第49話 私を忘れてしまったひと

 アゼルから見たルーク・シルヴァという存在は。

 見た目は眼光のおっかないお兄さんだし、本性は以前殺そうとした相手であるところの元魔王であるし。今現在の状況に限っていえば久しぶりに再会した最愛の相手と妙に親し気だし。

 あげくアゼルと彼が近づく機会まで不意にしてくれた。


(なんなのこいつ。本当になんなの)


 本音を言えば今にもガタガタ震え出しそうなほど怖いのだが、さすがにかつて勇者とともに英雄の一人に数えられたこともある身、そんな情けないことは言えない。

 肩を掴まれたときは死ぬかと思ったし、空に飛ばれたときにはもう「飛べないなんて嘘です!」と言って逃げ出したかったけど。

 逃げなかったのは、ひとえに、怖すぎたのだ。


 そばにいるだけで絶大な魔力を感じる。

(こんな相手と剣一本でやり合おうだなんて、ルミナスって本当に無謀……)

 だけどそれこそが勇者ルミナス。


 いつも底抜けに明るくて、人の不安を根こそぎさらっていってしまう人だった。そんなに一人で背負ってどうするつもりなの。

 不安。絶望。恐怖。妬み。嫉妬。嫌悪。憎悪。

 人と人の間で湧き上がり、ぶつかりあう思いのすべてを受け止めようとする。「僕にまかせてよ」と。

 馬鹿だから。

 きっと、少し抜けているからそんなことができちゃうんだ。

 その明るさがまぶしくて、うらやましくて、どうしようもなく惹かれて。

 少しだけ憎んだ。


 誰の前でも明るさを失わない無敵のルミナスが、仲間の中のたった一人にだけ、弱みを見せていることに気付いてしまったから。

 その人に「馬鹿」と怒られたときだけ、馬鹿じゃない、傷つく人の顔をして落ち込むのを知ってしまったから。

(嫌な信頼関係。「先走るな馬鹿」「全部背負うな馬鹿」「お前は一人しかいないんだ馬鹿」「あんまり心配させるな馬鹿」ルミナス相手のときだけ、語調が荒くなる)


 ──どれだけお前を好きかわかれよ、馬鹿。


 言っているのは全部同じこと。

 結局その人が見ていたのは、欲しいのはルミナスだけだった。ルミナスだって絶対にわかっていたはずなのに。


(それで、生まれ変わってまで近くにいて。絶対に、どんな形であれ守っていたはず。それなのに、どうしてルミナスは彼を見ないの……? また違うひとを好きになってしまっているの?)

 しかもよりにもよって元魔王だよ? なんで?


 間近で見た限り、ルーク・シルヴァの人型は度が過ぎた美貌であるとは思う。

(これ? この見た目? 性格……は、どうなの? あんまり良さそうな気がしないんだけど?)

 完全に独断と偏見だが、まずもって「良い人間」には見えないのだ。どこがと聞かれても困るのだが、少なくとも現世のステファノ(クロノス)を大幅に上回る長所があるようにはどうしても思えない。


「ねえ……、魔王。なんでルミナスと恋人同士なの?」

「もう魔王じゃないし、あいつはルミナスじゃない」

「ルミナスは死んでるからたしかにルミナスじゃないんだろうけど。あなたは死んで転生したわけでもないんだから、魔王なんじゃないの。それは俺のことではない、みたいな態度はどうなの?」


 アゼルはだいぶ前から魔族からはぐれていたので、魔王を敬う気はまったくなかった上に、ルーク・シルヴァに対しての心証はすこぶる悪かった。自然と咎めるような口調になってしまった。


「というかそれを差し引いても、なんでルミナスのそばウロウロしていたのよ」

「それは……。ひどい死なせ方をしたからな。今回は天寿をまっとうできるように見ておこうかと」

「そんなの、ステファノ、クロノスに任せておけば良かったじゃない。あの人見ての通り重いくらい過保護だから絶対にルミナスの近くにいたでしょ」

「いや、知らなかった……。でもないな。そういえば、あいつかなり速攻で絡んできたな。俺がまだ偽装恋人していた段階で宣戦布告までしてたし。前世の関係を明らかにして。そうだった……いたな、たしかに」

 何やら一人で思い出しているルーク・シルヴァに、アゼルはきつい視線を向けた。


「なんで身を引かなかったの。魔族でしょ。人間とつがいになってどうするのよ」

「身を引くも何も、最初は別に」

「そこで! さっさと身を引かないから恋に落ちるんでしょ。信じられない。だって言ってないんでしょ、ルミナスに。前世で惨殺して悪かった。今生では大切にする、て。え……でもそれ、言うの?」

