Sleeping Beauty(後編)

「森の魔導士の稼働時間は、残りわずかだ。本格的に眠りに落ちる前に『血と鋼』とは決着をつけたい。俺一人では手に余る」


 大魔導士はその英名にはそぐわぬほど驕りとは無縁に、謙虚な姿勢で実質的な打ち合わせを求めた。


「『血と鋼』を、殺すんですか」


 ファリスの問いに、アリエスは頷いてみせた。


「殺さなければ、また戦場が作り出される。おそらく、意図的に、不必要な。それを望むのか?」


 ロアルドがエンデを見た。

 エンデは視線を受けないように遠くに目を向けていた。

 重い口を開いたのは、ジークハルト。


「言っていることは、理解できる。『血と鋼』は諸刃だ。いくつかの回避可能な戦闘があったこと、またすべての戦闘が必要以上に激しいものになったことは、俺も気がついていなかったわけじゃない。あの不老長寿の魔導士に関しては、思うところはあった。その提案、受け入れる」


 アリエスはひとつ大きく頷いた。

 そのまま、ゆるりと歩きだしてエンデとの距離を詰める。隻眼を細めたエンデの、眼帯をした方の目の上に、掌をあてた。すぐにその手首を、エンデが掴んだ。


「オレはもうこの目で慣れている。余計なことはしなくていい」

「別にお前の為じゃない。作戦の成功率を上げる為だ。陛下にはもう剣を握らせることはできない。炎の剣士は魔法で競り負ける恐れがある。人間の、強い剣士が必要だ」

「大魔導士の魔力も無尽蔵じゃないだろ。余計なことに使って、不老長寿を損なったらどうするつもりだ。誰がの次の目覚めを迎えるんだ」


 二人がぎりぎりの距離で向き合うせいで、他の者にはその表情は見えなかった。ただ、エンデにしてはその声は切実な響きを帯びすぎていた。

 アリエスがふふっと息をもらして、笑った。


「若造が」


 エンデの手をおさえて、手首に絡まる指を外させると、再び掌を眼帯の上に置いた。

 少しの間を置いて手を離し、さっと背を向けてぶらりと歩く。テーブルにあったグラスを手にする。 


「彼女が眠りにつくまで、あとどのくらいの時間が」


 緑色の瞳に、すがるような切なさを浮かべて、ジークハルトはアリエスを見た。


「わずかだ。『血と鋼』を滅ぼすのに、間に合わなそうだったから、少しだけ眠らせた。だが俺が稼げたのは、春から夏にかけてのこの一季節分の時間だけだ。偉大なる物忘れの魔導士は、間もなくまた長い眠りにつく」

「なるほど……。メオラの一行は数日前からアレーナス入りをしていたんでしたね。ということは、『偉大なる魔導士』を眠らせた上でここまで運び、転移の魔法もごく近くで行って、あの海岸に届けたわけですか」


 納得したようにファリスが言うと、アリエスは目を伏せて何杯めかのグラスを傾けた。


 * * *


 ほどなくして解散の運びとなり、翌日以降のお互いの行動を簡単に確認し合った。

 魔導士「血と鋼」を殺すために、王城へと帰還する。


 名目上、「メオラの姫君と好い仲になったとして、休暇の終了を宣言する」という下りに主に一人が激しい難色を示したが全員に黙殺された。


「姫はもとより、今回の目的が『血と鋼』であることまで、全部織り込み済みだ。お前らがどう思っているかは知らないが、頭も性格も悪くない姫だ、実際」


 アリエスは話のついでのように、ロアルドに目を向けて続けた。


「俺は俺でやることがある。騎士団長殿を借りるぞ。使える人手が欲しい」

「やることの中身はわからないが、隠密行動ならもっと他にいる。オレとか」


 答えたのはエンデ。

 すでに眼帯を外して、双眸をあらわにしているエンデを、アリエスが軽く睨みつけた。

 エンデもまた、その視線を受け止める。


「大魔導士アリエス」


 ことの成り行きを見ていたジークハルトが、声を上げた。

 全員の注目を集めた上で、一度閉ざした口を開く。


「俺はエリスを愛している。たとえ残された時間が少なかろうと、諦めるつもりはない。側にいれば、必ず、今よりもずっと強く想ってしまうだろう。大魔導士はそれで良いのか」


 アリエスは、余人をよせつけぬ美貌に、触れたら壊れそうなほどの優しげな笑みを浮かべた。


「彼女が次に目覚めるのは、何十年後か、百年後か……。それはわからない。きっとまたすべてを忘れる。それまでの、ほんの短い時間、あの人がどう生きようと、俺は構わない。恋をしたいなら、すればいい。俺はただ、あの人が幸せならそれで良いんだ。それだけで、次の目覚めまでどれだけの時間も待てる」


 満天の星空を背景に、夜気に大魔導士の儚い笑みがとける。

 ふわりと風が揺らめいて、エンデがアリエスの前に立った。挑むようなまなざしで対峙する。


「すべてを忘れるから、今回は自分の名前をあげたのか」

「親子設定だからな」


 否定しないという肯定で、隠されたのは彼女の本当の名前。告げる気はまったくなさそうであった。

 まるでそれは、エリスにはエリスではない一面があるが、それは自分だけのものだと言わんばかりの。


「独占欲強いのな。綺麗な顔して気性は激しいとか」

「今晩はもう少し親交を深めましょう。夜は長いですよ」

「これ以上か!?」


 エンデとファリスが口々に言い、アリエスは非常に嫌そうな顔をする。無視して二人がかりでアリエスを押さえ付けて何処かへ連行しようとし、その後にロアルドが続いた。

 呆れたように見送りかけて、ジークハルトがはっと息を飲んでから猛烈に抗議する。


「おい、エリスが残ったままだぞ……!? 俺の寝台に……!!」

「手を出したら呪う」「許しません」「わかってんだろうな」


 振り返ったロアルド以外の三人から同時に言われて、絶句しつつ、引き下がった。


 ──その晩。


 海を擁する大国の国王陛下は、自分の寝台の横で膝を抱えて床で寝た。

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