第13話 その時はまだ誰も

 ──その時はまだ誰も。


 * * *


 緩い上り坂の先、王宮の表門の衛兵と立ち話をしているひとの姿を遠くから見つけて、エンデが「はいはい、面倒くさいですね」と投げやりに呟いた。

 魔導士の長衣を着ていないせいで、非番の一般兵に見えるが、待ち構えていたのはファリス。


「待っていました」


 二人がたどり着く前に、ゆっくりと坂を下ってきたファリスは夕陽に染まる白亜の王宮を背に完璧な微笑を浮かべて言った。


「お待たせ」


 答えたのはエンデで、エリスよりも前に進み出る。


「姫君の護衛のつもりですか」

は意外と物騒だからな」


 睨み合う二人を前に、エリスもまた(ああ、暗殺対象が揃ってしまった)と物騒な思いを抱えていた。しかし、見れば見るほど、悪い冗談にしか思えない。こんな生きのいい成人男性二人、エリスにどうしろと。


(隙をつく? 無い。そもそもどうやって? 崖から突き落とす? 絶対自分が落ちそうになって逆に「どうしました? 大丈夫ですか」っていう……)


 二人とも、性格は悪くない。

 私情を挟んでしまえば、たいして面識もなくつながりも感じていない故国の王のために、人なんて殺せない。殺す機会があっても殺せない。


(お師匠様、人選ミスです)


「エリスに話があります。本当に魔力があるのか、今一度確かめたい」

「それ痛かったり怪我したりしないの。ファリスは回復系は全然ダメだろ」


 睨み合う二人の間にエリスはさっと身体を挟んだ。


「わたしはやってみたいです。昨日の、自分でも納得していません。わたしに魔力があるなら、きちんと確かめたいです」


 ファリスとエンデを交互に見て、エリスは言い募る。ファリスは硬質な表情でエリスを見返してきていたが、エンデはけだるそうに言った。


「眠れる力なら、眠らせておいた方が良いんじゃない。無理に引き出したら、生き方が変わるよ」

「あるかもしれないものを、無いことにしろと?」

「無い人間には無い。無い人間の方が多い。昔は今よりももっと魔導士が多かったというけど、現代では希少だ。消えゆく力なら、消してしまえばいい。なくても、人は生きていける」


 それまでのエンデの印象にはそぐわない、突き放すような態度だった。


「エンデはあまり、魔法が好きじゃないんです」


 とりなすようにファリスが言ったが、エリスは言われた内容を受け入れるのに少しの時間を要した。


(魔法は、いらない?)


 気がついたときには大魔導士の側にいて、当たり前のように魔法を学んでいた。大魔導士は王宮の要職にあって、重宝されていると信じていた。いらない存在などとは考えたこともなく。 


「これは可能性の話ですが」


 固い表情でファリスが前置きをした。


「もし万が一、エリスに魔力があり、魔導士として頭角を現す可能性があるのならば、早急に陛下からは遠ざけなければなりません。今のように、身元がわかったらお妃候補かも、などと浮かれている場合ではないのです」

「魔力を呼び起こさなければいいだけの話だ」

「それはただの、問題の先送りです」


 二人の間で淡々と交わされる会話を、エリスは耳を澄ませて聞いていた。そうするより他なかった。

 エンデは低く唸りつつ腕を組む。


(魔力があるとジークハルトから遠ざけられる……?) 


「魔導士に対して何か迷信でもあるんですか」


 この国では。

 見たことのないもの、食べたことのないものがあったように、エリスの知らない事情があるのかもしれない。

 その質問には、すがるような思いと、押し殺そうとした切実さが染みだしていた。

 エンデもファリスも重苦しい雰囲気で黙り込んでしまう。ややして、ファリスが口を開こうとしたが、エンデが制した。そして、エリスに向き直って言った。


「魔導士の中には、稀に長大な寿命を得る者がいる。そういうのは、婚姻には向かない。殊に、権力の座には。完全に仮定の話だが、もしエリス嬢と陛下が結ばれることがあったとする。エリス嬢が長命な魔導士だった場合、陛下や陛下との間の子が死んでもエリス嬢はずっと生き続け、権力の座にあることになる。それは国家の運営で考えたときにあまり健全ではない。例えばそこの魔導士は、その『一部の、長命な魔道士』に該当する可能性が高い。その辺を考慮して最近婚約を破棄し、生家とは縁を切り、ただの宮廷魔導士として王国の守護者に徹しようとしている」


 さらりと暴かれた事情に、ファリスは瞑目した。痛みをやり過ごそうとしているようにも見えた。

 ただの宮廷魔導士として。王国の守護者に。

 その生き方は、エリスの知る大魔導士の姿にも重なる。

  

「魔導士の中でも一部の者だそうです。僕がそうであるかは、まだわかりません。いまの時点で、明確に不老長寿を実感する場面がないので。ただ、あなたに関しては、魔力の確認だけでもしておきたいのです。今ならまだ、陛下は恋に落ちていない」


