第31話 行き倒れの剣士

 見覚えのある、癖の強い赤毛の少年が歩いていた。

 身体のバランスの取り方がおかしい。ふらふらで、今にも倒れそう。

 思ったそばから、ずるりと地面に両膝をついた。


「何それ。大丈夫なのか……?」


 呟いたまさにそのとき、水色の目に見つめられた。

 ふにゅっと涙を浮かべて溶け崩れていた。


(うん。あれはだめだ)


 手にしていた麻袋から林檎の実をこぼしつつ走り寄った小柄な青年を前に、空を仰ぐかのように上を向いて少年は遠吠えをした。


「ロイドさああああん…………」


 シャツや厚手のズボンまで裂けや焦げでぼろぼろにし、ウェーブがかった赤毛もところどころ焦げていて顔にも泥が付いている。

 ロイドは、駆け寄って膝をつき、麻袋は横に置いて手をさしのべる。


「クライス。どーしたの、それ」


 差し出されたロイドの手にひしっとしがみつき、クライスは涙を振り絞って言った。


「お師匠様がまた逃げました……。三日三晩追い続けてもう限界です……。なんであんなに逃げ足が速いんですかあのジジイ!」

「ああ。なるほど。やっぱり、またあの追いかけっこかー……」


 よよよ、と泣き崩れるクライスの身体を抱き止めて、ロイドは嘆息した。

 意気揚々と剣聖のもとで修業をはじめたはずのクライス。

 送り届けてお役御免で別れたはずなのに、その後行く先々の町や村でロイドは何度か顔を合わせていた。

 剣聖、隙あらば修行中に脱兎のごとく逃げ出すらしい。


「王宮からは修行して来いって出されているし、投げ出すわけにはいかないから追いかけているけど、も、死ぬ……。お師匠様体力馬鹿だし……。僕じゃこのままだと死ぬ。死ぬ前に殺したい」

「うん、なんかいい感じにド修羅場ってるけど、さすがに殺すのも死ぬのもだめだな……?」


 ロイドはロイドで、人間の領域に踏み込む魔族を監視する、というライフワークのもと町だけでなく深い森の奥に分け入って探索していることもあるのだが、この師弟、国内の広範囲で大規模追いかけっこをしているらしく、とんでもないところで顔を合わせたこともある。

 今回は比較的大きな町での再会となったが、クライスの汚れ方を見るに、ここまでどんな行程だったのかは想像がつく。


「とりあえず、もうすぐ夜だ。少し休む……?」

「休む……?」


 呟きながら、がくりとクライスが肩を下ろす。

 ここ何度か出会ったときも、今と同じくもはやほとんど命脈が尽きる寸前といった有様だったので、ロイドが強制的に休憩を取らせてきた。

 それでもつかず離れずの追いかけっこが続行中ということは、剣聖もどこかで成り行きを見守って、手加減するところはしているとロイドは信じている。休む時間くらいあるはず。

 ロイドとしては、出会ってしまった以上、この少年を投げ出していくわけにはいかない。


 まさかこんな事態になると予期していたわけではないだろうが、クライスを剣聖のもとへ送り届けるときに元魔王であるルーク・シルヴァから厳命おねがいされていたのだ。

 

 ──俺はついていけない。お前に任せる。仲良くやれとまでは言わないが、俺だと思って扱って欲しい。


(それ要するに、命がけで体張れってくらいの意味だよね)


「とにかく危なっかしいので、一人では歩かせられない」「多少腕に覚えはあるみたいだが、力も体力も人並みだ」「一対一ならともかく、多人数から追い込まれたり、不意を突かれたら危ない」


 それ弱いって言わない? との言葉をロイドは飲み込んだ。ルーク・シルヴァには冗談を言っている様子が微塵もなく、心の底から「必要な注意事項」として言っているのがよくわかったせいだ。

 

(過保護だよなぁ……)


 それなら自分で見守ればいいのに、「修行の邪魔にはなりたくない」とのことだ。

 自己評価高い。自分がいればクライスが集中できない、と真顔で言っていた。


(どれだけクライスの中で重い存在のつもりなんだろう。元が全魔族の注目の的である魔王だから、そのくらいの自意識は仕方ないのかな)


 ロイドとしては割り切れるような、割り切れないような微妙な心持ちなのだが、任されてしまったので、仕方ない。

 ずたぼろで涙目のクライスに肩を貸して抱き起し、一緒に歩き始める。

 身長はさほど変わらないが、鍛えているはずのクライスは薄い肉付きで、軽い。

 見た目はともかく実際は頑健な竜の身体であるロイドは、いっそ抱きかかえて歩きたい。しかしそれは、クライスのプライドを傷つけかねない。

 何度か会話をする機会があったために、この少年の内に秘めた誇り高さは理解しているつもりだった。


「しかしまた、今日はぼろぼろだな」


 横顔を覗き込んで言うと、クライスはごつんと首を落としてうなだれた。


「ここ、僕の実家が近いんです。何かあったら転がり込むつもりで、余力考えなくて」


 実家。

 人間らしいことを言われて、なるほど、とロイドは目を開かされる思いだった。そういうのがあるのか。


「そっか。そこまで送ればいいのか?」

「いえ……隣町なので……ちょっと遠い」


 呟いたクライスの顔はひたすら暗い。

 ロイドなりに気持ちを推測して、力づけるように言った。


「なるほど。飛んで連れて行ってもいいけど、そのなりだと親御さんも心配しそうだな。オレの宿、すぐそこだから。まずは一休みしてから考えよう」

「すみません……。いつも助けてもらってる」

「いいよ。お前のことはルーク・シルヴァから託されてるから」


 何気なく言ったのだが、そっと反対側に顔を向けたクライスは耳まで赤みがさしていた。


(オレはここに挟まる必要が本当にあるんだろうか。これはやっぱり、ルーク・シルヴァの役割だよな)


 思わず言いそうになったが、ぐっと飲み込む。


「体力は寝ないと回復しないだろうけど、傷があるならあとでみせてな。魔法で治せるなら治すから」

「はい」


 とても申し訳なさそうに返事をしたクライス。

 並んで歩きながら、そういえば買ったばかりの食糧を道端に置いてきてしまったな、と気付いたロイドは、確認するように肩越しに振り返った。

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