第24話 悪い女

「来たわね」


 一度自室に戻ったら、窓際の席で優雅にお茶を飲んでいる金髪の美少女との対面と相成り、エリスはドアを開けて部屋に入ってそのまま止まってしまった。


(どうして誰も教えてくれなかったんだろう……。いやむしろ、さっさと直接対決してしまえという計らいなのかも! みんな気まずいよね。わたしも気まずい。やましいことはないのに気まずい)


 ――ジークハルトとは一夜は過ごしましたけど、何もなかったのでご心配なく。


(……って言えばいいのかな!? 良くない気もする……!)


 無言のまま壮絶に悩むエリスを前に、姫君はちらりと視線をくれた。


「葛藤しているみたいなので、わたくしから先に言わせていただくわ。ジークハルト陛下の名誉にかけて、『一晩過ごしたけれど、何もなかった』というのはあまり吹聴しない方が良いわよ。君主がドヘタレだと知れ渡って得することなんてこの世にはないの」

「心を読みましたか!?」

「ついでに」


 姫君はエリスの動揺に構わずに、厳然として続けた。


「わたくしとあなたに同時に手を付けているジークハルト陛下より、王宮随一の美形たちを侍らせているあなたの方が、客観的に見て稀代の悪女武勇伝を作っている自覚をもう少し持った方がいいと思うの」


 姫君は、粉が舞うほどに念入りに化粧が施された睫毛を伏せ、お茶を飲み干してカップを小テーブルに置いた。口を開けたまま固まっているエリスに目を向けた。


「間抜け面。こちらに来て座ったらいかが」


 思考が停止したまま、エリスは小テーブルを挟んで姫君の向かいの席に座った。


「大体あなた、メオラにいた頃からあのアリエスを独り占めしていたのよ」

「はい」


 ものすごく怒られているのはわかる。身に覚えがないわけでもない。背中を冷や汗が流れている。


「ジークハルト陛下も陛下よ。いつまで兵士のノリなのかしら。近くに男しかいなさすぎなのよ。女の子の身の周りを託せる、信頼できる女性の部下が一人もいないのかしら。どうかしているわ」


 エリスは無言で掌で口元を覆った。

 自分もだけど、ジークハルトも形無し。一刀両断どころか、木端微塵で骨も拾えない。


「聞いているの?」

「聞いています……」


 圧倒的な格の違いを前に、万感の思いを込めて返事をした。

 恋の鞘当てどころか、戦う前から勝負になっていない。


「わたし、悪女ですね」

「素直に認めたからって、追撃の手を逃れられるとはゆめゆめ思わないことね。あなた、自分が人からどう見られるかとか、周りの人が何を考えているかとか、もっと今以上に真剣に盛大に著しく考えるべきだわ」


 迫力。

 まなじりの吊り上がったはっきりとした顔だちの美少女に、ぐうの音も出ないほどやりこめられるというかつてない状況に、エリスは心の底から寒気を覚えてはいたが。

 同時に、湧きあがる思いもあった。


「姫様は、もしかしてとても親切な方なのですね」

「『もしかして』とか、無駄なこと言わない。『親切ですね、ありがとうございます』だけで十分よ。そのくらい簡単にできるでしょ。余計なことを言わないだけ!」

「ド正論すぎて心地よくなってきました。もう少しこのまま叱られていたいです」

「ばかなのっ!?」


 びしっと指をつきつけて怒られて、エリスは「ですよね」と呟いてうなだれた。うなだれつつも、食い下がった。


「友達ってこういう感じでしょうか。すごく良いですね」

「この子と話していると頭が腐りそう。こんなのにひっかかる男たちってなんなの。アレーナス一同揃いも揃ってばかなの!?」


 国際問題になりそうな叫びだった。

 エリスはなるべく落ち着いた声で語りかけた。


「いますごく、感動しています」


 姫君は、夏だというのに強烈な悪寒に襲われたように自らの肩をかき抱いた。


「ド変態。悪夢だわ。いい加減にしなさい!」


 喜んだら怒られました。


 * * *


「あなたという弟子をとるまで、アリエスはわたくしの家庭教師だったの。あなたが現れてからは、時間が惜しいと、アリエスたっての願いでほとんどの公務から外れてしまったけれど」

「なるほど。親近感爆発だったのがわかりました。姫の歯に衣着せぬ物言い、お師匠様の女性版って感じですよね。心地よかったです」

「すかさず気持ち悪いこと言わない」


 隙あらば怒られる。


「叱られると嬉しくなるだなんて、お師匠様の教育に何か間違いが」

「アリエスは実際、あなたを本気で叱ったことなんか一度もないと思うけど。あそこまでなりふり構わず、全力の溺愛を注ぐ男だとは思っていなかったわ。あなたが自分のすべてというのは、本当だったのね」


 思い出に沈む姫君の横顔を見て、エリスは刺激しないように小さく尋ねる。


「それ、親として大丈夫なんでしょうか」

「愛情は底抜けだったでしょ。それでいまのあなたがあるんだから、悪くなかったんじゃないの。ああ、頭痛い。アリエス悪趣味」


 褒められているのかけなさているのか。

 これまでまともに話したことがなかったエリスのことを、姫君が見ていた事実に、少なからぬ驚きはあった。


「この一年間、お師匠様だけがわたしの中にいました。不満ではないんですけど。姫と、もっと早く話す機会を頂けたら、もっと早くお友達になれていて、もっとたくさんお話できたのかな」


