第22話 He's sweet on her.(前)
最初に寄ったのは、王宮内にあるリュートの私室だった。
誰にも見られないように近場に降り立って、素早く部屋の中に入り込む。
「ひとが来るみたいだから、少しそのままで」
クライスには奥にいるように指示すると、ドアを開けて誰かを招き入れた。
「あ、あの……これ、返そうと思って持ってきたんですが……っ。決して何か変な考えがあったわけじゃなくて。もしかして必要としているんじゃないかと思って」
「その、もしかしてだよ。ありがとう、助かる」
慌てふためきまくった女性の声に対し、リュートは実に愛想よく応じた。
物陰に隠れて耳を澄ませていたクライスは、息を殺して成り行きをうかがった。
「あなたはリュートさんでいいんですか。それとも、ルーク・シルヴァ様……」
「どちらも俺だよ。宮廷魔導士として注目を浴びてしまうと、今後仕事が増やされそうなんで、通りすがりを装っているけど。このことは──」
「あのっ!」
リュートの話の途中で、女性がいきなり声を張り上げて遮った。クライスは思わず、物陰から顔を少し出して、様子を伺う。
黒髪のおさげに、菫色の瞳をした女官だ。昨日リュートと歩いていたひとで間違いない。
やけに真剣な顔でリュートを見上げていたが、何かを振り切るように勢いよく言った。
「記憶、消さないでください……っ!」
「ん……?」
「たぶん、消そうと思っていますよね。でも、わたし、誰にも言いません! あなたに付きまとったりもしませんし……。ただ、せっかくお話できたのに、なかったことにされたくないというか。べつにあなたの秘密を知っている優越感に浸りたいとか、そういうわけじゃ……そうなのかもしれないけど。だけど決して」
ぐいぐいと胸元ににじり寄りつつ、顔を見上げて言う。正直、リュートの眼光を浴びながら距離を詰められるのはなかなかの強者である、と傍からみていたクライスは思ってしまう。
「そうだな。何も気づいていないならともかく、消されたくないという強烈な意志のある人間の記憶に干渉するのは難しいな。何かのはずみで記憶が戻ったとき、恨みも深いだろうし。絶対、誰にも話さないというのなら、良いことにするか」
リュートは軽い調子でそう言って、茶目っ気たっぷりににこりと笑ってみせた。
間近で見てしまった女官は、ぱっと頬を染めた。
(あんな顔、僕にもそうそう見せないのに……)
見たいような、見たくないような光景に歯がみしつつ、クライスは俯き、ずるずるとその場にしゃみこんで目を逸らす。すぐに思い直して再び様子をうかがった。
「王宮内でお見かけしたときには、またお声がけをしてもいいですか?」
「構わない。宮廷魔導士のリュートと、女官のアンジェラは同僚だし。クソガキの愚痴は面白いから聞く」
「それは秘密ですよ! 王子のこと、よそで話すの本当は駄目なんですから。あれはあの場限りの話として。そうですね、わたしも弱みを握られてるし、これはこれで良いんでしょうか?」
「そうだな。互いを脅迫しあって均衡を保っておこう」
冗談めかしてリュートが応じると、アンジェラは満面の笑みを浮かべて別れの挨拶を口にした。
「それでは、わたしはこのへんで」
「これ、届けてくれてありがとうな。助かった」
最後まで感じよく応じて、リュートはドアのところで女官と別れてから部屋の中へと戻ってきた。
* * *
「待たせたな」
手には灰色のローブと黒縁眼鏡を持っている。おそらく、アンジェラの用件はそれだったのだな、と理解しつつもクライスは膝を抱えて座ったまま立ち上がれなかった。
「どうした? 変な顔」
「べつに……僕はこういう顔なんだよ」
ローブをその辺の椅子に投げ出し、眼鏡をかけながらリュートが「ふーん」と平淡な調子で言った。
「王子の部屋で一晩過ごした釈明はしないのに、俺が同僚女性と話しているのは気になるのか。勝手だな」
「なっ。べつに、何も言ってないじゃない。彼女も、用事があって来たんでしょ?」
「何も言ってないけど、態度が言ってるんだよ。心が狭いな」
「……それは」
ぐっとリュートを睨みつつ、立ち上がって距離を詰めて間近で見上げて、クライスは一息に言った。
「狭いよ! 悪かったな。リュートが女の人と話していると気になるんだよ。それどころか、たぶん僕はリュートが道端の子猫に声をかけたって、『あの猫になりたい』ってレベルで気にするからね! いちいちそんな僕を相手にしないでくれる? 勝手に一人で落ち込ませてよ!!」
「すごい開き直り方だな」
くす、とリュートは笑みをもらすが、クライスにとっては笑い事ではない。自分がやばい奴の自覚はあったので目を見ることもできずに下を向いてしまった。しかし、リュートに顎をつかまれて、顔を上向けられる。
「王子の件を聞きたいんだが。あいつ、昨日話した限り悪い印象はなかった。むしろ、底の知れない聡明さを感じたな。お前も何かされたにしては元気そうだし、そういう意味では心配はしていないんだが」
「そうだね。王子は今まできちんと話さなかったことを後悔するくらい、まともというか。まともすぎるというか。考えが深くて、自分が恥ずかしくなった。ああ、何を話したかは機密なのでまだ言えないんだ。でも、悪い話じゃなかった。あとは僕次第というか」
「結婚する気になったのか?」
クライスは無言のまま、リュートの胸に拳を叩き込んだ。
「そんな話じゃないよ。茶化さないで」
「寝顔が可愛かったと言っていたな。お前、寝たのか」
「だから……。そういう変な話じゃなくて。遅いから隊舎に戻るなと言われたけど、側仕えの人が出入りしていたし、寝台も別に用意してくれたし。何も……」
言いながら声が小さくなった。寝台は別だったけど、なぜか王子の寝台に寝たとか、一服盛られたというのは細心の注意を払って口にすべきと思ったせいだった。こんな売り言葉に買い言葉の緊張感の中では、言い損じる恐れが濃厚だ。
「まったく。猫にも嫉妬すると言いながら、俺の気持ちは全然考えないんだな。嫉妬が自分だけのものと思うなよ。俺は、お前が思っている以上に嫉妬深いし、大人げないし、むしろ大人なんかクソくらえだよ。次に何かあったら、人前だろうがなんだろうが、お前は俺のものだって全員に嫌と言うほど示してやる。あんまり俺を甘くみるなよ。やるといったら、やる。俺はお前の恋人だからな」
ぼうっと見ていたクライスは、顎をおさえられて顔もそらせぬまま、答えた。
「嬉しいけど、僕の恋人は、世間的には『ルーナ』だよ。『お兄ちゃん』とも付き合ってるって思われたらそれはなんというか」
「知らねーな。お前の恋人はルーナだが、ルーナは俺だ。そもそもお前がルーナに求婚したんだ。そのへん忘れるんじゃねーぞ。何度でも言う。最初に俺をはめたのはお前だ」
「うん。何回も言って、自分が僕のものだって思い知ってよ」
クライスはふわっと笑うと、リュートの胸に頬をおしつけて、身体に両腕をまわした。
「このやろう……。甘えやがって」
憎まれ口を叩きながら、リュートもクライスを抱き寄せて、癖のある赤毛に口付けを落とした。
ややして、名残惜しみながらどちらともなく体を離す。
先に口を開いたのはリュートだった。
「ところで、まだ時間はあるだろ? 少し行きたいところがあるんだ」
黒縁眼鏡のつるに軽く手を触れて、にこりと笑ってみせた。
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