらいいよ。違う存在だと思えるよ。28かよ。俺なんかこの顔面と白髪で29……」
「え、な、なんか、ごめんね?」
「いや気にしないで……。博士資格持ってるイケメンで俺より若い時点で結構アレだけど気にしてないし……」
「気にしてるよね!?ㅤしかも気にするのそこなんだ!?」
「あー、そうそう……。聞くの忘れてた。幽霊とかに取り憑かれてる自覚とかは?」
「えっ、それこそ大事なやつじゃ!?ㅤ……え、ええと、1人……いる、かな……」
「関係は良好?」
「まあ、割と……」
「そっかー、良かったね。これからもその幽霊さんとは仲良くやろうね。ちなみに彼女いたことある?ㅤ何人くらいいた?」
質問にどんどん私怨混ざってる!ㅤ……で、でも大丈夫!ㅤその質問には胸を張って答えられる!!
「16歳の頃にジャンヌ・ダルクに惚れてから全然現実の女性に興味持てないんだよね。だからいないよ」
「あー……そういう……」
……?ㅤあれ?ㅤなんで引かれてるのかな?
「誰?ㅤジャンヌって」
レオは確実に知らないと思ってた。というかモーツァルトもナポレオンも知らなかったよねこいつ。説明もしたはずなんだけど、絶対忘れてる。
「イギリス人なのにジャンヌ・ダルクなんだ……」
それは敵対してたからとかなんだろうか。……意味もなくフランス絡みすべてに悪感情持つのって、父親と同レベルになるから嫌なんだよね。……まあ、それは置いておいて。
「だって、17歳とかで兵を率いるとか素敵だと思うんだよね。きっとしっかりした人だよ」
「しかもそういう目線!?ㅤ聖女方面でなく!?」
「え?ㅤ神の声を聞いたとか言ったら、ついて来させやすいってことまで考えてたと思うよ。本当にすごい人だと思う」
「なぁ、だからジャンヌって誰よ」
まあ、うん、レオは説明しても忘れるだろうし、スルーしておこう。
「お前はもうちょい勉強しよう!?ㅤなんか歴史上で割と有名な人」
「あー、スーパーマン的な?」
「うん、スーパーマンは実在の人じゃないから違うね」
「ジャンヌも後世のヒロイックなイメージが強すぎる感じは否めないけどね」
「そういうことじゃないんだよね!?ㅤいやまあ君がジャンヌ・ダルクの研究してるのはよくわかったけど!」
「え……僕が基本的にやってるのは文化や宗教観や世相の変遷とか絡みなんだけど……。研究対象までジャンヌだと、ストーカーみたいだし」
「……あー、えっと……どういうこと?」
ㅤどういうこと……って言われても……当たり前の感覚すぎて、上手く答えられない。好きな人を仕事で研究対象にするなんて、僕にはちょっと耐えられない。
「わかるわかる。惚れた女の子のこと調べるより、まず自分がイイ男になりてぇよな」
「絶対わかってないだろお前!?」
……レオの言ってることが割と当たってたのは、悔しいから黙っておこう。
「世の中にはいろんな人がいるんだな……」
なぜか、僕の口をついて出た言葉は憔悴しきっていた。キースの方が取り憑いた側なのに……。
「……と、とにかく、本題に入るけどいい?」
「あ、うん。いいよ。そりゃあジャンヌ・ダルクの話とかどうでもいいしね」
「どうでも良くはないけどね?ㅤ……この街にはルールみたいなものがあるのかな。噂がどうとか、自我がどうとか……」
「んーー……ルール、というとまた違うかなぁ……」
長い腕を胸の前で組み、グリゴリーは首を捻った。
「俺にもよくわからないんだけど……ほら、生き物が食べたり飲んだり寝たりしないと死ぬ……とかいうのに近いんじゃ?ㅤカミーユが前に精神の死がなんたらって言ってたけど、そういうこと……とか」
「……そうか。罰がある、とかじゃなくて……」
「そうそう。身を守るために似たようなことをする……みたいな感じ? 怪我をしたら血が出て痛いし、治すために白血球とか細胞があるんだし……そういう感じの……じゃ、ないのかなぁ……」
