第34話

 クボ大森林、その外縁部は成る程地元の猟師が言うように木はまだ林と言った程度しか無かった。

 地面は柔らかい腐葉土ではあったが歩くのが難しい程でもなく、森に不慣れなテツや竜寄兵でも木の根にさへ気を付ければ転ける無様を晒す事もないだろう。

 いやむしろ気を付けるべきはテツ一人だった。

 コリンとラトランは竜を纏っている事で知覚能力は格段に上がっているので足下がおろそかになる事はないし、案内の猟師にいたっては慣れた場所だ。

 そもコリンはともかくラトランは森近くの村出身で、貧困で家族のために半ば捨てられるように王都に出てくるまでは猟師の真似事もしていたらしい。

 それが小柄という理由で選んだコリンとは対照的な、近衛兵団でも一、二を争う巨体のラトランを選んだ理由ではあるが。コリン以上に危なげなく歩くラトランの姿を見ると、テツは竜を纏う者とそうでない者との差に理不尽さを感じずにはいられない。

 しかし、とテツは思う。

 しかし森とはこんなに静かな物なのだろうか?

 王都の近くにも森とは言えなくとも林とは言える程度の物はある、そこはもう少し騒がしかった記憶がある。

 そう、こんなにも森とは静かな物であっただろうか?

 テツは不気味さに駆られて前を歩く猟師に声をかけた。

「猟師殿、この辺りには何がいるんだ?」

「この辺りですか? そうですねゴブリン以外だと狼にウサギ、もうちょっと奥の方だと鹿なんかがいますね」

 猟師の答えにそうかと応えてテツは言葉を探す、そのまま森とは普段からこんなにも静かな物なのか? という質問をする事に気恥ずかしさを感じたからだ。

 が結局は他に良い言葉も思いつかなかったのでテツはそのまま訊くことにした。

「この辺りは普段からこんなにも静かなのか?」

 テツのその言葉に猟師は少し考えるような仕草をした。

「あーいえ、うん?」

 テツの言葉に猟師はしきりに小首を傾げ、周囲をキョロキョロと何かを探すように忙しげに見回す。

 どうしたのか? とテツが尋ねると猟師は確かにこんなにも静かな森は初めてだと答える。

「いえ私も久しぶりに森に入ったものですから、気が付かなかったんですがね」

 と猟師がゴブリンの襲撃があった日からは村の警護にまわっていたものですから、と言う。

 確かに弓が使える猟師はゴブリンの襲撃から村を守るのに役に立つだろう。

「確かに鳥の鳴き声一つしないっていうのは、私も初めてです」

 それに、と猟師が心なしか不安げな顔をしながら辺りを見回す。

「木が何本も倒れてます」

 あんな風になっていなかった、と指を指して教えてくれる。

 テツが指された先を見ると確かに木が何本も倒れているのが見えた。

 テツは思う、やはり何かがあったのだ、この森で。ゴブリン達がそこそこ豊富な餌があるはずの、晩秋の森から出なければならない何かが、そして飢えて人の村を襲わなければならなかった理由が。


 テツが気味悪がる猟師を促して先に進むとそれはあった。

「なんだこりゃぁ」

 猟師が顎髭に埋もれた口をポカンと開けて呟いた。

 確かにそれはなんだこりゃと言うだろうな、とテツは目の前に広がる広場を見て思った。

 その広場は猟師がゴブリンの巣穴はもうすぐです、と言ってからすぐに現れた。

 広さは大きな屋敷が丸ごと一つは入る程で森の中で突然現れるにしては不自然すぎる広さだった。

 森の中切り取られたように辺りに木は無く、テツは村の人間が伐採でもした後かと考えたが、それなら猟師が驚くわけがなく、また視界の端に乱雑に積まれ小山のようになった根から掘り起こされた木のなれの果てを見つけ、これは断じて人間の手による物ではないと結論づけた。

 それに何より、森の中に突然現れた広場以上に特異な物が広場中央に鎮座していた。

 乾燥した腐葉土が、時折埃っぽく風に舞うなかでそれはまるで場違いな芸術品のようであった。

 薄桃色した巨大な水晶の塊だった。

「何なんですかね、これ」

 コリンがそう言って水晶の塊に近づいていく。

 テツもその後に続いて近づいていくと、それが一つの塊ではなく幾つもの水晶が癒着して一塊になっているのだと分かる。

 背後でラトランが気味が悪いと肩をすくめる。更にその背後では猟師が恐る恐る付いてきている。

「うえ、なんだこりゃ」

 先頭を歩くコリンがそう言って仰け反る。

 竜を纏うコリンが仰け反る姿は滑稽だったが、テツは笑えなかった。

 コリンがそうなった理由が分かったからだ。

 水晶の中にひしゃげ、潰れ、爛(ただ)れ、バラバラになったゴブリンだった物が見えた。

 テツは思った、まるで消化しきれなかった豆みたいじゃないか、と。

 水晶の前に呆然と立ち尽くすテツ達、猟師にいたっては完全に怯えておりラトランの背中に隠れるように怖々と水晶をのぞき見ている。

「団長、これ」

 テツはコリンの引き攣った声に無言で頷く。

 水晶の中にはゴブリンの死体が無数にあった。数えるのも馬鹿らしいが十や二十ではきかない。最初の感想通り消化不良の残りカスであった場合、それはゴブリン一群れ程度はあるだろう。

 テツはコレがゴブリン達が居なくなった理由かと思ったが、同時にこうなった原因は何だと疑問に感じた。

 瞬間、テツは雷に打たれたように身を震わせて叫んだ。

「コリン! ラトラン! 今すぐ森から出るぞ!」

 テツがそう叫んだのと、カッカッカ! という固い木を打ち合わせたような音がしたのはほぼ同時だった。

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