第77話 国難は大事だと、そろそろ

 レティシアが拳を振り下ろすたびに、稲妻が繰り出されて床や壁を焦げさせていく。

 それを、まるで物理攻撃を防ぐかのごとく的確に、クロノスは身体の前に腕を掲げて防いでいた。


(強い)


 今は無力化しているシグルドとやらも間もなく目を覚ますだろう。

 二対一。

 超然としたレティシアの美貌を、片目を眇めて見ながら胸の内でぼやきをもらす。


(俺、寂しがりじゃないけど。一人は嫌だな)


「何事ですか!?」


 ばたばたと足音が迫ってきて、扉が開かれた。

 背を向けたまま、クロノスは空に素早く指先で術式を書く。

 レティシアが振り上げた拳から雷を繰り出すタイミングに合わせて、防御壁を展開した。

 凄まじい雷撃がクロノスの防御壁にぶつかって青白い光を炸裂させ、激しい音を轟かせる。


「殿下!?」

「来るな!! アレクスとイカロスを呼んでこい。それまではもたせる!!」


 近衛騎士たちが自分の周囲に広がろうとする気配を察して、クロノスは声を張り上げた。


「俺より前に出るな。守り切れなくなる」

「殿下、僭越ながら我々はあなたを守るのが仕事ですが」


 呼びかけを無視して、鞘走りの音をさせながら横に立った男。知った声。カインだ。

 クロノスは舌打ちをした。


「部下は全部下げろ。お前はあっちの男が目を覚ましたら、しのげ」


 すでに意識を取り戻し、ゆっくりと顔を上げたシグルドを示して命を下す。


「あの銀色の女性はどうされました」

「手加減できる相手じゃない。怪我をさせてでも食い止める」

「命を奪ってでも?」


 そこではじめてクロノスは、カインに顔を向けた。

 少しだけ首を傾げて、目元と唇に微かな笑みを浮かべた。


「『死』は、取り返しがつかない」


 呟き終えると同時に、音も無く唇が呪文を紡ぐ。

 レティシアを振り返った瞬間に、突き出されたクロノスの掌から火球が放たれた。

 周囲の空間さえ溶かして歪めるほどの熱量を持って襲い掛かる業火。

 振り払う仕草とともに、氷の壁を張り巡らせたレティシアが防ぐ。

 立ち上った水煙の向こう側から、軽々とした跳躍で姿を見せたシグルドが、降り立つなり二人の眼前まで猛烈な勢いで走りこんできた。

 素手であった。

 カインは剣を振るったが、シグルドの肘から指先までを覆うガントレットに見事に弾かれていた。構わずさらに踏み込んでいく。


(ルミナスじゃないって、こういうことか……!)


 カインはひかない。それでも、すぐに押されるだろう。

 容易に描ける敗北の未来に胸を塗り潰されながらも、クロノスはレティシアから目を離さない。

 まだ背後にいる兵士たちに、振り返らぬまま命を下す。 


「早く行け! 俺の兄弟を引きずってこい!!」


 クロノス様、魔導士……? と、惚けたような呟きをもらしていた者たちが、クロノスの声掛けに我を取り戻して後退していく。


(それでいい。生半可な強さじゃかなわない)


 レティシアが次に仕掛けてくる攻撃に思考を巡らせ、いざとなればカインに加勢に入れるように余力を残してと計算しながら、魔法を組み立てていく。

 それは独りで強敵に立ち向かう、算段。


 ふつふつと血が沸く。

 胸の前で構えた掌から手首にかけて、バチバチと白い光が迸り、繰り出されるのを待つように雷が発生してまとわりついた。


「ここで死に果てる気か、人類最強の魔導士」


 毛一筋程度の乱れで、表情を変えていないレティシアが酷薄さを帯びた声で問う。

 クロノスはふっと唇から息をもらし、頬を緩めて笑みを浮かべた。


「俺は死なない。あなたも死なせない」

「気遣いは無用。命を奪ってでもと言った、あの勢いで来い。ここは殺し合いの場だ」

「そんな言葉で、呪いをかけようとするなよ」


 光を帯びた掌を胸に軽くあてて、目元を和らげる。

 今でも、目を瞑らずとも思い出せる。

 折々に触れて見つめてきた彼女の横顔。真正面から向けられた笑顔。

 全然素直じゃないくせに、不意に胸をしめつけるほどあどけなく甘えて来る声。

 ステファノ。

 名を呼ぶときの、あの唇の動きまで全部覚えている。


「あいつが好きなルーク・シルヴァを、返してもらう」


 クロノスの抱えた焦げ付くほどの思いを見抜いたかのように、レティシアが重々しく目をしばたいた。

 憐憫を含んだ、透徹と澄んだ目。


 二人の横では、シグルドが素手でカインに掴みかかろうとしていた。

 剣の猛攻には耐えてほとんど傷を負っていない。どうかすると、蹴りなどを繰り出していて優勢にすら見える。

 あまり時間はない。

 ふと、大きなため息をついたレティシアが、高圧的に男の名を呼んだ。


「シグルド、一度ひけ。こちらに戻ってこい」


 * * *


 カインに頬を切られ、同時に蹴りを横っ腹にめり込ませていたシグルドはぎろりとレティシアを睨みつけた。だが、逆らうことはなく、すっと身を引いてレティシアの元へ戻る。カインは警戒したまま剣を構えていたが、表情が険しくなっていた。かなりの痛みに耐えて立っているのが知れた。