グリゴリーは自信がなさそうに語るけど、確かに、それで合点が行くことも多い。
床の方に視線を落として、考え込む。……スプーンが落ちているのは気にしないようにしよう。
実体を持たないモノの場合、存在を保つためには器がいる。「形のないモノ」……例えるなら、酸素や水蒸気のような気体だってそうだ。目に見えないから、「存在している」と多くの人は意識しない。…… 「精神」や「魂」と呼べるモノ……も、似たようなものなのかもしれない。
濃い「負の感情」でその場が満たされているなら、よほど強い「自我」がなければ混ざり、取り込まれてしまう。「肉体」がなければ尚更だ。……なら、持たないものは「誰かから奪おうとする」だろう。「存在を知覚する」ために。
けれど、「肉体」を持っていたとしても、それすら侵食する「負の感情」がそこかしこにある限り、安心はできない。「自我」をずっと保てる保証もない。
それに適応するために、「自ら」認識を狂わせるのは、人としてはむしろ正常なことだ。見たことのある光景、いつもの日常、それらは、「自我」を保つために必要なこと……つまり、自己防衛のために錯覚に逃げ込む……。
だからこそ、僕はすぐに「当てられた」。
元から「異常な街に行く」と、認識したまま向かってしまったから、恐怖が先行してしまった……のかも、しれない。得体の知れないものへの恐怖、そして、辻褄を合わせたがる人間の性……そこに付け入るのは、いつの時代も人の悪意だ。
そして、それを許さないのが……「正義感」……だと、するなら……
「……大丈夫?」
「……あっ、ごめん。考え事してた」
「そっか……。あのな、この場所がちょっとだけ安全な理由、俺には何となくわかるんだけど」
「……呼ばれてないから……とか?」
「まあ……関係ないわけでもないから……片足だけ突っ込んでるのかも……?ㅤでも、一部の奴にはそんなの関係ないじゃん」
確かに。むしろ、グレーだからこそ利用したがる存在だって多いはずだ。
「だから……たぶん、庵のおかげだと思うわけ」
「……イオリ……」
レヴィくんが口にした、「黒髪の子供」の名前だ。
「アイツ、そういう体質だから。レオみたいに精神的にタフとか根性論じゃなくて……オカルトな話になるけど……除霊できる体質?ㅤって言うの?」
「……!ㅤその人も、呼ばれたの?」
「いや、来ちまったんだよ。……ここの空気に引き寄せられたって言ってもいい」
「……それは……不憫だね……」
「う、ううーん……」
なんで微妙な反応なんだろう。巻きこまれた……ってことを示してるはずなのに。と、タイミングよく診察室のドアが開かれた。……足で。
「ちょっとオッサン!ㅤお腹空いたんだけど。ご飯まだなわけ?」
黒髪の少女が、ゲーム機で塞がった手の代わりに足で開けたらしい。Tシャツに短パン姿なところを見るに、くつろいでいたらしい。……この状況で。
……十三歳……いや、十四歳くらい?ㅤかな?
「……今仕事中なの見てわからない?」
「えっ、嘘。オッサンに仕事とかあんま来ないのに……って、レヴィさんでもカミーユさんでもないじゃん……期待して損したー」
……頑張れ、ぐっさん。
「ちょいちょい、イオリちゃん、イケメンならここにもいるぜ?」
「レオさんはよく来てくれるもーん。もっとレアなイケメンがいいの!」
「まあ確かに、オレくらいになるとイオリちゃんにはまだ早いかも?ㅤ10年後くらいにどうよ」
「あー、いお、その頃にはきっと素敵な彼氏と結婚してるー」
あー……まあ、今時の子っぽいと言えば……っぽい、かなぁ……?ㅤというかレオは何歳の子を口説いてるんだ。10年後ならまあ、大人だろうけど。
……あれ?ㅤというかこれって、僕もイケメン扱いされてないってこと?