 言わないのも隠しているみたいだけど、言ってもドン引きだ。

 どっちに転んでもドン引きということは、関係性自体がもうそういうものなのではないだろうか。


「あーあ。ルミナスもクロノスもかわいそう。魔王さえいなきゃ丸くおさまっていたのに」

 八つ当たり、というのは気付いていた。

 魔王が。魔王のくせに。

 八つ当たりしやすいのだ、どういうわけか。

「どうだろうな。ルミナス、というかクライスはクロノスのことは別に好きではないようだったし。俺がいなくても二人は付き合わなかったと思うぞ」

「はー!? 何言ってんの。そんなのわかんないでしょ。お邪魔虫のくせして自信満々に何言ってんのっ」

「そうは言っても、クライスが選んだのは俺だからな」

 焚き付けて、煽ってみても、魔王は飄々として言う。


「なんでなの……!! どうして生まれ変わってまでステファノは報われない人生なわけ!!」


 冷静に考えればそこで報われたら、アゼルにおこぼれも何もないのは知っているのだけど。

 振り向いて欲しいのと同じか、それ以上に幸せになって欲しいから、嘆かずにはいられない。


「もうやだ!! おろしなさいよ!!」

 至近距離でわめくアゼルに、ほとほと嫌気がさしていたのだろう。要求を受けて、ルーク・シルヴァは「わかった」と速やかに言った。

 魔法の効力がふつりと切れて、上空から二人は地上へ向かって真っ逆さまに急降下。


「なんであんたまで!?」

 二人とも、落下地点にあった大木の茂った枝葉の間に勢いよくつっこんだ。

 落ちるのはわかっていたので、アゼルはすかさず防御の魔法を表面に張り巡らせていた。そのおかげで小枝に肌を傷つけられるようなことはなかった。ルーク・シルヴァも同様に身を守ったらしい。

 二人とも適当に枝を伝って、途中から地上に飛び降りる。


 木陰で向き合ったルーク・シルヴァはちらりとアゼルの姿を確認したが、何も言わなかった。

「何よ」

「別に」

「そういうの腹立つんだけど!! 言いたいことあったら言えばいいじゃない!!」

 相性だ。絶対に相性が悪い。

 察しつつも怒鳴るのを止められなくて、ルーク・シルヴァには小さく溜息をつかれてしまう。

 もうやだな、なんなのこいつ。絶対こいつのせい。

 そう思ったアゼルに、元魔王は腕を組みながら低い声で言った。

「怪我をしていないかと。いきなりで悪かったな」

「そういう……。ステファノなら、こんな乱暴なこと絶対にしないのに。ルミナスはあなたのどこがいいのかしら」

 結局恨み言はそこに向かってしまう。

「知らん。気になるなら本人に聞けばいいだろう」

 言われて、アゼルもいい加減激高しすぎたと悔やみつつ「それもそうね」と答えた。

 そうして、二人で向き合っていたときに。


「ルーク・シルヴァ……? どうしてここにいるの?」


 アゼルには聞き覚えのない涼しい声が、魔王の名を呼んだ。

 目を向けた先にいた、少年とも青年ともとれぬ「彼」が誰か。一目でわかってしまった。

(姿かたちは違うのに。これはもう)

 癖のある赤毛に、驚きに見開かれた緑の瞳。あどけなさの残る甘い顔だち。

 その目が、不安げに揺れて自分を見ていることに、アゼルは気付く。


 ──そっか。私はわかったのに、ルミナスには私がわからないんだ。


 ショックなど受けるつもりがなかったのに。

 知らない誰かを見る目に、もうルミナスというひとはこの世のどこにも存在しないのだと思い知らされてしまった。

 ついでに、彼が何を不安に思っているかにも気付いてしまった。


 アゼルは彼ににこりと微笑みかけた。その瞬間までは意地悪する気などなかった。

 けれど、強張ったままの表情を見たら考えが思い切り違う方向に振り切れてしまった。


「ねえ、あの子誰?」

 横に立っていたルーク・シルヴァの腕に手をかけて、しなだれかかる。

「あれはクライスだ」

 ルーク・シルヴァは「何か用か」くらいの目で見下ろしてきたが、アゼル手を伸ばしてルーク・シルヴァの頬に添え、自分の方をきっちり向かせる。

「あの子なんでこっち見てるの? 邪魔なんだけど。早く二人になろ?」

「何を言ってるんだ?」


 ルーク・シルヴァは本気でアゼルの意図をわかっていなさそうだったが、それだけに落ち着き過ぎていた。アゼルのことを性愛の対象のようなものとは一切考えていないだろう、寄りかかられても頬に触れられても虫が止まった程度にしか感じていないように見えた。

 アゼルには。

 恋人であるところのクライスには?


 アゼルは、自分は人間基準では十分な美少女及び美女であることは知っていたし、クライスの目にもそう見えているのは織り込み済みだった。果たして、効果は抜群だった。


「ルーク・シルヴァ……どういうことか聞いてもいい?」

 声が震えている。

 ルーク・シルヴァはそれだけが気になったようで、まさに気づかわし気に言った。

「どうした。体調でも悪いのか? 昨日は平気そうだったのに?」

「僕のことはいいから! いまは聞いたことに答えて欲しいんだけど!?」

「それを言うなら俺もだよ。元気がなさそうだ」

 そういうルーク・シルヴァの腕にはアゼルがしっかりと身体を押し付けてしがみついているわけで。


「…………!! 元気なくないよ!! 全然大丈夫だから!!」


 徐々に怒りの気配が立ち上りはじめたクライスを見て、アゼルはつい、小さく噴き出した。


(さて魔王はこの修羅場、どう切り抜けるのかしら?)

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