 レティシアとシグルドは、並ぶと体格には歴然とした差がある。しかし、シグルドの方が気圧されているかのように表情を強張らせていた。

 様子をうかがうクロノスに対し、レティシアはつまらなそうに言った。


「私はこの男を魔王にしてやると約束をした」

「レティは何者?」


(魔王より上位の存在? 確かに強い。魔王と戦ったことがある俺の実感として、少なくとも魔王レベルだとは。いや少なくともってなんだ少なくない、それ)


 絶対に、彼らの一族は、敵にまわしてはいけない。

 戦端が開かれることがあれば、当代の聖剣の勇者を見出していない人類に勝ち目はない。これは理屈ではない、直感。


「シグルド、床に膝をつけ」


 レティシアの命令に対し、頬から血を流したシグルドが、瞬間的に苛立ったようにレティシアを睨みつける。

 それをひどく冷たい表情で受け、「早くしろ」とレティシアは固い声で言った。


「……ッ」


 燃え盛る怒りを瞳に浮かべながら、シグルドがその場に膝をつく。

 その背後に立ったレティシアが、ほっそりとした腕を伸ばしてシグルドの首に手をあてた。

 おそらく、立ったままならうまく手が届かなかったのだろう。

 何をする気なのかは、すぐには思い当たらなかった。


 理解したときにはすべてが遅すぎた。


 シグルドの絶叫が響き渡る。

 細い腕で、レティシアがシグルドの首を掴んで引きずるように持ち上げていた。よほどの苦痛が与えられているのか、シグルドは喉を指でかきむしりながら、苦悶の表情で叫び続ける。

 それが何かおぞましい行為だと痺れた頭の隅で理解しながらも、クロノスはまったく動けなかった。

 迂闊に近寄ったら、レティシアかシグルド、どちらかに殺される。その予感に撃たれて立ち尽くすしていた。

 加勢が来るかわからない段階で自分が倒れてしまっては、この先を見極める人間がいなくなる。

 慎重に。

 言い訳に言い訳を重ねているだけの気もした。


 本当はこの足はただ恐怖にすくんで動けないだけじゃないのか?


 まるで拷問に立ち会わされているかのような、身の毛のよだつ悲鳴は不意にぷつりと途切れた。

 レティシアが手を離し、シグルドは音を立てて膝をつく。

 がくりと前のめりに頭を落とした。

 その背後で、レティシアが溶け崩れるように身をふらつかせている。


 クロノスは、床を蹴って走りこむ。倒れかけていた少女の細い体を両腕で抱き留める。

 少しだけ予想が出来ていたのに、後手にまわった自分に怒りを覚えながら、クロノスは受け止めた少女の名を口にした。


「『ルーナ』」


 膝をついていたシグルドが、音も無く立ち上がる。

 瞳に凍り付くほどの冷ややかさを湛えて、クロノスを振り返った。


「差し当たり、その体はここに置いておく。この男に『魔王』に相応しい力とロイドを与えるのは契約の内だからな。ロイドは返してもらうぞ」


 白銀の女王と寸分違わぬ口調で、男の声が言い捨てる。


「レティシア……、その男の意識は残っているのか? その身体を動かしているのは君なのか」


 あの叫びは。

 魂を浸食される苦痛に満ちていた。

 おそらく白銀の女王は彼を騙した。

 或いは、何か大切なことを告げぬまま、奪った。


「それはお前の気にするところなのか?」


 もともと甘やかな美貌の持ち主であったが、桁違いの威圧感を漂わせたシグルド。

 愁いを帯びた目元まで惚れ惚れするほどの笑みを浮かべて、続けた。


「さて、あとはロイドか。追うなよ、あいつには子どもを生ませる。あれはもともと人間じゃない。お前らの間にいても幸せになんかならない。連れて行く」


 言うなり、背を向けて駆けだす。

 カインが動いた。

 その気配を察して、クロノスは意識のない少女の身体を抱えたまま声の限り叫んだ。


「やめろ!! 絶対にかなわない!!」


 声は届いたはずだが、カインは止まらない。

 おそらく、守る者としての責務が彼を動かしている。この生き物を王宮内に解き放ってはいけない、と。

 シグルドは、すれ違い様にカインの剣をきれいにかわして、その首に手を伸ばした。

 触れた指先から爆発的な力が溢れてカインを弾き飛ばす。

 壁に叩き付けられたカインは、頭を打ち付けた位置にべたりと血の痕を残して床に落ちた。

 その行く末を見ぬまま、シグルドはドアに向かって走り出す。

 クロノスもまた、少女を床に横たえると、背を追って駆けだした。 


 ルーク・シルヴァと身体を分け合っている間、不安定ながらも心を保っていたレティシアが、本格的に暴走を始めた気配に怖気が背筋を抜けていった。

 一つだけ間違いなく良かったこともある。


(シグルドの肉体ならば、躊躇なく殺せる!)


 レティシアの行先はわかっている。クロノスの私室だ。一度招いているのだ、道もわかっているのだろう。

 迷いのない背を追いながら、つい愚痴を唇にのせた。


 兄弟。こっちの国難は大事になっているぞ、と。 

 

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