 恋に。

 落ちてはいない。

 それは恋に落ちるかもしれないという見通しと地続きの見解で。


「今ならまだ引き返せる、という意味ですか」


 エリスの確認に、ファリスは小さく頷いた。


「そうだなぁ……」


 エンデも独り言のように呟いた。

 沈みかけの夕陽が、どんどんと落ちていく。辺りが薄暗くなっていく。

 エリスは二人と三角形の立ち位置になるように一歩後退して、二人を視野に収めて言った。


「少し不思議に思っていたことがあります。ジークハルトは性格がすごく親切ですし、気遣いもこまやかです。たとえ何か当人同士折り合わないことがあったとしても、王宮を訪ねてきたお妃候補を無下にする人ではないと思うんです。それなのに、今までぜーんぶ追い返してしまったのは、何か理由がありますか。わたしなら良いかもって皆さんがやや軽率に考えた理由に関係がありますか」


 エンデとファリスがちらっと目配せしあった。


「軽率……」


 という言葉がどちらの口からももれた。

 二人とも思い当たることがあるのだろう。

 ファリスも当初は浮かれていたし、エンデも全面協力だった。だが、ここに来てエリスの明確な不審に対し、曖昧にする意味を失したらしい。エンデが観念したように言った。


「軽率といえば軽率なんだけど。記憶喪失っていうのがね。陛下はいろいろあった人だから、自分の過去を知っている人が苦手なんだ。エリス嬢に興味を持ったのも、そこじゃないかと思っている」


 ファリスは真剣な表情で耳を傾けている。それはおそらく、この王宮に逗留している唯一の魔導士としての責任感なのだろう、とエリスは了解した。

 ジークハルトの態度を見ていると、単純にもともとの親切な性格と、「ぜーんぶ追い返して」周りの者を失望させた罪滅ぼしとしてエリスを構っているだけに見える。身元捜しを真面目に行っているのも、その延長。

 恋が視野に入っているとは、思えない。

 ただし、その罪滅ぼし行為によって周りの者が「今度こそお妃候補として」と期待を抱いているというのもまた事実なのだろう。

 それを受けて、ファリスとしては「魔導士なら候補に挙げるわけには」と、気がかりを放ってはおけない、と。


「事情はわたしなりに、理解しました。その上で、やはり魔力の有無は明らかにした方が良いと思います。わたし自身は自分にそれほどの魔力があるとは考えていませんが」


 今までろくな魔力を発揮できたことがないのである。いきなり図抜けた才能が開花するというのは考えにくい。


(考えられるとか、考えにくいとか)


「推測ばかりで埒が明きません。ファリスさん、ぜひ一度思い切りぶつかりましょう」

「もし君が魔導士でなかったら、僕の本気は君の命を奪うよ」


 寂しげな笑みを浮かべたファリスの姿が、どこか大魔導士の姿に重なった。それほど似ていないはずなのに、何か手に入らないものを求めるような瞳がそっくりだ。

 エリスはにっと笑って答えた。


「では、わたしが偉大なる魔導士であることを願ってはいかがですか。もしわたしが魔導士だったら、この先百年の付き合いになるかもしれませんよ」


 密命がどうにか上手いこと片付いて、エリスが友好関係を維持したまま隣国に帰ることがあったとしたら。

 隣国なのだ。これから長い年月それぞれの地で生きるのなら、時々は会って切磋琢磨してもいいはずだ。

 その思いから力強く言ったのだが。

 ファリスは薄く笑って答えず、「今日はもう遅いですね」とだけ言った。

 二人の会話が終わるのを待っていたらしいエンデが、首を回したり肩を鳴らしたりと大仰な柔軟をしつつ歩き出す。


「さーて、そろそろ今日買った分の服や靴が届いているかなぁ」

「買った……? いつの間に?」


 何か変なこと言い出したな、と思ったエリスに、ちらりと視線を流してなぜか意地悪げに笑うエンデ。


「いつの間にって。試着したの、全部」

「なんですかそれ、わたし、知らない……!」


 焦ってエンデを追いかけようとしたら、足がぐきりと鳴った。

 真横にいたファリスが、すばやく腕を伸ばして支えてくる。

 肩越しに振り返ったエンデが、呆れた態度をまったく隠さずに言った。


「そのサンダルはあってないみたいだよ、何回転ぶつもりなんだ」


 突き放す物言いだったくせに、引き返してきてさりげなくファリスの腕からエリスを奪う。

 はからずも二人と至近の距離をとったファリスは、軽く目をみはった。

 空気に交じる潮の匂いに、ふわりと爽やかな香りがのったのだ。二人から、同じ香りが。


 ファリスがちらりとエンデに視線を向けたとき、エンデはそれを受け止めたが何も言わなかった。

 ただ、エリスの背を軽く支えて「坂道だから気を付けて」と言って手を離し、並んで歩き出した。

 その後ろ姿を、ファリスは遅れて歩きながら見ていた。


 ──その時はまだ、誰も、恋に落ちてはいなかった。


 その時までは。

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