「……そいつもそこそこイケメンじゃん」
待ってグリゴリー、なんで指摘しちゃうかな。
「え、タイプじゃない」
…………。流石にそれは傷つく。こう見えて顔はいいって評判だし、兄弟そろって美形だってよくサマンサばあやにも褒められた。いや、まあ、今そういうのは関係ないけどね。関係ないんだけどね。
この子が「イオリ」かぁ……。巻き込まれて不憫……なのはそうなんだろう、けど……。何だろう、すごく、大丈夫そう。
「挨拶ぐらいしよう?ㅤ外に出す相手かもだし……」
「そいつ、外に出せるやつなの? レヴィさんもやってみたけど、出せなかったじゃん。……あのおばさんもだし。あのお兄さんなんか、勝手に出てるのにね」
ポテトチップスの袋を開けながら、庵はゲーム機を傍らに置く。……「外」というのは、「本来の世界」のことだろうか。
「……ま、いっか。一応挨拶くらいしとく。
「ぼ、僕はロバート。よろしく」
平凡な顔立ちの少女、だけど……僕を見つめる黒い瞳には、奇妙な引力があった。何か、得体の知れないものを映し出しそう、というか……。
「……なぁ庵、ブライアン、今は中にいる?」
「んー?ㅤいないよ。どっかでフラフラしてる」
ブライアン。……カミーユの、弟の名前だ。救ってほしいと、メールに書かれたうちの一人でもある。
「その……ブライアンって人、ここにいるの?」
「……ここにも、かな。ブライアン、ちょっと特殊な感じだし」
「特殊……?」
「まだ教えてあーげない。じゃあねー」
ポテトチップスを食べながらゲーム機を小脇に抱え、イオリちゃんは部屋を出ていってしまった。
「……うん、クソガキだよね。わかるよ。俺も殴りたくなったもん」
「お、教えられない理由があるんだと思うよ?」
「それはわかるよ!?ㅤでも言い方ってあるじゃん!?」
「いやー、でもよ、ありゃあ将来いい女になるわ」
「……はい?ㅤどこらへんが?」
まあ……精神的には強いだろうから、レオの言いたいこともわからなくはない。グリゴリーの言いたいこともちょっとわかるけど。というかすごくわかるけど……!
「……この街を作り出した「誰か」が、諸悪の根源……なのか?」
どうでもいいことに気を取られてる僕の代わりに、ポツリとキースが呟いた。
「まあ……大抵そういうの倒したら、解決しそうなもんだよなぁ……。心当たりなくもないけど……倒すのが難しそうっていうか……」
グリゴリーも、首を傾げつつ答える。そこで、今まで悠然と構えていたレオの空気が変わった。
「それが答えってんなら、とっくに終わってんだろ」
「……え」
「じゃあなぐっさん。菓子、うまかったぜ」
いつの間にくすねたのか、空の袋をゴミ箱に投げ捨て、レオはひらりと窓から外に出ていく。
「ちょ、ちょっと!ㅤどういう……!?」
「おめーよぉ、学者さん?ㅤならオレより頭良いんだろ?ㅤ……なら、オレの代わりに考えてくれや。……「救う」ってよ……どうすりゃいい?」
どこか苦しげに呟いて、レオは去っていく。……見送るしか、できなかった。
「……やっぱり、俺、逃げてたらダメだよなぁ……」
グリゴリーの呻きが、電話の着信と重なる。そこで初めて、目の前の面影が、電話の主……ロッド兄さんと似ているように感じた。
……後悔や未練を抱え、それでも勇気が出せない……そんなふうにも見えた。
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