 友達というのは言い過ぎにしても、もっと違う出会いがあったのではないかと。

 紺碧の瞳が、エリスをちらりと見た。

 なれなれしくしたのを怒られるかなと、エリスは視線を合わせて、気持ちだけ身構えた。

 予期した怒声は飛んでこなかった。


「アリエスにはそのように伝えておくわ。次は、そうしてあげて、って」

「次?」

「女の子の友達を見つけてあげてと。今回はもうあまり時間がないみたいだから」


 それだけ言うと、姫君は小首を傾げて空のカップに目を落とし、「もうなかったわね」と呟いた。そしてエリスをまっすぐ見た。


「それで、あなたはここにいて良いのかしら。ずいぶん時間を頂いてしまったみたいだけれど、今日の悪女は、誰と過ごす予定だったの?」


 その時、控えめなノックとともに、ドアが開かれた。


「エリス様。騎士団長がお越しです」

「迎えに来ました」


 そう言いながらゆっくり歩を進めてくるロアルドの姿はまさに威風堂々としている。

 その渋い風貌とも相まって貫禄に満ちていた。


「姫様は今日はどうされるんですか」


 エリスと同時に立ち上がったディアナに、エリスが何気なく尋ねる。


「あらかた観光もしてしまったのよね」

「じゃあ、一緒に遊びませんか!?」


 エリスの申し出に、ディアナは呆れたように笑って言った。


「あなたには、わたくしよりも、アリエスとか、他にいるのではなくて」

「それはそうでした。お師匠様とはきちんと話さないと……」


 会話の間、ロアルドは横に立って待っていた。

 悪いな、と思ってエリスは顔を向けた。

 剣が。

 鋼が。

 視界をよぎって、歩き出そうとしていたディアナの細い身に深々と突き刺さり、貫いて、床を打った派手な水音が耳に届いた。


「私が迎えに来たのはエリス様だけなのでな」


 剣を引き抜いたロアルドの深い声を間近に聞きながら、エリスは崩れ落ちるディアナの身体に手を伸ばし、床に膝をつきながら受け止めた。

 鮮血の流れ出す腹の部分に手をあてる。


(魔法を)


 修行中、何度魔力を流そうと思っても、錆付いたかのようにまったく何も起きなかった自分の中の魔力回路。そこに力が満ちる様を思い描いて手をかざす。


《流れ落ちる命の時を止めて。乙女の魂をこの身体に繋ぎ止める》


 血糊のついた鋼が、自らの首にあてられたのを感じたが、魔力の行使を止められなかった。


《時よ止まれ。あなたはまだ死ぬ時ではない。わたしがここで食い止める》


 回路に、魔力の奔流が迸る。

 烈しいが、決して目を灼かぬ光としてエリスの手から溢れ出した。


「姫、今助けよう」


 エリスの口から、エリスのものではない決然とした声がこぼれた。

 うっすらと目を開いたディアナが、唇を震わせて言った。


「いけない……。魔力を使わないで」

「わたしが誰かわかっているなら、無駄口はよしなさい」

「あなたは……」


 口の端から一筋血が流れ、そこでディアナは言葉を切った。

 その間隙を縫って、低い声が響く。


「腐っても偉大なる魔導士ということだな」

「その確認の為だけに、乱暴なことをしたものだ」


 首に押し付けられた鋼が薄皮を裂いて、赤い血が滲んでも魔導士は魔力の行使をやめなかった。


「自分の身を守らねば、死ぬぞ」


 顔を上げたエリスは、面白くもなさそうな顔でそこに立つ巨躯の男を見た。


「『時』の魔導士を侮るなよ」


 見つめ合ったのは、ほんの一瞬。


「エリス……!」


 走りこんできた『炎』の剣がロアルドに迫る。

 ロアルドは身を翻し、窓枠に足をかけて外へと飛び下りた。

 わずかに躊躇してから、引き返した『炎』の魔導士ファリスは、治癒魔法を行使するエリスに目を向ける。

 溢れる光に包まれて、目を閉ざす姫君。

 エリスの横に膝をつくと、剣を床に投げ出し、その肩にそっと手を乗せた。


「僕の魔力は使えますか」

「ありがとう、若い魔導士」 


 二人で、呼吸を合わせるように目を閉ざした。


 * * *


「思った以上に、『血と鋼』の力は健在だったな」


 立ち去ったロアルドを見つけることができなかったとの報告を受けて、アリエスは苦々しく言った。


「操られていたのか」


 エンデの問いには、渋面のまま答える。


「その可能性もあるが、本人が信奉して仕えている場合もあり得るかと」

「もともと口数が少なかったからな。おかしくなった、という感じはなかったんだが」


 気づかなかった責任を感じているかのように、ジークハルトが言った。それを見たエンデは嫌そうな溜息をひとつ。


「一歩間違えれば、おかしくなったのは自分だったかもとか。今考えても意味ねーぞ」

「そういうわけでは」


 否定しつつも、ジークハルトの表情は冴えないまま。

 時ならぬ惨劇に、王宮全体が暗雲に包まれたかのように、ただただ重苦しい空気ばかりがあった。



 その日一日、エリスは目を覚ますことはなかった。

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